2月8日の衆議院選挙の結果は、自民党優位と思われていたものの、ここまでの圧勝とは予想を超えていました。
いま見えている風景を改めて。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
昨年11月の米大統領選の結果がまだ確定していません。
共和党トランプ大統領は、大規模な不正があったと主張し続けているものの、大手メディアも最高裁判所も、FBIも詳細を調べようとはせず、判断もせず、トランプが陰謀論まがいのことを述べているという論調で報道し続けてきました。
リンウッド弁護士、シドニー・パウエル弁護士などが、繰り返し証拠物件を裁判所や公聴会の場で提示しても、調べることさえしないというのはどういうことなのか。どちらに肩入れするわけでもなく、冷静に事の成り行きを見ていたとしても、これはおかしいと思うようなことばかりです。
民主主義において、選挙不正が疑われているのに、それを陰謀と一笑に付し、なかったものとして次期大統領がバイデンに決まったとしたら、これは民主主義や正義の敗北と言っていいと考えています。
自分的にはトランプ大統領を支持しているわけでもなく、日本にとってトランプ共和党とバイデン民主党のどちらが良いか、と問われれば、五十歩百歩なのではないかと思いもするものの、今回の一件については、やはり無視するわけにはいきません。
昨年からのマスコミやその他界隈を見ていると、どういうスタンスの報道なのか、どういう考えを持っているのか、図らずも透けて見えてしまいました。
明日から週末にかけて、米国その他の動きに最大の注目を払っています。
1月5日はジョージア州の上院議員決選投票が、1月6日には上下院合同会議が予定されています。予定調和で終わるのか、逆転劇があるのか。あるいは再び結果が持ち越されることになるのか。
結果が出る前に、あえて自分のスタンスを書いておきました。
衆議院議員選挙は、蓋を開けてみれば民主党の単独過半数確保、絶対安定多数確保の圧勝という結果で終わった。風が吹いたというより暴風というのが印象でしょう。
民主党の圧勝の理由として、国民の多くが、自民公明による一党独裁に近い戦後政治に嫌気がさしただとか、小泉政権が生み出した格差に対する不満とか色々な理由ありましょう。小泉政権下での郵政民営化を争点として争った前回の衆議院戦況。あの時は、鳩山代表などが伸び悩む当選者の報を前に暗い顔をしており、立場は逆転したものの、全く今回と逆の風景であったと思い出します。これが小選挙区制の怖さと言ってしまえばそれまでではあります。
今回の民主圧勝について考えるに、小泉政権が誕生した2001年あたりから、自民崩壊の芽は顕著になってきたのだと考えています。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」というキャッチフレーズで、当初、国民の圧倒的な人気を獲得しました。小泉氏が持ち込もうとしている政治とか制度が何であるのかも理解せずに「変革」というムードに乗ったというのが当時。それと同様に、郵政を象徴的なものとして「解体=改革」するというイメージを刷り込み、自民分裂に追い込みながらも、自民対自民の構図を作り上げ与党圧勝を演出したのが前回の選挙。世界同時不況後の米国でのオバマ旋風は「改革」を旗印にしたエネルギーを感じ、翻って更にわが国の閉塞感に、みなもう嫌気がさしていたというのが本音か。マニフェスト選挙とか言われたとしても、民主党を完全に信頼するほどに国民もバカでも無知でもない。しかし、それであっても自公政権の顔ぶれとやり口には、もうウンザリというのが正直なところでしょう。
ですから、積極的な選択としての民主党支持ではありえず、あくまでも私はムードとしての変革であるのだと考えています。民主党が今後どのような政権運営をするのか。民主党政権は、小泉政権の進めた規制緩和と市場主義(新自由主義)の反動からの格差社会を是正することを目的としています。当面は外交問題などよりも、弱者救済、セーフティーネットの拡大、既得権益からの利益再配分、平均的消費拡大による内需拡大とその結果としての経済再生という方向で考えるのだと思います。
それはそれで悪くはありませんが、結局は限られたパイの中での利益再配分ですから、誰もが果実を得られるわけではなく、それに気づいたときには、どこかから反発と反動が生じることは予測されること。国民の圧倒的多数による支持政党というのは、もはやファッショでしかありませんから、それほど民主政権が安泰とも思えない、いずれまた反動が生じるのではないかと考えています。
30日の選挙が近づいてきた。民主党が300議席確保かなどと新聞や週刊誌では予想されている。もはや政権交代は既成事実のような雰囲気さえある中で、自民党の民主党に対するネガティブ・キャンペーンも熱を帯びてきている。「一度でも民主党に政権を渡すと破滅」などと、まるで麻薬か何かのような書き方だ。英ファイナンシャル・タイムズ紙では、日本も一度ギャンブルをしてみては、などと揶揄される始末。
野党の政策を並べてみても、民主、社民、共産、新党日本など、微妙な部分での食い違いはあるため、民主の圧勝という結果は政治風景として望ましいものではなかろう。民主の中でも党員の出身母体から寄り合い所帯という批判もある。しかし、政権を取ればある程度まとまることは期待されようし、逆にその多様性が政策的議論も高まるということもある。
何と言っても、私たちは自民党政権しか経験したことがない。現状の閉塞感から「変革」を求めるムードだけで決定されてしまうことに恐れがないとも言い切れない。政治は対立を含む。対立とは並存する利益団体とそれに属する者たちと属さない者たちとの対立であり、パイが限られているならば利益の再配分を意味する。そういう点において、現在の政治風景は自分たちの利益代表が誰であるのかが見えにくい。地方農民にも都市農民にも、中小企業社員にも大企業社員にも、あるいは子供のいる家庭にもいない家庭にもフィットする政党の存在ということそのものに無理があるように思えます。
8月30日の衆議院議員選挙に向けて、各党のマニフェストが出揃いました。今回は「政権選択選挙」なのだという触れ込みで、民主党は悲願の政権奪取に向けて必死です。対する守りの自民も日本を守るのは自民だとばかりに抗戦しています。
マスコミはやたらと対立軸をあおりますが、そもそもが、自民も民主も「誰に向けての政治」であるのかが問題です。自民はかつては農村票を母体としていました。今では農村支持は民主のものでしょうか。都市の浮動票やサラリーマン票を狙うのは自民なのか民主になるのか。
「<国民>の生活を守るのはどの政党か」と麻生首相は問いかけます。格差社会を増長させ経済を疲弊させたという反省と責任は自民にはないかのごときです。しかし<国民>と一言でくくれるほどに、日本は単一ではない。都市住民も居れば、地方住民、農漁村住民も居ます。農民であっても都市近郊農民と稲作農家では全然違う。新富裕層も年収200万円世帯も<国民>。高齢者とか子育て世代、あるいは大企業、中小企業、役人とか自営業とかの軸もある。疲弊した産業には<国民>ではない労働力も注入されている。
各政党は誰の利権を守ることを政策の基本としているのか。逆に言うと、自分の属する枠組みをどこの政党であれば守ってくれるのか。<全国民>が、今よりも更に<利得に与る>社会は目指しようがないことだけは確かか。
<国民>という枠組みが複層的な枠組みの中にあり、それぞれが何らかの「既得権益」を有し恩恵にあずかっている。昨今の派遣切りとかフリーターは、既得権益から完全に排除された人たちといえます。既得権益は時代とか世代により異なり、本人能力を超えた偶発的な要因で決定されることが大きくなってきている。これは不可逆な流れなのか。政権を代えれば流れが変わるのか、漠とした期待はあっても実は誰も分からない。
日本は、そして日本の政治システムは疲弊しているという見方は当たっている。<疲弊から回復した後の日本>をどれだけイメージできるか。ここは観念的ではありますが、もう少しマジメに考えられても良い。
今度の総選挙では民主党を含む野党が地すべり的に政権を奪取するのではないかとの期待が多い。衆議院の定数480議席に対し、現在の野党は146議席(民主112議席、欠員2議席)ですから、過半数を獲得するには97議席以上の議席数の獲得が必要となります。自民公明が334議席が240議席以下になることを意味しますから実に3割も議席数を減らさなくてはならない。
前回の2005年の衆議院選挙では、自民が84議席も議席数を伸ばし、反面民主が64議席を失いました。小泉首相の郵政選挙での圧倒的な勝利であったとしても、この議席数です。このときほどのインパクトを持って政権交代となるほどの議席数の移動が本当に生じるのか予断を許しません。
2001年に小泉内閣が生まれたときを思い出します。<国民>は<改革>という言葉に酔いしれ、<小泉政権>を熱烈に支持歓迎しました。その当時、<小泉政権>が実現する<世界>がどういうものとなるのか、<痛み>とは何かを具体的にイメージできていた人はどのくらいいたでしょう。余りにも<国民>はイノセントでありすぎはしなかったか。
そして今回、<政権交代>という果実のみに着目することも、当時と変わらないイノセントさと<世界>に対する不明を思わずにはいられません。かといって、解決方法も見つかりませんけど。
昨年8月のサブプライム問題の深刻化。2008年当初は問題は深刻化、長期化しないだろうとの楽観的予測がまだあったし、デカップリング論に対する期待もあった。8月の北京オリンピック後の中国経済に対する不安はあったものの、エコノミストは今日これほどまでに経済が深刻化、破綻するとは考えてもいなかった。
そもそもバブル崩壊後の日本経済の復調は、中国、インド、ロシアなどの需要が高まった外需効果が高い。リストラ、不良債権処理などにより企業体力がついたという面もあるが、基本的には途上国特需である。
今回のサブプライム問題から端を発した経済破綻は、アメリカ主導の高度化した金融技術によるレバレッジ経済の破綻との論調が目に付く。ファニーメイとフレディマック、ベア・スタンダーズ、リーマン・ブラザーズなどの破綻、AIGをはじめとする生保の再編など、1年前の金融界とはガラリと風景が変わりつつある。その波は欧米にも波及しており、ユーロ安などにつながっている。その中で比較的傷の浅い日本の円が高くなっているというのは、消極的選択の結果でしかない。
改正金融安定化法案が可決されても不安と不満は去らない。米ダウ平均は1万円を割り、日経平均も1万500円を割り込み、さらに底が見えないという状況である。企業業績や体力は悪くないから必要以上に株価が下落しすぎた、PERが低すぎるとの論調もある。
しかし輸出主導で回復した日本経済が、この先株価下落による含み益を減じられ、更には円高に振れた中で業績を維持できるかは疑問が残る。金融不安とリセッションが負のスパイラルに入っている印象があり、出口が見えない。
これほど急激な経済変調は最近では見たことがなく、スピードと規模の大きさに驚くばかりというのが正直なところ。資産はリスク商品を避け、資金が回りにくくなる状況がどこまで続くのか。
鋼材、原油などの資材高、資源高も08年夏がピークであった。中国経済の減退とともに鋼材などはだぶつきはじめ、原油はマネーの逃避先ではなくなった。資源高を業績に盛り込んでいた素材産業は収益見込みを修正せざるを得ないであろうし、途上国経済への輸出を見込んで莫大な投資を行っているメーカーも業績見直しが必要かもしれない。日本の輸出主要メーカーの業績が今後悪化する方向に向かうならば、株価を含め日本経済の暗雲は更に深まる予感がする。
そんな世界経済の激変の中で、日本の政治家は相変わらず井戸の中の政権争いに終始している。
「NHKを呼びつけた」「番組内容を変更するように圧力をかけた」という報道や発言は全くの誤りである。昨日私が事実誤認を指摘するコメントを発した後も、引き続きそうした報道が行われているのは、誤りというだけでなく悪意に満ちた捏造と言わざるを得ない。衆議院議員 安倍 晋三
安倍氏のブログより
「あなたは普通の政治家ぢゃないんだから」は、田原総一郎氏が安倍氏にカマをかけている時のせりふ。