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2021年4月25日日曜日

渡辺省亭展 欧米を魅了した花鳥画 東京藝術大学美術館


4月25日から、東京は緊急事態宣言になるため、都内の美術館は軒並み閉館が決まりました。

昨日は駆け込みで、東京藝術大学美術館で開催中の渡辺省亭展に行ってきました。本来なら4月25日までが本展覧会の前期で、26日から作品を入れ替えて後期日程が始まるはずでした。



大変、充実の展覧会であり内容のとても濃いものでした。

青い日記帳のTakさんが書かれているように万人がいい絵だなと思える内容です。みなさん、絵を見ながら幸せな気持ちになっているのが分かります。

平凡で慎ましやかな生活こそが大事だと悟った今、まさに時代に求められるかの如く万人が好む渡辺省亭に注目が集まるのは自然な流れなのかもしれません。


2018年11月3日土曜日

2018/11/3 日本画の挑戦者たち 山種美術館

山種美術館で開催中の、日本美術院創立120年記念の展覧会に行ってきました。

この美術館、あまり大きくないのですぐに観終えてしまうのですが、横山大観、菱田春草、小林古径、速水御舟らの錚々たる作品群。
パンフレットや半券にもなっている、速水御舟の「昆虫二題 葉蔭魔手・粧蛾舞戯」は、何度見ても素晴らしい。
また、「名樹散椿」だけは写真撮影が許可されており、堪能させていただきました。




2015年10月10日土曜日

山種美術館 琳派と秋の彩

16時くらいから駆け足で観てきた。
山種美術館は狭いので観るのにあまり時間がかからない。
土牛の絵が素朴に良い。




2015年5月5日火曜日

2015/05/05 燕子花と紅白梅 尾形光琳

根津美術館にて

尾形光琳300年忌記念特別展

「光琳デザインの秘密」と題する企画展です。

 

2013年10月5日土曜日

山種美術館 速水御舟



速水御舟については今更言及するのも憚られます。
山種美術館の展覧会にちなんだ、和菓子も素晴らしいものでした。
山種美術館は、落ち着いた雰囲気の空間で、その安定感から、行くたびに癒される思いです。




2008年8月18日月曜日

特別展「対決-巨匠たちの日本美術」


東京国立博物館で開催されている、「対決巨匠展」を観て来ました。人気です。朝9時半会場ですが、既に大人数が並んでいます。確かに見ごたえがあります。「対決」というキャッチと企画は成功しているようです。

美術作品を選ぶのも並べるのも企画(演出)が勝負なのでしょうか、今まで見慣れた作品でも、対比、流れの中で観ると、全然違った背景が見えてくる場合があります。そこに企画(演出)者の意図の押し付けのようなものを感じることしても、我々とてイノセントな眼は持っていないのですから、企画を楽しむのが正解なのだと思います。対決に対する批判をも含めて。

展示作品は膨大で、そのひとつひとつを述べることはできません。詳細はいつものことながら、弐代目・青い日記帳のエントリに譲りましょう。

印象的であったのは、それでも、か、やはり、というのか、展示作品冒頭の運慶と快慶の仏像と伊藤若冲の鶏画は圧巻でしたね。仏像の存在する空間さえ支配するごとき静謐さ、若冲は画面の痛みもなくその鮮やかさときたら驚くほかありません。

こうして日本画を観ていますと、どの時代の作品においても日本画というのは、技術的には大胆さと繊細さが、空間的には対象と間の絶妙のバランスで成立しているようです。若冲の作品にも背景としての場あるいは間というものが存在しています。その意味から蕭白の作品は、異常なまでのエネルギー、執着を感じる異様な作品として感じました。あのエネルギーを受け止めるパワーは私にはありません。

2007年1月28日日曜日

[展覧会メモ]日高理恵子展

日経新聞に紹介されていた展覧会。


  • 日高理恵子 展 小山登美夫ギャラリー 2007年1月27日(土)~2月24日(土)


日高は日本画の人。ただし、日本画、洋画という分類に意味があるのか、素材はテーマや思想を規定するのか。

単純にモノクロームの「見上げた樹木」の世界、そして「そらの眩しさ」を体験してみたい・・・


2006年10月22日日曜日

江戸東京博物館:ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展~江戸の誘惑

江戸東京博物館で開催されている「ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展~江戸の誘惑」を観てきました。日本初公開の作品も多くあり、浮世絵の世界の広さと素晴らしさを充分に堪能できる展覧会であったと思います。出典作品には北斎や歌麿などの有名どころの作品を始めとして、約80点ほどの肉筆浮世絵(版画と違って1点しかない)は市井の雰囲気を充分に伝えて余りあります。

様式美と執拗な技法によって描かれた女性の着物の柄など、近くで見ると驚嘆に値します。浮世絵には私は馴染みが少ないので誰の絵が良いとかいう興味よりも、江戸時代の雰囲気というのでしょうか、江戸の美学というものを、ぼんやりと感じることができました。

浮世絵を見て一番感じたことは、柔らかさでした。人間が全て「遊」の中に住んでいるという余裕。封建的な身分制度は厳として存在していながらも、その階級の中でそれぞれが粋に生活を楽しむ。鎖国によってもたらされた幕府の安定政権は、こんなにも人の心をのんびりと、そして豊かに、さらには享楽的にしたのかと。(もっとも、ここには圧制に苦しむ農民や地方の人々の生活は全く描かれていません。)

例えば下の鈴木春信の絵を観たときに感じる幸福感。着物が作り出す曲線が非常に幾何学的な構成で、かつ優美さが画面全体から溢れています。浮世絵に特徴的な女性の見返りの姿も、頭に被る笠のラインも、どこまでもうらかかで幸福な世界を描ききっています。




鈴木春信「隅田河畔春遊図」

歌川豊春の行楽図もしかり。実生活はイロイロ大変なんでしょうが、画面からは何の不安も不満もない人々の幸せな雰囲気が伝わってきます。


歌川豊春「向島行楽図」

江戸時代の日本は、こんなにも薄ぼんやりと、そして幸福であったのかと愕然とする思いです。

重そうだったので2200円の図録は買いませんでしたが、12月10日までの開催ですから、もう一度くらいは行っておこうかと思っています(>と言いながら、行った試しはないのですが・・・)

2006年7月11日火曜日

東京国立博物館:プライスコレクション 「若冲と江戸絵画」展

東京国立博物館で7月4日に開幕したプライスコレクションを早速観てきました。

この企画は展覧会の公式ブログが立ち上がっていまして、内容的にも非常に充実しているだろうことが予想されました。混雑の中で絵を鑑賞するのはつらいものがありますから9時には発券場に到着。開門と同時に早足で平成館まで急ぎ(チンタラ歩く100人ほどを抜き去って)展覧会場まで一気に駆けつけました。

今回の目玉である若冲と、実はこちらの方が期待の大きかった琳派の絵をまず足早に鑑賞。オシマイまでざっと、どこに何が展示してあるのか確認してから最初に戻り、今度は人の流れに乗りながら、もう一度ゆるりと鑑賞いたしました。

ただ、今回の展覧会は、そんなことまでしなくても「列は止まらずにお進みください」などという莫迦なアナウンスが登場するほどに混雑はしていなかったんですが・・・。


プライスコレクションの充実度とか若冲の魅力については、公式ブログで詳しく説明されていますから、ここでくだくだしく述べる必要がないほどです。しかしこうして、ある程度まとめて若冲に接しますと、若冲は技法の多彩な画家であり、かつ北斎に劣らぬ画狂であったのだなと思います。

有名な《鳥獣花木図屏風》(上図)は横尾忠則を彷彿とさせるポップさとラディカルさを感じずにはいられません。近寄って仔細に観ますと、升目を埋めた色彩からは芸術家に特有の疲れを知らない偏執さを感じますし、離れて絵を概観すれば象の莫迦莫迦しいほどの大きさに圧倒されます。しかし若冲は、そこに諧謔を込めているわけでは微塵もなく、真正面からこの技法と構図に辿りついているようです。

極度に簡略した技法と勢いのある筆致で描かれた《鶴図屏風》の滑稽さと洒脱さを、若い女性は「カワイイ」と感想を漏らします。しかし、当の若冲が鑑賞者に媚を払ったという痕跡は全く感じられません。

そういう若冲のたどり着いた境地が、83歳の時の《鷲図》(左図)です。同じ時期に描かれた《伏見人形図》との技法の差異に驚かされると同時に、鷲の迫力と波頭表現の様式化の対比など見事の一言であり、唸らざるを得ません。

日本画の代表と言えば応挙的なものばかり強調し、印象派は教えても若冲的な様式を教えてこなかった日本の美術教育は、いかがなものかと(一瞬)思ったりします。

第4室での展示は「江戸琳派展」と称し、酒井抱一や鈴木其一の作品を堪能できます。早朝のまだ数人しかいない展示室で、酒井抱一の《十二か月花鳥図》を独占して眺めることのできる至福といったらありません。もう思わず顔はにやけてしまい、ためつすがめつ堪能させてもらいました。

ここの展示空間は少し変わっていて、作品をフラットな照明で鑑賞するのではなく「変化する光」の中で作品の魅力が変ずることを鑑賞者に気付かせるようになっています。プライス氏によると日本画は見えすぎても良くないのだそうです。作品を照らす光により印象が異なってしまうことは、この間の地中美術館で鑑賞したモネについても感じたことです。


琳派ですから魅力的な作品は多いのですが、ここでは《佐野渡図屏風図》(上図)を挙げておきましょう。光の変化によって、キラキラと降る雪が極めて効果的に画面を印象付けてくれます。画像を観てお気づきでしょうか、印刷(レプリカ)となっては「変化して舞い降りる雪」を全く認識することができません(画面中央に「しみ」のようにしか確認できない)。実にこの画の雪の美しさときたら絶品なのですが。

ここに紹介した作品の他にもまだまだ魅力的な作品は山盛りです。長沢芦雪の《幽霊図》や森狙仙の猿も素晴らしいです。鶴や猿や虎などの動物も良いですが美人画だって魅力的です。語りだしたらキリがなくなりそうです。

こうして思い出しても本当に力の入った展覧会だと思います。図録は重いので買わなかったのですが、ちょっと後悔。会期は8月27日までですから、終るまでに、もう一度くらい行こうと考えています。(と思ったけれど、日程を考えると、もうほとんど予定がなさそうな・・・)

2006年1月23日月曜日

歌舞伎座の川端龍子

何度も歌舞伎座に行っていたのに、西側の階段踊り場に川端龍子の絵が飾ってあることに今日初めて気が付きました。緑色の獅子が白い牡丹をくわえた大きな絵です。


なるほど眺め、うむうむと唸り、三歩下がって離れて観ようとしたら、階段からコケそうになりました。気をつけて鑑賞いたしましょう(笑)

2006年1月9日月曜日

大田区立龍子記念館

大田区立龍子記念館は昭和38年、龍子画伯喜寿の記念に自ら設計し自費により建設されたものです。記念館の傍らには伊豆から運んだという桜などが植えられています。

この龍子記念館に隣接して龍子のアトリエと自宅があるのですが、見学を依頼すると庭などを案内してくれます。本日は4名ほど、たまたまその恩恵にあずかることが出来、冬空のもとゆっくりと説明を伺いながら、龍子の跡を辿ることができました。

庭に入ってすぐの左手に池(今は水はもう湧かないらしい)があるのですが、これは終戦の3日前に爆弾が落ちて池になった場所なのですとか。爆風で母屋は吹き飛んだものの、幸いにしてアトリエは夏で窓を開け放っていたため爆風が通り抜け、奇跡的に昔のまま(硝子も!)の姿で残ったのだそうです。

有名な爆弾散華(下図:昭和20年)は、その時のことを描いた絵なのだと説明していただきました。残念ながらこの絵は、現在外出中だそうです。

 龍子は画家になっていなければ建築家になっていたそうで、その自宅やアトリエの設計、庭の手水鉢にも彼のこだわりが見て取れます。和風建築ですが、建具のデザインひとつとっても、その簡素さと洗練さには驚くばかりです。

龍子は大きな絵を描きますからアトリエは檜の板敷きで60畳、天井高さは4mもあるのですとか。庭はアトリエごしに庭の四季の変化を楽しめるようにできており、まるで龍子の日本画を思わせるような植物が生い茂っています。

梅は小さいながらも固い芽をふくらませつつあり、春を告げるのを待っているかのようでした。改めて、花の咲いた時期にでも再訪したいと思わせる場所です。

THE WEBSITE OF MR & MRS MORIYAに川端龍子のことが詳しく掲載されていますので、興味のある方はご参考まで。

川端龍子:風景画 奥の細道

以前、東京国立近代美術館で開催された「琳派 RINPA」展で衝撃を受けた日本画家に川端龍子[1885(明治18)-1966(昭和41)]がいます。龍子生誕120年の記念展が昨年秋から冬にかけて、江戸東京博物館で開催されていましたが、忙しさにかまけて観のがし悔しい思いをしていたのですが、龍子記念館が大田区にあると最近になって知りました。

本日は寒いながら天気も良く、散歩がてら南馬込まで脚をのばしてみました。都営地下鉄浅草線の西馬込駅を降り、桜並木通りを突っ切った先の住宅街に記念館はあります。

現在は「風景画 奥の細道」と題して龍子の作品の中から風景画が21点ほど選ばれ展示されています。奥の細道の俳句短冊から茸狩図(昭和11年)にはじまり、寝釈迦(昭和29年)や涼露品(昭和27年)などの大型の画も展示されており、見ごたえがあります。大きな絵を前にして、閑散とした館内でゆっくりと絵を堪能できる贅沢はこたえられません。


チラシにもなっている清水寺(昭和34年)や、影富士(昭和32年)も見事でしたが、迫力の点では千里虎(昭和18年)が凄かったですね。これは息子が出征する直前に描かれたものとかで、グッとにらみつける虎の眼光は、敵を威嚇する鋭さか、千里先の戦に向かう武勇を願ってか、あるいは出征する子を送る親の哀しみか。龍子の闊達な筆で描かれた虎は、声鳴き声で今も咆哮しているかのようです。朝陽松島(昭和26年)は、ターナーか印象派を思わせるような自在なタッチとテーマで、これまた闊達な筆さばき、観てほうと溜息。

龍子の画は繊細巧緻と大胆豪放さが共存しています。揺るぐことのないデッサン力をベースに彼の筆が大きく動くとき、豪放さと独特の静けさを共存させた龍子独自の世界が現前し、画を見るものを魅了して止みません。

2005年9月4日日曜日

展覧会:「全揃い冨嶽三十六景展」太田記念美術館


原宿にある太田記念美術館で葛飾北斎の「冨嶽三十六景」全46点が全て展示されていると知り、もののついでに観に行ってきました。

太田記念美術館は表参道の裏手に位置していますが、美術館に入った瞬間に外の喧騒が遠い世界のような静かな空間が現出します。
大々的に宣伝しているわけでもありませんから来館者も少なく、ゆっくりと北斎を鑑賞できる至福の時を味わうことができました。

それにしても、改めて北斎の画を見るにつけ、何たる天才性であろうかと驚くばかり。また、その画に対する執念に近い凄まじい気迫まで感じ、まったくもって恐れ入ってしまいました。美術館サイトによりますと「冨嶽三十六景」は天保二年(1831年)頃に出版されたそうで、北斎60歳後半から70歳前半にかけての作品とのこと。それほどの老境にいながら、精力的に写実を試みた北斎の類稀な画境は冨嶽三十六景と併せて展示されている諸作品群からも窺い知る事ができました。

天保五年「冨嶽百景」初編において北斎は自らを「画狂老人卍」の号を用いました。その号には死ぬまで飽くなき追求をする気迫を込めているようです。習作に近いスケッチなども展示されていますが、その表現は自在で写実的意味合いにおいては日本的な様式を持ちながらも、すでに空間や空気までをも表現するリアリティを獲得しており圧巻といえましょう。

世界に目を転じればまさに西欧では印象派が花開きはじめる前の時代。まさに西欧が瞠目した浮世絵の世界は最盛期を迎えていたのですな。

2004年9月26日日曜日

展覧会:「琳派 RINPA展」

東京国立近代美術館で開催されている「琳派 RINPA」展を観てきました。今度の「琳派」展は、ちょっと違います。とうたっているように、会場に入って真っ先に目に飛び込むのが尾形光琳の《松島図屏風》とともに、クリムトの《裸の真実》であるということが、この展覧会の主旨を雄弁に語っているようです。

そもそも「琳派」とは何なのか。美術展で得た知識によると『狩野派のように家系や師弟関係を重視する流派概念ではなく、世代を越えて私淑によってゆるやかに繋がれた系譜』であり『主題性から解放され装飾性の優位と造形本位の伝統』であるとされています。

俵屋宗達にはじまり尾形光琳にて元禄時代に完成された、平面的にして適度に装飾的な画風は、自然の美意識を何の不安もなく描出した平和な世界と言えるかもしれません。


ですから、例えば江戸後期の画家、鈴木其一の《朝顔図屏風》(上)を観たときは、朝顔の青紫の色の鮮やかさに驚きはしたものの、綺麗なだけの絵ではないかと思ったものです。しかし、閉館間際まで粘って、来館者がまばらになった広い館内で改めて接すると、なんと表現してよいのか分からない至福が、まさに美の饗宴とも言うべき贅沢な時間が流れるのを感じることが出来たのです。綺麗なだけと思った鈴木の絵も、静的な装飾的技法と朝顔の蔓の動きに表された生命力が絶妙のハーモニーを奏でています。これは画面の近くで観ていては分からない。多くの人がメトロポリタン美術館所蔵のこの絵を絶賛するのもむべなるかなと。


上の酒井抱一の《月に秋草図屏風》も素晴らしい。金箔の落ち着いた地に秋の月と草花が絶妙な静けさと華やかさで描かれています。何度も絵の前に立ち、近くに寄って感嘆し、離れて観て溜息す。この絵の人気の高さもうなづけます。図録と実物を繰り返し比べてみましたが、図録ではこの絵の放つ芳香の何分の一さえ伝え切れていない。一足早い中秋の名月を堪能。


尾形光琳の《風神雷神図屏風》の裏面に描かれていたという、酒井抱一の《夏秋草図屏風》(上)も有名。銀箔(なのか?)の上に雨に打たれる夏草(雷神の裏)と、野分に吹きすさぶ秋草(風神の裏)が、様式美の中に定着されています。絵の上の間の豊穣さよ。


もう一つ強烈に印象的であったのは、川端龍子の《草炎》(上:部分 1930年)。この作品は「これを観たいために」展覧会に足を運ぶ人も居るくらいに人気です。初めて観る人も、異様な迫力に言葉を失っているようです。かく言う私もその一人。この絵を「琳派」と十把一絡げにして良いものか。川端は『夏の草いきれ』を描いたそうですが、ここには他の「琳派」の画風からは感じ取れぬ、熱い情念が流れてきます。凄まじいエネルギーと、それを鎮めている技法の高さ。夏草を黒い画面の上に金色の濃淡でのみ闊達と言える筆致で描き分けた異色作。これも人気のいない館内でゆったり感傷できることの愉快さときたらありません。


ここに至って「琳派」とは高度の装飾技法により、自らの情念と自然の動的エネルギーを様式美の中に固定させていることがその最大の特徴なのではないかと思いつきました。例えば光琳得意の波を表現するうねりにしても(上《松島図屏風》)、《槇楓図屏風》の樹木の枝の作る曲線運動からもそのような印象を受けます。

「琳派」と称される系譜に属する作品は、小さな画集のようなもので観るのでは、おそらくつまらないのではないかと思います。屏風図ということも影響しているのでしょうか。考えてみたら、こんなにたくさんの屏風図を観たのははじめてです。


上の菱田春草による《落葉》(1909)もそうです。ベージュ系の色合いが綺麗ですが、最初に観たときは、余りにもきれいなだけなんで、うんざりしたものです。しかし、心を落ち着けてゆっくり鑑賞しますに、幽玄さを感じさせる画面の奥行き感とともに、上から落ちてくる数枚の落ち葉が、静止しているかのような時間が穏やかに動いていることを感じさせてくれます。そう思ったら、流れる大気さえ頬に感じるような面持ちです。これも屏風図の実物に接しなくては感じることのできない印象でしょう。

最後になりますが、「琳派展」は宣伝のせいか、あるいは幸せな画風のせいか、凄く混んでいます。私は14半過ぎに館内に入りましたが、満員電車のような混雑で絵どころのさわぎではありませんでした。閉館間際までねばることで、やっと本来の「琳派」のもつ静けさと芳香を味わうことが出来たと思います。


マティスとか梅原龍三郎、加山又造の絵(《千羽鶴》上)もありましたが、こちらは終わりのほうで食傷気味なせいか、おいしくいただけませんでした。(加山又造、あれでは「やり過ぎ」です=これも人気の絵なんですがね)