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2008年7月8日火曜日

野田歌舞伎


朝日新聞か何かに、8月歌舞伎座で公演予定の「野田版 愛陀姫(あいだひめ)」のことが紹介されていました。その中で野田秀樹の言葉として「伝統は大切にするが、伝統によりかかった誤解は踏みにじる」みたいなことが、「芝居は楽しませるためのもの」。


分らなくもありません。それでも、どうしても承服しがたい部分もある。中村勘三郎の芸、天才的なところは認めるものの、時代に対する迎合と「軽さ」が好きになれません。「それ」を歌舞伎でやる必要はないのではないかという疑問。


見てもいないのに批判しても*1)仕方ありません。人気の「愛陀姫」に空席など全くありませんから、久しぶりに暑いさなか幕見に並ぶことになるのでしょうか・・・*2)



  1. 「観てもいないのに批判」は、それ自体意味がありません。私の単なる覚書きとして記録しています。
  2. ・・・結局観られませんでした・・・とほほ。



2006年11月20日月曜日

先月の歌舞伎座:幸四郎の新三を考える


今月の歌舞伎座での通し狂言「伽羅先代萩」を観たいなと思いつつも歌舞伎座まで脚が伸びず、先月の歌舞伎座で演じられた松本幸四郎の髪結新三のことを思い出しています。多くの人が幸四郎の仁に合わないと評していました。幸四郎が芸の新たな境地に飛び込もうとしているらしいのですが、違和感が拭いきれないようです。



そんな幸四郎の新三を「演劇界12月号」で佐藤俊一郎氏が評していました。立ち読みですのでうろ覚えで主旨を書きますと、今まで演じられてきた新三から粋が消え、愛嬌がなく、小悪党から「小」が取れてしまった、というのです。幸四郎の演じる新三には、いろいろな「ゆがみ」が生じたと。


そうですね、私も幸四郎の前半での新三にはゾッとするような悪の凄みを感じました。それだけに後半で家主にやり込められてしまう新三像とうまくかみ合わないと感じたものです。


全体にこの芝居は喜劇的な要素を持ってシニカルに終わります。ですから大真面目に悪党を凄みを持って演じてしまうと、合わないと感ずるのだと思います。WEB上に溢れた「立派過ぎる」という判で押したような感想も、そういう違和感を感じ取ってのことなのだと思います。


でも、今から思うと、幸四郎の新三もそう捨てたものぢゃないと思うのです。この新三、最期は源七と閻魔堂橋のたもとで斬り合いをすることとなります。歌舞伎では斬り合いを様式美で飾りながら幕となりますが、黙阿弥の原作では結局源七に殺されてしまいます。これがまた喜劇的な新三像と違和感がある。小娘を拉致監禁強姦した上で恐喝し、仲介に入った一昔時代の侠客である源七をコケにする。その命を賭ける程の度胸と覚悟を持って悪事に望んでいるという点では喜劇とは無縁の悪党振りなのです。これから江戸で侠客として名を売り幅をきかせようとする野心に満ち満ちているのですから。


ですから、大真面目に新三を解釈すると前半の凄みある人物像の方がこの役を的確に表現しているのではないかと思えたりもします。おそらくこの芝居は、勘三郎丈のような人の方が仁に合っていると感じる人が多いと思います。そういう新三像とは異なった解釈を敢えて演じたリアル新三にも、一面では評価すべき点があるような気がするのは私だけの拙い感想でしょうかね。本当の新三像をママで演じたのでは実も蓋もないですから、難しいところだと思いますが。

2006年10月16日月曜日

歌舞伎座:芸術祭十月大歌舞伎 夜の部 髪結新三


続くは幸四郎の「髪結新三」。渡辺保氏の劇評を始め、幸四郎が重いだの立派過ぎるだの役じゃないだのとの感想が多い。幸四郎は、素のキャラが男前ですし立派なんですから仕方がないです。観ていて、こういう趣向は勘三郎のような役者の方が、どこか憎めない小悪人という感じでは合っているのだろうかなとは思いました。



でも、幸四郎の新三が悪いか、というと、そうは感じない(>他に比べる演技がないですから)。いわゆる悪党の凄みという点ではかなりの迫力が出ている。狡猾さ、抜け目のなさ、残忍さ、恫喝、矜持とへつらい、潔さ、よくよく観れば、役としちゃあ惚れ惚れするような悪党ではありませんか。


幸四郎の独特の台詞まわしも最初は違和感があるものの、慣れてくれば序幕の重さも取れてきて、新三の悪党ぶりが面白く思えてきます。弥十郎演ずる家主長兵衛との掛け合いは、幸四郎の役というか柄に合わない気がするのですが好演だったのではないでしょうか。前半のドス黒い悪党が、弥太五郎源七をもコケにしたほどの者が、家主にやり込められてヘーコラしてしまうギャップが良いです。このギャップのコミカルさには観客も沸きます。こういう莫迦ばかしさ、単純さも歌舞伎の面白さでしょうか。弥十郎にも賛否があろうかと思いますが、悪党をコテンパンに豪胆にやっつける快感は、この人ならではのものでしょうか。


渡辺保氏は劇評で、


新三内はきわめて現代的で、大家につめよられて「おれもよっぽど太え気だが」で勝奴もろともヅッこけて倒れたのには仰天した。これは黙阿弥ではなく、ただの喜劇である。


とあります。私が見たときには握りこぶしを固めて長兵衛の前でしゃがみ込んで悔しがるという風でした。これは途中で変えたのでしょうかね。(>よく思い出せなのですが、最後に長兵衛に一喝されたときにコケていたかもしれない・・・。だとしてら劇の流れとしてはごく自然で、私にとっては違和感がなかったということでしょう)


有名な演目ですから、また違う配役で観ると変わった感想を持つかもしれません。


【歌舞伎座HPより】

二、 梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう) 髪結新三


序 幕 白子屋見世先の場、永代橋川端の場

二幕目 富吉町新三内の場、家主長兵衛内の場、元の新三内の場

大 詰 深川閻魔堂橋の場


髪結新三(幸四郎)、家主長兵衛(弥十郎)、手代忠七(門之助)、加賀屋藤兵衛(男女蔵)、下女お菊(宗之助)、家主女房おかく(鐵之助)、白子屋後家お常(吉之丞)、車力善八(錦吾)、下剃勝奴(市蔵)、お熊(高麗蔵)、弥太五郎源七(段四郎)、


出張専門の髪結いで小悪党の新三(幸四郎)は、材木屋白木屋のひとり娘お熊(高麗蔵)と、恋仲の手代の忠七(門之助)をさらい、白木屋から身代金をせしめようとします。誘拐された娘を取り戻そうと白木屋から依頼を受けた親分の弥太五郎源七(段四郎)が新三のもとを訪れますが、持参した金額の安さをなじられ、交渉は決裂。が、続いて現れた老獪な家主の長兵衛(弥十郎)が、まんまと新三をやり込め、お熊を取り戻すことに成功します。顔に泥を塗られて収まらない弥太五郎源七は、閻魔堂橋のたもとで新三を待ち受け、仕返しに及びます。江戸の市井の風俗をみごとに活写した、河竹黙阿弥の代表作。ワルでありながら、どこか憎めない新三役に、幸四郎が初挑戦します。


2006年2月12日日曜日

表参道ヒルズオープン

本日オープンした表参道ヒルズに行って来た。行ってびっくりした。地下鉄表参道駅からヒルズまでは、まるで初詣の境内か勘三郎襲名披露時の歌舞伎座前のような混雑状態。建物の前には行列と歩行者がひしめきあっていてもうグチャグチャ、なんと入場制限しているらしい。田んぼの真ん中にできたイオンのオープン日ぢゃあるまいに・・・基本的にイナカモンの小生には意外な光景。

2006年2月10日金曜日

ベスト100とかが、さらに売れていること

昨年の東芝EMI「ベスト・クラシック100」に引き続き、クラシックのサビだけ集めた部分のCDなどが売れているのだそうです。似たような企画は

  • 「どこかで聴いたクラシック101」(ユニバーサル)
  • 「100曲モーツァルト」(エイベックス)
  • 「クラシック・ベスト200」(ワーナー)
  • 「ベスト・オペラ100」(東芝EMI)
  • 「ベスト・モーツァルト100 6CD』(東芝EMI)

などで、かつての「アダージョ・カラヤン」のブームをふと思い出させます。

こういうCDの普及がクラシックファンのすそ野を広げることになるのかは議論の分かれるところ。昨今の「モーツァルト効果」「モーツァルト・セラピー」などの紹介のされ方と受容を含め、流行が過ぎ去った後に何が残っているのかが問題となるでしょう。

忙しい(とされる)現代人にとって、クラシック音楽は「長すぎる」娯楽です。映画だって2時間を越えると「いい映画なんだけど長すぎ~」という感想が目に付きます。コンサート・ホールやオーディオの前で1時間以上もぢっとしていることに耐えられない人も増えてきています。長時間にひとつのことに没頭することがなくなってきたということなのでしょうか。ロックやポップス系の曲でも1曲5分近くになると「長い」と感じる傾向があるようです。

じっくりと物事に取組めないという傾向は、例えば映画や演劇、出版業界にも当てはまるのではないでしょうか。映画はテンポの速さと刺激の倍増に反比例して内容は薄くなる。ベストセラーとなる新書は本の値段と厚さの割には活字数が少なく、結論ありきの理論の飛躍が目に付く。歌舞伎も刺激とスピード感のある勘三郎に人気が集まるなどなど・・・。こういう傾向は「白か黒か」というように単純化された理論が受けている最近の傾向とどこかでつながっている気がしないでもありません。(と、こういう考えそのものが、結論ありきの論理の飛躍ですが)

話を戻しますと、クラシック音楽は十八世紀頃から二十世紀における西洋の思想を代弁していたとする許氏の指摘には一理あると思っています、「普遍性」「真実」「真理」「理念」「理想」などが「嘘っぽい」「欺瞞である」という認識の土壌に現代人が立っているならば、クラシック音楽は耳障りの良い、あるいは爆音でストレスを解消させる、といった効用しかなくなるのではないかと思うのです。クラシックの断片化と商品化は、堪え性のない現代人の志向を強化することはあっても、その中から「のだめ」と「ベスト100」から脱皮した21世紀的クラシック・ファンが大勢育つと考えるのは楽観的かもしれません。それであっても「音楽の持つ根源的な力」を信じる人は、聴く人をいつしか目覚めさせることができるという希望を抱くのでしょうか。

〔追記〕 とここまで書いて、気になるブログのエントリが2件。

Syuzo's Weblogで紹介されていた「西洋音楽史」、これは是非とも読んでみなければ。次に「おかか1968」ダイアリーでの「クラシック音楽 ネット界での明暗」とうエントリ。西洋音楽(クラシック音楽)の受容のされ方は、私の固定観念を超えるとこころが、もしかするとあるのかもしれないなと。(February 10, 2006)

2005年11月18日金曜日

歌舞伎座、5年後メドに建て替え決定


切られお富!さんのブログで歌舞伎座の建替えの正式発表が再びなされたことを知りました。


松竹は16日、東京・銀座の歌舞伎座の建て替えを決めたと発表した。


 今後、地元関係者らとの協議を始め、協議などに約2年、建て替えに約3年を見込んでいる。工事期間中は、代わりの劇場を借りるなどして興行を続ける。


 現在の歌舞伎座は1951年オープンで、老朽化が著しい。このため、座席の幅を広げたり、通路の段差を解消したりする。外観は、現在の伝統的な雰囲気を残す方針という。 (2005年11月16日 (水) 20:04 読売新聞サイトより)




確かに歌舞伎座は老朽化が激しいし設備もかなり古い(かもしれない)。4月21日のエントリでも書いたのですが、現在の歌舞伎座は鉄筋コンクリート造。でも中には客用エスカレータもエレベータもありませんからお年寄りには少し辛いかなとか思ったりもします。エントランス廻りも狭くて、雨の日の開演前は晴海通り前はごった返します。席も結構狭いですしね。でも私はなかなか趣があって好きなんですけどね。


新しくなるのは結構なことですが、先のエントリにも書きましたし切られお富さんも触れている「幕見席」だけはなくさないで欲しいと切に願います。あれがなければ私が歌舞伎を観続けることはなかったし、中村勘三郎の襲名披露に接することもなかったことは確実。根性出して4時間並べば最後の月の公演も観ることができましたから、一部の人に演目が独占されてしまうことを防ぐシステムであるともいえます。「古典めざましタイ」に書かれていることにはほぼ同意。「六条亭の東屋」でも触れている風情のある外観、ここがイチバン難しそうですね・・・


クラシック系にこのような公演システムがないことは「芸能」と「芸術」の違いなんでしょうか。どちらも広義にはエンタテではあるはずなのに、と思うのですが。

2005年10月26日水曜日

川原乞食としての歌舞伎俳優

現在の歌舞伎役者は、先に書いた鶴屋南北の世界に生きた「川原乞食」などと称される身分とは対極的な世界を獲得しています。歌舞伎俳優で成功している方々は、社会的な名声も富も有している存在であり、かつそれを維持しつづける家柄であるでしょう。


ここで思い出したのは渡辺保氏の「歌舞伎」(ちくま文芸文庫)にあった昭和26年の歌右衛門襲名披露における吉右衛門の「口上」のことです。渡辺氏にとって、この襲名披露における吉右衛門の口上が忘れがたいもので、この口上にこそ「口上」の原点があると書いています。


口上の間役者は観客に対しそれこそ平蜘蛛のように平伏するのが普通です。しかし、渡辺氏は吉右衛門の平伏を、他の役者のように形式的なものではなく、古い役者としての血がこういう姿勢をとらせているのだとし、それを過去の観客と歌舞伎役者の関係の差(中略)その伝統の記憶が吉右衛門の身体によみがえってくるからであろうと書いています。更に、吉右衛門の「一座高こうはござりますれども」の言葉には本来はお客様とは同じ座に座ることもできない身分の私どもがという卑下が含まれていたと書いています。そして、


歌舞伎役者はあきらかに深い階級的な差別のなかに生きている。これが「口上」の原点であることは間違いない。

としています。歌舞伎の本当のエネルギーとは差別される人間の自持の中にあるのだと。


口上は今年の中村勘三郎の襲名披露で実際に見ましたが、ずらりと並んだ裃を付けた俳優たちはひたすら平伏しており、襲名する勘三郎も平伏して「口上」を述べていたのが、口上を始めてみる目に印象的でした。この平伏に渡辺氏の示す意味が込められていたとは、その時は知る由もありません。


今年1月以来歌舞伎を見始め、渡辺氏が感じている歌舞伎世界は、その内実から大きく変質しているのではなかろうかと思う瞬間がないとは言えません。今更歌舞伎俳優の身分を低くしろとか、「乾燥した高台に住む上品な人々のための、お上品な芝居になり果ててしまっ(「アースダイバー」中沢新一 P.46)た歌舞伎をもとの姿へというのは実情にそぐう主張ではないでしょう。


だとするならば、差別をのりこえる武器であった「愛嬌」も、歌舞伎の魅力も、その意味するところはいやがうえにも既に反転しているのかもしれません。

2005年10月16日日曜日

[歌舞伎メモ]歌舞伎の力

歌舞伎の力と魅力について考える


  • 現代に生きる伝統芸能、その中に息づく日本の歴史と文化。
  • 昔の風が現代と本質的に変わらないという心情に対する共感と懐かしさ
  • 「型」を発見することのマニアックな感心、楽しみ、深さ
  • 歌舞伎舞台の持つダイナミズム
  • 感覚と役者のライブな場での交流と相互に高め合う劇空間、場の共有、親近感。勘三郎の復活させる「芝居小屋」感覚。
  • パターンの繰り返しによる安心と快楽、芸の高まり
  • 「分かっていることを演じる」ことの新しさ
  • 芝居小屋独特のざわめきと興奮、クラシック会場の空間とは異質であること。歌舞伎は
    「芸術」ではない、「芸」である
  • 幕間に食べる、劇場で売られる甘み菓子
  • 弁当を食べながらの観劇。一方でNHKホール(N響定期の空間)との類似性。客層のせいか?→時間と金のある層、高齢者と女性
  • どの年代でも女性が消費と文化の担い手であるということ、男性は何をやっているのか!


2005年10月11日火曜日

歌舞伎座:芸術祭十月大歌舞伎


歌舞伎座で芸術祭十月大歌舞伎の夜の部を観てきました。

演目は田之助、左團次、菊五郎などによる「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 引窓」、玉三郎の人形振りが話題の「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」、そして今年12月に坂田藤十郎を襲名予定の鴈治郎による「心中天網島 河庄」です。

あらかじめ渡辺保氏の歌舞伎評と、一閑堂のぽん太さんのエントリをじっくり読んでから望みましたので充分楽しん観ることができました。

勘三郎襲名披露の狂騒の頃は、前売券も発売と同時に売切れでしたが、この頃はネットでも比較的容易に席を確保できます。一幕見で3本も続けて見てしまうと、3階席などの廉価な席を予約した方が結局は待ち時間などを考えるとリーゾナブルなので、この頃は予約してから観に行っています。それに、甘党なら(おそらく)クラクラしてしまうであろう歌舞伎座内の桃源郷を彷徨う楽しみが増えますから、断然こちらの方がお得感がありますね。


ということで感想です。まずは「引窓」から。ぽん太さんのエントリでは実直な生活感のようなものが出ないと、あたら空疎になる芝居だとあらためて感じた。と評価は高くない様子。一方で渡辺氏は、左団次の濡髪、団蔵の平岡丹平、権十郎の三原伝蔵まで。そのアンサンブルによって今月歌舞伎座一番のみものであるとえらい褒め様。私の感想がどちらに傾くか自分でも興味津々で観たのですが、結果としては予想以上に楽しんでいる自分を見つけてしまうことになりました。

「引窓」は、継子と実子と母親、そして継子の妻四人による家庭劇なのですが、母お幸の田之助が良い出来です。実子を思う母の痛ましいほどの気持ちが客席までビシビシ伝わって来ます。特に犯罪人として追われている実子の絵姿を買いたいと、なけなしのお金を差し出す場面は、(渡辺氏も指摘していますが)不覚にも涙がこぼれます。それほどに実に入っている。ときとして嘆きが大げさ過ぎるキライもありましたしたが、それを割り引いてもまず、田之助といったところでしょうか。

次に良いのは菊五郎演ずる継子の南与兵衛。町人から武士になった喜びの表現のうれしさ、母の不穏な様子に訝る雰囲気、手水鉢に映った長五郎を見つけてからすべてを悟るに至るきまりの見事さ。

水鏡で羽織を脱ぎかけて右足を伸ばしたきまりが大きく、お早とからんで三味線につく三度のきまり、すなわち右手に捕縄、左手に十手で中央に立つきまり、つづいてウラ見得、口に十手をくわえて捕縄をさばいてのツケ入りの見得が味が深く、「狐川を左にとり」を二階の濡髪に聞かせるハラもキッパリ

と渡辺氏の劇評にありますが、本当にこの一連のキマリ方ときたら惚れ惚れするほどで、思わずボゥっとなってしまったほどです。ここですよ、歌舞伎の「快楽」と呼べる瞬間は、引用していてまたボゥっとなってしまいます。観ていて、このキマリ方は「盛綱陣屋」における首実検の場面に似ていると思いました。勘三郎演ずる盛綱のキマリも見事でしたが、鮮やかさの点ではこちらの方が印象深いか。

実子を演ずる長五郎の田之助は、継子の南与兵衛と対比することで彼の実像が浮かび上がってくる。逆に言えばそれほどに菊五郎の継子としての矜持と演技が見事ということか。田之助は、なりはでかい相撲取りでありながら、母にすがり義兄弟の情けを受ける立場。終わり方も菊五郎がかっこよすぎる。

魁春のお早もいい味が出ています。与兵衛が武士に取り立てられたときの嬉嬉とした喜びようのかわいらしく、いじらしいこと。その喜びがあるから、その後の母をかばって、せっかくの幸福まで犠牲にしようとする心根が映える。

ということで、「野崎村」以来に全てにおいてハマった芝居でした。

次は玉三郎の「日高川入相花王」です。渡辺氏の劇評を見てみましょう。

玉三郎には「櫓のお七」の人形振りという傑作があるので大いに期待したが、人形振りの振りが地味でつまらず、お七のようにはいかなかった。川の中へ入って蛇体になるところも演出が一工夫足りない。

これだけです。人形振りはいただけませんでしたか? 私には初めて観る演目でしたから、菊之助の人形遣い役と玉三郎の人形振りはそれなりに面白かったのですが。

それにしても玉三郎の踊りは優美です。人形振りというからもっとギクシャクした振りを期待していたのですが、いちいち可憐で美しすぎます。美しすぎる故になのでしょうか、蛇体にまで変じるような妄念が私には今ひとつ感じられません。だから川に身を投じてからの演技にも、何か空々しさを感じてしまう・・・。ここの感じ方も、ぽん太さんとまるで逆。まったく、音楽にしても芝居にしても人によって感じ方は全然違うものだなと。(>だから劇評は「意味がない」のではなく「面白い」のです)

対岸に辿り付いて疲労のために呆と立ち尽くす姿は、おそらくこの芝居の中の一番の出来だっと思います。黒幕が切って落とされ、一面明るくなった舞台は、時間の経過とともに、彼女の妄念さえも浄化していたのではないかと一瞬勘違いさせる程でありました。

最後は鴈治郎の「河庄」です。今月のガイド本に演劇評論家の水落潔による「三代の頬かむり」と題する解説と写真が載っているのがうれしいです。これで渡辺氏の劇評にあった「(頬かむりの中に)日本一の顔」という意味が分かりました。それほどまでの鴈治郎にとっての「河庄」なんです。

これを演じて藤十郎に、と思っていましたのでこんなに嬉しいことはありません

とは鴈治郎の言葉。

しかし、私はこの「河庄」を真に楽しむことができませんでした。何故なら治兵衛の、いや鴈治郎の花道の出が3階席からでは全く見えないんですよっ!! これを見ずして何の「河庄」と言えましょうぞ。しかも、少ない歌舞伎経験から、女形としては随一でないかと思っている雀右衛門の台詞が、小さくて聞き取れないっ!! これでは「河庄」の根っこの半分くらいを削ぎ落とされたような感覚。無念っ!!

それにしても雀右衛門、大正9年生(1920年)まれですよ。それなのに漂う色香、惚れ惚れするほどの艶やかさ、脇に徹しているときの微動だにしない姿勢、舞台に居るだけで「絵」になる。足腰がかなり弱っているご様子ですが、出来る限り彼の芸に接していたいものです。

で肝心の鴈治郎、これがなかなか良いのです。先月の「植木屋」といい「河庄」といい、上方狂言は素直に楽しめます、余計なことをしなくてもそれだけで充分に面白い。しんみりした部分とツッコミのバランスは、まさに上方なのでしょうか。「じゃらじゃらした」雰囲気と良く言われますが、成る程なと頷いてしまいます。

日用帳のfoujitaさんも書かれていますが、最後の3人で絵になるところが無類というのには同感。今回の歌舞伎は「絵心」が充分に満たされる舞台でした。もう一度観なくてはということにも激しく同感なのですが、しかし・・・爆発的な忙しさの控えている10月にこの幸福な時間は再び訪れるのでしょうか・・・?

追記 10/12

歌舞伎系ブログを読んでいたら、中村雀右衛門が腰痛のためしばらく休演とのこと。ついこの間の歌舞伎座でも動きが今ひとつでしたし、立ち上がるときに介添えをそっと周りの人がするほどでしたから、大丈夫かと案じてはいたのですが。一日も早く良くなることを祈っております。

2005年10月10日月曜日

戸板康ニ:「歌舞伎の話し」 その2


198頁程の薄い本なのですが、業務多忙によりやっと読み終えました。

以前も触れたようにこの本が発行されてから50年以上が経つというのに、歌舞伎をめぐる状況は当時のありようと表面上は変化していないのではないか、というくらいに「現代」に置き換えても読むことができるものでした。

歌舞伎ファンが客席から「なな代目」とか「松音屋」とかいう片言を叫んでいるのをきくたびに、わたくしは、果たしてこれが歌舞伎が栄えていることになるのかと疑わずにはいられません。あのような人気は、過去のそれとは違っています。(「第七話 その芸術性」P.166)

現代でこそちょっとした「歌舞伎ブーム」を呈していると時々言われますが、これとて戸板氏が見ていた50年前の歌舞伎とは全く異なったものであるのだろうと思うのです。その時々で変わっていく歌舞伎に対し歌舞伎の「美」を準拠とした演技術に反抗する俳優が、およそ三十年に一人位ずつ出ている(P.166)と書いています。歌舞伎俳優について不勉強ですが、例えば中村勘三郎なども、その一人に挙げられるのでしょうか。

戸板氏は歌舞伎の台本や演技を現代劇のリアリズムから批判することは意味がなく、つまりは歌舞伎の「台本」は文学ではなく、役者重視の発想の元に役者を際立たせるため、あるいはそこに現れる美を表出するためにあると説いています。私自身はまだ役者の好みにまで言及できる程に歌舞伎に接している訳ではないものの、舞台で俳優が「きまった」ときの快感は例えようもないもので、ツケが高らかに打ち鳴らされたときの、笑みさえこぼれてしまうような瞬間が見たくて歌舞伎座まで脚を運んでいるという気もしています。

予定調和的な陳腐な筋書きを愚であるとする人には、(戸板氏も書いているように)おそらく歌舞伎の面白さをいくら説明しても無駄なことなのかもしれません。逆に歌舞伎の持つ崩してはならない「美」というものを捨て去るならば、それはその時点で歌舞伎であることを放棄しているのかもしれません。

脚本がナンセンスであるのに、それを越えたところに歌舞伎の真価があるということで、ふと思い出したのはモーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ」です。あの莫迦げたダ・ポンテの戯曲にモーツアルトは信じられないほど美しい音楽を付与しました。今でこそダ・ポンテの戯曲の持つ現代性や深さが見直されていますが、当時は「戯曲」などどうでも良く、モーツアルトの妙なる音楽にこそ価値があったのかもしれません。ロマン派的な価値観の持ち主にとっては、ベートーベンのみならずワーグナーさえ「コジ」には否定的な批評を残してます。

歌舞伎の台本も、心理などを深読みすることができるものもありますが、そういうアプローチは本来的なものではないのでしょう。

六代目菊五郎などの持っていたリアルな演技は、実はそういう習練を隈なく経たのちに入っていた境地であることを知ってほしいと思います。

要するに、 伝統演劇の場合は、モーション(動作)を学んでいるだけで、エモーション(感動)が内奥から起こって来るのです。新劇の場合の、役への入り方と全く違うことを強調したいと思います。(「第四話 その演技」P.127)

この一文を読んでハッとしました。音楽の話題になってしまうのですが、これはバッハの音楽を演奏する時に似ているのではないかと思ったのです。バッハの時代は楽譜には強弱やアーティキュレーションなどの表示がありません。それをロマン的な演奏手法で演奏すると何だかバッハがバッハでなくなります。「楽譜に書かれたとおりに演奏すれば、おのずと音楽が立ち上がってくる、余計なことをするな」と何かの折に聞いたことを思い出しました。ちょっと脱線した余談ではありました。

2005年9月28日水曜日

歌舞伎:「殺し場」の美学と「平家蟹」


渡辺保氏は著書「歌舞伎」において、歌舞伎の「殺し場」を「陶酔の場所」と副題を付け以下のように説明しています。


��歌舞伎の殺し場が)かほどに甘美で美しいのはなぜなのか。(中略)そこに実は歌舞伎の本質がある。「殺し」の瞬間において役者の身体がもっとも美しく見えるからである。(中略)歌舞伎はその殺人の甘美な身体の意味をただ絵にして見せただけだ。別にサディスティックなあるいはマゾヒスティックな趣味の産物ではない。(「歌舞伎」渡辺保著 文庫版P.268-269)


殺しの場面における精神と肉体の緊張が極度な凝縮、そこに甘美な陶酔を誘う役者の身体の緊張した輪郭が現れ、これがこそが歌舞伎の美学だと説明しています。


本書では「××殺し」と呼ばれる六つの演目と、「××斬り」といわれる二つの演目を紹介し、さらに詳しく「殺し場」について説明しています。「××斬り」とは、吉原百人斬りの「籠釣瓶花街酔醒」と油屋十人斬りの「伊勢音頭恋寝刃」のふたつのこと。

「××斬り」の方は幸いにして両方とも観る機会がありました。「籠釣瓶」において勘三郎演ずる次郎左衛門が、玉三郎の八ツ橋を斬った場面は(演技が大げさすぎるという批判も目にしましたが)思えば本当に印象的な場面でした。まさにあの一瞬のためにあの演目が存在すると言っても過言ではなかったかもしれません。玉三郎の死に様が余りにも美しすぎるため、その美しさに素直に陶酔することに対し反発さえ覚えたものです。分かりやすい「美しさ」とは言い換えるならば「俗っぽさ」をも併せ持つ、それ故に「俗さ」を許容できないという勘違いした態度です。しかし歌舞伎というもののあり様を考えてみれば、玉三郎の「死に様の美しさ」に陶然とした方が余程素直であったのかもしれません。


似た様なテーマの「伊勢音頭」は、殺される側は勘三郎が演ずる万野でありましたから「殺し場の美」というものは感じませんでした。むしろ、鞘走って過って傷させてしまったことによって、彼の中で何かが崩壊してゆく。連続した殺しの場面は適度に様式化されており、静かに人を次々と斬る貢からは妖刀の魔力や狂気が表現されていたように思えます。血糊の付いた衣装で逃げ惑う人が登場する様には少し驚きましたが、それでもナマなグロさは減じられていたようです。


ところで、九月大歌舞伎の「平家蟹」です。これは岡本経堂作で福田逸氏の演出なのですが、これがどうも後味が悪い。玉蟲が玉琴と那須与五郎を毒殺する場面なども、それでも冗長過ぎる上に、苦しみ方がヘタにリアルであるため芸に違和感がある。今月の歌舞伎座のガイド本によると芝翫丈の発案で原作に相当手を入れたとありますが、照明や音響効果を含めて歌舞伎の枠を少し広げる演出は効果的であったのかも疑問です。


経堂の主題である「狂気・執念」は嫌という程に伝わってくるものの、逆に玉蟲持っている時の流れや源氏に屈さない潔さは相殺されてしまっていないか。「妄執」を全面に打ち出すのもいいのですが、それでも殺しの場面がむご過ぎてまた滑稽でちいとも美しいと感じる場面がない。


福田氏は決して今風に新奇なことをしたわけではないが(中略)近代古典を現代に活かし、更にそれを次世代に受け渡したいといふ芝翫丈の熱い想ひを、なんとしても実現させたかったと先のガイド本に書いていますが、私はもう一度「平家蟹」を観たいという気にはなれません。また歌舞伎の演出がいたずらに「リアル」に近づくのは、私にはあまり好ましいものとは思えません。劇は理解しやすくなりますが、何か大切なものがゴソリと抜け落ちているような感覚を覚えますが、いかがでしょう。


ちなみに岡本経堂の「平家蟹」は明治45年の大阪浪速座で六世梅幸の玉蟲で初演された新作歌舞伎。玉蟲は誇り高い平家の女官。かの屋島の合戦で那須与市に射抜かれた檜扇をかざしたのが玉蟲と紹介されます。生き残った彼女の平家に対する怨念ただならぬというのに、玉蟲の妹玉琴は何とあろうことか那須与市の弟の那須与五郎と末を誓ってしまうのです。玉蟲は二人を許し祝言を挙げるフリをしながら、神酒の中に混ぜた平家蟹の毒肉で二人を毒殺し、自らも平家蟹に誘われるように壇ノ浦の海へと誘われてゆき幕となります。


縁の下に蠢く平家蟹も不気味ですが、何よりも、のたうち苦しむ二人を冷徹に見据える玉蟲の怨念が恐ろしい。それもこれも、歌舞伎でありながら演出や台詞が現代劇に近いせいでしょうか。底知れぬ暗さが全体に漂い殺しの場面だけではなく歌舞伎の持つ形式性や美学が非常に薄いように感じました。

2005年9月5日月曜日

勘三郎について


「歌舞伎舞台の記憶」といういサイトの勘三郎の「法界坊」は必読。私がなんとなく気にしていることを見事に文章化している。


常に伝統に立ち返ることがなければ、逆に古典の規格が崩れていくのです。このことは常に戒めなければならないことです。


先のサイトでも書かれているように、私には勘三郎の盛綱がいまひとつの印象だったが、「重い」という言葉で謎が解けた。私はそれを「軽い」と感じていたのだが逆であったのだ。

2005年8月28日日曜日

歌舞伎座:伊勢音頭恋寝刃

八月納涼歌舞伎の第二部を観てきました。演目は「伊勢音頭恋寝刃」より油屋と奥庭、「蝶の道行」、「京人形」の三作です。中村勘三郎襲名披露以来の歌舞伎で久しぶりの観劇です。

今月の歌舞伎界の話題といえば、夜の部に演じられる串田和美演出の「法界坊」であることは間違いないでしょう。しかし勘三郎襲名の最後の演目は「野田版 研辰の討たれ」でしたから、いま一度しっかりとした古典歌舞伎を観たいという気持ちもありました。また渡辺保さんの歌舞伎評でも「伊勢音頭」をして今月一番の期待作と書かれていましたし、戸板康ニ氏に関するサイトでもある「日用帳」でもなんといっても三津五郎の『伊勢音頭』がたのしみでたのしみでしかたがない、三津五郎の『伊勢音頭』と聞くと当然たのしみにしてしかるべきの『法界坊』なぞすっかりかすんでしまったというエントリを読み、もう「伊勢音頭」しか眼中になくなりました。それで観終わった後の感想はといえば「歌舞伎ってやっぱり面白いなあ」という深い満足感でありました。

簡単に感想を書き留めますと、まず何と言っても渡辺さんも指摘されるように三津五郎の貢役がよかった。台詞の聞き取りやすさ、見栄の決まり方、イキの良さ、場の雰囲気の変え方、まさに歌 舞伎の型がそこにあり、そして歌舞伎を観る楽しみを充分に味わわせてくれる役周り。いったいいくつの見栄を切ったことでしょう、そのいちいちが小気味良く、胸の奥でストンと落ちるべきところに何かが落ちる感じ、これが歌舞伎の醍醐味か。

この貢にからむのが勘三郎の万野。勘三郎が舞台に出るだけで客席から笑いが漏れるのはいかがなものかと思うものの(万野が死ぬところまで笑いが漏れるんだからヤレヤレです)それが人気役者たる由縁か、それでも性根の悪い万野役をきっちり演じ切っていました。ここが生ぬるいと貢の中で鬱屈した感情が育たない、また陰湿に過ぎると舞台が暗く重くなる。勘三郎の笑いと真剣な部分のバランスは絶妙。

この「伊勢音頭」という物語、遊女お紺(福助)の愛想尽かし、妖刀「青江下坂」の魔力につられての郭での連続殺人と来れば思い出すのは4月の襲名披露の演目「籠釣瓶花街酔醒」です。あちらはどうしようもない悲劇性を帯びていたものの、こちらはラストのあり方を含めてもう少し軽い、というか、先にも触れた勘三郎の役柄が上手い具合に喜劇的性格を付与し、最後はムチャクチャな筋立てであるのに不思議とやりきれなさや救いのなさが少ない。

いや、軽いのはもしかすると三津五郎演ずる貢の性格にもあるのかもしれません。歌舞伎とは、また当時の感覚は「こんなもの」という肯定的な面が強く、逆にそれ故にといいましょうか、籠釣瓶に通じるような現代性は少ないように感じました。

舞台が廻って踊り子の華やかな音頭の後、血まみれの人物が現れての殺しの場面も残酷なシーンを楽しむというエンタテイメント性を演出に感じ(ちょっと長すぎるが)、18世紀末の江戸の文化的爛熟さを垣間見る思い。

醜女という設定のお鹿(弥十郎)がちょっとかわいそうな役回りですが、これというのも全ては万野の悪企みのせい。ではいったいに万野は何故にここまで貢を陥れようとしているのか、という謎が残ります。観ていると貢の怒りを買うような行動ばかりしている。徳島岩次とつるんで貢から銘刀を奪い取ろうと企んでいるだけにしては、ちょっとやりすぎな行動。「嫌い嫌いも好きのうち」なんて可愛い感情でもない。

こういった行動に対して一閑堂のpontaさんは玉三郎万野の平安というエントリで、

彼女の男への執着は闇のように深く、濃いのだ。あたかも煮詰まった毒酒のように…。 そんな彼女はようやく獲物をみつける。

(中略) 今日の破滅、貢に仕掛けた破滅だけは不可逆なものであって欲しいと万野は思っていたのではないか?

と1999年6月に歌舞伎座で演じられた仁左衛門の福岡貢、玉三郎の万野の「伊勢音頭」を引き合いにして書かれています。この捩れて深い業のような人間性。そのようなものまでは勘三郎の万野からは感じることはできませんでしたが、先の疑問に対する一つの回答であるのかも知れません。

愛想尽かしをするお紺についても最後にふれなくてはならないか。何故愛想尽かしをするのか、そのわけが観ていて分からなくてはならない、お紺は貢の方を見もせずに、寝入っている岩次(>たっだよな?)の懐近くに手をかざし、ひたすらに憎まれ口をきいている。ああそうか、そうかと分かる演技、女心は怖くていじらしくてフクザツだなあと。

お紺、万野、お鹿という三者三様の女模様の複雑さや深さ。これに比べたら男はなんと単純なことよのう。劇を支配する支離滅裂さと脳天気な結末は、勘三郎の「軽さ」ではなく、貢の持つ「男」というものの、どうしようもない単純さと軽さに起因しているのかもしれない。

ちなみに「伊勢音頭」は寛政8年(1796年)に近松徳三の書いた歌舞伎で、同時期に伊勢古市の油屋で起きた事件を題材にしています。一方の「籠釣瓶」は三世河竹新七により明治21年に初演、享保年間の百姓次郎左衛門の吉原百人斬が題材になっております。どちらも「妖刀」の魔力による殺人とされていますが・・・刃物は人を魅了する力を持っているのですなア、おそろしや、おそろしや・・・浴衣といい、ウチワといい、スプラッタといい、まさに納涼歌舞伎でございました。

2005年5月22日日曜日

歌舞伎とは何なのか


中村勘三郎による「野田版研辰の討たれ」を観てから、歌舞伎ってなんだろうと思い、今日は書店と豊島区中央図書館をハシゴして、つらつらと歌舞伎関連の本を斜め読みです。


  • 吉田弥生「江戸歌舞伎の残照」 ISBN:483557947X
  • 橋本治「大江戸歌舞伎はこんなもの」筑摩書房 ISBN:4480873295
  • 戸板康二監修「歌舞伎鑑賞入門」創元社 ISBN:4422700677
  • 岩波講座 歌舞伎・文楽 第4巻「歌舞伎文化の諸相」 ISBN:4000107844



橋本氏いわく


歌舞伎なんていうものは、そもそもが「ルールに取仕切られた混乱のページェント」だったりもする訳

戸板氏いわく


歌舞伎の第一義は戯曲になく、俳優の演技における美の追求にあったと見なければならない

分かったような分からないような気分ですが、学者ではありませんから、このくらいの認識でよしとしましょう。今日読んだ本の中では、橋本本が秀逸です。相変わらずの橋本節ですが、色々斜め読みした中では圧倒的な分かりやすさです。特に「時代物」「世話物」「時代世話物」の概念はまさに彼ならではのものです。


Flamandさんのコメントにあった特に歌舞伎の世界は先の戦争後に存続そのものの危機的状況を迎えたということも気になったので簡単に調べてみました。


昭和19年3月の戦時中「高級享楽停止」の名の下に全国19の劇場が閉鎖されます。翌20年には空襲で歌舞伎座が消失、そして十五世羽座衛門の死と続きます。戦後はGHQにより封建制度を賛美するような内容の歌舞伎の上演が禁止される憂き目に会いました。これを救ったのは他ならぬマッカーサーの副官として日本語通訳を務めたフォービアン・バワーズ(来日当時二十八歳)のアメリカ陸軍少佐であったというのですから、不思議なものです。


しかし戦後においても戸板氏が指摘するように歌舞伎は古くさい、愚劣だ、見るに耐えないといふやうな意見が多かったのだそうです。昭和24年は歌舞伎の名優を相次いで失っています。七代目幸四郎、七代目宗十郎、そして六代目尾上菊五郎です。戸板康二の「歌舞伎への招待」が発刊されたのは、そんな歌舞伎の衰退が懸念された昭和25年になるわけです。


なかなか勉強になりましたです、はい。難しいことなど考えなくても楽しめるのも歌舞伎ですが、深く知るともっと面白いのも歌舞伎でありますな。

2005年5月20日金曜日

歌舞伎座:五月大歌舞伎 野田版研辰の討たれ


夜の部の「野田版研辰の討たれ」は評価の分かれる演目だと思います。初演当時ほどの反響や批判はさすがにもう薄れてきているように思えますが、それでも「果たしてこれは歌舞伎なのか」という議論は今でもあると思います。私のような新参者が、歌舞伎の世界に子供の頃から浸かりきってきた人の芸をとやかく論ずることはナンセンスだとは思うのですが、時間が経つと考え方も変わりますから、現時点での感想を素直にまとめておくとします。


私はあまりテレビを見ませんので、最近のお笑い系の新ネタどころか芸能界の動きには極めて疎い人間です。それでも次から次へと繰り広げられる演出や台詞には(分らない部分もありますが)圧倒されましたし、今までの歌舞伎には全く見られなかったエネルギーや若さを感じますから、数ある歌舞伎演目のひとつとして、こういう芝居があってもよいのかなと思います。

五月夜の部の演目は、人気古典歌舞伎の「義経千本桜」と玉三郎の「鷺娘」、そして「野田版」ですから、現代見ることのできる「カブキ」の最高峰が出揃ったような感さえありました。三ヵ月の襲名披露公演を振り返ってみるに、歌舞伎の持つ表現世界の広さと奥深さをまざまざと見せ付けられました。歌舞伎がまさに九頭龍(ヒュドラ)にも例えられる訳も分ろうというものです。

夜の部最初に演じられた「義経千本桜 川連法眼館の場」は非常にケレン味溢れる芝居です。ケレンとは俗受けを狙って演じられる芸(「肩透かし」や「仕掛」「早替り」など観客の意表をつく演出)のことを指します。歌舞伎が江戸時代においては武士の能と対照的に、庶民の芝居であったことを考えれば、筋とは関係のないところのケレンそのものを楽しむという観方もあったのだと思います。歌舞伎は論理的な「筋」をあまり重視せず、型の美学を見せるものであるような気がしていますから。(これとて一面的な歌舞伎観ではあります)

そのケレン味たっぷりの「川連法眼館の場」の後だというのに、「野田版研辰の討たれ」を観てしまうと、それまでの芝居の細やかな所作の印象などが消しとんでしまいます。玉三郎の「鷺娘」の苦悩と悲しみと嗜虐美さえも忘却の彼方に行ってしまうほど、とにかく「野田版」には全く異質なものを感じました。

「野田版研辰の討たれ」が歌舞伎であるのかということは、観ながらずっと考えていたことです。八代目幸四郎(初代白鸚)は「歌舞伎役者が演じればそれは歌舞伎です」と答えたらしいですが、果たしてそうなのでしょうか。赤穂浪士の討ち入り事件を皆で「聞いたか」「聞いたか」と初っ端から噂話するところなど実に歌舞伎風ですし、義太夫も登場するので確かに歌舞伎らしいのですが、それでも私は「歌舞伎風野田劇」という感をぬぐえませんでした。

全員が動き駆け回る演出方法も、二人にスポットライトが当たり語る場面も、全員がダンスのようなステップを踏む場面も、現代劇では見慣れたものかもしれませんが歌舞伎においては斬新です。歌舞伎を歌舞伎たらしめている見得にしても、福助が「天晴れぢゃ」と言って切った素っ頓狂な見得を、更に「お裾が・・・」と言ってツッコミを入たりするのですが、これではギャグ・マンガです。これらの演技からは、歌舞伎独特の間や美学が感じ取れず、観ていてちょっと疲れる。いったいドタバタ喜劇をわざわざ歌舞伎座で演ずる意味は何なのか、首をかしげる気持ちも少なくはないです。

夢の遊民社の野田を見たのは、恥ずかしながらもう20年も前です。下北沢の本多劇場で観た野田の言葉遊びとスピーディーな劇には驚嘆しましたし、好きか嫌いかは別として強烈なエネルギーを感じたものです。野田氏と勘九郎氏の出会いは結構古いらしく、何かの本によりますと、意気投合した二人が夜中の歌舞伎座に忍び込み、野田氏が「ここで芝居をやりたい!」と叫んで舞台の上を走り回ったときから「野田版~」は生まれたのだそうです。廻舞台を使った演出は、意表を付くもので、かつ極めて効果的であり、なるほどと舌を巻きました。

実のところ自分の中でも賛否両論なのですが、全体としては「観客をわしづかみにしてしまう点、野田秀樹はやはり天才だな」とは思います。劇としての密度も高く、テーマも現代的で上出来でありましたから、観ておいて良かったと思います。でも、多くの感想にあるように「楽しくて仕方が無い」「面白すぎ」「最後にホロリ」などとは素直には思えず、面白いとは思いながらも、野田のあざとさが見えてしまい、そうするともう、そこに踊らされるのが何だか阿呆らしくなってしまうのも確か。

もっとも、この芝居を評価する人には、野田劇か歌舞伎かという議論さえが不毛でありましょう。面白くて何がダメなのか、現代的な要素を取り入れて発展してゆくのが歌舞伎のありようではないかと言うでしょうね。歌舞伎とは何かということになると、勉強不足な私には実はさっぱりでして、ヒュドラに例えられるほどに捉えどころのないのが歌舞伎であると先ほど書いたばかりです。間や歌舞伎の美学がないと書きましたが、このスピーディーさも現代の間と美学であると言えないこともないわけですし。

勘三郎の「野田版」にかけた熱意は彼の発言から十分に伝わってきますし、勘三郎が歌舞伎の将来を誰よりも考えていることも理解はしています。しかし、こういう劇が心底に楽しまれるのだとしたら、これは歌舞伎にとって幸福なことなのか、あるいは不幸なことなのかと思ってしまうのです。これをきっかけにリピーターが増えれば、これほど幸せなことはないのでしょうが。

概して批判的な意見ですが、私は結構保守的でクソマジメなところがありますから、こういう感想を持つのも仕方ないでしょうな。翻って、このごろ話題さっぱりな、クラシック界の現状についてもつらつらと考えたりしてしまったので、こんな文章になっちまいました。以上。

てぬぐいぶろ」さんのブログに、はからずもその3。 歌舞伎でアルか?というエントリがありましたので紹介しておきましょう。

古典にも面白みを感じますが、面白いと思うのはそれが古典だからではないでしょう。
なかには「ふんっ」て思う作品も古典と呼ばれていたりするわけで(私見)。
 :
別に「野田版」に心酔しているわけではありませんが、「歌舞伎座では伝統を重んじた歌舞伎を」と声高に云う方は、
��通し狂言」のみを歌舞伎として認めるのか、
と疑問に思い……、ちょっと鼻息荒くしてみました。

歌舞伎に疎い私は「通し狂言」だけが「伝統を重んじた」ものであるとの認識はありませんが、歌舞伎として認められるには何が要件なんだろう、とそれが気になっているだけです。Flamandさんがコメントで書かれている継承・破壊・創造などというサイクルも理解しますが、どこまでが創造的破壊なのかの見極めは私にはついていません。歌舞伎に接している以上、勘三郎からは目が放せないといったところでしょうか。

2005年5月16日月曜日

歌舞伎座:五月大歌舞伎 夜の部


5月の歌舞伎座も中村勘三郎襲名披露公演でいよいよ賑わっています。前売り券はそれこそあっと言う間に売り切れ、幕見席であっても2時間前に歌舞伎座に着くようでは立見必死なのを知り、本日は何と12時半から列に並んで夜の部を観てきました。

この時間ですと、まだ昼の部の幕見のお客さんが並んでいます。夜の部は16時10分から発売ですから、我ながら頭がオカシイのではないかとは思ったのものの、東京に居ますと2時間くらい並ぶのは平気になりましたので、ハナシの種に3時間半くらい並んでみようかと・・・。それでも歌舞伎座に着いたときには、既に5~60人もの列になっておりました。係の方によると「早い人で朝の8時半から」並んでいたそうです、やれやれ。

それもこれも、夜の演目が菊五郎による「義経千本桜 川連法眼館の場」、玉三郎による「鷺娘」、そして「野田版研辰の討たれ」なものですから、これを見逃してなるものかという気になったからであります。(昼の「菅原伝授手習鑑」と「芝居前」も観たかったが・・・もう気力なし)


さて、前置きが長くなりましたが、前評判が高いだけあり「野田版研辰の討たれ」が他を圧倒していたという印象です。野田秀樹の演出ですから、歌舞伎を見慣れた目には非常にスピーディでダイナミックです。特に幕が引かれてから赤穂浪士の討ち入りから道場の場面にかけての演出は(歌舞伎以外では目新しい物ではないものの)うまいなあと、のっけから感心。テーマの取り方も、大衆の軽薄さや無責任さをあぶり出し、更に「仇討ち」の意義に斬り込んだ点、現代的な視点を見せています。

随所にギャグがちりばめられており(例えば芝のぶのギター侍ネタとか)、言葉遊びの天才野田と吉本好きの勘三郎ならではといったところ。何の予備知識がなくても楽しめるという点から歌舞伎初心者(>私もそうですが)にもウケたわけが分ります。

もっとも「野田版研辰の討たれ」は、歌舞伎というものを考えさせてくれる演目でしたので、ヒマを見つけてまた書くこととします。

義経千本桜 川連法眼館の場」は、狐の恩返しみたいな演目であります。渡辺保さんが芸の完成度ということでいえば、今月一番の出来である。第一に菊五郎の忠信が、菊五郎型の古格を守って、手本となるべき舞台だからである。というだけあり見ごたえ十分。すでに六十を過ぎてあの演技というのには驚きます。「桓武天皇の御宇~」などの狐言葉が濁ってイマひとつだったのは、ご愛嬌でしょうか。

玉三郎の「鷺娘」はメトロポリタン歌劇場で絶賛されたというもので、それはそれは見事な舞踊。照明効果と衣装の引き抜きが見事にマッチして、幻想的なまでの美の世界を表現していました。4月の勘三郎による「娘道成寺」と並んで、娘心をこめた踊りですが、醸し出す雰囲気は全く別物で、「玉三郎版鷺娘」といった趣でしょうか。確かに一見の価値ありですが、幕見席では遠すぎて十分に鑑賞でききれないのが残念ではありました。

蛇足ですが、16時近くそろそろ昼の公演がひけると思った時、突如突風とともに凄まじい雷雨となました。(こんな凄まじい雨、久しぶりに見た!)あまりの突然さに列の皆々騒然、歌舞伎座の前の甘栗売りのテントなど吹き飛びそうですし、幕見席列上のビニールのテントにはホースでぶちまけているとしか思えないような雨がザバザバと落ちてきて、それはそれは爽快を通り越し恐怖さえ感じるような雨でありました。雹まで降ったんですな。

日本列島は15日、気圧の谷が上空を通過した影響などで、東北から関東甲信、北陸の広範囲で大気が不安定になり、東京・大手町では午後3時50分ごろから同4時ごろまで雷を伴った激しい雨が降り、ひょうも観測された。

 気象庁によると、都心でひょうが観測されたのは、2000年7月以来。雨は10分間雨量で8ミリだったが、同庁は「短い間に一気に降ったようだ」と説明している。

2005年4月28日木曜日

戸板康二:わが歌舞伎

歌舞伎を見終わった後、天気もよかったのでポクポクと歩きながら奥村書店へ。ここは歌舞伎・文楽・能・狂言・日本舞踊をはじめとする演劇全般を扱っている専門店。



つらつらと棚を眺めていたら、戸板康二の「わが歌舞伎」「続わが歌舞伎」という歌舞伎の古典的な入門書が2冊で千円で売られていました。発行は昭和23年と24年、本の痛みもかなりで、しかも個人の蔵書印なども押されているのですが、歌舞伎の感想などを生意気にもブログに書いていておきながら、戸板康二の一冊も読んでいないなどは、とてもでないが大きな声では言えないなあと思い購入した次第。

戸板まへがきに曰く。

最近、歌舞伎は大入満員の盛況である。しかし、之を以て歌舞伎の復活をいふのはまだ早い。第一に不思議なのは、見物が静かな事だ。静かといふと聞こえがいいが、実は無表情、無感動なのである。(中略)

が、理由は一応簡単だ。歌舞伎を知らないのだ。

と書き始め、

事実歌舞伎は難しい。が、能のあの極度に圧縮された象徴的表現と比べれば、之はずっと現実的で、一見わかり易い。が、却ってそのわかり易い外見のために、人々は深く考へるといふことをせずに、何けなく歌舞伎を見過ごしてゐるのであるともいへる。くりかへしていへば、歌舞伎はそのなまじつかな大衆性のお蔭で、一番大切にしなければならぬ大衆の心を見うしなはうとしてゐるのである。

と書いています。昭和20年前半においてこの歌舞伎評ですか(だって戦後すぐだぞ)、これは面白いです。翻って中村勘三郎の襲名披露に賑わう21世紀の歌舞伎空間、幕見席であっても立見も満杯の満員御礼が続く状態、掛け声もひっきりなしにかかるところではありますが、いかがなものなのでしょう。

本の内容は歌舞伎の演技・演出に対する目の据ゑどころ、即ち鑑賞の重点を解説したものとあるように、「役柄の話」「演技の話」と章立てして細かに成り立ちを含めて解説してあります。読みながら、ほーほーと思うことしきり。副題に芝居図解とあるように鳥居清言氏の挿絵も味わいがあって、興味が尽きませぬ。ゴールデンウィークは時間が結構ありますから、ゆるりと読むことといたしましょうか。



2005年4月27日水曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 京鹿子娘道成寺


四月大歌舞伎の観戦記の最後、忘れぬうちに「京鹿子娘道成寺」の感想も書いておきましょう。もちろん白拍子花子は勘三郎です。もっとも長唄にまでは予習が廻らず、ぶっつけでは唄がほとんど聴き取れない、それでも多彩な踊りはそれとなく堪能することができました。

渡辺保さんの歌舞伎評では、勘三郎の娘道場寺を次のように評しておられます。

ことに私が感嘆したのはそのクドキ。美しさや持ち味で見せる「道成寺」は他にやまほどあるが、これは踊りで見せるクドキである。その芸の、スケールの大きさ、豊満さ、見事さ、今が見頃の満開の桜。感動的であった。

両手に手ぬぐいを持っての踊りの細かな所作について、どこがどう素晴らしいのか言及した後に、以下のような賛辞。

ということは勘三郎の今度のクドキが美しさとか持ち味とかいう曖昧なものではなく、体を限界まで目一杯使って空間に娘を造形しているということだろう。空間に体の形を刻み込んでいるといってもいい。その造形こそが踊りそのもの。人工の極致である。

なるほど、勘三郎の充実振りがこの文章を読むだけで伝わってきます。他と比べたこともないので、そこまでの素晴らしさは残念ながら私にはわからない。ただ次々と変化してゆく踊りを観ながら翻弄されるばかり、何と多彩な踊りなのでしょう。

最初は烏帽子をつけた能がかりの舞から始まります。形式美を十分に感じさせる厳然とした踊りですが、その後に衣装(いわゆる“引き抜き”)も音楽も、がらりとくだけた娘心の踊りに変わる。あれまと、雰囲気から場の空気まで全然変わってしまったことに、しばし呆然。踊りだけでこんなに表現できるとは!

「恋の手習い」のクドキでのしどけなさもなかなかのもの、立役の多い勘三郎なのでしょうが、彼の女方というのも味わいがあります。さらに感心したのは鞨鼓や鈴太鼓を手にした早間(急テンポ)の踊り。そのリズミカルさ、キレの良さ、まさに鞠が跳ねるかのような躍動感とドライブ感。天性の勘の良さや極めて現代的なセンスを感じました、そこが勘三郎の人気の秘密なのでしょうか。

勘三郎の踊りに関してはねこっぽ雑記のエントリが目にとまりました。

勘三郎さんの台詞回しを動きに翻訳したらこうだよな、という感じ。動きがちゃきちゃきしているというか分かりやすいほどはっきりしているというか。叩くところは叩く、回すところは回すという感じで後になればなるほど「えっ!?」というほど激しくなる

そうですね、この後半になるに従い激しくというところに凄みさえ感じる。伴奏の三味線も、超絶技巧とでも言いましょうか、それはそれは激しくも素晴らしい音楽、思わず拍手が鳴り響きます。聴いていてちょっと震えのきそうな部分です。

この二つの場面(鞨鼓と振り鼓の場面)の動き方自体もとんでもなく激しくて、玉三郎さんの道成寺のイメージが大きかったうちの母親はカルチャーショックを受けていました。

ねこっぽさんは玉三郎の踊りに言及されていますが、人によってかなり違う表現になるようですね。激しさは清姫の怨霊の恨みの強さと激しさなのでしょうか。鐘の中に隠れるのはそれこそ、あっという間の出来事。

最後は鐘の上で見得を切る型ではなく、鐘の中で鬼に変身した花子を團十郎の大館左馬五郎が押し戻しをするというもの。歌舞伎十八番の娘道成寺での押し戻しは、東京では何と23年ぶりの上演なのですとか、これを見るだけでも価値はあったかな。勘三郎と團十郎が揃って見栄を切って幕となるところは、もう天晴れ。これぞ歌舞伎の快楽極まれり。

所化の配役の豪華さも襲名披露ならではとのことですが、歌舞伎ミーハーになれるほどには歌舞伎俳優を諳んじているわけではなく、この点はノーコメント(というか、よく見えん、分からん)。なにやら途中で所化たちが客席に向かって投げていましたが、あれは何ですか?(蛇っすか?>手拭っす) まるでアイドル歌手のコンサートのよう・・・。それにしても、皆さん遠目でも誰が誰だか分かるんですね(@_@) 改めて恐るべし、歌舞伎ファン!

ところで、鐘にのぼっての見栄といえば、「てぬぐいぶろ」さんが、こんなにナイスな画像を提供しておいでです。ご覧になっていない方は、お訪ねあそばせ。(>つーか、歌舞伎ファンで、あちらを読まずこちらを読んでいる人はいねーよ)

2005年4月26日火曜日

歌舞伎座:四月大歌舞伎 ひらがな盛衰記~源太勘当


25日の本日が千秋楽となってしまった中村勘三郎襲名披露の二月目、休日に幕見席に並んで、「ひらかな盛衰記~源太勘当」と「京鹿子娘道成寺」の二幕を見てきました。

相変わらず襲名披露歌舞伎は凄い人気のようで、2時間近く前でも木挽屋(弁当屋)の近くまで列ができています。早い人は3時間近く並んでいるのでしょうか。当然のことですが、5月の公演も一般発売が開始されたときは、ほぼ完売状態・・・3ヶ月で延べ28万5千人が襲名披露公演を見ることになるのですとか・・・恐るべし歌舞伎ファン。


最初の「源太勘当」は、梶原平次景高の勘太郎と梶原源太景季の海老蔵の競演が見所の芝居。しかし他のブログでも指摘されていますが、海老蔵の演技が圧巻でした。平次は悪役でありながらに喜劇味を帯びた豪放磊落な味と、源太の恋人を狙う色の濃さなどが必要な役柄、これを海老蔵がいかにも上手く演じています。声音といい態度といい、圧倒的な雰囲気を醸し出していて主役のはずの勘太郎を食ってしまった感さえあります。「毛抜」の勅使桜町中将役だけで海老蔵を判断していたら、えらいことになるところでした。

それにしても夜の部で團十郎の弾正を見たせいもあると思うのですが、遠くから見ても團十郎に似ていますね。たった二芝居だけで判断するのは早計に過ぎるとは思うものの、成田屋の懐の大きいさとか、おおらかな明るさというのは芸風なんでしょうか。もっとも海老蔵に平次役はガラぢゃないとの意見もあるようですが、私は楽しめました。

対する鎌倉一の風流男の源太を演ずる勘太郎なのですが、これは役柄のせいもあるかもしれませんが、ちょっと演技が大人しすぎる。兄を蹴落として(殺してでも)千鳥を手に入れようとする弟平次に対し、武道で打ち負かしてしまう強さを持ちながらも、頭をかかえ這這の体で、逃げ帰る平次に注目が集まってしまうのは、何とも。

��平次)「世間は切腹したにして、其の首刎ねて埒明けう」とずばと抜いて切りかゝる刀の鍔際むずと取り「兄親に対し尾籠の振舞、腰抜の手並腰骨に覚よ」と引っかづいてどうと投げ付け、起しも立てず刀の背打(むねうち)。りう/\はっしと撲のめせば「あいた/\」と顔しかめ、はふ/\逃てぞ入りにける

見終わって感想を書こうと思っても、これといって源太のよかったところが思い出せない。よほどに難しい役なのであろうなあと、今になって思います。七之助事件がなければ、源太は七之助が、勘太郎は源太の恋人の千鳥を扮するはずっだったらしく、そうであったならまた印象も違ったでしょうか。

この芝居は、源太、平次の母親である延寿も重要な役割を果たすのですが、これは秀太郎が演じていました。延寿は歌舞伎の「三婆」の一つにかぞえられることもある難しい役どころ。源太を切腹から救うためわざと勘当を言い渡した後の場面、

一度にどっと打ち笑ふ源太は変りし我が姿の、恥も無念も忍び泣き母は我が子を助けんため、人前作る皺面顔。怒る擬勢も苦口も詞と心は裏表、『命がはりの勘当ぢゃと思ふて堪忍してくれ』と、云ひたさ辛さ泣きたさを、胸に包めど包まれぬ悲しい色目悟られじと「ヤア皆の者があの態を見て、おかしがるで母もをかしい。あんまり笑ふて涙が出る。ハヽヽヽ」と高笑ひ、泣くよりも猶あはれなり。

心のうちを隠して、皆に合わせて笑わざるを得ない難しさ。秀太郎の延寿も悪くはないのですが、三婆のひとつ微妙(盛綱陣屋)を演じた芝翫の思い出すに、芝翫だったらどうであったろうなどと考えたりしました。あくまでも歌舞伎ですから、愁嘆場もあまり生々しくなってはちょっと興ざめですし。

物語的には、この後頼朝卿より給はりし産衣の鎧兜、誕生日の祝儀に持って行けと源太に渡し、鎧と一緒に千鳥も付いていたという母親の計らいがあるのですが、源太が恥辱を雪ぐ合戦に恋人を連れ立って行けとは、足手まといにならんのかねえ、などと考えるのは野暮なことなんでしょうなあ。

2005年4月22日金曜日

歌舞伎座の建替え・・・

お気楽草紙というブログで、歌舞伎座の建替えが発表されたとのエントリ。

歌舞伎座は明治22年から数えると四代目になるのでしょうか。現在の形式での新築は大正13年、東京藝術学校(現東京藝術大學)教授の岡田信一郎氏の設計によるもの。震災で焼けたりしていていますが鉄筋コンクリート造です。三代目の歌舞伎座は現在と似ていますが、正面に入母屋造の立派な屋根があることが歌舞伎座のフラッシュ画面を仔細に眺めるとよく分かります。

震災後の修復は昭和26年(1951年)になされています。機会があって、楽屋を覗いたこともあるのですが、表の華やかな世界からは想像もつかないような裏の古さにびっくりしたものです。襖の高さも1.8mなかったような・・・。幹部俳優には部屋が与えられていて、外には「幸四郎」とかの暖簾がかかっています。幹部俳優でも一部屋しかない方や、二間続きの部屋の方とか待遇が違うようです。当然、大部屋俳優は寄り合いですね。勘三郎さんの写真集などでもそれとなく伺いしれます。


古い建物ですが幕見席などに並んでしみじみ眺めますと、化粧垂木や肘木までコンクリートでできていて、よく作ったものんだと感心しす。歌舞伎座サイトによると、瓦などは現在ではもはや造れないようなものなのですとか(粘土が違う)。


私もいつまで東京に居て歌舞伎座に通えるのか知れませんが、願わくは新しい歌舞伎座でも「幕見席」がなくならないことを切に願うだけです。


それにしても、歌舞伎座のサイトで知ったけど客席数は幕見を含めて 1866席。サントリーが確か2000席前後。歌舞伎は昼から夜遅くまで、ほとんど毎日公演している。勘三郎の襲名披露など三ヶ月連続で公演しているにも関わらず席の入手は極めて困難。ひるがえってクラシック音楽、大ホールを1ヶ月も延々と満席にし続ける公演なんて考えられるでしょうか。それ以前に、1ヶ月も同じ演目を演奏し続けるなんて考えられます?>演奏家の方々