2005年11月6日日曜日

金持ちとビンボー


20代後半から30代前半までを(おそらく)ターゲットとしている「SPA!」という雑誌は、「金持ちとビンボー」という図式で記事を組むことが多い([金持ちOL(ねえさん)×貧乏OL(ねえさん)]格差図鑑 11/8号)。 三浦展氏の「下流社会」も数度にわたって紹介され、「金持ちなOL」の優雅な生活を掲載し持たざる若者を不必要に刺激しています。



ここに見出される感覚は、もはや「金持ちになること」を否定的に捉えない感覚であり、拝金主義というのとはまた違った欲望のあからさまな表出が見て取れます。最近の資金バブルに象徴されるように「資本主義の原理」とかのタテマエで行われる容赦のない経済活動は、隠すことをしなくなった欲望の発露に見え、むき出しのエゴを誰も後ろめたいとは思わなくなってきた風潮には、いささかゲンナリした思いを感じます。


欲望の発散は自浄能力を失ったメディアによって拡大再生産され、持てるものと持たざるものという単純化した図式で価値観さえ二分する勢いです。こうした状況を分析する先のような書物(三浦氏を含め)が、それを煽動することに一役を買ってさえいるようです。欲望バブルな状況は、以前はあったハズのタガがはずれてしまったように思えてなりません。眉をひそめる週刊誌の中吊り広告や夕刊紙はおろか、日本を代表する経済紙にまで性愛小説が載る始末。インターネットはもはや無法地帯。「anan」がSEXを特集することは今に始まったことではありませんが、20年前と比べても感覚が鈍磨したのか先鋭化したのか。欲望の制御が利かなくなった日本が近い将来どこにいるのか私には良く分かりません。


一方で「ニート」に関する記事もあちこちで目につきますが、たとえば「週刊文春 11/10号」におけるフリーターとニート900人アンケート 考察「下流社会」 「ボクがなりたい人」「絶対なりたくない人」を読むと、彼らのあまりの世間の狭さに唖然として、「お前らはテレビしか見ていないのか?」「甘ったれるな!」と思わず紙面に向かって唸ってしまうのは、私が旧世代の人間だからでしょうか。「働いたら負け」という感覚には、ホントウに負けました。


とは書いたものの、「ボクがなりたい人」を自問するならば、それはかなり難しい質問であることも気付くのではありますが・・・。