- ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35
- ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102
- アムラン(p)
- リットン指揮 BBCスコティッシュSO
- Hyperion CDA67125
ピアノ界の鬼才アムランのショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番と2番を聴いてみました。アムランはときどき紹介しているように、いつも抜群のテクニックに仰天してしまうのですが、この盤においても冴えまくった腕を聴かせてくれます。
テクニックさえあれば楽しめるというものではないのですが、彼の演奏スタイルからは、何か面倒くさい取り決めとか段取りを全て飛び越えてしまうような爽快さを感じるのです。それが私のどこかに触れるのかもしれません。
ピアノ協奏曲第1番(1933)はトランペット独奏者とともに演奏されるというちょっと風変わりな曲ですが、ショスタコ独特のメロディの美しさや、少しとぼけた雰囲気などが楽しめる曲です。ショスタコはあまり詳しくないのですが、作曲者は『英雄的な、はつらつとした、きわめて快活な』感じを意図していたようです。そういう雰囲気を曲から感じ取れるかは人によると思いますが。
第一楽章からピアノとトランペットはハイテンションで飛ばしまくります。こんな勢いで最後まで行くのかと思うほどですが全くそんな心配はおかまいなしというところでしょうか。ちょっと深刻な感じの第二楽章Lentoと、第三楽章Moderatoをはさんで終楽章に突入するところからピアノが再び物凄い疾走を始め、そこにオケとトランペットが被さります。ピアノは打鍵も強く天上から地下までこれでもかと打ち鳴らされるさまは、軽い躁鬱を繰り返した後に来る破れかぶれの明るさにのようなもの(何だそれ?)満ちています。中間部のトランペットソロは、ちょっとボケが過ぎないかと思わず笑ってしまうのですが、ラストに至ってはもはや破顔でブラボー!です。
続くピアノ協奏曲第2番(1957)も軽いノリで始まります。続いてすぐに粒の揃ったピアノがオケと対等に渡り合う様は胸のすく思い。一楽章からとにかく激しいのです、物凄いスペクタクルを観る思い、あいた口がふさがらない。ショスタコのピアニズムが凄いのか、あるいはアムランが凄いのか。音楽からここまでのエネルギーを引出す手技には脱帽。
第二楽章は一転して物静かな弦で始まりますが、こういうメロディの扱い方は何とも言えませんね、間違いなく泣けます。今でこそヒーリングミュージックとしてもてはやされるようになってきましたが、ここだけ取り出して聴くものではありません。それにしても甘美過ぎる!この曲は息子のマクシームのために作られたとされておりますが、第二楽章は父から息子への贈り物なのだそうです。
そして怒涛のような激しさの終楽章が、転がるようなコミカルなメロディから開始されます。終楽章に作曲当時、モスクワ音楽院に在学中の息子が練習していた曲であるハノンを引用していることも、この曲を特徴つけていますが、そういうことを知らずともアムランの冴えに冴えているピアノを聴いていると細かいことはどうでもよくなります。彼の演奏に切れ味とかそういうものばかりを求めてしまうのも何だかなあとは思うのですが、梅雨時の鬱陶しさを吹き飛ばすには格好の盤であると言えましょうか。
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