九月大歌舞伎の夜の部を観てきました。
演目は芝翫の「平家蟹」、吉右衛門の「勧進帳」、そして歌舞伎座では48年振りの狂言、梅玉と時蔵の「忠臣蔵外伝 忠臣連理の鉢植~植木屋」の三作です。
歌舞伎初級者の私のことですから、お目当ては当然「勧進帳」なのでありましたが、予備知識の全くなかった「平家蟹」も「植木屋」も、なかなかに興味深くそしてまた面白く、今回も歌舞伎の底知れぬ奥深さを知らされる思いでありました。
以下に雑な感想を綴っておきますが、後日何か思いついたら追記するかもしれません。
「平家蟹」は壇ノ浦の合戦の後に生き残った官女、玉蟲(芝翫)の源氏に対する妄執を描いた怪談です。明治45年、岡本綺堂作の新作歌舞伎なのですが、観終わった感想は、いい意味での「なんぢゃこりゃぁ」というもので、歌舞伎というものは奥が深いのだなと思い知りました。岡本綺堂といえば今年2月に上演された「番町皿屋敷」も彼の作。あの時も、いまひとつ腑に落ちない印象を持ちましたが、今回も前回と同様に「?」と思うこともしばしば。岡本歌舞伎は、彼独特の美学があるようですし、この演目における不気味さ(特に蟹)は計り知れず、充分に堪能させてくれました。
実を言うと途中で芝翫が転んだりしないだろうなとハラハラしながら観ていた事も確か。芝翫の芸はまだまだ観せていただきたいと思っていますから。
惜しむらくは、今日も「掛け声」がかかるのですが、それが何とも一本調子な棒読みのような声。あんな掛け声なら発声しない方がよろしい、迷惑でしかないと言い切る。
「勧進帳」は、渡辺保さんの歌舞伎評と鶴澤八介さんの床本に当たってから望んだのですが、いやはや見事でありました。私は「勧進帳」は團十郎と海老蔵の醍醐寺薪歌舞伎をTVで観たことしかなかったのですが、それでも今回はいちおう二度目ということになりますから見所も把握しておりましたから、初見のときより余裕をもって楽しむことができました。弁慶は吉右衛門、富樫が富十郎です。私は富十郎が結構好きなのですが、今回は役的にはしっかり弁慶を立てていたようです。ここは渡辺さんの評でも言及していますね。
吉右衛門の弁慶に対してワキに徹して抑えに抑えているからである。それはもう出て来ての名乗りでわかる。今までの声の浪費と怒鳴り声と違って抑えて低いところは低く、高音部は張って、緊縮自在の円熟振り、これでこそ名調子といえる。
なるほど、富十郎の「怒鳴り声」も歌舞伎座においては捨てがたい魅力を持っていますが、今回の富樫には不要か、いずれにしても二人の作り上げた緊迫感は凄まじいものでした。
その上で今回の一番の見所といえば、渡辺さんの評とは少し異なりますが、私は弁慶が勧進帳を読み上げるまでの一連の所作でありました。弁慶がハッとばかりに巻物を読み上げようとするまさのその一瞬に、彼の心持が劇空間までもガラリと変化させてしまうかのような鮮やか印象を与えてくれました。
最後の「植木屋」は全く期待せず、寝不足だし一度会社に戻らなくちゃならないし帰ろうかなと思いつつ、痛くなりつつある尻と腰をだましながら観たのですが、いやいやどうして、これが滅法面白く、併せて「つっころばし」という役がかくの如しなのかと理解させてくれた劇でもありました。確かに渡辺さんの評にあるように、梅玉演ずる弥七が、色男の役ではあるものの、ちょっとした「間」に隙を感じたのも確か。でも、こういう劇は素直に楽しめる。今後に期待したいという気にさせてくれました。
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