11月4日(日)のN響アワーは『ブラームス・ふたつの第1番』と称して、ピアノ協奏曲第一番 第一楽章と交響曲第一番 第一楽章と第四楽章が放映されました。後半の交響曲においてN響の首席フルート奏者をつとめたのが、このごろ活動の幅を更に広げている高木綾子さんでした。
いつもは自前のドレスなどで華やかな衣装ですが、最近短くカットされた髪に黒のオケ服も映え、それはそれは・・・。
え?N響の演奏?それは安定感あって、いかにもでしたかね。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
11月4日(日)のN響アワーは『ブラームス・ふたつの第1番』と称して、ピアノ協奏曲第一番 第一楽章と交響曲第一番 第一楽章と第四楽章が放映されました。後半の交響曲においてN響の首席フルート奏者をつとめたのが、このごろ活動の幅を更に広げている高木綾子さんでした。
いつもは自前のドレスなどで華やかな衣装ですが、最近短くカットされた髪に黒のオケ服も映え、それはそれは・・・。
え?N響の演奏?それは安定感あって、いかにもでしたかね。
http://yaplog.jp/takagiayako/archive/416
しかし、フルートとトロンボーンの二重奏なんて、聴いたことないぞ。それに、ヲヂさんよりハンサムぢゃん!
http://blog.yahoo.co.jp/brilliantdays_hideya
堂々とブログに書くところが、今風ぢゃな。影ながら祝福しますぢゃ。今後の演奏活動にも、期待しとりますぞ。
高木さんの演奏の感想については、拙HPやブログでも何度も書いていながらにして、実演に接するのはこれが初めてです。
過大なる期待を持って演奏会に望んだのですが、聴き終わった後での感想といえば、完全に惚れ直したというのが正直なところ(ビジュアルぢゃなくて)。
まずステージに上がってきたところから既にオーラを発しています。モノが違うというのは、こういうことなのでしょう。淡いリラかラベンダーを思わせる色のドレスを颯爽と身に纏い、ステージ中央にスクと立った姿からは貫禄さえ感じます。
今年のモーツァルト・イヤーを含めて一体彼女は何回のモーツァルトを演奏しているのでしょう。ソロ活動中のパユがそうであったように、内心少々はウンザリ気味なのか、あるいは毎回気持ちを新たにできるものなのか、演奏者の表層的な内面は聴衆には分かる筈もありません。
オーケストラの前奏が始まると顔つきが一段と怜悧になり、伴奏を軽く口ずさみさえして音楽に没入していきます。その姿はスタート前のアスリートを思わせます。そして音楽に対する集中を一気に高めた後でのフルートの第一声。
��。何という音の掴みでしょう。そのビビッドさときたら、最初の出だしで一撃です。何度も聴きなれたフレーズがクイッとばかりに立ち上がる。生き生きとして快活で敏捷なモーツァルト。
彼女の演奏からは、野性とか高度な運動性能を感じることがあります。例えば、昨年発表したCDの武満徹の《海へ》。ここでも、動物的なカンとさえ思えるような印象の演奏が展開されます。他の武満像とは
少し(いや、かなり?)違う。今回のモーツァルトも学究的モーツァルト解釈の点からどうなのかは、私には全く分かりませんが、これほどにドキドキしながら聴いたモーツァルトも他にはないということも確か。
まるで黒豹を思わせるしなやかさを展開させながら、モーツァルトの世界をゆうゆうと突き抜けてゆく自在さ。1楽章最後のカデンツァは、もう息を呑むばかり。あまりに唖然。壮観、爽快、感歎。駆け抜ける音楽の至福。これがK.313なのか、いやこれこそがK313なのか。彼女の音色と残響だけが奏楽堂空間を満たしたときの音しか存在しない緊張と充実。この演奏を聴くだけでここに来た価値は充分にありました。
横で見守る金教授や藝大の関係者の方々は、どのような思いで彼女の演奏を聴いたのでしょう。カデンツァの最中に金教授がビオラの女性と目配せしているのが印象的でした。
高木さんのブログを読むと久しぶりに興奮した演奏
、若かりし頃の演奏に近くて、やりすぎたかなぁ~?
と書かれていました。私のような聴衆(^^;;には受けは良かった
と思いますよ(笑)。
(諸事情があって行きそびれました・・・激残念)
ということで、予想以上の高木ショックのため、次なる高木綾子は8月27日、白寿ホールでの武満徹《ヴォイス》《海へ》に決定です。
藝大の奏楽堂で、金昌国さんのレクチャーと幾つかの協奏曲を聴いてきました。
私の目当ては(当然ですが)フルーティストの高木綾子さんであります。高木さんの感想はエントリを改めることとしまして、それ以外の感想を簡単に書いておきましょう。
金教授のレクチャーの持ち時間は2時間。先生もおっしゃっていましたが、語り足りないくらいのようでしたね。フルートとモーツァルトが好きで好きでたまらなくて、「モーツァルトとフルートの関係を裂くような発言には猛然と反発したくなり、膨大な時間を費やして反論のための研究をしてきた」と言う金教授の熱意には脱帽するばかりです。最近手術をなさったとかで、まだ唇などが荒れたままで笛が吹けないのだそうです。そういえば(写真などと比べると)随分痩せたのでしょうか・・・。指揮の途中で指揮棒を落としておられましたが、今後も元気で活躍されることを祈るばかりです。
演奏会の最初は、2005年の日本音コン ホルン部門第1位、まさに日本を代表するホルン奏者 大野氏によるホルン協奏曲。丁寧で柔らかなホルンの音色から奏でられる音楽は、至福の時間を提供してくれました。ホルン奏者がこんなに格好いいものだとは、今の今まで知りませんでした。
オーボエ協奏曲は新日フィルの主席オーボエ奏者でもあった小畑氏による演奏。音楽演奏というものは人柄がにじみ出るものである、とつくづく感じました。表情が少し硬い印象を受けましたが、演奏は非常に温かみのあるもので、とても幸せな気持ちにさせてくれるものでした。カデンツァもさすがに百選練磨のプロですね、聴きごたえのある演奏でした。
最後の《管楽器のための協奏交響曲》は、モーツァルトの真作かどうかアヤシイとされている作品です。モーツァルトを愛する金教授は「モーツァルトの作品と信じて演奏します」とレクチャー最後で述べたように、素人的にはモーツァルトの作品でないと言われても真偽の程は分からない。それでも曲を聴いていますと、他の3曲の生き生きとした音楽に比べて、どこか平板な印象が拭えない印象も受けるのは先入観のなせるわざでしょうか。
��人の管楽器奏者の中では、音色の点においてもオーボエの真田さん(左写真)が群を抜く表現力でしたね。小畑さんのオーボエよりも更に明瞭で明るい音色には惚れ惚れしてしまいました。今でも演奏する姿が脳裏に浮かびます、決してビジュアル面だけでの評価ではありません。
ということで、次は高木綾子さんの演奏の感想に続きます。
��なぜかエミールという名前の)ネコを抱いて、日本代表のレプリカを着て、女子大生にしてはよく調度された家具に囲まれて、写真に納まる。「オレもネコになりたいぞ!」と、オジサンたちの萌え心をくすぐる、このあたりが凄い
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雑踏の中に時折飛散する少し碧みがかった花弁のような真理を拾い集めてみたいとあるのですが、私には雑踏の中での無秩序で不安な断片のようなものしか聴き取れず。こちらの曲は、今の私には余り馴染めませんでした。猿谷さんは現代作家の中で確たる地位を築いている方のようですので、他の作品も機会があれば聴いてみたいと思います。
どれもが日本の現代音楽の「今」を象徴する3人の若手作曲家による注目作品を集めた1枚であるとのこと。
一種の浮遊感(足取りとしては確かなもの)というキーワードがあります。確かに浮遊感のような、移ろいの美しさと儚さはあるものの、弱々しかったり女々しかったりするようなものではなく、不思議な確信と希望に満ちた感覚。立原道造の『天の誘い』という詩にインスパイアされて作曲したのだそうです。
武満徹の「海へ」は全てアルト・フルートの曲ですが、伴奏によってギターとのⅠ、ハープと弦楽合奏のⅡ(1981)、そしてハープとのⅢ(1989)の三つのバージョンがあります。一番多く演奏されるのはⅠとⅢだと思いますが、このガロアのアルバムには全てのバージョンが納められていてお得です。
ガロアが吹くのはChris Abellの木管フルート。最初の出だしから絶妙に抑制された音色が、モノトーンな武満の世界を提示してくれます。意図的なのか「尺八」的な表現も聴こえてきますから、先に聴いた高木綾子さんの「海へⅠ」よりも余程日本的な湿度を伴った演奏に聴こえるから不思議です。落ち着いていながらにしてスリリング、変に煽るようなところは全くない深い演奏です。
高木さんの演奏は、以前も書いたように音色表現の幅は広いものの、エネルギーレベルも高く挑みかかるようなチャレンジングな演奏です。それゆえに「人間と対峙する孤独な鯨」というような印象を受けます。一方でガロアの演奏は木管フルートというせいもあるのか、自制(自省)的で「対峙」や「闘争」はありません。ひたすらどこかに潜行する巨体が想像できるだけです。どちらも表現としてはありかなと思いますが。
武満はこの作品をメルヴィルの「白鯨」から次の言葉を引用して説明しています。
Let the most absent-minded of men be plunged in his deepest reveries...and he will infallibly lead you to water...Yes, as everyone knows,meditation and water are wedded together.
spiritual domain
とか言われても実際のところは「なんのこっちゃ?」という感じなのですが、ガロアの「海へⅠ」を聴いていると、自分の深い部分と対話しているようで落ち着いた気分にさせてくれます。その意味からは私にとって非常に貴重な一枚です。
ちなみにガロアが木管フルートに興味を持ったのは武満徹のノヴェンバー・ステップスに影響を受けてのことだそうです。
コロンビアの岡野博行さんのサイトに「海へ」の録音レポートが掲載されているのを見つけました。
今回の録音場所であるスイスのベインウィル修道院ってどんなところだろうと思っていたのですが(ライナーには全く紹介がないですから)、バーゼル郊外にひっそり佇む修道院の姿を写真で見ることができて満足です。
岡野さんは高木さんの演奏を高木さんの本能的な音楽への肉迫力
と書いていますが、確かにちょっと荒削りに聴こえるところもあるのですが、フルートという枠を少し外れて、どこか人を惹き付ける魅力がある演奏家ではあると思います。
高木さんのアルバムを何度かに分けて紹介していながら、アルバムタイトルとなっている武満徹の「海へⅠ」をスルーしてしまうのも気になりますので簡単に感想を書いておきましょう。
アルトフルートとギターのためのこの作品は、1981年に作曲されグリーンピースの「Save the Whales」のキャンペーンに寄贈された作品で、「Es、E、A」(=Sea)の三つの音を旋律動機としている三楽章形式の曲です。それぞれが「夜」「白鯨」「鯨岬」と題されていて、どれもが神秘的で深い味わいを持った曲です。聴くたびに母なる海を悠々と泳ぐ鯨を想像させてくれ、近づき難いイメージのある武満作品の中でも、数あるフルート作品の中でも私の好きな曲の一つです。
アルトフルートの少し低い音や、フラッタータンギングやフルートの特殊奏法を駆使した音楽は、静かで深い感銘を与えてくれます。高木さんは表現の幅が広いようで、ピアニッシモの弱音から限界に近いフォルテッシモまで幅広くある意味で芯のある音できかせてくれています。息も良く続くなあというくらいに、音色を変化させながら音を引き伸ばしたりする様はさすがかなと。ちょっとドキドキするような展開だったりします。
ただ、ヘッドフォンなどで音量を大きくして聴きますと、ピアニッシモの際に聴こえるホイッスルトーンのような音とか、どうしても入ってしまうブレス音が少々気にならないわけではありません。随分と奏者に近い位置にマイクをセッティングしているようです。
それでもこのアルバムの中にあっては、意欲的な演奏で高木さんの別の魅力に触れることができると思います。生で聴いてみたいものですね。
高木綾子さんのブログによりますと、青葉台東急スクエアのオータムキャンペーンのモデルになるのですとか。ポスターは東急線のごくローカルな場所でしか貼られず、しかも期間は8月18日から10月26日なんだそうです。
下北沢のお洋館と和館の混ざったお屋敷で撮影したとのことで、駒場公園内の「旧前田公爵邸」かなとも思うのですが、あそこあたりは個人のお屋敷もまだ結構あるかなあと。ブログに特徴的な窓の写真が掲載されていますので、ヒマな休日の散歩がてらに確かめてみようと思います・・・(>行ってみたら、違いました。ものの見事にはずしたなあ・・・)
タンゴの歴史はアストル・ピアソラによるフルートとギターの定番的な作品ですが、このアルバムでの高木さんの演奏には、これまたたまげてしまいました。彼女の演奏の芯の強さとスピード感、それに思い切りの良さが加わって、女性が吹いているとは到底思えない演奏です。他の人の実演でも何度かこの曲に接していますが(誰の演奏かは失念)、こんなタンゴの歴史は初めて聴きました。
「Bordel1900」の出だしからして、ザックっとした切り口で鮮やかです。ほとんどフルートの限界近いまでに吹き込まれ伸ばされた音の効果ときたら、あいた口がふさがりません。「Nightclub1960」での特殊奏法とバラードの部分の緩急強弱自在の鮮やかな対比の見事さ。ピアソラに強烈な高木節を乗っけたといったところでしょうか、人によっては好みが分かれるかもしれませんね。
それでも人を惹きつける何かがある演奏であることには間違いなく、ライナー・ノーツに福田さんが若さに溢れた明快さ、ある意味で音楽に対する動物的な本能を併せ持っている
と書かれていることに素直に頷いてしまいます。時に荒々しいまでのノリは凄みさえ感じます。
もっとも、全面的に彼女の演奏を肯定するわけではありません。素人が何を書くかという気もしますが、素早いタンギングでのキレやトーンの膨らませ方に気になるところもあるのですが、まあそれがどしたというレベルではあります。
梅雨だと言うのに暑いですね、今日は35度にもなったのですとか。外に出ると熱風が全身を包みます。うんざりしながら涼を求めて新宿のHMVに入ったら、高木綾子さんの新譜が発売されていましたので思わず手に取りました。何と福田進一さんとのデュオではないですか。
ジャケットも梅雨時期なので最初は白カビが生えているのかと思ったのですが、水滴のついたガラス越のポートレートだと気付きました、とてもスィテキ(素敵)です。
さて内容ですが、ピアソラや武満徹の有名曲をはじめ、ボザやイベールなどのフルート関係者にはお馴染みの作曲家の曲や、アルゼンチンのギタリスト兼作曲家のブホール、カンヌ生まれの名ジャズ・ピアニスト、作曲家、指揮者であるボーリングの曲なども交えて楽しめるアルバムになっています。ありきたりの選曲でないところが、うれしいです。
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高木綾子 福田進一/海へ
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高木さんのフルートは、実は生で聴いたことがないのですが、CDを通して聴く限りにおいては、独特の抵抗感のある音色に特徴があり魅力になっています。特に低音での迫力は、音楽だけを聴いているとジャケ写真のような女性が演奏しているとは思えないかもしれません。このアルバムでも、最初の曲から、歌声で言うなら「ちょっとハスキー」な感じの音色でグイグイと迫ってきます。
しかし、ここが誤解を招くと思うところなのですが、CDをヘッドフォンを通して聴くのと、ホール空間で聴くのでは全く異なったものであると思いますので、実際がどうなのかは、いつか補正しなくてはならないと思っています。
曲はどれもが良いですね、「タンゴの歴史」や「海へ」はもちろんですが、「ブエノス・アイレスの雲」や「子守唄とセレナード」などの、のびやかでゆったりとした曲も聴きこたえがあります。疲れた体が「ああ、海にでも行きてーな」と叫び始めます。いくつかの曲は楽譜でも入手して練習してみようかな、という気にさせてくれます(ボザとかボーリングとか)。
ギターの福田さんも絶妙な音色で聴かせてくれています、まさに余裕、貫禄といったものまで感じますね。福田さんの「タンゴの歴史」といえば工藤重典さんとのアルバムも実家にあるはずなので、いつか聴き比べて見ます。個々の曲の感想を書くには疲れすぎているので、これにて。
音楽界の動向から遠ざかっていて、ヲジさん見落としていたよ。フルーティストの高木綾子さんがブログをはじめていたんだ!
有名人ブログは花盛りで、ちょっとなァと思っていたのですが、ヲジさんは許す。ブログのデザインが少々悪かろうが、あまりめぢゃーでないブログ・サービスだろうが認める、毎日通うっ! ヲジさんも村治佳織さんとツーショット撮りたいっ!(イヤ、スリーショットがいいっ) 東京フィルの斉藤和志さんと焼肉食いたいっ・・・かは微妙っ!
さすがに、こんな内容でTBする勇気はヲジさんには、ない。
彼女の使う楽器はヘルムート・ハンミッヒ。この笛がお気に入りで、自分の音楽を表現するにはこれしかないとまで言う。しかしこのハンミッヒ、知り合いのフルーティストの話では管厚が薄いらしい。というのも、この楽器が製造された時期は銀が不足しており、8本分の銀で9本の楽器を作らざるを得なかためらしい。
楽器の良し悪しは私にはよく分からないが、それにしても彼女の音は独特だ。「Air Bleu」の最初の曲、「スペインのフォリア」を聴いた時は本当にびっくりしてしまった。日本音楽コンクールの録画も見たが、モーツアルトの協奏曲のカデンツァなどは圧巻であったと思う。
彼女は、エマニュエル・パユのもとに留学を試みようとしていたようだが、パユがもう生徒をとらずないこと、またベルリン・フィルに復帰してしまったことにより(何と自分の辞めた席を、再度入団試験を受けて舞い戻ったらしい)、彼女の希望は今のところ叶えられそうもない。しかし、これからの活躍が期待できる演奏家であると思うのだ。 (2002年)
所有していて、まだレビュを書いていない盤もあります m(_ _)m