ジョバンニ・アントニーニによる「HAYDN 2032」、ハイドン生誕300周年の2032年までに全交響曲を実演・録音するというプロジェクトの10作目。
今回のリリースは、1786年、ハイドン初期の第6番「朝」、第7番「昼」、第8番「晩」の三部作に加えて、モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」が納められています。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
ジョバンニ・アントニーニによる「HAYDN 2032」、ハイドン生誕300周年の2032年までに全交響曲を実演・録音するというプロジェクトの10作目。
今回のリリースは、1786年、ハイドン初期の第6番「朝」、第7番「昼」、第8番「晩」の三部作に加えて、モーツァルトのセレナード第6番「セレナータ・ノットゥルナ」が納められています。
イル・ジャルディーノ・アルモニコを主宰するジョヴァンニ・アントニーニが、この団体とバーゼル室内管弦楽団を指揮して進めているハイドンの交響曲録音シリーズの第9弾。今回の演奏はイル・ジャルディーノ・アルモニコのようです。
このシリーズはハイドン生誕300周年となる2032年までに交響曲を全107曲録音するという壮大なプロジェクトで2014年から始まっています。まだ半分に達していない!パンジャマン・アラールのバッハ鍵盤作品全録音プロジェクトといい、こちらといい、気の遠くなるような旅が続いています。
クリスティアン・ベザイデンホウトのフォルテピアノをいくつか聴いてみました。
#クリスティアン・ベザイデンホウト のフォルテピアノで、ハイドン。これは良い、とても! https://t.co/yo3xiDvDbd
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) March 7, 2019
#クリスティアン・ベザイデンホウト のモーツァルト。いやー、素晴らしいや、愛聴盤になるね。 #ポゴレリチ シバリかけて聴いてたけど、ブラームスでヘコタレた、もういいや、みたいな😅 https://t.co/jin2Qovzp6
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) March 8, 2019
#クリスティアン・ベザイデンホウト の鍵盤を聴くつもりが #マーク・パドモア の歌が素晴らし過ぎて完全にノックアウト状態。歌曲に親しんでいないので、歌詞は全然わからないのだけど。 https://t.co/SUbeNBNmou
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) March 13, 2019
パーク・パドモアの歌もとても素晴らしいものです。
#NAXOS だとライナーが閲覧できるのだな。 pic.twitter.com/pCa5a29ule
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) March 13, 2019
ハイドンの作品の中でも異色な存在であるこの「受難」を、古楽系の中で最も異色な指揮者であるトマス・ファイが指揮しました。弦はモダン楽器でノン・ヴィブラート、管はナチュラル・ホルンとモダン・オーボエを採用。師アーノンクールゆずりの過激なアクセントが印象的な録音です。(satt)というのが推薦文。ファイが古楽系で最も異色ですって? モダン楽器でハイドンといえば、アダム・フィッシャーもそうだったかしらなどと、拙い知識をゴソゴソしても何も出てこない。
impression of two little girls playing the gardenといった言葉そのままの世界。
syuzoさんがハイドンのピアノ三重奏曲が良いというものだから、NMLをガサガサ*1)やってGryphon Trioによるアルバムを聴いてみる。
Gryphon Trio*2)はトロントを拠点としたカナダのトリオ。ハイドンばかりではなく、ベートーベン、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク、モーツァルトそしてカナダの作曲家の音楽も録音している。
演奏は鋭角的なバロックではない、Prestoもひたすらに柔らかいので安心してハイドンの明るさを満喫することができる。練習曲みたいなもの
ですって? とんでもない! 確かに一聴して平易なようですが、この楽しさときたら!まさに春ってカンジかなァ。有名な25番の第2楽章Poco Adagioの優雅さときたら*3)。
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syuzoさんがハイドンに嵌っているようです(ハイドン2007/03/11)。このごろ頻繁にチェックする古楽系ブログでもハイドンの話題は尽きない。今日はWhittardのアール・グレイを淹れ、SEEDS ON WHITESNOWのエントリ(トーマス・ファイとその仲間たち-ハイドンとベートーヴェンの録音を通じて-2004/6/20)*1)などを読みながら、NMLでトマス・ファイとハイデルベルグ交響楽団の演奏を聴いてる。
SEEDSNOWさんも指摘している例えば第39番 ト短調。冒頭のフレーズが一瞬ではあるがモーツァルトの弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516を思い出させる。ハイドンのそれはモーツァルトの短調ほど内的には陥らず、随所にハイドン的明るさが解放される。
ファイの演奏はキビキビとして推進力があり、それでいて美しい*2)。一度聴きだしたら止まらない。こういう演奏をNMLで聴ける幸せと、「所有していない」ということの不満とストレス。
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定評のある鈴木秀美氏が率いるOLC(オーケストラ・リベラ・クラシカ)の第三弾の録音です。プログラムはオール・ハイドンで交響曲がふたつとチェロ協奏曲が納められています。この演奏も評判に違わずに素晴らしい演奏で、思い出したように何度も繰り返し聴いています。
定評のある鈴木秀美氏が率いるOLC(オーケストラ・リベラ・クラシカ)の第三弾の録音です。プログラムはオール・ハイドンで交響曲がふたつとチェロ協奏曲が納められています。この演奏も評判に違わずに素晴らしい演奏で、思い出したように何度も繰り返し聴いています。
ハイドンという作曲家は沢山の曲を残している割には曲の知名度は低いようで、かく書く私もハイドンに親しんでいるわけではありません。以前にアダム・フィッシャー指揮によるオーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団のCDを聴き、ハイドンも捨てがたく、いやいや聴きようによってはモーツアルトよりも余程よいかもしれないなどと思ったものですが、それ以来は再びご無沙汰でした。
��LCの奏でるハイドンを聴いてみましたところ、何と生き生きとしていることかとびっくりしてしまいました。生命力と躍動感に溢れ、CDから音楽の粋が飛び出してくるかのような演奏です。古楽器と小編成のオケによる音は恐ろしいほど統制が取れていて、それでいて繊細さや華やかさをふんだんに振りまいてくれます。
交響曲第15番も楽しめる曲ですが圧巻はやはりチェロ協奏曲でしょうか。鈴木氏のチェロの迫力ときたら、これが古楽の演奏かと思うほどにスリリングかつエキサイティングです。そして、どの音の断片にも音楽の喜びが溢れているかのような演奏です。枯れていていながら肉感的であり、繊細でありながら図太く、優雅でありがなら力強い、こんな感覚をハイドンから得られるとは思いもしませんでした。第一楽章後半のチェロのカデンツァなど鳥肌ものです。
アダム・フィッシャーの演奏もそうでしたが、ハイドンの曲には(モーツアルトとは異なる)疾走感が伴っているように思えます。鈴木氏の演奏もアダージョとアレグロでの緩急や表情の対比が見事で、それゆえに優雅なところはあくまでも典雅で、疾走するところは限りない運動性能を感じさせてくれます。つまり全くダルではなく、高揚したハイテンションな感情が維持されます。
ふと考えるとこれが古典派の音楽なのだろうかと、無知無学な私などは思わずにいられませんが、私的にはこういう演奏は全然OKではあります。
交響曲第44番は短調の曲で「悲しみ」という副題がついていますが、第一楽章の引き裂くような弦の強い響きから始まる曲もキビキビと極めてキレのよい演奏に仕上がっています。やるせない冒頭のテーマが第一楽章は繰り返されますが、一度聴いたら頭から当分離れません。
『クラシック・ジャーナル002』(アルファベータ)で石原俊氏は、
第三楽章は長調で書かれているにもかかわらず、サウンドが《悲しみ》の方向に引っ張られるのだが、鈴木はそのあたりに透明感を持たせている。終楽章は透明な悲しみに向けてオケ全体が疾走してゆく。
と書いていますが、成る程音楽評論家というのは的確な表現をするものです。
悲劇的なテーマではあっても、ベタベタしたロマン派的感情ではなくドライな表現になっています。キレが良くてドライとくればアサヒビールになってしまうのですが、キレだけでどこか物足りなさや欠乏感を感じることはついぞ無く、聴き終わってみればまたしても楔のような深い感動を覚えているのでした。