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2004年7月12日月曜日

参議院選挙が終わって

参議院選挙が終わり、自民党は目標の51議席の確保はできませんでしたが、公明党と併せて安定多数を確保、一方民主党は、共産、社民などの票を食い躍進という図式で終わりました。


しかし、二大政党の到来などとマスコミがはやし立てるのも、なんだかずれていると思いながら、政権に対しては複雑な思いを抱いています。




というのも、民主党への支持はおそらく「No小泉路線」という意識の集約であったろうとは思うものの、その勢力は思ったほど大きくはなかった、という点と、民主党の政策や民主党員の顔ぶれを見ても、自民党ほどではないかもしれませんが「多彩」であり、ひとつの政策政党としては矛盾を孕んでいるのではないかと思うからです。


政党は何らかの利益を代表するものですが、「自民」=地方・農村、「民主」=都市というほどには単純な図式では、もはやありません(一人区において今回の与党勝率は14勝13敗、前回は25勝2敗だった)。憲法問題についても、かつてを知る者には自民も民主もオール与党のようであり様相は複雑です。鈴木宗男氏が落選したとはいえ、あれほどの得票したのは、間違いなく地方のある「層」の利益代表として期待したからでしょう、政治と有権者の関係は結局変わっていない部分も多いのだと。


小泉政策は格差の拡大と属米路線が明確で、「改革」の目的もそこにあるようですから、これまたある「層」の利益を代表しているのでしょう。その「層」以外の人たちは、自分達がその「層」に居ないことを、実はまだ気づいていないのかもしれなく、従って選挙が前評判ほどには盛り上がらず、争点も「年金問題」という卑近なものに終始してしまったような気がしないでもありません。


自分たちがその「層」ではないことを気づかないというのは、書店にあふれる「金融関連書籍」のヤマを見るとふとそう思うわけで、誰もがもしかしたらソロスになれると思っているのかもしれません。


小泉氏は、当面責任を取るつもりも無く「改革路線は微動だにせず」ですから、格差拡大と属米路線を更に薦める政策をとりつづけるでしょう。そういう路線に「No」という政治家が現れない限り、どこの政党が票を取ったとて、五十歩百歩の感は否めません。


福祉、年金、消費税、少子化、国防、改憲、教育、不良債権処理、国債、金利、どれもこれも日本の将来にとって重要な問題ですが、それらを全て含めて私たちはどこに向かうのか。今の日本を炙り出すような選挙ではあったと思います。議席を伸ばした民主党の今後には期待しましょう。



��004参院選 民主50、自民49 議席確定


 第二十回参院選は十二日、開票作業をすべて終了、比例代表を含めて百二十一議席とすべての当選者が確定した。自民党は勝敗ラインの五十一議席に届かず四十九議席。公明党と合わせた与党でも改選過半数の六十一に届かなかった。民主党は五十議席を獲得して改選第一党となった。

 自民は平成元年参院選で単独過半数を割り込んで以来、その回復が悲願だったが、十三年参院選でみせた「小泉ブーム」の再現は、ならなかった。民主党は比例代表で第一党となる一方、選挙区では、自民の牙城だった二十七の一人区で健闘。東京、神奈川、愛知で二議席を獲得するなど大都市圏の複数区でも幅広く議席を得た。公明党は改選の十から十一議席に拡大。共産党は改選十五から四議席へと大幅減、社民党も改選二議席を維持しただけだった。(産経新聞)

Yahoo http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040713-00000002-san-pol [7月13日2時35分更新]


2004年4月9日金曜日

小泉首相の靖国参拝に違憲判決


��日の新聞報道ほかによると福岡地裁(亀川清長裁判長)は、小泉首相の就任後初めての靖国神社参拝について違憲と判断したそうです。首相の靖国参拝は全国6地裁で起訴されており、今回は3番目の判決で始めての違憲判断になったものです。福岡地裁に訴えを起こしていたのは、九州や山口県などの宗教関係者、在日韓国・朝鮮人ら211人。

参拝は公的なもので、憲法で禁止された宗教的活動にあたる』とした判決の骨子は以下。





  • (小泉首相は)参拝後、総理として参拝した旨を述べており、総理の職務執行と認められる

  • 宗教とかかわり合いを持つことは否定できない

  • 自民党や内閣からも強い反対意見があり、国民の間でも消極的意見が少なくなかった。一般人の意識では、参拝を単に戦没者の追悼行事と評価しているとはいえない

  • 戦没者追悼場所としては必ずしも適切でない靖国神社を4回も参拝したことに照らせば、憲法上の問題があることを承知しつつ、あえて政治的意図に基づいて参拝を行った

  • 参拝が神道の教義を広める宗教施設である靖国神社を援助、助長する効果をもたらした

  • 社会通念に従って客観的に判断すると、憲法で禁止される宗教的活動にあたる

  • 靖国参拝は合憲性について十分な論議も経ないまま繰り返されており、裁判所が違憲性についての判断を回避すれば、同様の行為が繰り返されることになる



憲法20条3項の政教分離には違反しているとしましたが、原告への慰謝料請求については、『参拝で原告らの信教の自由を侵害したとはいえない』として棄却しています。


さて、これに対する大手新聞の8日の社説を引用しておきましょう。

朝日新聞 社説は『首相がこだわる靖国神社とはどんなところなのか』と靖国神社成立の歴史と『軍国主義の精神的な支柱という役割』に言及し、


  • 日本国憲法が国は宗教的活動をしてはならないと戒めているのは、そうした過去の反省に立っている

  • (伊勢神宮参拝は)違憲の疑いがあるが、靖国神社が背負う歴史を見れば同列には論じられない

  • 個人的心情だと開きなおる前に自分の立場を考えなければならない

  • 首相が参拝すれば、それは靖国神社を特別扱いし、援助していると見られても仕方がない


とした上で『憲法違反という司法の警鐘に素直に耳を傾けるべきだ』と結んでいます。

朝日として当然の論理でしょう。

一方、読売新聞は朝日の否定した歴代首相の靖国参拝に関する訴訟事例と伊勢神宮参拝などに簡単に触れながら、以下のような論旨を展開します。



  • 首相の靖国神社参拝は戦後も、伊勢神宮参拝などと同様、日本の伝統や慣習に基づいて歴代首相が行ってきた、ごく自然の儀礼的行事

  • なぜ靖国神社参拝に限って、近年になって違憲かどうかが問題にされるようになったのか

  • 小泉首相の靖国神社参拝を「政治的意図」とする今回の判決自体が、政治的性格を帯びた内容



と判決に真っ向から疑問を呈しています。

さて、最後は産経新聞です。まず『これまでの判例を著しく曲解した判』と冒頭から強い語調で地裁判決を非難し、



  • (首相の参拝によりその年の終戦記念日の参拝者が前年の2倍になったことに対し)参拝者が増えたのは結果的にそうなったのであり、首相が事前にそれを意図して参拝したわけではない

  • 重大な判例違反

  • 福岡地裁の違憲判断を推し進めていくと[...]恒例の伊勢神宮参拝も憲法違反に問われることになる

  • 福岡地裁の判決は、特定の主義主張に偏っている

  • 福岡靖国訴訟は、首相の靖国参拝に反対する僧侶や牧師、市民運動家、在日韓国・朝鮮人らが全国各地で起こしている靖国訴訟の一つ

  • 一連の訴訟は、裁判を利用した一種の政治運動



としており、読売と同様に特定の団体の意向に基づく政治的色合いの判決だと結論付けています。

読む前から結論の分ってしまう社説というのも、げんなりしてしまいます。

読売と産経は政治色が強いと批判しますが、靖国参拝自体が政治色の強いものです。外圧とかマイノリティとかを論じる気はしませんが、福岡地裁の亀川裁判長その人が、今後政治的どう影響されてゆくのか(あるいは司法の独立性を維持し続けられるのか)そこら当たりを報道は追求していてもらいたいものです。

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【過去の意見箱】

2001 08/14 小泉首相の靖国神社 電撃参拝

2001 08/14 歴史認識の違いと他国の干渉

2001 08/15 予想とおりの反日感情

2001 08/15 13日の参拝と小泉首相の公約

2001 08/16 靖国神社と東京裁判

2003 01/14 小泉首相の靖国神社参拝

2004年1月26日月曜日

昨日のサンデープロジェクトに小沢さんが出ていましたね

あまり真面目に見ていませんがでしたが、以下のような発言が耳に止まりました。

小泉首相は正月の靖国神社参拝を「初詣」と称した。一国の首相が靖国参拝するということは政治的決断を伴うもので、それを「初詣」と称するとはデタラメもいいところだ。マスコミも誰も騒がないのはオカシイ。

全くもって同感です。こんな首相を支持している日本は脳死状態ですな。田原氏に小沢さんは靖国に参るのかと問わましたが、明治の官軍以外でも等しく戦死した日本人を祭るような施設になるならば、参拝すると答えていました。

でも、そういう施設はやはり戦没者慰霊碑ですよね。神社という概念が私には馴染めません。

2003年1月14日火曜日

小泉首相の靖国神社参拝

あれれ、というカンジだ。小泉首相の靖国神社の参拝である。大手新聞5詩の翌日の社説は、そろって靖国問題を取り上げている。

各誌は読む前からご想像の通り、朝日、毎日、日経は反対、産経は賛同という論調である。

朝日は「よりによってこの時期の参拝とは、耳を疑う」、毎日は「極めて思慮に欠ける行動」、日経は「A級戦犯を合祀(ごうし)している靖国神社に国を代表する立場の首相が参拝するのは基本的に好ましくない」と主張している。一方、産経は「この時期を選んだことについて分かりにくい面もあるが、首相として国民を代表し、戦死者の霊に重ねて哀悼の意を表しようという姿勢は評価」としているわけだ。読売は賛成も反対もしていない。「靖国問題をどう考えているのか。首相はもっと明確に語る必要がある。」と言うのみだ。

それにしても靖国である。靖国の実態については私はあまりにも無知だ。その思いをこめて昨年7月18日の意見箱に書いた。私は新聞各誌の「主張」を読み比べ、なにか核心をつかない、あるいは靴の底からかゆいところを掻いているようなもどかしさを感じる。靖国問題は歴史認識(戦争の意義と東京裁判)と憲法議論にまで直結している。直結する管の途中にいろいろな障害やら破れがあって、出るべきところから水が流れてこない。

徹底的に議論しようとせず、マスコミ事態もあきらめの気持と共に、おざなりな(各社横並びの、ほとんど主張を感じない)社説を読んでいると、彼らはこの問題に正面から向き合う気がないのだと感じさせられる。

首相と遺族会との公約ということもあるのだろうが、首相の行動は国の意思の反映であるべきはずだ。特定の団体や感情論で行動することは許されない。

靖国参拝についてのアジア諸国の反感は、決して「内政干渉」ではないと思う。日本政府の歴史認識を問いただしているのだ。占領米国主導の日本の歴史が誤りだとする論調も分からないでもない。しかし、どこかで日本政府としての統一的な見解が必要で、それを諸外国に示す必要があるのではないか。

ドイツのヒットラーを清算しているドイツ、未だにスターリンを総括できないロシア。日本にどのような路が赦されているのか。小泉首相も、隠居爺かボケ老人のようなのんきなことを言っている場合ではない。>「お正月ですし、新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめて」

私は、原則として靖国神社参拝には反対です。靖国に参拝することが平和希求の気持であるとは受け取りま せん。現行憲法は素晴らしい憲法であり、決して米国の押し付けではない世界に誇れる憲法であると、私は信じている(そう信じるように教育されてきた)

絶対的平和主義、あらゆる武力放棄も理念としては素晴らしい。素晴らしいだけに困難さと不断の努力と勇気を伴う、非常につらい選択だ。武力装備は結果として楽な選択でしかも極めて不幸な選択だ。それにも相応の覚悟が必要だ。他人事ではないのだ。

日本には(もちろん私にも)そのどちらの覚悟もない。

靖国には行った事がないのだが、東京に行ったら今度訪れてみようと考えている。

2001年8月15日水曜日

13日の参拝と小泉首相の公約

「13日に小泉首相が靖国を参拝したことは公約違反だ、これからの構造改革を推進する上でマイナス要素を投げかけた。」と言うマスコミや政治家がいる。

昨日の筑紫哲也のニュースに出ていた自民党女性政治家(名前はわかりません)も「非常に残念、公約違反だ」と公然と批判していた。

舛添氏はこれを受け、「13日参拝と構造改革推進は別問題」「政治家は色々な意見を調整しつつ最終結論を出す」ものなので、構造改革という公約をトーンダウンするつもりはない、と答えていた。(ちなみに、枡添氏の靖国参拝に対する意見は「高度に政治的判断で評価できる」というもの)

私も、枡添氏の意見に同調する。もし小泉氏が公約とおり15日に参拝していたならば、私は小泉氏を全く理解することができず、むしろ恐怖をもって彼の行動を注視することになっただろう。

「中国からの抗議に屈したと思われたくない」などという意見も多いらしいが、これにも違和感を感じる。枡添氏も言っていたように、今回の一連の首相の言動は国際社会に対して説明可能であるとは思えないからだ。そのような理不尽なものを「公約」という一点張りで「厳守」することを要求するのはいかがなものかと思うのだ。

構造改革推進はそれはそれで、進めてもらいたいが、「間違っていた」ことには修正が必要なのではないか。そして、「間違っていたこと」を小泉首相は自ら説明する責任があるということだ。

それさえ行われれば、政治活動にどこに支障があろうか。


2001年8月14日火曜日

小泉首相の靖国神社 電撃参拝

小泉首相が靖国神社に13日、繰り上げ参拝を行った。

新聞各紙の賛否は大きく分かれている。朝日新聞は、当然のごとく首相の参拝自体を批判している。日経新聞も同じ口調だ。一方、読売新聞は中立的で「政治的判断」として評価している。しかし「一国の指導者が戦没者を追悼するためにいつ参拝するか、参拝方法はどうするかといった問題は、本来、その国の伝統や慣習に基づく国内問題である。他国からとやかく言われる筋合いはない。(引用)」という姿勢は崩さない。産経新聞は、公式参拝を15日に実施できなかったことを「きわめて遺憾」であり「信を失う」「国民のほとんどが15日に参拝すると思っていた」と書く。

新聞各紙でさえ、このように意見が分かれている。

私は基本的なことが分からない。靖国神社とはそもそも何なのか。あそこに戦没者が合祀されている遺族にとって、靖国とは何なのかだ。そもそも靖国とは、「天皇陛下の為に命をかけ、戦死したら祭る」という掛け声で、戦地に動員することに利用された、徴兵システムではなかったのか。

宗教か否かは問わない。しかし、そのようなシステムであったことを反省もせず、また、近隣諸国の感情的な反発までを無視し、(歴代の)首相が参拝にこだわる理由が、私にはわからない。遺族会からの圧力なのかとさえ思ってしまう。

��級戦犯でさえ、当時の国の方針に従って任務を遂行したまでで責められるべきではない、という意見を吐く人もいる。ばかを言ってはいけないと思う。企業を破綻に追いやった重役たちに、その責任がないと言って、のうのうとしていられるリストラ社員がいると思うのか。政治的判断をするのに当たって、その責任がないなどということは間違っている。

首相の談話は、http://www.kantei.go.jp/new/0813danwa.html から読める。

私の態度としては、靖国という場に参拝した首相については、どういう言い訳をしようとも支持はできない。それは、他国からの圧力とは別の問題である。自国の中でさえ「靖国」問題は浮遊していると思うだけにだ。

2001年5月3日木曜日

小泉総裁の理想と青臭さ

ついでにだが、小泉総裁の言はどことなく「青臭さ」が漂っていると指摘されることがある。それは永田町に似合わない風貌ばかりではなく、どこか豹然とした雰囲気を感じるのだ。

かつての細川元総理の「麻呂然」とした雰囲気とは異なると思う。

さて、「青臭さ」というが、理念とか理想は青臭さから始めないと駄目なのだと思う。その青さを「地に根付いた緑」にするための理論武装と実行計画が重要なのは当たり前だが、理念、理想がなくて、何のプランだろうか。