2005年3月29日火曜日

ビーバー:描写的なヴァイオリン・ソナタ イ長調

先に寺神戸さんのヴァイオリンによるビーバーの曲を紹介しましたが、この盤の最後に納められている「描写的なヴァイオリン・ソナタ イ長調」という曲も秀逸です。このソナタは、様々な動物の鳴き声を描写した曲で、「ナイチンゲール(Nachtigal)」「かっこう(Cu Cu)」「蛙(Fresch)」「雌鶏(Die Henn)」「雄鶏(Der Hann)」「うずら(Die Wachtel)」「猫(Die Katz)」それになぜか「小銃兵の戦い(Musquetir Mars)」が加わり、アルマンド(Allemande)で終わる11分半ほどの短く明るい曲です。




この曲について寺神戸さんは、以下のように述べています。


��シュメルツァーやヴァルターなどの)流れの中で一番"動物園的"な曲がこのビーバーのソナタで、最も写実的な1曲です。面白いのは、そうした描写的な曲とその間にはさまれる「純音楽的」な曲との落差で、それがあまりにも激しいことです。まるで現代曲のようなそのコントラストは、やはりとてもバロック的だと思います。


寺神戸さんは作品としては凄く素晴らしいとは思えないと言っていますが、非常に純度の高い音楽になっていると思います。彼の宗教曲が一方で宗教的な面を追及すればするほどに、音楽的に純度が高まり別の次元に到達しているように感ずるのですが、この曲も極めて描写的でありながらも、それとは対極の境地を獲得しつつあるように思えます。


さらに、これら9種類の描写をヴァイオリン1本で表現しつくしている点も凄いものです。技巧的な奏法を駆使し多様な音色の使い分けての表現は、まさにヴァイオリンの持つ可能性を、軽やかに遊びながら追求しているようでさえあり、当時のヴァイオリンの名手ビーバーならではといったところです。


この「遊びながら」と思えるところが、いかにも洒脱であり、一方でビーバーの諧謔さえ感じるというのは書きすぎでしょうかね。ビーバーなど、この1枚しか聴いたことないですから。

[補足]

"ビーバー 描写的"で検索かけたらclassicaの「無人島の一枚」のページに漂着。寺神戸さんの盤ではないものの、ビーバーを選ぶ人が居るんだなと感心したら、何とその下にk-tanakaさん!!のオススメの1枚が(ハイドン:弦楽四重奏曲 作品76の1-3)恐るべしclassica、つーか、k-tanakaさんつーか・・・デジタルつーかー、つーか・・・>もうないって

おやぢの部屋Ⅱ@JURASSIC PAGE

歴史的勝利を上げたり、記録的な大敗を喫したりと、物凄い乱気流にもまれながらも、話題を振りまいている「楽天」ですが、それとは対照的に長い間コンスタントにサイトを運営されているJURASSIC PAGEの「おやぢの部屋」がブログ化されていることに、ついさきほど気付きました。ブログ版と非ブログ版の両方を用意するという丁寧さと周到さです。


私はこの頃、ブログ以外のサイト更新が非常に面倒になってきましたので、このような運営方針を取られていることには敬意を表します。

2005年3月21日月曜日

寺神戸亮/ビーバー:ヴァイオリン・ソナタ集

随分前になりますが、Syuzo's Weblogでビーバーにつてのエントリーがありました。その時は別段気にも留めていなかったのですが、DENON CREST1000シリーズに寺神戸亮さんのビーバー集を見つけたので、そういえばと思い出し聴いてみたところ、これが抜群に良くて、まさに宝物を見つけたかのような気になりました。



ビーバー:ヴァイオリン・ソナタ集
  1. ソナタ 第5番 ホ短調
  2. ソナタ 第6番 ハ短調
  3. ソナタ 第8番 イ長調
  4. ロザリオのソナタよりバッサカリア ト短調
  5. ロザリオのソナタよりソナタ 第6番 ハ短調「嘆き」
  6. 描写的なヴァイオリン・ソナタ イ長調

  • 寺神戸 亮(バロック・ヴァイオリン)、シーベ・ヘンストラ(チェンバロ、オルガン)、上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
  • 1994年8月11、12、15~17日 DENON CREST1000 COCO-70742


寺神戸さんについては今更言及するまでもありませんが、この演奏はコレッリのヴァイオリン曲集の姉妹編に当たるのだそうです。


ビーバー(1644-1704)は解説によると17世紀屈指のヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ・作曲家とされております。バッハよりも半世紀も前に、ヴァイオン・ソナタにおいて、こんなにも豊穣な世界があったということに驚かされます。技巧の域はきわめて高く、宗教的な色彩を帯びながらも、そこに拘泥しすぎずに音楽的な自由さまでも獲得しているように思えます。


最初に納められているソナタ 第5番 ホ短調を聴くだけで、ビーバーの哀愁を帯びながらも、敬虔で華やか内面世界の表出に聴き惚れてしまいます。主題の変奏が次第に高まっていくさまはスリリングでさえあります。


ソナタも良いですが、有名なのはやはり「ロザリオのソナタ」でしょうか。「キリストの秘蹟に基づく15のソナタと、パッサカリア」という副題がついており、寺神戸氏が外側のドラマだけでなく聖書の意味の核心を付く内面的な表現と解説するように、非常に錬度の高い曲に思えます。


「守護天使」と題された《パッサカリア》は、重音奏法を用いたポリフォニック(多声的)な作品で、バッハのシャコンヌの先駆けのような曲ですが、聖書的世界には全く疎い私でも、この曲を聴くだけで祈りにも似た気持ちと、心の奥底に安らぎのようなものが宿るのを感じます。おそるべしビーバー。

音盤狂日録にもビーバーの記述がありましたので、リンクを紹介しておきます。








2005年3月14日月曜日

歌舞伎座:保名、鰯賣戀曳網


さて、一気に先週観た三月大歌舞伎「夜の部」の感想を済ましてしまいましょう。「保名」と「鰯賣戀曳網」です。

保名」は歌舞伎名舞踏のひとつ、安倍保名とは陰陽師の加茂保憲の高弟で、恋人の榊の前が自害したことから、悲しみ心乱れてしまっているという設定です。ちなみに保名と狐の間に生まれた子供が安倍清明ということになっています。

保名を踊るのは片岡仁左衛門ですが、その舞は見事の一言に尽きました。舞台効果を考慮し客席の照明を消した中、花道から保名が、つがいの蝶を追いながら、我の心この世にあらじという態で入ってきます。悲しみに心乱れた保名は恋人の小袖を持って踊り狂うのですが、踊りそのものが哀しくそして美しいのです。

仁左衛門は内容や構成上、曲にそう変化や起伏はないし本当に難しい踊りと言っていますが、いえいえ、二十数分のこの踊り、しっかりと楽しませていただきました。

夜の部の最後は「鰯賣戀曳網」、三島由紀夫原作の新歌舞伎です。こちらは細かいことは一切考えず、ただユーモア溢れる芝居を楽しめばよいといった類のもの。勘三郎と玉三郎のコンビのやり取りがおかしみを誘います。

三島の作とのことですが、新歌舞伎においても古典歌舞伎と同じような様式美を備えたいとの彼の美学が踏襲されており、義太夫もツケも用いられています。ただ、ストーリーは非常に他愛もないもの、あちこちで笑いが絶えない大団円のメルヘンです。

勘三郎は鰯賣猿源氏を演じており、このちょっと情けないコミカルな役どころが、ビタリとハマっています。「盛綱陣屋」よりも、こちらの方が大らかで自由に演じているように思えます。蛍火を演じる玉三郎との息も申し分ないといったところ。しかし、いくつになっても(いくつになったんだ?)玉三郎は美しいです。猿源氏の世慣れた父親役のなあみだぶつを演ずる左團次も捨てがたい魅力。

とにかく楽しめる芝居で、私の後ろの女性など始終「アハアハ」と笑い放しでした。これだけを目当てに観に来ている人も多いようでした、勘三郎の当たり役なんでしょうか。鰯賣の呼び声「伊勢の国安漕ヶ浦の猿源氏が鰯かうえい」という台詞が耳について離れません。

しかし、三つのお芝居を観た感触としては、「鰯賣」は面白いだけで何度も観たいと思うほどではなく、古典歌舞伎の面白さには適わないと思うのですが、いかがでしょう。余談ですが、いくら台詞の調子やフリがおかしくとも、どうしてこの場面で皆笑えるんだ?というところが「盛綱陣屋」で何度かあり、あれあれと思ったことも確か、歌舞伎ド素人の私ごときが書くことではございませぬが。

いずれにしても、豪華な顔ぶれの襲名披露。一度は観ておいて損はないかと。さて、お次は昼の部だ、いざ/\(>って、もう行く時間はないぞ)

歌舞伎座:近江源氏先陣館 その弐

日中はチラホラ雪が舞う寒さ、三寒四温の春の風情。京橋図書館に立ち寄りて「演劇界」「レコード芸術」「音楽の友」などを斜め読み。その後「盛綱陣屋」のみ再見せんと歌舞伎座へ。また/\しても気がせいて、幕見席の列に付いたは1時半前、列に並ぶは数えて十数人、これはちょいと早すぎた、とは思うもののまあよしと、印刷した床本取り出し読み耽る。


というわけで、まだ「盛綱陣屋」です。床本を四度ほど通読した上で劇に接すると、イヤホンガイドなど全く不要、スラスラと台詞が耳に入ってきます。役どころも性格も、しっかり把握できているので、劇で誰が何をしているのかがすっかり分かります。今日は堪能させていただきました。




まず役どころとして格段に素晴らしいのが、赤面の和田兵衛秀盛を演ずる中村富十郎(天王寺屋)。自身が語っているように「線が太く豪快」な役柄。敵の陣屋に単身ふらりと立ち寄ったり、あるいは捉えられても、隠し火矢をもって屋根を打ち抜き、御座の白幡を奪って逃走するほどの男。劇の最初と最後にしか出てこないものの、存在感の大きさが記憶に強く残ります。富十郎は台詞回しも太く声高で、人物像をくっきりと描き出しています。「十八代目さんが映えるように盛り上げたい」と語っておられますが、たしかに彼の存在あっての盛綱です。


次は、これもやはりといいましょうか、盛綱兄弟の母、微妙を演じる中村芝翫(成駒屋)。微妙はこの劇の重要人物で、盛綱以上に出番の多い役。最初は音信不通で顔も見たこともなかった孫の小四郎でしたが、見れば見るほど我が子の高綱に似ているので次第に情が移ってしまう、それでも武家の母としての気丈さも示さねばならぬ、という難しい役どころ。見終わってみると、盛綱以上にあちらこちらの台詞が耳に残っています。小四郎に自害を迫りながら、最期は情に流されて抱きかかえてしまうというのは、一つの型なんでしょうか。


ただひとつだけ、人間国宝の芝翫を、たかだか歌舞伎を見始めて2ヶ月のものが、よいだの悪いだの言えるはずもなかろうものですが、先月の「野崎村」でも感じたのように芝翫の演ずる愁嘆場はちょっと”生”すぎるという気がしないでもありません。それだけ気持ちがこもっているということではあるのですが。


さて、次は小四郎の母 篝火を演ずる中村福助(成駒屋)です。彼女は小四郎が心配で敵の陣屋に一人乗り込んできてしまいます。それを盛綱の妻 早瀬に咎められたり、目の前で息子小四郎が自害するのを目の当たりにしたりと、かわいそうな役どころ。ここで、篝火は高綱の計略を知って陣屋を訪れたのか否かということが気になります。私としては、ただ単に息子が心配という親の狼狽が行動に走らせたと思っていましたが、先に紹介した床本では、首実検の後、贋首と知って大将へ渡したそなたは京方へ味方するサ心底かとの微妙の問いに対し、盛綱の台詞は以下のようになっています。


イヽヤいっかな心は変ぜねど、高綱夫婦がこれ程まで仕込んだ計略。


この定本では、夫婦が計略したと考えているわけです。勘三郎演じる盛綱は、ここのところを「高綱親子」と言っていましたので、今回の劇においては篝火は計略を知らなかったとする方が自然かもしれません。いずれにしても、わが子の命さえも、家の名誉のためには犠牲にすることを厭わない、武士の厳しさ、哀れさがひしひしと伝わってきました。


中村児太郎(成駒屋)が演じる小四郎も、最初は一本調子とは思ったものの、最期の悲嘆の場面では、あまりの健気さに心打たれてしまいました。


先に「端役」などと書いてしまいましたが、注進役の信楽太郎を演ずる松本幸四郎もさすがに見事。たった数分の注信役なれど、短い間の華麗な舞、ツケに乗った足さばきにビシッと決まる見栄、あちらこちらから「高麗屋」の掛け声、台詞は何だか聞き取りにくけれど、劇進行にちょっと一息をつけさす役所は見事に果たしていました。


さて肝心の盛綱こと中村勘三郎ですが、これは今更いうまでまでもありません。見せ場は二つあって、ひとつは母微妙に小四郎の切腹の依頼を決意する場面、


盛綱は只茫然と、軍慮を帳幕の打傾き思案の扇からりと捨て「母人それにおはするや」と音なふ声に立出る。


という部分と、もう一つは首実検の場。このように「盛綱陣屋」では無言の中に心理の変化を表す重要な役どころ。三味線の弦の音が、心理の微妙な綾を表現しており、場の緊張感はいやが上にも高まるところ。


首実検の場面では、何故小四郎が贋首と分かっていながら自害したのかを問答すること数分、ふと傍らを振り返ると哀願するかのような瀕死の小四郎の目に気が付き、愕然としてその意図を悟るという算段です。


矢疵に面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候


弟高綱は北条時政をして軍法の奥義を極め、陣平張六にも劣らぬ有志とまで言わせた軍師、何としても鎌倉方に付かせたいという思いが時政にはあります。盛綱は「武士にニ君なし」、高綱に時政の計略に嵌らずに武士としてまっとうして欲しいという、兄心を貫いた情の男です。こういう人間的な広がりがあればこそ、劇の面白さがどんどん広がってゆきます。

かように、書き始めるとキリがないほど、やっぱり歌舞伎を見るなら床本に当たってからが良いとつくづく感じましたです。


2005年3月13日日曜日

近江源氏先陣館 坂本城の段


「近江源氏先陣館」の「和田兵衛上使の段」の前は「坂本城の段」です。WEBにテキストがあるので参照してみましょう。


この段は佐々木三郎兵衛盛綱が、弟の高綱の城門を訪れる場面です。テキストを読むと、盛綱と高綱兄弟は13年間も不通であったこと、お互いの一子である小三郎と小四郎は同年齢の13歳であることが分かります。そして、明日が彼らの初陣になっているのです。当時は13でも元服年齢ですから、中学生が戦場で戦っていたわけですか・・・




盛綱が高綱の城を訪ねたのは、兄弟、従兄弟同士が戦うのに心痛める母微妙を思ってのことです。まずは盛綱が「降参に参った」と切り出しますが、高綱は


兄とは推参慮外千万、凡そ弓取の操はな、善にもせよ悪にもせよ一度頼まれたる詞を変ぜず、危きを見て命を捨て二君に仕へぬを道とする事犬打つ童まで知る所、一旦鎌倉に味方しながら今さら旗色の悪しきを感じて生面下げて降参とは、腰抜けの犬侍、兄弟の縁切った


と烈火の如く怒ります。実は盛綱の降参も本来ならば鎌倉陣営に取り込みたいとする北条時政の計略があってのこと。高綱の主君に仕える「義心が鉄石」であることを確認したため、戦さけられずとなったわけです。


盛綱陣屋でも盛綱は常に弟のことを思う良き兄として描かれています。歌舞伎では高綱は一切登場しないのですが、知将とされながらも、一本気なそして堅い意志に貫かれた武士であることが分かります。、そうでなければ、自分の子供の命を計略の要にはしませんよな。


この後は小四郎が母篝火が見守る中、初陣にのぞむ場となります。ここでの篝火の様子の描写は端的ながら、武士の子の母の気持ちのが短い文章にきりりとまとめられています。


櫓より母篝火、わが子の初陣勝負は如何と見れば、平場の戦ひに、斬立てられて軍兵ども立つ足もなく逃げ散れば、櫓より見る母親は嬉しさ足も千鳥泣き、

この後の従兄弟どうしの合戦の描写も見事。


左手の山の尾先より小三郎が父佐々木盛綱、忰が初陣勝負はいかにと見下ろす遠眼鏡、母は櫓に目も放さず胆を冷する子と子の勝負。「そこを付込め小三郎」と傍なる人にいふ如く父があせれば、篝火は「ソレ小四郎、打太刀が鈍って見える」「そこを/\」と力む父親、あせる母、互ひに勝負もつかざれば「寄れ組まん」「もっとも」と馬を乗寄せむずと組み「えいや/\」と揉み合ひしが、鐙蹴放し組みながら両馬が間にどうと落ち、上になり下になりころ/\転び打ったりしが、小三郎運や強かりけん、小四郎を取って引伏せ上帯解いて高手小手、折重なって大音声「佐々木の小四郎高重を初陣の手初め生捕ったり」と呼ばゝれば、寄せ手はどっと褒むる声、櫓の上に篝火が『わっ』と泣く声、勝鬨は谷に響きて


簡潔な文章の積み重ねながら、も緊張感溢れる描写に舌を巻きます。この段があって、次に和田兵衛が盛綱の陣屋を訪れ、生け捕った小四郎を返してくれと頼みに来るわけなのです。また、こういう母親像がを踏まえたうえで歌舞伎での篝火(福助)を思い出すと、楽しみも増してくるというものです。


って、今回は引用だけですな。


2005年3月12日土曜日

歌舞伎座:近江源氏先陣館

中村勘九郎襲名披露の最初の月夜の部は、「軍艦級」と言われる「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」から始まりました。「盛綱陣屋」は近松半ニと三好松洛の合作した全十段の浄瑠璃の第八段に当たります。歌舞伎では「和田兵衛上使の段」「盛綱陣屋(小四郎恩愛の段、盛綱首実検の段)の段」と演じられています。


時は源氏の時代、盛綱と高綱兄弟が北条方と源氏方に分かれて戦っています。盛綱、高綱兄弟の母親が微妙で、盛綱の陣営に居ます。敵方に回っている高綱は知将として北条勢に怖れられている軍師で、老獪な北条時政が何とかしたいと思っています。そんなときに、高綱の一子小四郎が盛綱陣営に捕らえられたところから話しは始まるのです。


配役は豪華の一言、まさに襲名披露にふさわしいという顔ぶれです。人間国宝の芝翫(成駒屋)に始まり、豪傑の和田兵衛には富十郎(天王寺屋)が、敵方になった弟高綱の妻 篝火には芝翫の長男である福助(成駒屋)が、そして囚われの身となった高綱の子 小四郎には福助の長男児太郎(成駒屋)が、端役に近い信楽太郎を幸四郎(高麗屋)が演じているのですから凄いですね。成駒屋に至っては三代総出演です。




まず注目はやはり勘三郎でしょうか。幕見席からですと舞台が遠く、また誰が誰なのかよく分らないものの、さすがに勘三郎が登場すると、あたかもスポットライトが当たったかのような華やかさが生まれるのは、衣装の輝きだけではありますまい。テレビのトーク番組でしか見たことのない勘三郎でしたが、他の俳優たちに比べ通りの良い高めのトーンの声は、4階幕見席までしっかりと届いてくれます。さすが貫禄といったところでしょうか。


盛綱・高綱兄弟の母親役微妙は、歌舞伎「三婆」といわれるほどの難役ですが、それを演じるのが、先月「新版歌祭文」でお光を演じた芝翫です。微妙は、兄弟が別れて戦っていることに心を痛めながらも、武家に生まれた身として自らの立場もわきまえています。長男の盛綱が、生け捕りにされた弟高綱の子、つまり微妙の孫にあたる小四郎に切腹するように仕向けてくれ、という難しい頼みごとを引き受けます。


親子の中に改めて頼むと有るはよく/\の事ならしめ仔細は知らねど心得ました。



ここでの盛綱と微妙のやり取りは見せ場の一つでしょうか。微妙が居ることで、劇にずしりと重みが加わっているような感触があります。


この演目は、兄弟で敵味方に分かれて争う戦国の世の理不尽の中で生きる武士達の気構えと哀しみ、父の意思を汲み自らの命を絶つ小四郎の健気さと、敵であり知将とされる弟高綱に武士として生きて欲しいと考え、自らの身の危険も顧みずに苦渋の決断をする盛綱など、複雑な心理劇が見せ場です。

児太郎演じる小四郎は、台詞が一本調子で、まだまだなのですが父の首を見せられ白刃を自らの腹に突き立てて、あわてる盛綱らに


何故死ぬとは叔父様とも覚えませぬ、卑怯未練も父様に逢いたさ、父を先立てて何まだ/\と生き恥をさらさん、親子一緒に討死して、武士の自害の手本を見せる

の場面はなかなか緊張感に跳んでいます。この後が、見せ場のひとつ盛綱の首実検。台詞なく、何故小四郎が贋首と分かっていながら、父の首なりと自害したのか、自ら問答する場面です。遠くからではよく分かりませんが、次第に変化してゆく盛綱の様子がそれとなく伝わってきました。


異彩を放つのは敵方の軍師である和田兵衛ですが、敵の陣中に単身乗り込んでくるなど豪胆さを見せ付けます。最後に再び登場し、盛綱が贋首と偽って証言した不忠から自害しようとするのを留めるなど、
けっこういい役回りです。和田兵衛を演じるのが、「新版歌祭文」で久作をを好演した富十郎です。彼の台詞まわしは非常に聞きやすく、そして劇にほっとした雰囲気を与えてくれていました。


という具合に、いろいろ楽しめる「盛綱陣屋」でした。今回初めてイヤホンガイドをつけて望んだのですが、これは結構くせものでした。初めてみる劇ですから、解説してくれるのはありがたいのですが、流れつづける劇進行をどうしても阻害してしまう、劇に入れなくなるんですね。だいたいの筋は分かったので、機会があればまた観てみたいですが(>って、また1時間も並ぶのかよ>誰か替わりに並んでくれ)。


にしても・・・武士って大変だったのですね。


2005年3月11日金曜日

クレンペラー/ブラームス:大学祝典序曲

このごろの東京は一気に暖かいですね、日中はコートがいらないほどですし、昨日乗ったタクシーは「日中はクーラーつけましたよ」とか言っていました。このまま寒くならずに春モードに突入してくれると良いのですが。

そんなサクラサクの季節だからというわけではないんですが、何気なく手にとって聴いたのが、クレンペラー&フィルハーモニァ管のブラームス 祝典序曲でした。

クレンペラー/ブラームス:大学祝典序曲
  1. 大学祝典序曲 Op.80
  2. 悲劇的序曲 Op.81
  3. アルト・ラプソディ Op.53
  4. 交響曲 第4番 ホ短調 Op.98
  • クレンペラー指揮 フィルハーモニア管
  • 1&2 1957年3月、3 1962年3月、4 1956年11月、1957年3月 EMI (輸入版)


この曲はブラームスがドイツのブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた際に、その返礼として作曲したものですが、曲からは快活さ、若さ、明るさ、希望みたいなものを感じます。

クレンペラー指揮とフィルハーモニア管によるブラームス交響曲はどれもが、そしていつ聴いても感銘を受ける演奏なのですが、大学祝典序曲も目から鱗のような演奏です。堂々たる風格、音楽の持つふくらみとふくよかさ、そして温かみと祝福感。耳を傾けているだけで馥郁たる香りが漂ってくるかのようです。「旺文社ラジオ講座」で有名なファゴットによる幾分滑稽な「新入生の歌(元歌は「狐狩りの歌」)」メロディも全体の中に溶け込んで悠々たる流れです。

最後に流れる「だから愉快にやろうじゃないか」のメロディの当たりになると、すっかり立派な音楽を聴いてしまったという感動と充実感に満ち溢れてしまいました。あまりのことに3度も続けて聴いてしまいましたよ。有名ではあるものの、それほど「名曲」とはいえないんぢゃないかと言うような曲を、ここまで立派に仕上げてしまうクレンペラーには改めて感服です。

ちなみに、私の周りで受験をした人はいません、あしからず。

2005年3月8日火曜日

歌舞伎座:三月大歌舞伎~中村勘三郎襲名披露

三月に入っても寒い日が続いていますね、日陰には溶けきらない雪が残っていたりします。元が北海道なんですが、2年もこちらに居るだけですっかり体が本州仕様になってしまって、ブルブル震えたりしていて情けない限りです。

さて、今月の歌舞伎座は中村勘三郎襲名披露で賑わっています。券は発売と同時に売り切れだったらしく、暢気にウェブで申し込もうと思い立ったときには、もはや行かれる日の席など全くありませんでした。初日は、マスコミを始めとして芸能人などで賑わったそうで、ニュースなどを読む限りでは、口上も最後は涙ながらのものとなり、感動的であったようです。

��月は師走以上に忙しいので、のんびりしていると見過ごしてしまうと思い立ち、この寒い休日に1時間半も幕見席の列に並んで夜の部を観てきました。

感想は・・・ちょっと今は休日出勤+平日はタクシー帰りというくらいに忙しいので、ひまなときにボチボチ書いていきますが、なんとも豪華な舞台でありまして、並んでも価値はあるというものです。休日でも1時間半も待たなくとも、40分前くらいに列に付けば、何とか座れるのではないかと思います。

<昼の部>

  • 猿若江戸の初櫓
  • 平家女護島
  • 口上
  • 一條大蔵譚

<夜の部>

  • 近江源氏先陣館
  • 保名
  • 鰯賣戀曳網
  • 神楽諷雲井曲毬


2005年3月5日土曜日

マラン・マレ:ヴィオール曲集より第2巻

3月に入ってから、なにやら仕事がバタバタしていて落ち着かない日が続いています。今日は昨年の秋に入手して封も切っていなかったマラン・マレのヴィオール集を取り出して聴いています。




Marin Marais:Piece de Viole du Second Livre

  1. Couplets de folies
  2. Pieces in G major
  3. Suite in E major
  4. Tombeau pour monsieure de Ste Colombe
  5. Pieces in D minor
  6. Fantasie

  • マルク・ルオラヤン=ミッコラ(ヴィオラ・ダ・ガンバ),ヴァルプ・ハーヴィスト(ヴィオラ・ダ・ガンバ),エリナ・ムストネン(Cemb),エーロ・パルヴィアネン(リュート)
  • BIS-CD-909(輸入版)







マラン・マレ(1656-1728)といえば、師であったサント・コロンブとの確執を描いたAlain Corneauの映画「めぐり逢う朝 ( Tous les matins du monde ) 」で有名になったように覚えています。最近までは脚光を余り浴びていなかったマレですが、ルイ14世時代のフランスでは an incomparable Parisian violist whose works are known throughout Europeというくらいに有名なヴィオール奏者かつ作曲家であったそうです。


オペラやトリオ・ソナタなども作曲し、当時は広く演奏されていたようですが、最も代表的な作品は5巻のヴィオール曲集(1686-1725)とされています。この曲集には550曲もの独奏・合奏曲が含まれていますが、中でも1701年にマレ45歳の時に出版した第2巻は「ラ・フォリア(スペインのフォリア)」が納められていることから特に有名です。このアルバムもこの第2巻からとったものです。


最初に納められている「ラ・フォリア」はフルートでもよく演奏されますから、聴き馴染みのある曲とえいまが、やはりヴィオールで奏されるのを聴くと深みと渋みに圧倒されてしまいます。舞曲をテーマとした32の変奏曲が延々と演奏されますが、聴いていると、淡々とした落ち着きの中からメランコリックな哀愁が漂ってきます。人生に疲れてきたときに聴くと特に心に染みます。


マレの師でもあった、サント・コロンブに捧げるトンボーも秀逸です。一連の下降する音形が追悼と哀しみを歌っているように思えます。最後にちょっと弦の響きが強くなるところに静かなパッションを感じます。


ルイ14世が1685年にマントノン夫人と密かに結婚しますが、彼女が経験なカトリック信者であったことは、華やかな宮廷音楽にも少なからぬ影響を与えたようです。マレの技法を駆使したヴィオラ・ダ・ガンバの曲集は、一見快活なGigueなどもありますが、全体にどこか内省的であり、聴きようによっては老人の追憶や後悔に似た感情を覚えるのも彼の生きた時代と無関係ではないのかもしれません。


ちなみにヴィオールとは以下のようなものらしいです。


The instrument for which Marais wrote the major portion of his works is commonly referred to as the viola da gamba. Strictly speaking, however, it was the small bass of the viol family, which in the 17th and early 18th centuries included as many as nine different sizes of instruments, all called by the generic name viola da gamba. Marais' instrument--viola da gamba, bass viol, basse de viole, or, simply, "gamba"--was somewhat smaller than the modern cello and had frets and seven strings, tuned to A1, D, G, c, e, a d1.



musicologより