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2007年1月3日水曜日

【本棚】P.F.ドラッカー:経営者の条件

ドラッカーの多くの著書から12作品をセレクトした「ベスト・オブ・ザベスト」の第1巻、「The Effective Excecutive」が原題です。本書が書かれたのは1964年。

「経営者の」と邦題にあるため誤解されやすいのですが、決して「経営者」のための指南書ではありません。ドラッカーの他の本にも言えるように、これは組織で働く人のための本であり、すなわちマネジメントの本です。さらに言えば成果をあげるために自らをマネジメントする方法についての書です。

「まえがき」にある次の言葉ほど重いものはありません。

ほかの人間をマネジメントできるなどということは証明されていない。しかし、自らをマネジメントすることは常に可能である。

私はこのフレーズを読んだときに、軽い衝撃さえ受けました。マネジメントの本質がここにあります。

本書はまず、エグゼクティブとは行動する者であり、物事をなす者であるとし、組織で働くエグゼクティブがいかにして成果を上げるかということについての提言が書かれています。

ドラッカーの本はすべからく人間を「組織」に結び付けます。一人の人間が成し得ることは小さく、組織的活動をすることで個人を越えることができ、組織で成果を上げることが自己実現(*1)の前提になるとの立場です。

ドラッカーの言葉で一番大きく影響を受けたのは、「自分が何をしたいか、ではなく、自分は(組織に対して)何ができるのか」を問えというものです(*2)。自分の能力に向き合うことで、自分の役割も立場も、そして成果も見えてくるのです。

第一に身につけるべき習慣は、なされるべきことを考えることである。何をしたいかではないことに留意してほしい。(P.3)

我々の世代は組織で働くことを「歯車」(*3)であるかのような否定的な印象で捉えるように教育されてきたような気がします。それが偏狭な見方でしかないことをドラッカーは教えてくれます。「組織」は人の弱みを無力化する、「強み」に焦点を当てろとの主張には目から鱗です。自ら属する組織が、あまりに「弱み」ばかりを嘆いてはいないかと自問せざるを得ません。

本書の内容は全てが至言でありまから各章の最初の数行だけを読むだけでも充分意味があります。自分のメモとして抜粋しておきます。

序章 成果をあげるには
    成果をあげるには、近頃の意味でのリーダーである必要はない。

第1章 成果をあげる能力は習得できる

    成果をあげることがエグゼクティブの仕事である。成果をあげるということは、物事をなすということである。企業、病院、政府機関、労働組合、軍のいずれにあろうとも、エグゼクティブは常に、なすべきことをなすことを期待される。すなわち成果をあげることを期待される。

第2章 汝の時間を知れ

    通常、仕事にについての助言は「計画せよ」から始まる。(中略)計画は紙の上で消える。よき意図の表明に終わる。実行されることは稀である。

第3章 どのような貢献ができるか

    成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ目標に目をむける。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に考える。

第4章 人の強みを生かす

    優れた人事は人の強みを生かす。弱みからは何も生まれない。(中略)組織は、人の弱みを意味のないものにすることができる。組織の役割は、一人ひとりの強みを共同の事業のための建築用ブロックとして使うところにある。

第5章 最も重要なことに集中せよ

    成果をあげるための秘訣を一つだけ挙げるならば、それは集中である。成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない。

第6章 意思決定とは何か

    地位のゆえか知識のゆえかは別として、組織や組織の業績に対して重大な影響を及ぼすような意思決定を行うことを期待されている者こそエグゼクティブである。エグゼクティブは成果をあげるために意思決定を行う。

第7章 成果をあげる意思決定とは

    意思決定とは判断である。(中略)はるかに多いのは、一方が他方よりもたぶん正しいだろうとさえいえない二つの行動からの選択である。

終章 成果をあげる能力を習得せよ

どの頁を読んでも考えさせられます。そして、本書は組織で働く者(*4)に今でも希望と意味を与えると思います。

  1. 「自己実現」という言葉はクセモノです。先に批判的な事を書いた「健全な肉体に狂気は宿る」(内田、春日)の中で、「自己実現」ってことばも、もう死語にして欲しいと内田氏は主張していました。
    「自己」って単体で存在するものではなくて、人間たちを結びつける社会的なネットワークの中でどういう役割を演じるかということで事後的に決まってくるものなんですから。(P.51)

    内田氏の「自己」に対する定義には同意します。この後に内田氏は、

    (就職活動をしている学生たちは)「自分はこれがしたい」ということは一生懸命言うんだけれど、「自分は他人のために何ができるのか?」という問いは思いつかない。(P.52)

    と書いています。まさにドラッカーの言う「組織」と「成果」に対する言及になっています。そこから何故「自己実現」否定に繋がるのか、私の考える「実現」と、ロスト・ジェネレーションの「実現」の意味合いが違うのでしょうか。

  2. 私は新しい部下が配属された場合、彼が7年目以上であれば真っ先に「君は何ができるのか、何が得意で、何ができないのか」と聞くことにしています。たいていの者はキョトンとして問われた事の意味さえ理解できない顔をします。ある程度私の下で働いた部下には、今の君のミッションとコミットすべき事を説明せよと問います。これにもキョトンとした顔をされることがあります。上司としての私の指導不足を痛感する瞬間です(^^;;; (>え?自分がこの問いに答えられるかって??)
  3. 「労働者=組織の歯車」という図式はプロレタリア時代のものの名残であり、現在の知識労働者にとって当てはまるアナロジーであるかは疑問です。知識労働者が志向するフラットな社会においてはなおさらでしょう。
  4. 世の中には組織を必要としない能力の持ち主も居ます。そういう人はドラッカーの書の対象ではないのでしょう。何でも自分で出来て、成果を上げられるのですから。

2006年6月9日金曜日

【本棚】梅田望夫氏の「ウェブ進化論」

梅田望夫氏の「ウェブ進化論」をチロチロと読み始めた。まだ数十ページしか読んでない。
これからはじまる『本当の大変化』は、着実な技術革新を伴いながら、長い時間をかけて緩やかに起こるものである。短兵急ではない本質的な変化だからこそ、逆にゆっくりとだが確実に社会を変えていく。(P.18)
ニュートン力学の世界から見た量子力学の世界と同様に、リアルな世界からネット世界を見れば、それは「不可思議」「奇妙」「ミステリー」以外の何ものでもなく、その異質性や不思議さをそのまま飲み込んで理解するよりほかない。(P.39)
まさにP・F・ドラッカーの指摘した「ネクスト・ソサイエティー」そのものではないか!

同僚と飲みながら、「うちの業界は10年前とちっとも変わっていない」というハナシになった。確かに表面的には何も変わっていない。取り残された産業というイメージさえ付きまとう。しかし仕事のやり方は、ある面では劇的に変わった。相変わらず旧態依然としたシステムにとらわれるか否か。

クライアントのキー・パーソンと会食していたときに、彼らは「パンドラの箱は空いてしまった。元には戻らない」と言っていた。そこに我々の業界は気づいているか、ついていっているのか。

2006年4月11日火曜日

【本棚】P.F.ドラッカー:ネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる


ドラッカーの本は大変示唆に富んでいます。多くの人が彼を敬愛するわけも、ドラッカーの本を1冊でも読むと良く分かります。あたかも未来を見据える預言者のように、的確に数十年後の来るべき世の中を描いてみせてくれます。

ドラッカーは「経営の神様」とか「マネジメントの創始者」という言われ方をしていますが、むしろ、人間が社会組織の中で疎外感を得ることなく、人間らしく生きるにはどうしたら良いか、ということを語っている哲学者的な面も持っているようです。そこが多くの人を惹き付ける理由のひとつでしょう。


本書の描いている世界は、まさに少子高齢化社会であり、誰もが高等教育を受けていることを前提とし、アジア諸国が台頭し、古くからの先進国では政府と官僚が機能不全に陥り、企業においては正社員の数が激減し、IT革命が進行している世界。すなわち現在進行形の今の世界がこれから向かえるべき世界を描いているのです。

一方でドラッカーの資本主義批判や市場経済理論についてのコメントも興味深い。しかしドラッカーは組織や人間にとって重要なことは、経済ではなく社会であると説いています。

例えば製造業に代表された20世紀型の労働形態と組織構造から、21世紀は高度な教育を受けた知識労働者が、フラットな組織の中で働くようになるとの予測は注目すべきです。またネクスト・ソサエティにおいては人の属すべきコミュニティーとしてNPOが重要な要素になるとの指摘には深く首肯、現在の日本にさえその萌芽が見られます。

数ヶ月前の本の感想をこうしてメモするために頁を捲ってみましたが、その一行一行に再び眼を奪われてしまいました。難解な本ではありません。凡百のビジネス指南書を読むくらいなら、本書を数時間かけて読むことを薦めます。ただ、マニュアルや解答はどこにもありません。

2006年2月2日木曜日

【本棚】P.F.ドラッカー:企業とは何か


P.F.ドラッカーが1946年に著した世界的名著「企業とは何か(Concept of the Corporation)」をボチボチ読んでいます。 本書はGMの内部調査から、組織論およびマネジメント論を生み出し、その後、企業だけではなく世界中のあらゆる組織で教科書として用いられた本です。

この本が偉大であるのは、今日の企業経営では常識的な問題を既に示唆しているに留まらず、ひろく組織と人間の関係を炙り出している点です。すなわち人間を社会的な存在として位置づけ、1940年代半ばの大量生産社会において人間が幸福でありえるかということを問いかけています。

特に「第Ⅲ部 社会の代表組織としての企業」は圧巻。ドラッカーは本論のスコープをキリスト教の伝統をもつアメリカ社会という特定の社会における信条、目的、目標にかかわる問題として、個の尊厳と機会の平等、産業社会の中流階級、働く者の位置付けと役割について論じています。

まさに機会の平等という名の正義、社会における位置づけと役割という名の尊厳を統合して実現することこそ、産業社会の代表的組織としての企業の最大の課題である(P.140)

ドラッカーは機会の平等、自己実現の約束は個としての人間の重視という際立ってキリスト教的な思想から生ずる政治哲学の基本であるとします。企業が(アメリカ)社会の代表組織であるなら、アメリカ社会の信条を体現しなくてはならないのだと。

翻って日本社会の信条とは、日本の政治哲学とは、根本原理とは何なのか。これらを考えることは日本政治思想的な考え方や天皇制をも避けて通ることができず、たとえば昨今の皇室典範の改正や、企業の本質論、更には相次ぐ企業の欺瞞やニート問題など、トータルに考える必要性があるのかもしれません。(物理学の統一場理論のようなものを求めるつもりはありませんが・・・)

ドラッカーの著は60年前に書かれたものですが、極めて今日的な話題(60年経ってもやっと日本で議論されはじめた問題)も扱っており、その慧眼には驚くばかりです。