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2025年4月29日火曜日

旧池袋マルイ跡地の工事、そろそろ完成か

好日山荘池袋店に行くついで。かつてのマルイ跡地の建設現場の写真を。

何の建物になるのでしょうかね。

随分と高層びるになりました。池袋マルイは戻ってこないと思いますけど。

そういえば、好日山荘の近くにあった石井スポーツも無くなってました。

かつてはマルイにmont-bellもあって、登山用品買うには神田より便利だったのに、ほんとうに様変わりですわ、このごろの時代の流れは、年寄りには早過ぎます。



2023年6月27日火曜日

昭和の名建築の名護市庁舎が解体!?

象設集団による名護市庁舎が解体?とのSNSの書き込みに、少なからず驚いています。

先ずはメモとして。


個人的には、解体とか、あり得ないだろうと思います。

Twitter にも簡単に書きましたけど、理由はあると思いますよ。建築家たちの建物は、決して使いやすく、メンテナンス性が良いというわけではありません。

しかし、です。

2021年7月2日金曜日

オープンしたばかりの下北沢reloadに行ってきました

若者で人気の下北沢に、商業施設「reload」がオープンしました。設計はジェネラルデザイン一級建築士事務所、ランドスケープデザインはDAISHIZENが担当とのこと。

スタイリストの熊谷隆志さんがプロデュースしたという「Great Books」で坂口恭平さんの個展がオープン記念で開催されるとあって、早速に行ってきました。


2021年5月20日木曜日

原美術館が閉鎖、解体の方向

品川の原美術館が閉館し、利用されてきた建物も解体されるそうです。

雰囲気のある美術館でしたから、閉館と解体を惜しむ声は各方面から聞こえてきます。

ここでは、そこの問題には深入りせず、かつて撮った数枚の写真をアップし名残を惜しむこととします。

2021年3月25日木曜日

帝国ホテル周辺と再開発計画が発表される 2021年3月

帝国ホテル東京を建て替えるという報道が3月16日の日経新聞に発表されました。三井不動産らと周辺の内幸町地区を一体開発するとのこと。三井不動産は2007年9月28日に、帝国ホテル株の33%を取得しており、同ホテルの大株主です。(帝国ホテル東京を建て替え 36年度に完成予定:日本経済新聞)

2021年3月14日日曜日

銀座4丁目と三愛ドリームセンター 2021年3月

銀座4丁目の顔といえば和光とともに、円筒状の建築が印象的な三愛ドリームセンターでしょうか。日建設計の林昌二氏の代表作、昭和38年(1963年)1月13日に完成しています。わずか90坪の敷地、銀座4丁目という日本一地価の高い場所にある建築物です。

オープニングセレモニーは、なんと深夜0時、ゴンドラに乗ったコンパニオンが掲げるトーチに合わせ一層ずつ照明をつけて行った様子がYouTubeにあります。

当時としてはとても斬新な建築であり、リコー三愛グループの創始者である市村清氏(1900-1968)と、日本を代表する建築家の一人である林昌二氏(1928-2011)の熱い思いを感じます。

春の土砂降りの雨の中、RICHO GR2で、この特徴的な建物を何枚か撮っておきました。



2021年2月11日木曜日

角川武蔵野ミュージアムに行ってきました

角川武蔵野ミュージアムに行ってきました。昨年11月から二度目の訪問。

隈研吾氏がデザイン監修、圧倒的な石の塊の建築です。

今日、行ってみると、外壁になんと、鴻池朋子さんの作品が掲示されていました。「武蔵野皮トンビ」という題名で、武蔵野文化振興財団主催の《コロナ時代のアマビエ》プロジェクト第2弾作品だそうです。



2020年1月1日水曜日

蟻鱒鳶ル(アリマストンビル) 2020年

東京の三田に行く用事があったので「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」まで足を延ばしてきました。

このビルは岡啓輔さんが、アントニオ・ガウディに触発され、自邸を自力で建設しようと延々、こつこつと作り上げている建物です。建物というより、もはやオブジェといった方が良いのかもしれません。

蟻鱒鳶ルや岡さんについては、ちょっと調べるといろいろと情報がでてきますから、ここではあえて触れません。

しかしこの建物、周辺の再開発の範囲に入っており今後どうなるかが、一部で注目されています。再開発計画の概要には蟻鱒鳶ルは存在していません。

大手ゼネコンの技術力をもって「曳家」して別の場所に移動するのではないかとの憶測があるものの、現段階でははっきりしたことは分かりませんね。

2013年に撮った写真もありましたが、同じアングルから撮っているので、工事がどのくらい進んだかよく分かりませんね。というか、当時からも、あんまり進んでいないようです。

2019年6月7日金曜日

GAギャラリー 世界の住宅プロジェクト展

 

2018年11月26日月曜日

【追記】 田根剛さんの個展を見て

今回の個展は、『Archaeology of the Future ─ 未来の記憶』と名付けられています。公式HPの田根さんの言葉を、そのまま以下に引用しておきます。
まだ誰も見たことのない、経験したこともない、想像すらしたことのない、そんな建築をつくりたいと思っています。でもそれは奇抜な未来型の建築とは違う、場所の記憶からはじまる建築、そんな途方もないことを考えています。
私はいつも考古学者のように遠い時間を遡り、場所の記憶を掘り起こすことからはじめます。そこでは今日の世界から忘れ去られ、失われ、消えてしまったものに遭遇し、それらを発見する驚きと喜びがあります。その時、記憶は過去のものではなく、未来を生み出す原動力へと変貌するのです。 場所には必ず記憶があります。建築はその記憶を継承し、未来をつくることができるのです。未来は必ず訪れます。建築はこの時代を動かし、未来のその先の記憶となります。まだ誰も見たことのない未来の記憶をつくること、建築にはそれが可能だと信じています。
現在の東京を見ていると、場所の記憶を根こそぎ覆してしまうような開発が続いています。時間性も場所性も不連続なんです。開発設計者たちは、当時の建物の遺物である外壁の一部や、内装意匠、あるいは土地の形状、道路線形などを残そうとはしています。
それらの事例は、そこかしこに散見されます。しかし、それが開発に対する申し訳、免罪符的に見えてしまい、どうもあざとらしい。このくらいやっとけば、いいでしょう、みたいな。表層的なものが多く、開発全体のデザインコンセプトになっていない、あくまでも「記憶」はオマケ。

田根さんの建築は、そもそも発想が違うように思えます。土地の記憶を、それこそ根こそぎ立ち上がらせるような。更にそこに新たな記憶を付け加えて未来を俯瞰するような、そんな泥臭くも力強い、ポジティブなエネルギーを感じます。それゆえに、彼の建築には希望=未来を感じ取れます。エストニア政府が、当時26歳であった無名の若者に、国の歴史を託したもの、そのようなことを共感したからなのでしょう。国立博物館の建設そのものが、歴史でありドラマであったのではないかと。
田根さんの形になっていない作品群を見ると、舞台芸術やインスタレーションもやっている様子。そのどれもがアート性の高いもののように見えます。彼のスタイルが「パターン」に陥らず、「田根」が消費されることなく力を持ち続けるのか。また、この東京という場所で、彼の大きな作品が実現可能なのか、今後を見守りたいと思います。

2018年11月25日日曜日

2018/11/22 田根剛 未来の記憶 オペラシティギャラリー

東京オペラシティギャラリーで開催中の建築家 田根剛の個展(美術手帖リンク)に行ってきました。

1979年生まれの田根剛さんは建築家の中では若手の一人。入り口のポスターやパンフレットになっているのは、エストニア国立博物館。2006年の国際コンペで優勝したもので田根さん26歳でのデビュー作とも言えるもの。この国立博物館、完成が2016年とありますから、まさに10年に渡るビックプロジェクト。最近では造園家のための等々力の住宅など、意欲的な建築で気になる建築家でした。

今回の個展で、田根さんの発想の原点というか、発想法そのものがカタチとなっていて、まさに圧倒される展示内容でした。




2018年10月12日金曜日

西沢立衛氏設計の軽井沢千住博美術館に行ってきました



休日を利用して軽井沢の千住博美術館に行ってきました。2011年に建てられた本美術館は西沢立衛氏の設計。行った目的は千住博さんの絵よりも西沢氏の建築を見るため。

リーフガーデンのアプローチを通って券売機で入場券を買い、自動ドアを開けた瞬間に広がった美術館風景には、はっきりいって近未来というか度肝を抜かれました。今まで見たことのある、どんな美術館、いや建築とも違う空間。

2018年9月8日土曜日

建築の日本展 六本木ヒルズ美術館


六本木ヒルズで開催中の建築の日本展 に行ってきました。

展示数が多く飛ばして観ても3時間弱かかりました。佐川美術館 樂吉左衛門館や石上純也氏のHouse&Restaurant など、観るべき建築や、驚くべき作品も多く、改めて建築の持つ力を感じた展覧会でした。

また、日本の建築家の多様性にも改めて認識を新たにした次第。

2013年9月28日土曜日

蟻鱒鳶ル 2013年

東京三田にある「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」です。



ときどき見に来ているのですけど、なかなか工事が進まないですね。



造る行為そのものに意味があるような建物ですから、造ることそのものが目的化、永遠に作り続けることが命題化されているのでしょうか。

 


2011年5月8日日曜日

ホキ美術館に行ってきました

日本初の写実絵画専門美術館としてオープンしたホキ美術に行ってきました。設計は日建設計の山梨知彦氏ということで、建築業界的にも話題の建物です。






ギャラリーには、これでもかとばかりに、写真とも見紛うばかりの大作が並んでおり壮観です。

しかし美術館を歩み進めるうちに、何となく重い気持ちになってきました。

そのまとまらない感想のメモです。
  • 写実絵画の「気持ち悪さ」「違和感」
  • 特に、森本氏の絵など。
  • 女性を「静物」とみなしているのではないか。
  • 肖像画ではない、愛でる対象物としての女性。
  • 対象に対する愛
  • 老人の妄想、理想化された女性像、こんな女性、今時いないだろうみたいな。
  • ひとつの「顔」の女性を描き続けること
  • 老人になっても「女性」「性」を求めることのいやらしさ、あるいは醜さ
  • モデルが家族か、単なる雇われのモデルか
  • 女性の無防備さ、意味のないポーズ
  • 自らの技量に対する執着
  • 蝋人形のような
  • 一点のしみも曇りもない女性像
女性から見たどうなんでしょうかね。

2009年9月3日木曜日

丸の内パークビルと三菱一号館

丸の内に新しい施設、丸の内パークビルとそれに付属する施設、三菱1号館が完成しました。三菱地所が手がける丸の内再開発の目玉となる施設。三菱1号館は明治27年に丸の内における最初のオフィスビルとして建築された建物で、英国の建築家ジョサイア・コンドルが設計しました。

煉瓦造り英国ビクトリア様式の優雅なスタイルでありましたが昭和43年の高度成長期に解体されてしまいました。2006年、古河ビル、三菱商事ビル、丸ノ内八重洲ビルを含む施設の再開発に当たり、三菱地所が威信をかけて当時の技術を用いた完全復元をしました。

丸の内パークビルのグランドオープンと同時に開館記念として『一丁倫敦と丸の内スタイル展』が開催されていますので、さっそく観て来ました。

多くのお客さんは、パークビルに入るテナント(ブランド)店に興味があるご様子で、幾つかの店には行列ができています。私はそれを横目に窓口で500円の入場料を払って1号館見学です。三菱地所の丸の内開発の歩みや、当時の日本の風俗資料などが展示されており、それなりに楽しめます。しかし圧巻は、本建物を復元させた、そのメイキングドラマにあります。

日本というのは、戦前戦後の名建築と呼ばれたものを、老朽化、陳腐化、土地の有効利用、耐震性向上など、さまざまな理由を付けて壊し、新しい(更に陳腐な)建築を作り続けてきました。最近では東京郵中央便局がマスコミの話題となりました。

歌舞伎ファンの間では東銀座の歌舞伎座建替計画も物議をかもしています。東京駅丸の内駅舎は創建当初の姿への復原工事が進行中です。三菱1号館はJ・コンドルの日本での代表作ともなる建物。明治初期の丸の内に赤レンガの英国風町並みが出現し、馬場先通りは「一丁倫敦」と称されました。

建設当時の図面や解体当時の写真などを参考に、三菱地所や学者、設計者、施工者など多くの方々が関わり、多大な情熱と労力をかけて復元したのが本建物です。できるだけ忠実に当時の技術を再現というコンセプトで、外壁のレンガも、手すりや避雷針の鋳鉄も、そして銅製の雨樋も、ドーマ飾りも、現代の職工の技術の粋を集めて作り上げています。

メイキングのビデオも流されていましたけど、それはそれは、気の遠くなるような熱意と執念です。鉄製避雷針は鍛造で、鉄製連続手すりは鋳造で再現されています。ドーマ飾は生の銅板金を叩き出し、経年変化で緑青が自然な色合いに変化することを期待するという拘り方。

明治の技術復元は当時の耐震技術にまで及んでいます。煉瓦の間に「帯鉄」と呼ばれる補強鉄板を挟み込んだ構造は、現在でも耐震効果が期待できるのですとか。煉瓦の製作は中国。当時の煉瓦の肌合いを再現するため、ほとんど手作業に近い工程で230万個もの煉瓦を製作しています。下のパンフレットの右写真が煉瓦工場で型に土を詰めている作業風景。本展を観に来ていた若い女性が「肌合いを再現するためですって!?」と、ほとんど煉瓦フェチとも言える様な執着に驚きを通り越した気持ち悪さを表明していたのは印象的でした(笑)。一個3kgの煉瓦を日本中から集めた煉瓦職人がひとつづつ積み上げた。屋根は本来は宮城県雄勝産のものであったのですが、量を確保できないためこちらはスペイン産の天然スレート。内部も、当時の空間を再現しており、木製の扉のや窓の金物ひとつとっても、いったい幾らかけたんだろうと余計なことを考えてしまいます。

展示室の最後には、本建物の復元に関わった職人の写真が、ドドーンと並べられており、これまた圧巻。いくらお金持ちやアタマのいい人たちの熱意と執念があっても、しょせん建築は泥臭い「ものづくり」の過程を避けることはできません。彼らが居てこその建物であることは確かに覚えておいて良いでしょう。

全てが特注品の建物。最近の建築物がのっぺりして、どれも金太郎飴のようでつまらないとお嘆きのあなた、歴史好き、建築フェチなあなた、きっと満足すると思いますよ。