2001年9月26日水曜日

憎しみの源泉

昨日のテレビ朝日「ニュースステーション」で、タリバン政権下のアフガニスタンの状況が、進入したカメラのもとに映し出されていた。かなりショックを受ける状況だ。

タリバンは、アフガニスタン国民には「恐怖政治」でしかない、暗黒時代だと言う。「自分の国でありながら囚人と同じだ」と答える店の主人。「金も夫もいずに、どこに幸せなど感じられるか」とインタヴューに答える女性たち・・・

地雷で足を(両足も!)失った多くの人たち。公然と行われる公開処刑。子供の教育にまず教え込む「ジハード」。子供達にまず憎しみを植え付けようとしているのだろうか、公教育として。この世は不幸なので、ジハードで命を捧げ、あの世で幸せになろう、などという宗教観は末世成仏と同じで人間に未来を提示しない。

これらすべて、タリバンという圧制による民衆の抑圧だ、そこから開放してあげることこそ、(西、イスラムを問わず)我々の役割だという意見は、おそらく正しい。

しかし、そこの論理から、テロ組織を根絶やしにすることが正なのかとなると私は混乱する。テロ組織とその土壌は、日本の曖昧なる「周辺」への定義と同様に、まわりにどこまでも広がってゆく・・・・

ふと思ったが、「憎しみを植え付ける教育」の存在である。例えば、韓国や中国では、日本の戦争での悪逆を繰返し教えている。「憎しみ」を教えているつもりはなかろう。しかし、その教育の先に、相互理解の道は見えないと思う。「憎しみ」や「差別」を植え付けられた子供達を、真に救うということなど可能なのだろうか。

我々の西側寄りの社会には、昔風の論理を踏襲すれば「搾取する側」と「搾取される側」が今も厳然と存在している。 誰も、もはや「搾取される側」にはなりたくない。そう全ての国民が気づいた瞬間に、私はアメリカ的資本主義の終焉を見る思いがするのである。決してオーバーな話ではなく。


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