アマチュア団体でしかも特定の音楽家に特化するというのは、ユニークでありながら非常に冒険でもあるように思えます。シベリウスの曲は私も好きですが、二つの組曲はあまり馴染みがないためどのような演奏になるのか、期待と不安を持って聴き始めました。 アマチュアとは言っても在京のオケですから技量は高いオケのようです(比較対象なしの独断)。ffにおける音量も十分で、ダイナミックレンジの大きな迫力のある演奏を聴くことができました。特に、金管群の音量は十分すぎるほどで、想いの丈が伝わってくるかのようです。弱音や弦楽器による細かなトレモロなど繊細な動きもなかなか聴かせてくれました。多少表情が固いかなと思うこともありましたが、オケとしての初々しさなのでしょうかね、あるいは私の勝手な思い込みでしょうか。
さて、肝心のシベリウスの音楽ということに関しては、これは表現するのがなかなか難しいものがあります。というのも、シベリウスの何を好きかということになるのかと思うのですが、これはオケの想い、団員個々人の思い入れ、そして指揮者の解釈、聴衆の求めるもの、それぞれが「シベリウス」というキーワードのもとに微妙に異なるからです。そういうわけですから、自分の中の勝手な「シベリウス像」を演奏からどこまで聴くことができるか、ということに興味は尽きるたわけです。巨匠の演奏やプロの名演と比較してということではなくて、ですが。
私が好きなシベリウスというのは、どこか曖昧であり自然と一体化したかのような喜びと霊感を感じさせてくれるようなところ、よくマーラーと対比されますが、ギリギリまでに鋭敏に贅肉を落としたところの澄みやかなる美しさと冷涼さ、キリスト教の神とは違う意味での神聖さを感じさせるところなどなどです。演奏を聴きながら考えたのは、上とは逆のシベリウスの持つ愛国心と大衆性ということで、それはそれでシベリウスが愛されてやまない理由だとは思うのですが、個人の中でどう音楽的に両立していたのだろうということです。
本日の演奏会のプログラムは、さすがに第一回の演奏会と銘打つだけあり、よく練られていると感心するとともに、シベリウスの両面を上手く表した曲が選曲されていると思いましたが、最初の組曲ふたつは馴染みがないせいか、どうも焦点を絞りきれず、実は余り楽しめませんでした。「フィンランディア」だけがあまりに有名ですから、そこだけ浮き上がって聴こえてしまったのは私の経験不足というところですね。(世のシベリウスファンは、この曲を生で聴くために足を運んだ人も多いことでしょうに)
それでもシベリウスの考えている音楽やアイデアがそこかしこに断片のように散りばめられているのを聴く事もでき、曲を再認識した次第です。
シンフォニーの方は、よくまとまっていたと思います。第2番についでポピュラーな曲ですが、終楽章の6つの和音による決然とした終わり方は釈然としない思いが常に付きまといますが、それもそれとして聴かせきってくれたように思えます。指揮の新田さんは和音と和音の間をかなり長めにためて振っていましたが、彼女なりの想いがあるのでしょう。この不自然なまでの間が、かえって曲に一貫性を持たせたように私には感じられました。
アンコールのアンダンテ・フェスティヴォは非常に良かったですね。フェスティヴォという題名とは裏腹な静けさと清涼さ、まさにシベリウスの音楽を堪能することができました。
まあ、そういうことで、いろいろと楽しむことができた演奏会でした。えらそうにいろいろ書いてしまいましたが、本日の演奏会に至るまでには関係者の方々には並々ならぬご苦労があったと思います。ごくろうさでしたと思うとともに、今後の活躍を期待しております。
ちなみに開演を告げる鐘の音はシベリウスの作品65の「カッリオ教会の鐘の調べ」だったのですね、さすが!!
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アイノラ交響楽団 第1回演奏会
2004年2月29日(日) 14:00開演(13:30開場)
大田区民ホール アプリコ大ホール
��JR蒲田駅から徒歩3分、京急蒲田駅から徒歩7分))
指揮:新田ユリ
シベリウス/組曲「白鳥姫」 作品54
シベリウス/「歴史的情景」組曲第1番 作品25
シベリウス/交響詩「フィンランディア」 作品26
シベリウス/交響曲第5番ホ長調 作品82
(アンコール)
アンダンテ・フェスティヴォ
交響詩「フィンランディア」 作品26
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