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2005年6月12日日曜日

【音盤】キョンファ/プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

チョン・キョン=ファとプレヴィンの盤でプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲を聴いてみました。録音は1975年ですから、キョン=ファが27歳の演奏。キョン=ファがプレヴィンとの共演で強烈なデビューを飾ったのが1970年ですから、その5年後の演奏ということになります。

チョン・キョン=ファ/プロコフィエフ、ストラヴィンスキー
  1. プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調
  2. プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調
  3. ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  • アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドンso.
  • 1975年1月(No.2) 1975年10月(No.1)
  • DECCA 452 003-2


ヴァイオリ協奏曲第1番は、ヴァイオリンのあらゆる技巧が短い曲の中に詰め込まれていて、多彩な奏法が次から次へと繰り広げられる曲です。一方では「夢見るような」第一楽章の第一主題が曲全体を支配している、極めて叙情的でメロディアスな曲でもあります。この叙情性と前衛性がミックスした二面性のあるプロコフィエフらしい曲を、どう表現するかということがポイントだと思います。

キョン=ファの演奏は、そのテーマに真正面から堂々と取り組んでいるように思えます。叙情的な旋律の歌わせ方は繊細で、それでいてたっぷりと、技巧的な部分においては一転して技の切れ味も鋭く、グイグイと聴く物に迫ってくる感じです。グロテスクと評される第二楽章のスル・ポンティチェロ、コン・トゥッタ・フォルツァ(駒の近くを弾くように全力を込めて)の部分も力強く情熱的です。キョン=ファは情熱的な演奏をする印象がありますが、全体的には感情過多という程ではなく、むしろ若さとか、音楽を奏する喜びとかが伝わってくるような演奏です。だから聴いていて何だか気持ちがいい。

もっとも、この間のヒラリー・ハーンの演奏からは、もっと違ったものが聴こえてきたような気がしていたのですが、もはや確認することができません。

もうひとつの、ヴァイオリ協奏曲第2番は、第1番に比べてより前衛性が交替し、円熟と叙情性の強い曲です。プロコフィエフが亡命を終えてロシアの地に永住することを決めた心理的なものが影響しているのかもしれません。キョン=ファの演奏は、こちらも、それはそれは熱演であることに変わりはありませんが、聴いていてちょっと飽きてしまうところがある。それが曲のせいなのか、演奏のせいなのかは分かりません。何度も繰り返して聴いてしまったせいでしょうかね。

ストラヴィンスキーは機会があればということで。

2005年6月7日火曜日

ヒラリー・ハーン&N響のプロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番

昨月来日しN響(パーヴォ・ヤルヴィ指揮)と共演したヒラリー・ハーンによるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番の演奏が昨夜のN響アワーで放映されました。期待して番組を観ましたが、まさにCDで聴いていたようなキレのよい演奏が展開され、会場で聴きたかったものだとつくづく後悔しました。

ハーンのヴァイオリンは、色々な人が指摘する様に技巧の正確無比さが図抜けており、輪をかけてCDのジャケットや公式サイトのイメージから硬質な演奏を想像させるのですが、しかしそれは機械的で無機質な演奏というわけではありません。今回もプロコフィエフ的な技巧的パッセージの鮮やかさとともに、ヴァイオリンを歌わせる部分においても懐の深さのようなものを聴くことができた気がします。

プロコのヴァイオリン協奏曲を演奏するのに当たってのインタビューで「印象派的なところもあれば、ロックのようなところもある」とハーンが語っていました。映像で見るハーンの演奏は実にキビキビとしていて高い運動性能を示しています。プロコフィエフの複雑なリズムと一体になっているかのような演奏からは、爽快感さえ漂います。特に第1楽章の中盤、ピチカートが荒れ狂う当たりから後半にかけての表現の適確さ、そして第2楽章は圧巻といったところ。しかも、演奏はベタベタと熱くならないところが凄い。

「印象派的」と言うところも私には分らなかったのですが、そう言われれば第1楽章後半で、フルートと絡んだするところなどは、そういう雰囲気がありますかね。プロコの音楽は印象派とは対極にあるように思っていましたから、意外でありました。もっともプロコのこの曲には、あまり親しんでいるわけではありませんので、機会があれば他の演奏で聴いてみたいと思います。

2005年1月18日火曜日

期待の新人ヴァイオリニスト

「おかか1968」ダイアリーでニコラ・ベネデッティ(17)というヴァイオリニストが破格のデビューを飾るというエントリー。


実力の程は分からないけれど、とりあえずメモしておきましょう。それにしても


Nicola was born in Scotland in 1987 and began violin lessons at the age of 5. In 1997 she entered the Yehudi Menuhin School, where she studied with Natasha Boyarskaya. While at the school she performed as a soloist in venues including the Royal Festival, Queen Elizabeth and Wigmore halls. In 1998 she was one of the soloists in Bach’s Double Concerto under Menuhin at the opening ceremony of the 50th anniversary of the Declaration of Human Rights at UNESCO in Paris.


BBC Young Musician of the Year - Final. Strings


だそうで、早熟ですなァ、たいしたモンす。

ルックスやスタイルなどは音楽とは無関係ですし、好みもありましょうけれど、「商品価値」なんて概念から、ボンド・ガールのようになったら、オシマイだとは思います・・・ひそやかに正しく育ってくれることを祈りましょう。

2004年12月8日水曜日

ムター/シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

  • アンネ=ゾフィー・ムター(Vn)
  • アンドレ・プレヴィン(指揮)シュターツカペレ・ドレスデン
  • GRAMMOPHONE

師走になりましたが、今日も釧路地方では地震がありましたね。余震だそうですが、寒くなってきましたし大きな地震にならないことを祈ります。

今年は天地がちょっとばかり変で、日曜日の札幌は大雪の大荒れの天気でしたが、東京は25度だったそうですね。飛行機でたかだか1時間15分ほどの距離しかないのに、まさに別世界。

ということで、別世界のムターのシベリウスを聴いてみました。感想はこちらです。

かなり濃い目のムターのチャイコフスキーを聴いたので、実際彼女の芸風はどうだったかしらという意味から、34歳の時のシベリウスを聴いてみました。

冒頭からノンヴィブラートの音、チャイコフスキーの第二楽章で聴かれた音です。嫋嫋たると表現する人もいるようですが、絞り上げるような表現力には只者ならぬ雰囲気を感じます。

音色の変化は、ここでも見事であり、それは饒舌とも豊穣とも違ったもの、クレッシェンドになるに連れ、音は太くなり分厚さをましてきます。メタリックな感じでゴリゴリと奏する様はかなり迫力あります。しかし、そこはムターです。あくまでも多彩な表現力の一面ということですから、力まかせな乱暴さということではありません。繊細さと強烈なところのレンジが広いということでしょうか。

ムターの音楽は、極めてエネルギッシュで感情の振幅が大いものの、泣きや浪花節に落ちることはありません。ですから演奏を聴いて感情移入をして感極まるようなことはありません。ひたすらに見事だなあとは思うのですが。

第一楽章のカデンツァなど奔放さの限り、かなり好きなことをやっているように聴こえます。完全にムター節で、自分の世界を表現しているような熱演です。凄い演奏だとは思ですが、シベリウスを聴いているという温度感は希薄です、プレヴィン率いるバックのオケもしかりです。

「好きな演奏か」と問えわれれば「感心はしても感動はできません」ということになりますね。シベリウスに特別な思い入れを持っているヒトには特にそうかもしれません。

PS.年末締め切りの仕事がバタバタと入ってきたり、今までうっちゃっていた仕事の催促が来たりと、さすがに師走は忙しくなってきました。かなりしつこい風邪もひききったので、あとは驀進かァ。ブログはぼちぼちですな。

2004年12月3日金曜日

【音盤】ムター/コルンゴルド:ヴァイオリン協奏曲


チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.35
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 OP.35
アンネ=ゾフィー・ムター(Vn)
アンドレ・プレヴィン(指揮)ウィーン・フィルハーモニー(チャイコフスキー)
アンドレ・プレヴィン(指揮)ロンドン交響楽団(コルンゴルド)
GRAMMOPHONE UCCG-1206

ムターのチャイコフスキーは、コルンゴルドのヴァイオリン協奏曲がカップリングされています。レビュを書いて気付いたのですが、どちらも「ニ長調 OP.35」なのですね。

コルンゴルドは1897年生まれ、幼くしてウィーンの楽壇にデビューして天才ともてはやされ、その後アメリカに渡り映画音楽の世界で成功した作曲家。本人は晩年にウィーン楽壇に復帰したかったようですが、「映画音楽作曲家」というレッテルは死ぬまでぬぐえなかったそうです。

さて、そんな作曲家が1947年に描いたのがこのヴァイオリン協奏曲。いやいや悪くないですよこれは。最初に聴いたときには、まさにハリウッド映画音楽だあと思ったものの、それはそれでよいではないですか。ロマンティシズム溢れる、甘ったるくも力強くエネルギッシュな曲です。

甘美なところはこれ以上はないと思えるほどで、とろけてしまうよう。それをムターのヴァイオリンで聴くと、暖炉の火で柔らかくなったキャンディーよろしく、「もう、どうにでもして」と言わんばかりの音色となって聴くものを骨抜きにしてくれます。特に第一楽章の冒頭の旋律が凄い、これを聴くだけでも価値があるかな。チャイコフスキーでは、先入観からか疎んじた音色が、ここでは、非常にマッチしています。

快活な部分では、芯がはっきりした太い音が、それこそ自在に駆け巡る快感は、これまた例えようもなく、聴いていて「ああ、楽しいなあ」という気にさせてくれます。古きよき時代の上昇志向な感じが懐かしいです。

コルンゴルドはフーベルマンのために、この曲を書いたそうですが、初演はハイフェッツなのだそうです。技巧的にも結構難易度が高いようですから、ヴァイオリンを聴くという意味では楽しめる曲です。

というわけで、コルンゴルドは悪くはないのですが、ふと考えてみると1947年という時代に、アメリカでこんな脳天気な音楽を作っていたとは、コルンゴルドさん・・・幸せでしたね。