2002年5月16日木曜日

内閣官房内閣とは大本営か、そして哀しき絶望

天下の外務省がボロボロである。機密費問題に始まり、田中外相との対立、瓢箪から駒のような鈴木宗男疑惑、そして今回の中国瀋陽の日本総領事館亡命事件での不手際である。

現在のところ日本と中国側の主張が大きく異なっていることは報道にて周知の通りである。TVを見ていると、小泉総裁や福田官房長官は「日本の報道よりも外国の報道を信じるのですか」と開き直る。

この論理を聞いて、私は怒りを通り越して絶望を感じた。確かに中国は当初、この問題を国内で全くと言っていいほど報道しなかったらしい。日本が現地検証などをTVカメラ監視のもと実施していても、何が起きているのか理解している市民は少なかったという(私の情報源はTV朝日のニュースステーション:偏向していると言われりゃそれまでだが)。それは報道管制かもしれないし、あるいは、何かを守るために事を大きくしたくなかったと言う配慮だったのかもしれない。守る対象が中国政府かもしれないし、もしかしたら日本政府そのものだったかもしれないのだが、それは分からない。

客観的な事象に基づいて、双方の主張をどこまで信用すべきかを我々が知る手段はないのだ。

しかし、少ない報道情報から両者を比較した場合、どちらにより真実が多く含まれるらしいかということに気づかないほど、我々はばかではない。中国政府発表を全面的に信用しているというわけではないものの、最近の日本政府および内閣官房のやり方を、どうして信用できようか。

現在国会は、経済再生については「底を打った」とし、有事関連法案、個人情報保護法案などの超重要案件を通そうとしているのだ。この2関連法案の提出のされ方からして、政府あるいは内閣官房の言を信じることはできない、思い上がりもはなはだしい!

書いていて、あまりのことに情けなくなってくる。国民には一番重要な事を知らせず、話さず漏さず、政府の言うことだけ信じろという。「民は知るべからず」か、まさに今の内閣官房は戦時(有事)中の大本営そのものなのではないか。

この事件を機に、私は今の内閣をついに全否定しているということにやっと気づかされた。信頼しないということは、支持しないということだ。もう福田官房内閣は支持しません、あ小泉内閣か。

蛇足だが、先日のニュースステーションで、久米宏がビルマ(ミャンマー)のスー・チー書記長に「ちなみに最近の外務省がガタガタなことはご存知ですか」と愚問を発した。スー・チー女史は、笑いを押し殺し、そして少し困ったように(私には見えた)「それは外務省だけではないのでは」と答えたのだったよ、トホホ・・・

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