「クラシック音楽」のサイトを放棄して「プチサヨク」のサイトへと変化したと思われそうですが、それでも記録しておきたい記事が9日の産経新聞『産経抄』にありました(このごろすぐ忘れてしまいますので)。福岡地裁の首相靖国参拝の違憲判決についてです。
『裁判官に対する不信を強く感じた [...] 死者の慰霊や鎮魂ということへの日本の伝統文化をどう考えているのか、常識を疑った
』と書き出し、以下のように展開します。
- 国のために死んだ人びとは英霊となり、靖国神社にまつられて“神”となる
- (靖国を)おまいりすることはいわゆる宗教的活動ではない
- (靖国参拝は)先祖をうやまう人間的で自然な儀礼
- 判決自体が、裁判官の主義主張に基づく“政治的性格”
- なぜなら判決がでるやいなや、中国と韓国は「大いに評価する」とコメントしてきた(から)
大変勉強になりました。私も国のために死んだら「英霊」となって「靖国」に名前を連ねて「神」(『欧米でいう“ゴッド”とは違う
』)になれるのですね。イラクの自衛隊員は靖国の神にはなれませんから、これから国のために死んでくれる若者のために、しっかり下地を作ってあげようと、ありがたい処置ですね。これは、日本古来の自然観や習俗とか国家神道に基づくものであって宗教ではないのですし、日本人なら誰もが持つ自然な美しい心から発露したものですから、いやおうなく「愛国心」は醸成されますね。「靖国」「日の丸」「君が代」三点セットに「教育勅語」を付けますか。
死者の慰霊と鎮魂と、神話の神々を祭った神社と天皇と、一体いつどう結びつきましたか。それは靖国の歴史でしょうが。しかも官軍だけを祭った。それが日本の伝統文化ですか。守ろうとする「国体」って何でしょうかね。私は産経の主張する「国家」に命を捧げる気には、今のところなかなかなれません。(とこう書きますと、「国家に所属していながら自己矛盾」だとか「日本にいる価値なし」とか、感情的に激昂する人が多いんですよね)
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