今回の株価の暴落は、アメリカのテック企業に集まりすぎたマネーが調整されたという見方が強い。起こるべくして起きている。
しばらくは安定しない相場だから、いまはジタバタしない方が良いと考えています。
金価格も史上最高を何度も更新しています。急激な上昇には要注意ですね。
以下はS&P500の過去の推移(対数軸)
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
今回の株価の暴落は、アメリカのテック企業に集まりすぎたマネーが調整されたという見方が強い。起こるべくして起きている。
しばらくは安定しない相場だから、いまはジタバタしない方が良いと考えています。
金価格も史上最高を何度も更新しています。急激な上昇には要注意ですね。
以下はS&P500の過去の推移(対数軸)
AIへ聞きました。
レイ•ダリオ氏は「我々は景気後退以上に深刻な事態に直面している。それは通貨体制の崩壊だ」と警告する。現在の通貨体制は構造的に不均衡であり、歪みは累積的に拡大している。米ドルの信用失墜を起点とし、資本逃避や金融市場の混乱、これまでの体制自体の崩壊の可能性も。pic.twitter.com/53Dje3Oak1
— 朝倉智也(Tomoya Asakura) (@tomoyaasakura) April 20, 2025
オミクロン型のコロナウィルスの感染が世界を覆っています。感染力は強いものの、毒性は「普通の風邪」程度といいますか「風邪の症状」しかないそうで、それぢゃあ別に心配することはないのではないの?とか素人的には考えています。(英研究、オミクロンは「風邪の症状」 全体の感染最多に:日経新聞 )
それでも、オミクロンのために追加ワクチンを推奨するのだとすると、その意図は一体どこにあるのかと、要らないことを勘繰りたくなってしまいます。
以下のツイ主をフォローしているわけではありません。たまたま流れてきたツイートです。
例えですけれど、今は症状がなくても、将来的に癌の発症が懸念される、予防ワクチンありますと言われれば、打っておこうかとなりますし、心配し始めるとキリはないです。保険というかお守りというか、宗教ですかね。
日本でもオミクロン株の4人目の感染者がみつかり、3度目のブースターショット計画も報道される中、Bloomberg日本版を見ていましたら、コロナ禍にあって超富裕層の資産が過去最大に達したとの報道がありました。
フランスの経済学者トマ・ピケティ氏が設立した「世界不平等研究所(World Inequality Lab)」というのがあり、同研究所の12月7日の発表によります。これによると、「超富裕層の2750人前後が世界の富の3.5%を支配」しており、彼らが「コロナ危機の間に増やした富は3兆6000億ユーロ(約460兆円)」であるそうです。3.5%という超富裕層の資産保有比率は、昨年初めの2%強から一段と上昇したとのこと。
オーディオメーカーのONKYOが、債務超過を解消できずに、主力のAV部門をシャープに譲渡するとのニュースです。(正式発表はこちら)
#ONKYO も身売りか。
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) April 30, 2021
長いお付き合いしてますけど、時代の流れには勝てないということなのか、それとも。 https://t.co/cMtK507cEx
日本銀行の黒田総裁は16日、上場投資信託(ETF)買い入れについて「やめたり、出口を考える状況にはない」との見解を示しました。株価がいきすぎがとうかは「後になってみないと分からない」とのこと。EFT買いは大規模緩和の一環であり、特定の株価を目指しているわけではないとしました。
友人との会話で、赤字企業はつぶすべき論。
経済学部出身者なので、こういう意見になるのだろう。
赤字企業が生き残る意味はない。国民の税金で彼らの雇用を守る意味はない。
解雇者の雇用を企業が考える必要はない。
マネジメントのコアの部分で再就職はできる。
年収は同じにはならないが、雇用は吸収できる。
赤字企業をつぶして、成長産業を育てれは、そこで雇用が生まれる。
企業の淘汰は、徹底して市場主義、マーケットにゆだねるべき。決めるのはマーケット、政府ではない。
企業のコングロマリットもおかしい。黒字部門が赤字部門を補填するのはやめるべき。収益の低い業種は潰していい。
例えば日航をどうして存続させるのか。なくなっても誰とも困らない。マーケットが決める。
そこで失業率が10%でも越えれば、そのときは政治が考える。労働市場の流動化はある。
大学卒業して、その一点でその後の人生が決まってしまう、大企業に入ったものが守られて終身雇用と言う制度は変える必要がある。おかしい。大学時代の運のみ。
衰退する、儲けのでない企業を、つぶすところから始めないと。
通貨危機以前の韓国と今の韓国。通貨危機で韓国は企業を潰した。残った企業が強くなった。成長した。
今まで、氏の「予言」が的中しているか否かについては自ら検証してはいない。本書に書かれていることも10年先の未来のことではなく、まさに今年の事であるから、とりあえずメモしておこう。本書の要約はこうである。
副島本に共通する話題であるから、新規性は乏しいか。この話を信じるか否かについては賛否があろう。サブプライム問題を思い出しても、日本は当初は軽く見ていたらダメージは深かった。グリーンスパンが「100年に一度の危機」と称したが、思ったよりも早く経済は(日本を除いて)回復基調だ。マスコミは何を伝え、何を伝えない(知らない)のか、素人が経済新聞を読んでいるくらいでは、実際のところはよく分からない。
混迷は深まるばかりで、このような不安を政治的に払拭しようとする動きは全くに見えない。将来的に不安しかない状況が今の日本の現状であり限界なのであろうか。
しかし、よく考えると経済というか日本が、バブル時期の20年前と何も変わっていないこと、あるいは、新自由主義が崩壊した世界においても、相変わらずの対米追従であり、自国の論理を構築できないままの未熟国であることが露呈されたたに過ぎないのかもしれません。ドルの崩落の危険性について下村氏も指摘していますが、今でも同じ論調の本はあちこちに山積です。
下村氏は全8章で同じ理論を繰り返しています。下村氏は、とにかく「アメリカの言いがかりと詭弁」に怒っています。高名な経済学者でありながら語り口も平易ですから、読み物としてもあっという間に読めますし、イロイロな意味で深い感銘を受けます。
骨子はこうです。アメリカ国見一丸となって借金をしてまでの消費狂いのせいで双子の赤字が生じている、それを他国(=日本)のせいにして日本国内消費を増やせだの、輸出を減らせだの文句を言うことはオカシイ。キサマラこそ借金を止めて消費を縮小せよ。日本は輸出が減るから生産は減るけど、他国の消費に頼ってバブルを謳歌していることこそ間違い。生産を縮小して身の丈にあった経済に戻りなさい、というもの。
下村氏は、多国籍企業やグローバル経済にも異を唱えているようです。自由貿易やグローバル企業は進出先の産業を弱体化させ食い物にするというような植民地時代の考え方が今でも生きていると主張します。競争力の弱い自国の産業は保護が必要であると。
20年経った今でも、アメリカの消費はいよいよもって狂気の域に達し破裂しました。今回の経済不調の原因が市場主義にあったわけでもない。確かにサブプライム・ローンとかCDSなどの金融派生商品を生み出した金融業者と、それに信用を付与し続けた格付機関には大きな責任があります。そして、そんなワケの分からない商品を買いまくった銀行とか保険会社にも責任の一端はあります。
サブプライムで痛い思いをした日本経済は、「新自由主義」とか「市場主義」の悪弊を言い募り「資本主義」のパラダイムが変換しつつあると主張し、「縮小均衡」や「保護主義」に向かうべきという主張が目に付きます。20年前の下村氏も同じことを主張します。アメリカが本気で経済を立て直す(赤字を解消する)気なら、GNP縮小を覚悟の上で「歳出削減」と「増税」しか道はない、日本も多少の痛みを覚悟の上で(数年前のレベルに戻るだけのことと氏は言う)縮小均衡に向かえと。
自国を見直し、大切なものは育てるという認識は正しいと思います。ただし、ここまでグローバル化した世界において、グローバル化そのものの流れを止めることはもはやできません。保護主義(バイアメリカン条項などもそうでしょうか)も一時的には効果があるかもしれませんが長期的戦略ではない。そんなことをしていたら、更に経済は硬直化し新陳代謝をすることなく縮小してしまう。経済が一時的にオカシクなったものですから、「内向き」こそが是、「節約こそが是」という風潮も、ゆり戻しの範囲であれば受け入れるべき点はありましょう。
怒りまくっている氏の最後の結びは以下のような文言です。
(現在の異常な経済運営を改めるなかで)ただし、その際、忘れてならない基本的問題は、日本の一億二千万人の生活をどうするか、よりよい就業の機会を与えるにはどうすべきか、という点なのである。
これは自由貿易よりも完全雇用、経済活動はその国の国民が生きていくためにある、という氏の一貫した理念は明確で力を与えてくれます。
サブプライム問題以降、新自由主義やら資本主義の転換、アメリカの凋落などが話題になっており、書店に行くとその手の本がいつも山積です。本書は、そのタイトルと読みやすさから、かなり売れているようです。
神谷氏は、外資系投資銀行で長く働き、今でもアメリカの金融ビジネスに身を置いている方。そういう人が描くアメリカの金融界はまるでB級映画を観るかのようで、とどまるところを知らない「強欲」に支配された様は、ほとんど「狂っている」としか思えません。
ウォール街の「強欲度の水準」は、われわれ日本人が日本人社会の中で考える「強欲」の感覚より、三乗か四乗のレベル
神の前では明確な「盗み」であってもまったく気にない人間が著しく増えてしまった(P.20)
これを査証するかのような「実例」が本書では列記されており、神谷氏は深い嘆きをもって語っています。その点はこのくらいにしておきましょう。彼の主眼は「資本主義の転換」ということにあるようです。
サブプライム以降のアメリカ発バブル崩壊について、神谷氏は「一つの資本主義」の終焉の到来を意味
しており、人々の価値観の大きな転換期(P.24)
ととらえ、パラダイムシフトの後に、いわゆる「縮小均衡」の世界がくるとしています。
そもそも資本主義というのは拡大、発展することをテーゼとしていたわけです。その資本主義の考え方について神谷氏は「何のための『成長』なのか」、「何をもって『成長』と考えるのか」といった基本的な議論(P.170)
が必要なのだと主張します。
すなわち、アメリカは、借金による過剰な消費生活を見直し、身の丈にあった生活に戻る(P.165)
ことしか回復の道はなく、日本においても、国内市場だけで商売するならばという前提付きで、毎年0.6%ずつ人口が減少する社会での縮小均衡点を見出してゆくことが経営のテーマである(P.186-187)
更に、池田内閣の参謀として所得倍増計画を設計した経済学者として知られる下村治博士が1987年に唱えた「ゼロ成長論」の卓越を賞賛し(P.174)、
「万民のためになる資本主義」というものが提案されてくる可能性(P.196)
資本主義そのものが、これまでとは異なる価値観で再建される必要がある(P.205)
と結んでいます。
神谷氏は日経ビジネスオンラインで2006年から「日米企業往来」というコラムを連載しており、それを読むとサブプライム以前から、アメリカ主導の新自由主義に疑問を唱えていることがわかります。投資とか金融は実業たる産業や経済=生活そのものをサポートするのが仕事であり、マネーゲームが主になることは間違っていると一貫して主張しています。
神谷氏の主張は「縮小均衡」であり、これは下村博士が主張した「世界同時不況を覚悟して縮小均衡から再出発」することにほぼ同調したものです。下村氏の「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」は文藝春秋社より文庫版で再2009年1月に再販されています。いずれ、こちらについても触れておきましょう。
やはり考えるべきは、ポストアメリカの世界観なのでしょうか。膨大な人口を抱える中国やインドの貧困層や格差の是正が真に動き出したとしたら。その場合にこそ、新たな勢力やビジネスモデルが台頭するのかもしれません。例えばバングラディッシュのグラミン銀行とか、インドの20ドルパソコンとかにその片鱗を感じます。世界の勢力地図が本当にガラリと一変する日も遠くないのかもしれません。
金融預言者を自認する副島氏の著作を読んでみました。彼の金融に関する予言が当たっているか否かについては、私は論評しませんけど、言っていることは、非常に分かりやすく単純で面白く読みました(すぐに読めるし)。多くの読者をつかむのも分かります。刺激的な程、読者層にウケますから。
主旨を単純化すると、「ドル覇権の崩壊」と「連鎖する大暴落」は今後も数ヶ月に一度ずつ起きてゆく。アメリカ発の大恐慌突入の前に、預金封鎖が行われる。多くの法律が急速にバタバタと改正され、緊急の金融統制体制に入る。これからは銀行が一番危ない時代、信用できない。だから、そうならないうちに、しっかり自分の資産を実物(金や不動産や食料)に今のうちに移し変えておきなさい、悪いことは言わない、私のことを信じなさい、みたいな事が繰り返し述べられています。
で、最近の近著が「副島隆彦の今こそ金を買う」です(未読)。投資や個人資産の保護に関しては、それぞれの経済状況の中で自分に最適なリスク・ヘッジを考える必要があるため、ひとつの見方として参考にはしますが、だからといって、すぐに金相場に手を出そうとは、私の場合考えないでしょうね、そんなに現金資産もないし。
副島氏の姿勢で明確なのは、攻撃的なまでの米国批判。特にアメリカの手先となって動いたと彼が見なす竹中元金融相や、10年前からアメリカが日本に強制して作った金融庁に対する批判は強烈です。現代のゲシュタポ
、ゲハイム・シュタートポリッツァイ(Geheime Staatspolizei ドイツナチス政権時の国家秘密警察
、現代の特高警察
、政治警察(思想警察)
、実質的な弾圧機関
などなど、かなり手厳しい。竹中路線の批判などは、多くのブログなどで話題にされていますから、私は本書の覚書程度にとどめておきます。金融庁は「怖いトコロ」なのだということで。
ただ、あまりにもアメリカの顔色ばかり伺う日本政治と、アメリカの風邪が肺炎になるくらいにダメージを受ける日本経済に、憤りを覚える人は確実に増えていると思います。そういう背景が、副島氏を支持する人が増える一因なのだろうと思いました。
副島氏は世界の金融界がロックフェラーやロスチャイルドによって支配されていることにも軽く言及しています。金融界はデイヴィッド・ロックフェラーと、甥のジェイ・ロックフェラーの骨肉の戦いである。デイヴィッドはシティ・バンクの実質のオーナー、ジェイはゴールドマン・サックスのオーナー。この骨肉の争いは今やはっきりとジェイ・ロックフェラーに軍配が上がりつつある(P.172)
らしい。ちなみに三井住友銀行の実質筆頭株主はジェイ。三菱東京UFJ銀行は、三菱=ロックフェラーの130年に及ぶ運命と宿命として(P.162)
、シティ救済を断れないのだと。
ふーん、と思いながら、こういうテの本は気楽にウィスキーでも舐めながら読むのが正しいか。この手の裏話にも、とんと疎いですから。
昨年8月のサブプライム問題の深刻化。2008年当初は問題は深刻化、長期化しないだろうとの楽観的予測がまだあったし、デカップリング論に対する期待もあった。8月の北京オリンピック後の中国経済に対する不安はあったものの、エコノミストは今日これほどまでに経済が深刻化、破綻するとは考えてもいなかった。
そもそもバブル崩壊後の日本経済の復調は、中国、インド、ロシアなどの需要が高まった外需効果が高い。リストラ、不良債権処理などにより企業体力がついたという面もあるが、基本的には途上国特需である。
今回のサブプライム問題から端を発した経済破綻は、アメリカ主導の高度化した金融技術によるレバレッジ経済の破綻との論調が目に付く。ファニーメイとフレディマック、ベア・スタンダーズ、リーマン・ブラザーズなどの破綻、AIGをはじめとする生保の再編など、1年前の金融界とはガラリと風景が変わりつつある。その波は欧米にも波及しており、ユーロ安などにつながっている。その中で比較的傷の浅い日本の円が高くなっているというのは、消極的選択の結果でしかない。
改正金融安定化法案が可決されても不安と不満は去らない。米ダウ平均は1万円を割り、日経平均も1万500円を割り込み、さらに底が見えないという状況である。企業業績や体力は悪くないから必要以上に株価が下落しすぎた、PERが低すぎるとの論調もある。
しかし輸出主導で回復した日本経済が、この先株価下落による含み益を減じられ、更には円高に振れた中で業績を維持できるかは疑問が残る。金融不安とリセッションが負のスパイラルに入っている印象があり、出口が見えない。
これほど急激な経済変調は最近では見たことがなく、スピードと規模の大きさに驚くばかりというのが正直なところ。資産はリスク商品を避け、資金が回りにくくなる状況がどこまで続くのか。
鋼材、原油などの資材高、資源高も08年夏がピークであった。中国経済の減退とともに鋼材などはだぶつきはじめ、原油はマネーの逃避先ではなくなった。資源高を業績に盛り込んでいた素材産業は収益見込みを修正せざるを得ないであろうし、途上国経済への輸出を見込んで莫大な投資を行っているメーカーも業績見直しが必要かもしれない。日本の輸出主要メーカーの業績が今後悪化する方向に向かうならば、株価を含め日本経済の暗雲は更に深まる予感がする。
そんな世界経済の激変の中で、日本の政治家は相変わらず井戸の中の政権争いに終始している。
これからオープンするザ・リッツ・カールトン東京(東京ミッドタウン)やザ・ペニンシュラ東京(日比谷)、または既にオープンしたマンダリン・オリエンタル東京(日本橋)などなど、一昔前ならば余程海外旅行通でもなければ名前さえ知らなかった外資系ホテル、このホテル攻勢は一体何なのかと、気になる人は気になることと思います。
桐山氏は東京のホテルを(1)スモール・ラグジュアリーホテル (2)グランドホテル (3)老舗ホテル の三つにカテゴライズし、これから外資を巻き込んだ新たな「ホテル戦争」が始まるのだと主張します。著者自らホテル好きで(仕事の取材でなのか、プライベートかは分かりませんが)いくつもの海外のホテルを泊まり歩いた(らしい経験に基づく)評価は興味深いものです。
しかし、内容的にはかなり食い足りない。眼の肥えた顧客のホテル紀行文的な領域を超えず、ホテル経営という観点からの詰めは少ない。読みやすいけれど内容が薄いというのは、最近の「売れ筋」新書の特徴そのままです。ホテルの財産が建物のハードにはなく「サービス」というソフトと、それを支える人であるという指摘にも何の目新しさも新しい発見もありません。石ノ森章太郎の「ホテル」を思い出すまでもなく昔から変わらないことです。
私が知りたかったのは、それぞれのホテルの生き残り戦略。すなわち対象とするセグメント(客層)、それに対する収益の見通しなどだったのですが、この点の分析はほとんど皆無。ホテル経営的な分析を考えても、桐山氏の指摘する三つのカテゴリーはほとんど分類の体をなしていません。
もともと東京のホテル客室数は3万5000室ほど、これが一気に4万室まで増えるのだそうです。しかも、宿泊料金は最低でも5~6万円以上の高級ホテルなんです。誰が泊まるのか、こんなに出来て大丈夫なのかとは、業界関係者でなくても知りたいところです。
例えば日本銀行や三越に隣接してオープンしたマンダリン・オリエンタル東京に関する記述。
そのターゲットは日銀、兜町といった東京の中枢部の金融を訪れる、アジアや欧米の金融関係者と外国人投資家たちである。そして、日本橋の超高層ビルの最上階で、高級スパやエステを楽しんだ後、日本橋三越本店やコレド日本橋でショッピングを楽しむ「日本人女性客」をもう1つのターゲットとしている。(「第1章 外資ホテルの持つ「武器」と「戦略」について」P.38)
ちょっと画一的な解釈に感じます。(投資家がわざわざ日本に来て投資行為をするものなのか?) むしろ日本の上場していない企業オーナーや病院経営者(いわゆる日本の富裕層)を加えた方が良いのでしょうか。マンダリンの条件は、他でオープンする高級ホテルでもすげ替えが可能です。「日本橋三越」を「銀座や六本木、六本木の高級ブランド店に、「金融関係者」を「IT企業家」「海外賓客」などと入れ替えればどこのホテルでも通じるコンセプト。
おそらくは、こういう客を満足させる五つ星級の超高級ホテルが東京には今まで存在しなかったということ、更にそのようなホテルに宿泊する層が増加したことが一因なのでしょう。まさに今、開拓すべき新マーケットだったということか。
であるならば宿泊金額 数万円以上出すことを躊躇しないセグメントが、どこに、どの程度居て、彼ら彼女らがどのくらいの頻度でこれらのホテルを利用すると予想し、客単価として幾ら期待するのか。現在のホテル投資が将来の変化を見据えた「適切な投資」であるのか否かについて、もっと深く語って欲しかった。(>新書に期待する方が間違っています!)
それにしても、です。このような超高級ホテルが乱立する世界というのは、以前には想像できませんでした。そういうものが成立するマーケットが育っていなかった。やはりパンドラの箱がここでも開いてしまい、ホテル業界も極めて鮮烈な二極化傾向にあることを示していると考えるのは簡単。二極のどちら側にも入れないホテルや旅館、自らのポジショニングを定め切れないホテルは、本当に消え去るしかないのでしょうか。
しかし、そういう苦労をして購入してみたものの、一体これは何なのかと。どうしてこんなに売れたのだろうと考えてしまいました。
最近の新書はネーミングの良い本が良く売れる傾向にあるようです。「バカの壁」や「上司は思いつきものを言う」などその好例でしょうか。ベストセラーになる以前に本書を手に取った人は「さおだけやの謎に深く迫る話題作」を期待したかもしれません。しかし、新聞や雑誌などで話題になっていることを知った人は、本書が「さおだけや」のハナシではなく「会計学」の入門書であることを、かなり知っています。
ということは、世の中には「会計学」について学びたいのだけど、難しそうでよく分からないとか、類書に当たったけれども挫折したてしまったという人が多くいて、そういう潜在的な会計学欲求層をうまく刺激したということなのでしょうか。それとも、ベストセラーの相乗効果としてのベストセラーなのでしょうか。
本書が会計学の入門書として良書であるかはさておき、著者が言っているのは、難しい話ではなく「数字やお金のセンスを磨こう」ということに尽きています。昨今の日本は、一般の人たちも「経済」というものの動きを身近に捉え始め、さらに自己責任の範囲でなくては資産形成ができない社会であると思うようになりました。そういう中にあって、おカネに無頓着でいると取り残されるてしまうという焦燥感が、本書を読む人の底のどこかに潜んでいるのかも知れません。所詮私もサラリーマン、お金は「振り込まれる」もので、税金は「知らないうちに引かれている」ものでしかありませんから、これぢゃあね・・・。
ライブドア堀江氏の逮捕についてマスコミや識者が色々書き始めています。1月25日の読売新聞では「国家の品格」の著者である藤原正彦氏が、今回の事件を生み出した現在の日本の姿について持論を展開されております。
市場原理主義が経済学の中でどどまっていれば、まだいい。(中略)ところが市場原理主義は、人間の価値基準、行動基準まで書き換える。それが恐ろしい。
市場原理主義の広がりによって、日本は世界でも特異な国柄を捨てつつある。成果主義に追いまくられ、雇用が安定せず、人間を幸福にしない社会にしている。
市場原理主義によって情緒という日本人の行動基準、特に弱者に配慮する"惻隠の情"が根こそぎやられた。
実はまだ「国家の品格」は読んでいないのですが、この言説によって凡その主旨は掴めました。藤原氏が「市場原理主義」をどのようなスコープで使っているのか不明なのですが、一企業に身を置く立場からは、感情的に理解する点はあるものの、「市場原理主義」が全ての弊害ではあるまいにと考えます。
この問題は、資本主義に換わる大きなパラダイムシフトや「幸福論」を示唆しますので簡単な問題ではありません。藤原氏の提唱するのは、グローバリズムや自由を制限的に考え「武士道」精神の復活ですが、それが日本「国家」の品格につながるのか。現代の日本を憂慮する気持ちは伝わってきますので、全否定しているわけではありません。ただ傾聴すべき点は多いものの、議論がストレートすぎるなと。
さて、議論を縮小して「多様さ」を前提に考えを展開しようとしたとき、今の日本には「幸福感の多様さ」を受け入れる土台が出来ていないように思えます。「多様さ」を受け入れることは、「選択」と「選別」も避ることができず、「多様さ」の結果として「結果の不平等」を是認する以上、システムとしては「機会の平等」の整備も必要となります。そういう点からは政府の役割や企業、NPOなど組織の存在価値について、もっと議論されても良いと思います。
「国家の品格」という本は、おそらく買わないだろうなと。大新聞のコラムで大きな問題を簡単に結論づけてしまうような態度に藤原氏の「思い」先行の危険性を感じますし、最近の新書のレベルと品格は、著者の品格や主張とは無関係に、一昔前に比べて随分と低下していると思いますので(>ムカシに比べて、値段の割に文字数が少なくて内容が薄い・・・気がする)。
フリードマン(経済学者、市場原理主義の教祖的存在、1976年ノーベル経済学賞受賞)的な自由主義とは、万人の自由というよりは、投資家や企業経営者たちの自由、つまり平たく言えば金持ちがさらなる金儲けに狂奔する自由を説くものにほかならない (P.204 5.キョーソーという名の民族宗教)
ロナルド・ドーア(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)特別研究員)は『日本型資本主義と市場主義の衝突 日独対アングロサクソン』のなかで、こんにちの「自由化」と言われているものは実は「英米化」にほかならず、それが求めているのは貧富の差を拡大すること、無慈悲な競争を強いること、社会の連帯意識を支えている強調のパターンを破壊することであり、その先に約束されているのは生活の質の劣化である、と述べている。(P.220)
政治体制とは、単なる政治上の問題ではない。どのような政体を選ぶかは、どのような生き方を選ぶかにつながるのである。(P.168 第二章 共和制ローマ 「ローマは一日にしてならず(上)」文庫版)
改革とは、かくも怖ろしいものなのである。失敗すれば、その民族の命取りになるのは当然だが、成功しても、その民族の性格を決し、それによってその民族の将来まで方向づけてしまうからである。軽率に考えてよいたぐいのものではない。(P.172 第二章 共和制ローマ 同上)
「週刊!木村剛」でも紹介されていますが、ゴールデンウィーク中にオンエアされた私(木村剛)とホリエモンのラジオ対談
がポッドキャストとして提供されています。あれだけ政治に興味がないようなことを放言していながら広島6区から立候補するというのはムジュンではないかと普通の感覚の人間なら思います。しかし、おそらく彼は「普通の」人間ではないので彼なりの損得勘定をしたのでしょう、そこには個人的な興味はありません。
それでも彼がネットラジオで語っていた内容は(都市若年層住民をターゲットとしたものであったとしても)、明確なメッセージを持ってはいます。曰く、
話が直接的で単純な点が受ける理由でしょうか。論理的な裏付けや深みには追求すべき点もあると思いますが、なんたって「ブログのラジオ版」での発言ですから良しとしましょう。
今回の選挙は「都市住民」(改革派)と「農村型住民」(守旧派)の闘いであると論ずる人も居ますが、
都市住民の最先端のホリエモンが広島6区で出馬したことはビミョーです。それらをさておいても、政治家をとりあえず目指し始めた彼は、結局何を成しえないこととするのでしょう。
社長業もタレント業も国会議員も、8時間睡眠してなお三股かけられるほどに余裕のある職業であることは、よく分かりました・・・ というか、この選挙はどういう意味を持つことになるのでしょう・・・時代の変わり目にさしかかってきているような気持ちだけはありますが、その先が多くの人にとって薔薇色かといえば、そうは感じませんが。