太田記念美術館は表参道の裏手に位置していますが、美術館に入った瞬間に外の喧騒が遠い世界のような静かな空間が現出します。
大々的に宣伝しているわけでもありませんから来館者も少なく、ゆっくりと北斎を鑑賞できる至福の時を味わうことができました。
それにしても、改めて北斎の画を見るにつけ、何たる天才性であろうかと驚くばかり。また、その画に対する執念に近い凄まじい気迫まで感じ、まったくもって恐れ入ってしまいました。美術館サイトによりますと「冨嶽三十六景」は天保二年(1831年)頃に出版されたそうで、北斎60歳後半から70歳前半にかけての作品とのこと。それほどの老境にいながら、精力的に写実を試みた北斎の類稀な画境は冨嶽三十六景と併せて展示されている諸作品群からも窺い知る事ができました。
天保五年「冨嶽百景」初編において北斎は自らを「画狂老人卍」の号を用いました。その号には死ぬまで飽くなき追求をする気迫を込めているようです。習作に近いスケッチなども展示されていますが、その表現は自在で写実的意味合いにおいては日本的な様式を持ちながらも、すでに空間や空気までをも表現するリアリティを獲得しており圧巻といえましょう。
世界に目を転じればまさに西欧では印象派が花開きはじめる前の時代。まさに西欧が瞠目した浮世絵の世界は最盛期を迎えていたのですな。
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