NHKスペシャルで「21世紀の潮流 アメリカとイスラム」という2回シリーズが放映されています。第1回はイラク人虐待のモデルともいわれるキューバのグアンタナモ収容所とイラクとアフガンに挟まれながら反米姿勢を崩さないイラン革命25年目の素顔に迫るものでした。
グアンタナモ空軍基地にある収容所は悪名高い収容所で、アメリカの国内法も国際法も及ばない場所です。ラムズフェルド国防長官も「彼らを法のもとに裁こうと思っていない、テロを未然に防ぐために疑わしき者を収容しているのだ」と言って憚りません。
番組では、ある日突然失踪した息子が、実はグアンタナモに収容されていることを知ったレバノン人の父親が取材されていました。父親が一枚の写真を取り出して語ります。写真はテロ被疑者がアメリカ軍に捉えられ、グアンタナモに輸送される飛行機内で撮られたものでした。被疑者数十名は覆面をされ、手足を縛られ、ロープのようなもので壁に固定された状態で、軍用機の冷たい鉄板の上に座らされていました。彼らの脇にはアメリカ人が立ち、背後には機内の天井から星条旗が垂れ下がっていました。
父親はその星条旗を指し「アメリカ国旗には私も誇りに感じたこともあった。アメリカ国旗は民主主義と自由の象徴であった。それが、こんな使われ方をするとは」と憤りにうち震え、そして息子の安否を気遣っていました。
E.W.サイードは「わたしたちの民主主義を返せ」という一文で、次のように語っています。
途方もなく犯罪的だと思われるのは、民主主義や自由といった重要な言葉がハイジャックされ、略奪行為や領土侵略や怨恨を晴らすための隠れ蓑に使われていることだ。 アラブ世界についての合衆国の計画はイスラエルのものと同じなってしまった。 シリアと並んで、イラクはかつてイスラエルにとって唯一の重大な軍事的脅威だった。だからこそ、壊滅させねばならなかったのだ。
サイードはアメリカの中東政策がイスラエルを擁護するシオニスト一派の戦略に支配されていることを前提にしていますし、それであっても、彼がアメリカに民主主義と自由の理想を重ねていたことが分ります。ここでアメリカの国旗や愛国心についてのサイードの見方にも触れておく必要があるかもしれません。「もうひとつのアメリカ」という「戦争とプロパガンダ4」にも納められている一文からの引用です。
国旗を振ることに、これほど重要な図象学的な役割を持たせている国は他に知らない。 タクシーにも、男物ジャケットのラベルにも、住宅の前窓や屋根の上にも、そこらじゅうに旗が翻っている。 それは国民イメージの具現化であり、英雄的な耐性と、価値なき敵との戦いに悩まされているという感覚を表している。
これは、アメリカという国に対する荒いスケッチの断片です。アメリカのアイデンティティの根源に国旗と、国旗が象徴する民主主義や自由という精神が込められていたとするならば(レバノン人の父親の言を思い出すまでもなく)現在のアメリカがその精神を冒涜し踏みにじったという主張は、単なる理想論的な悲憤という以上の意味を伴っているようにも思えます。
アメリカの民主主義が絶対であるという価値観に拘泥するものではありませんが、アメリカの世界における位置付けや意味付け、そしてウェイトが変化してしまったことを示唆しているのかもしれません。アメリカ政権内部でのシオニスト、ネオコンなどの保守派と中道派の局地的な主導権争いが繰り返されるなかで、アメリカ全体が大きく舵をとり始めているのではないかという認識ですが。
そういう認識からアメリカ対日本という関係を考える必要がやはりあるのであろうとは思うのです。
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