感想は追って。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2012年1月27日金曜日
2004年6月7日月曜日
日曜美術館 森村泰昌の「画家のアトリエ」
NHKは森村氏が結構お好きなようで何度か彼の特集を観たことがあります。森村氏は、知る人ぞ知る写真家でして、自らが名画のモデルに扮して写真を撮ってしまうという、変わった作品を発表しつづけている方です。
今回の趣向は、フェルメールの「画家のアトリエ」を再現して、画家とモデルになりきって写真作品にするというものですが、私が興味深かったのは、この絵が「完璧な遠近法」に則って描かれているという事実です。
この絵に接したことがある方は、森村氏も含め不思議な感覚に襲われると思います。それは「距離感」の喪失ということに象徴されるのですが、画家とモデルの距離感と、画家と壁の距離感があまりにも違うように思われることからそう感じるのだろうとは薄々気付いていました。
それゆえに、私も床タイルをもとに部屋の大きさや画家とモデルの距離を考えたこともあるのですが、今回はコンピュータを駆使した3Dによるアトリエ再現の努力のかいあって、部屋の大きさから画家とモデルの位置関係などが、数学の解を得るように明らかになりました。
それによると、モデルは壁のすぐ近くに立っており、かつ画家とモデルは非常に近い距離にあって、部屋のごく偏った位置に居るのだそうです。さらに遠近法の尺度ではモデルの身長は140cm程度と子供程度であるのだそうです。3Dのアトリエを色々な角度から見ることで、「画家のアトリエ」のアングルが遠近法的な距離感を喪失する一点であることも明らかにしています。
このような親密な空間を後ろからカーテンを捲った状態で観ているため「覗き見するような」「見てはいけないものを見た」気にさせるのかもしれません。
モデルの身長を140cm程度という点を取って、モデルがフェルメールの娘かもしれないとする森村氏の意見には同調できないのですが、むしろモデルの大きさ(小ささ)はフェルメールの作為であり、これこそ「遠近法破り」の極致的技術であるように思えました。親密でありながら茫とした、あるいは消え入りそうな儚さを感じさせる所以であると私は思うのです。
森村氏の尋常ならざる探究心により、またこの絵画の魅力に触れた思いでありました。
2004年4月19日月曜日
展覧会:東京都美術館:栄光のオランダ・フランドル絵画展
大々的に宣伝していますのでGW中などは込むと思い、今日天気が良いことをきっかけに、9時の開館と同時に入館してきました。
天気が良いせいでしょうか、朝早いというのに結構な人出です。それでも絵画の出展数が少ないので比較的ゆっくり観ることができました。
お目当ては何と言っても私が最も敬愛する画家、フェルメールの「画家のアトリエ」です。最初は順番に観ていたのですが、途中からじれったくなり、一番最後に展示されているところまで、まずは行ってみることにしました。
さて、はじめてフェルメールに接した印象は、もはや言葉にすることができません。何と言う幸福でしょうかね、観ていてじんわりとしてきてしまいました。観ている他の人も絵の前から動こうとしません。もう画面に釘付けといったところです。
この絵は、フェルメールの絵の中では最大のものなのですが、フェルメールの絵の魅力が余すところ無く伝わってくる作品でもあります。手前の重い捲られたカーテンは、画家とモデルの秘事を覗き見しているような感じです。カーテンは吊るされて固定されているのではなく、今まさに「私が」捲っているように思えませんか?
そして見えてくるのは、洒落た衣装の画家と、その後ろに窓から差し込む優しい光に照らされた女性です。この女性の儚さと美しさと永遠性ときたら、ほとんど奇跡のようであるとしか思えません。眼を閉じて再び開いたら、そこに女性がいなくなっていないかと、心配になります。しかし、女性は一瞬の喪失感を感じさせつつも、永遠にそこに光とともに固定されているのです。また、壁にかかっている地図は実物の地図を模写したものですが、その皺を弄ぶようになでる光の美しいこと。
フェルメールは意識的に手前の画家や椅子などと比較して、女性を「ぼやかして」描いています。輪郭などもはっきりしないのです。これはフェルメールが当時のカメラ・オブスキュラを利用していたというのが定説ですが、それは絵画に奥行きや遠近感を与えるだけではなく、それ以上の驚くほどの効果を生じさせているように思えます。
これもよく指摘されるのですが、天井から下がったシャンデリアの表現も、光の反射の描き方など解像度の悪いカメラを通した画像と酷似しています。でも、フェルメールがカメラ・オブスキュラを使おうが使うまいが、どうでもよいことです。
そうしてキャンバスに定着された光は、移ろいやすさと永遠性という二つの相反するものが見事に合体し、観る者をどこか別の世界に連れ去ってしまうほどの魅力に満ちた作品に仕上げているからです。これを眼の恍惚といわずして何と言えましょうか。
先ほど、絵画は一期一会のものであると書きましたが、私がこの絵に再び会うことがあるとするならば、それまた奇跡のような僥倖であろうと思わずにはいられません。
とまあ、感情的な文章をしたためてしまいましたが、そのほかの絵も面白かったのですが、とにかくフェルメールの印象が強すぎてダメですね。
レンブラントの絵も2枚ほどあって、これはこれで大したものではありましたが、今日はレンブラントまで語る気にはなれませんな。
たった1枚の絵を観たさに1500円というのが高いか安いか、前評判の割には展示作品が少なすぎやしないか?(マルモッタンの時の半分だな)という疑問もありますが、まあ、それもよしといたしましょう。
2004年4月15日木曜日
映画:真珠の耳飾りの少女
「完璧(Perfect)」 いささか大上段ではありますが、私が画家フェルメールに抱いている気持ちです。その天才画家と「真珠の耳飾りの少女」という絵のモデル(グリート)とのドラマを描いたのがこの映画です。10日が封切でしたので早速観てきましたが、この映画を観た印象も、まさに「完璧」というものでした。
映画が始まると同時に、映画を通して流れるテーマ音楽がフルートに導かれて奏でられます。それだけで、もはや私はこの映画から眼を離すことができなくなりました。
フェルメールの絵画の最大の魅力は、部屋(アトリエ)の左側から柔らかに入り込むデルフトの光にあります。この映画を作った人たちは、よほどフェルメールを研究し、そしてフェルメールの絵を愛しているのでしょう。冒頭に書いたように「完璧」と映画を見ながら感心し、幾度となく画集を食い入るように眺めたあの絵が、3Dさながらにサイドからパンをして見慣れた構図に納まるカメラワークに、よくぞここまでと唸ってしまいました。
とにかく画家のアトリエと17世紀のデルフトの街の描写などが驚くほどの美しさで表現されています。電気のない時代の夜の描写も見事です。
唯一気に入らなかったのは、グリートがフェルメールを想いながら眺める空の色くらいでしょうか。フェルメールが「雲は何色か」とグリートに問いかけ、自ら答えるうちにフェルメールを理解し、そしてフェルメールもグリートを理解したという重要なシーンのあとの場面です。フェルメールの有名な「デルフトの眺望」でもそうですが、フェルメール感じた空の色ではなかったような気がします。
フェルメールがグリートをモデルとして絵を描き始めたときに、真珠のピアスが不可欠であるとして自ら針でグリート耳に穴を開けるシーンは極めて官能的です。しかもグリートが付けるのはフェルメールの妻のピアスなのです。
それを知った後の妻カタリーナの演技も見もので、化粧気のない愛憎入り乱れた表情は女性の哀しさを背負っているかのようですし、出て行けとグリート命ずるところは凄絶です。
二時間弱の映画ですが、そういうわけで私にはあっという間に過ぎ去ってしまいました。映画館を出た後、しばらく実世界に戻ることができず浮遊するような感覚さえ味わってしまいました。
グリートを演ずるヨハンソンは、パンフレットなどで見ると非常に肉感的な印象で、フェルメールの絵の雰囲気ではないと実は心配していたのですが、映画ではそんなことは全然ありませんでした。機会があればもう一度観たいと思っています。
- 監督:ピーター・ウェーバー
- 原作:トレイシー・シュヴァリエ
- 音楽:アレクサンドル・デプラ
- フェルメール:コリン・ファース
- グリート:スカーレット・ヨハンソン
2004年4月1日木曜日
フェルメールの真作!?
フェルメールは寡作で知られるオランダの画家ですが、贋作の多さでも有名です。今月15日からは東京でフェルメール展が、そしてフェルメールを素材とした映画も放映予定で、今か今かと待ちわびていたところにこの話題です。
4月1日だから・・・・なんてことは、ないでしょうね!>BBCと思いましたが、ニュースは3月30日のものですからほぼ確実のようですね。
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さて、落ち着いてよく調べてみますと、この作は以前から真作ではないかと疑われていたらしいですね。2001年のフェルメール展で展示されて話題になったようですが、そのときには図録にも加えられなかったとのこと。(情報元)
実際にこの絵を見た方のコメントものっていまして、
この絵の寂しさに加えて、空間的な圧迫感があるフェルメールらしからぬ絵だった
というものだそうです。いずれにしても早く生フェルメールに出会わなくてはなりません。



