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2021年6月7日月曜日

クラシック音楽の精神性について再び

クラシック音楽の人気ブログ、BOKUNOONGAKUで、古くて新しい、音楽に対する精神性という論点での非常に長く、深い論考が掲載されていましたのでメモっておきます。

2019年12月15日日曜日

オットテールよりGavotte in D-majore (Op. 1 no.2)

トラヴェルソの下記演奏が良いね。 

Liked on YouTube: HOTTETERRE: Gavotte in D-major (Op. 1 no. 2), Johanna Bartz (traverso) & Peter Croton (lute) youtu.be/My5Urz7rHvA

posted at 18:21:08

2019年7月21日日曜日

バロック時代の作曲家

 

2019年6月20日木曜日

藤田真央さんのモーツァルト

 チャイコフスキーコンクール2019

2019年3月15日金曜日

コパチンスカヤのYouTube動画に仰天

 

2009年5月30日土曜日

宮下誠氏の訃報

クラシック音楽界で今年に入ってから黒田恭一さんなど鬼籍に入られた方は多い。その中で、黒田氏の訃報には反応しない私ですが、『カラヤンがクラシックを殺した』宮下誠氏(國學院大學教授)の突然のそれには驚かされました。5月22日か23日に、出張先のホテルで心不全で亡くなったとのこと。春先に入退院されていましたから、そのことと関係があるのでしょうか。詳しい情報は分かりません。1961年生まれですから、私と同い年なんです。

氏のブログは死の直前、5月15日「不在の代償」が最後になってしまいました。リンクしたページもいずれネット上からは消えてしまうかもしれません。

氏の提示した考え方には、クラシックファン以外の方々も反論を申し立てました。かなり激しいやり取りがネット上でかわされたようです。特に2チャンネルのそれは、凄まじかったと氏はブログで書いていました。私はそのような「熱い」議論に興味はありません。それでも、氏が提示した「音楽とは何であるのか」というテーマが投げかける社会に対する問題提起は、私にとっては小さくはないものであっただけに、氏の訃報を残念に思います。

『カラヤンがクラシックを殺した』の激しいやり取りの後、氏が2月16日にブログで書いたコメントを引用しておきます。

(上記書に関しての2チャンネルでの論戦、そして筆者の不明による謝罪などを説明した後に)しかし、そのような措置には、膠着状態が長く続き、文化の貫流が淀み、腐臭さえをも発している今日を生きる筆者の、絶望に裏打ちされた怨嗟と、明日への希望に対する渇望があった。何よりも、「目に見えないもの」に対する敬意のあまりの軽視への灼熱する怒りがあった。これだけは誤読されてはならないと思う。傲慢だが、これについてだけは大多数の同著に否定的な読者は間違っていると思う。

今日の文化、芸術、社会状況を肯定的に是認しうるだろうか?

(中略)

衆愚は良質の文化を、己の間尺に合わせて切り刻み凡俗へと凋落させる、恐ろしい力だ。権力だ。

こういう認識を現代社会で持っている方は、生き難いと思います。氏の前提である現代社会の「悪意」「世界苦」そしてそれゆえの「絶望」が理解できないと、氏の主張は「ハア~?」てなもんでしょう。真摯に哲学的なんです。

氏が指摘したかったことの一部は、『アレグロ・オルディナリオ~マーラーを中心としたクラシック音楽のことなど』というブログの「『カラヤンがクラシックを殺した』を創造的に読むために。(前編)」が、サブカルチャーと自我という点にまで敷衍し、非常に端的にまとめてくださっています。

氏の『逸脱する絵画』『迷走する音楽』も買っておかないと、絶版になっちゃうかもだな・・・。

2009年3月15日日曜日

ハイティンクの無料音源を堪能

CLASSICAの飯尾さんによる「ネットエイジのクラシックジャンキー」で、『巨匠ハイティンクのライブ音源無料ダウンロードサービス!』という記事が目に留まりました。

ダウンロードが3月15日までとのことなので、せっかくですからダウンロードしてみました。演奏はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団で、以下の3曲です。

  • ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 (2005年)
  • シューマン:交響曲第1番「春」 (1981年)
  • ビゼー:交響曲ハ長調 (2000年)

音源は楽章ごとに分かれたmp3形式。前回の配布では全楽章が1音源でしたから使い勝手はこちらの方が良いかと思ったところ、楽章の最初と最後にオランダの公共放送局radio4のアナウンスが挿入されている曲が幾つかありました。

多少興ざめではあるものの、これほどの音源をサービス期間中とはいえ無料でダウンロードできることはありがたいことです。往年の響きが失われているとお嘆きの方もいらっしゃいますが、ロイヤル・コンセルトヘボウの柔らかな音色も素晴らしく、全曲とも堪能することができました。

シューマンやビゼーの交響曲は普段あまり食指を伸ばさない、またハイティンクでさえ私にとっては積極的に親しもうと思う指揮者ではありません。しかし「無料」ということもあって、こうして聴いてみますと、どれもじっくりと聴くべき価値はしっかりあり、特にハイティンクに関しては一度まとめて聴いておくべき指揮者なのだろうなと改めて思ったりしました。

2009年1月12日月曜日

映画:エジプトのジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザ)

新宿バルト9で上映されているUKオペラCinema 「ジュリオ・チェーザレ」(ヘンデル作曲、グラインドボーン音楽祭2005年)を観てきました。DVDにもなっている本作品は、クレオパトラ役のダニエル・デ・ニースを一躍有名にした公演。

映画館でオペラというのは何度か観た事があります。貴重な映像を大画面で観る事ができるのは有難いのですが、音量と音響がちょっと酷い。クラシックを知らない人には適正な音量というものが理解できていない、ただ単に「大音量であれば迫力がある」としか考えていないのでしょう。音は割れ、高音もヒステリック。クリスティ率いるエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の微妙なハーモニーが騒音としか聴こえないのが何とも哀しい。歌手の歌声は肉声のそれではなく、ハンドマイクを通した街頭演説さながら。

歌手のドアップ映像もつらい。ハリウッドのスターではない。大アップでの熱唱はビジュアル的に耐えることができません。

そのような音楽的、ビジュアル的悲惨な面があったとしても、デ・ニースのクレオパトラは素晴らしい。彼女が登場すると世界が全然変ります。ジュリオ・チェーザレ役のサラ・コノリーやセトス役のキルヒシュラーガーなど並み居るヘンデルを得意とする歌手陣を向こうにまわしての圧倒的な存在感。これにはデイヴィッド・マクヴィカーの演出によるところも大きいのだと思います。ドロドロした復讐劇に、少し軽目のエンタテのトッピングをかけている。その対比が上手い。

デ・ニースには文字通り「つま先」まで痺れてしまいます。でかい口、大きな眼。チャーミングにしてコケティッシュ、健康的な色香。いわゆるエロかわいいてやつでしょうか。最後、さながらミュージカルのように歌って踊る「Da tempeste il legno infranto」がアタマにこびりついて離れません。確かにデ・ニースがフィガロのスザンナ役を演じたならばハマリ役でしょう。

二度の休憩をはさんで227分。観るのも結構体力が要ります。デ・ニース観たさに映画館に脚を運びましたけど、さらに別のオペラを観たいかと考えると、この音響では勘弁といったところでしょうか。新宿では16日(金)までですから、観るならお早めにといったところでしょうか。

2008年10月15日水曜日

ランニングのおとも ガーディーナーのマタイ


今日はITSで購入したガーディナー&イングリッシュ・バロック・ソロイスツによる「マタイ受難曲」を聴きながら走ってみました。もはや定盤であるガーディナーの「マタイ」、悪いはずはありません。ただし12kmそこそこの距離では、「マタイ」を最後まで聴き通すことはできません。ブルックナーならば大丈夫なのですが、バッハではダメです。やはりバッハは偉大ですっ!(>って、ちょっと違うだろう)。


冗談はさておき「マタイ受難曲」は軽々しく聴ける曲ではありません。正直に申しますが「マタイ」のリアル全曲ボックスは所有していません。抜粋版だけです、それも誰のか覚えていない、ほとんど聴いていないんです。


「マタイ受難曲」といえば究極の西洋音楽として崇め、全曲ボックスも複数所有しているというのが、正当なクラシックファンの姿でありましょう。例えば、『鎌倉スイス日記』のSchweizer_Musik先生ともなりますと、こうです。
(→http://suisse.exblog.jp/9064566/)


聞く音楽は何にしようかと考えて、バッハのマタイ受難曲を聞くことにした。ガーディナーの演奏はどんなものか…。今第1部を聞き始めたところ。素晴らしい演奏だ。もう10種類以上もマタイ受難曲を持っているけれど、どれが良かったかなんてなかなか言えない。さすがにこれほどの傑作を録音するほどの音楽家なら、大体一流に決まっているし、(中略)


さて、このガーディナーの録音。レポートするには曲が曲だけに簡単にはいかないが、凄い演奏だということだけは確かだ。エヴァンゲリストのアンソニー・ロルフ・ジョンソンもなかなか良い。エルンスト・ヘフリガーが…などと無い物ねだりしてけなすほど私は下品ではない。
それに合唱も上手い。さすがにプロの合唱で聞くマタイは安心感がある。



プロにしてこういう評価です。素人の風上にも置けない私ごときが、「ガーディナーの『マタイ』は・・・」などと書こうものならば、笑止千万です。


毎日のようにCDの感想をアップされている『妄想的音楽鑑賞とお天気写真』のyurikamome122さんは、「マタイ」(リヒター指揮)に対して控えめです。
(→http://yurikamome.exblog.jp/1401545)


正直この曲私にはわからないのです。(中略)


とにかく音楽に色気がないのです。気の利いたところもないではないですが、たとえばハイドンの「天地創造」のように。でもこういう曲はわかってくると奥深いのでしょうね。ある雑誌ではバッハ最高の傑作として取り上げられていましたが、私には「ロ短調ミサ曲」の方が聴けます。あれは飽きません。悲しいことです。残念です。



yurikamome122さんにしてこうなのです。音楽が偉大過ぎるのでしょうか、悲しいことです、残念です。


しかし、古学ファンであられる#Credoのkimataさんともなると流石です、「マタイ」に通底されておられるため、やはりこうなります。
(ヘレヴェッヘ指揮→http://blog.livedoor.jp/credo5026/archives/50368055.html)


とか言ってるくせに、今はBCJではなく、ヘレヴェッヘのCD(エヴァンゲリストがボストリッジのやつ)を聴きながらうブログ書いてます。ただいま、後半のフラット系の調性になるところまで来ました。この辺が一番好きです。いい曲だよ、まったく!


後半のフラット系になるところとは、具体的に「どこ」?なのでしょう、そう指摘できることそのことが、すごいことです。


とまあ、ネット上の正当なクラシックファンの方々の「マタイ」評を読むのは楽しいものです。そうして改めて、走りながらとか眠りに落ちながら聴くわけです。聴きながら思います。単なるBGMとして聴くには崇高すぎると。襟を正して背筋を伸ばしてでなくては、バッハやバッハ信者に失礼に当たるのではないかと。


しかしウェアの襟ばかり気にしていては走れません、背筋を伸ばしては苦しくて眠れません。椅子に座って聴こうにも、お尻が痛くなってしまいそうです。私にとって「マタイ」は、せいぜいがiPodに入れて走ったり散歩したりしながら聴くのが相応しいと思うのでした。


いつかは礒山雅著『マタイ受難曲』でも読みながら、真正面からこの曲に取り組んでみたい気はしますけど。



バッハ:マタイ受難曲


ジョン・エリオット・ガーディナー(cond) イングリッシュ・バロック・ソロイスツ バーバラ・ボニー(S) アン・モノイオス(S) アンネ・ソフィー・フォン・オッター(A) マイケル・チャンス(CT) ハワード・クルーク(T) オラフ・ベーア(B) クラシック声楽曲


録音年(1988年4月)/収録場所:オールドバラ

2008年10月11日土曜日

ランニングのおとも カラヤンのブルックナー


ランニングのおともとして聴いている曲にカラヤンのブルックナー全集(→DG版:HMV)があります。これもITSでダウンロードしたものです。



カラヤンのブルックナーは、まさに豪華絢爛。田舎くささやトロさ、深刻さは全く感じられず、ひたすらに美的快感原理が追求されているように聴こえます。それゆえ正統派のブルクネリアンは、おそらく今でも彼の演奏をかなり批判的に評価するのではないでしょうか。


録音は1975年から81年にかけて。カラヤンも70歳前後と高齢ですし、ベルリンフィルとの絶頂期は過ぎています。しかし、それではあってもテクニック的にも音響的にも世界最高峰のオケです。そこから至福を感じるかあるいは壮大なる空虚と浪費を感じ取るか。これは人により大きく異なるでしょう。


カラヤンの音楽は、彼があまりにも強大な権力を持ったが故か、日本の音楽界や音楽マニアの間で貶められた時期がありました。音楽に快楽より深い精神性を求めること、正統派ドイツ音楽への追求などなに対するアンチテーゼでもあったのでしょう。そういう当時にあっても、カラヤンのブルックナーのあまりの美しさを、控えめながらも強く主張する声もあったように覚えています。


今ではクラシック音楽を巡る状況も変化しました。カラヤン生誕100年の今日にあって、こういうブルックナーを受容する層も増えたのではないかと思います。私もこうして改めて聴いていますと、ブルックナーだって深刻ぶって聴かれるばかりが能ぢゃないと思ったりする次第です(>って、走りながらとか、眠りに落ちる間際でしか聴かないんですけどね)。

2008年6月15日日曜日

iTunes Storeの激安ボックス・・・既に遅し!

「おかか1968」ダイアリーで知っのですが、iTunes Storeで買える激安ボックス。今日アクセスしてみたところ、ほとんどがキャンペーン期間(?)終了の様でした。まだかろうじてダウンロード可能なサー・ジョン・エリオット・ガーディナー「バッハ4大宗教曲集」をゲットしたものの、METの「指環」がNGだったのは痛いです。フィッシャー=ディースカウは、いまひとつ食指伸びず、しかし1.5kなんですよね・・・。


2007年12月24日月曜日

デ・ニース追記


kimataさんはデ・ニースを「華」ではなく「花」と評しましたが、間違いなく彼女は生まれながらにしてスターの素質を有しているように感じます。CDを一聴して人をひきつけてしまう能力、またはオペラの舞台で観客を虜にしてしまう魅力。それは本当に「一瞬」のことで、人は彼女に魅入られてしまったことにさえ最初は気づかないかもしれません。場を一瞬にして自分のものとしてしまう能力こそが、スターとか一流のソリストに見出されるものです。


そういう意味からはお嬢さん芸を思わせる「花」よりもむしろ「華」が適切という気もします。しかしそれでも「花」と書きたい欲求も抑えることが出来ないほどに、彼女の歌声は瑞々しい。歌う空間にパッとばかりに花びらが舞い上がります。それは彼女の鍛錬された歌唱力のなせる業で、そのパワーには驚きさえ感じます。


芸術的な深みという点では十分とは言えないかも知れません。しかし、こういう才能が年齢と経験を重ねることで、どのように変化をしていくのか、楽しみな演奏家です。


2007年8月4日土曜日

映画:魔笛

ケネス・ブラナー監督の映画「魔笛」を、新宿テアトルタイムズスクエアで観てきました。「魔笛」が映画でどのように変化させられているのか興味ありましたし、いちおうクラファンを装っていますから・・・。

しかし、私が良く訪れるクラ・サイトではいまひとつ評判は芳しくない。

  • Takuya in Tokyo~正直結構退屈でした。(中略)モーツァルトで一番大事なのって、「ラブ&ピース」っていう「結論」では必ずしもない気がするんですね。
  • ロマンティク・エ・レヴォリュショネル~「なるほど」と感心した面と、「何だかな」と思った面と、半々といったところ。
  • オジ・ファン・トゥッテ♪~最終的には「愛と平和」に落ち着いてしまうという平凡な結末に不満も感じますが(中略)舞台表現の限界を超えています

といった具合です。私はDVD含めて「魔笛」舞台映像に接したことはありませんから、オペラ演出と比べて云々というとは全く語れません。それでも、これって、モーツァルトの音楽かなあと観ながらにして思ったことは確か、歌詞も英語ですし。

舞台が第一次世界大戦とパンフなどに唄われていますが、それは本当の世界大戦ではなく、対立する二つの集団の武器や衣装などをその時代から借用した程度の使われ方。戦車も飛行機もオモチャのよう。これには全く予想を裏切られます。まあしかし戦争映画を観たかったわけではありませんから、それもいいでしょう。

シカネーダによる台本の捩れは、映画でもそのままではあります。それでも原作以上に善と悪、暗と明、夜と昼、戦争と平和、対立と愛みたいな構図がひどくキッパリと区分されすぎていて、不可解な矛盾までは表現されていません。「魔笛」の一番の肝の部分が換骨脱退されているような・・・。愛だとか平和のようなテーマとモーツァルトというのも、少し馴染みません。モーツァルトってもっと、欲望と人間くささに満ちていますからね。

音楽も聴いていて、ちょっと疲れますね。台詞がほとんどなく、ひたすらにアリアが続きます。それが映画館の誇張されだドルビー音響で鳴らされるので、ちっとも心地よくありません。

ぢゃあ、観て失敗だったかと言うと、まあ、そうでもないかなと。音楽が元になった映像イマジネーションという点では、なかなか面白いと思いましたよ。それらを列記すると・・・

  • 序曲が始まり明るい太陽とまぶしいばかりの草原で繰り広げられる、戦闘シーン。クラシック音楽と戦争シーンてどうしてこんなに合うのでしょう。
  • タミーノが塹壕のなかで突然歌いだすのには、ビックリ。おお!これはミュージカルであったかア!!(>私はミュージカルは苦手であります。サブイボが出ます)
  • 夜の闇中、看護婦姿(?)三人の侍女が空から登場!「私が見張っている」の部分で、自らの衣装をむしりとってバストアップされた胸を強調するシーン!にドキィ!!
  • 夜の女王(リューボフ・ペトロヴァ)が戦車に乗って登場!!「怖がらなくてもいいのです」って、怖いよ!!小林幸子か?
  • 夜の女王の第一幕のかの有名なアリアのシーンの凄さ!画面左に鼻から口の横顔がドアップ、パクパクする口から菱型戦車MkIVらしきものが(→参考)蟲のようにゾロゾロと!!
  • ザラストロの衣装が作業服みたいなのは何故? 某独裁国家の独裁者のイミテーション??
  • またしても夜の女王の第二幕の復讐のアリア、今度は空を飛ぶ!それも、空気を一杯に入れた風船のように物凄いスピードで!!これを笑わずに観ることを耐えられましょうか!!このアリアを聴くたびに、このシーンを思い出してしまうかも・・・
  • ポスターにもなっている、第二幕のパパゲーノのアリアのシーン(右)の美しさと至福さ!カラフルな鳥のような衣装を着た女性たちが空から、すうっと降りてくるんですから。そしてその後の、バカバカしいまでにでかい唇。まるでB級ドタバタ劇のようなノリ>笑えねー(^^;;
  • パパゲーノがパパゲーナをゲットして「子供を作ろう!」って二人して寝床を用意しているのに、三人の童子があどけない顔で横に居てはイケマセん!
  • 終幕の一つ前、夜の女王、三人の侍女、モノスタートスが最後の登場をするところ。垂直に近い城壁みたいなところを、フリークライミングしている! そして、嗚呼・・・! なんだか、遠いムカシの「ひょうきん族」を思い出したり・・・

という具合にツッコミところ満載です。基本的には感動の物語というよりも喜劇ですかね。役柄的には、ザラストロ(ルネ・パーペ)が立派過ぎるので、こちらはあんまり突っ込めない。タミーノとパミーナも、そっとしておいてあげましょう。

  • 音楽監督・指揮:ジェイムズ・コンロン/ヨーロッパ室内管弦楽団
  • タミーノ:ジョセフ・カイザー
  • パミーナ:エイミー・カーソン
  • パパゲーノ:ベン・デイヴィス
  • パパゲーナ:シルヴィア・モイ
  • 夜の女王:リューボフ・ペトロヴァ
  • ザラストロ:ルネ・パーペ
  • モノスタトス:トム・ランドル
  • 三人の侍女:テゥタ・コッコ、ルイーズ・カリナン、キム=マリー・ウッドハウス

2007年7月2日月曜日

[TV] 言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡~

7月1日のNHKでETV特集「言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡~」が放映されていました。最初の十数分を見逃したものの、他に並ぶ者のいない音楽評論家の姿を眺められたのは、なんだかとても僥倖であったと思います。

彼の音楽評論は、結構読んでいます。『主題と変奏』などの初期評論も、一時絶版であった全集を神田古本街で探しまわって入手したものです。彼の文章には音楽や芸術への愛が溢れていて、素直に敬意を感じます。そして、音楽評論の内容云々を越えてしみじみとした気持ちになってしまいます、それが彼の文章の魅力でしょうか。

そんな吉田氏が、カメラに向かって語る言葉にも偽りはなく、真摯な姿勢が滲み出ており、やはり文章通りの人であったなあと思い嬉しく思ったものです。

戦後、吉田氏は内閣情報局を辞します。引き止める上司に「食べていくくらい、なんとかなるだろう」と応え、音楽について書く道に入ります。「書きたいことはあったし、書こうとしているものは、世界で誰も書いたことのないものだと分かっていたから」なのですとか。小林秀雄について語る時の彼の逡巡。「小林さんの文章にはカデンツァがない。飛躍がある」という批判。「小林秀雄よりも自分は音楽を語れると思った」「彼よりもずっと『音楽』を勉強している」という自信。でも、「あの文章(『モオツァルト』 )はまさに小林氏にしか書けないもの」なのだと。そこに彼の小林氏に対する複雑さが込められています。

原稿用紙に万年筆を走らせ、雑誌に載せる楽譜は自ら写譜しヤマト糊で貼り付ける。原稿を書くということは「こういう手作業」から生ずるものなのだと、そして原稿を書くことよりも、校正することの方が「楽しい」のだと。そして、自らの手作業の楽しさについて、画家のドガを引き合いに出してこう説明します。「ドガが木の葉っぱを一枚一枚描いているのを、詩人のヴェルレーヌが、面倒ではないかというようなことを尋ねた。ドガは画家というのは、そういう風にして葉っぱを描くことそのことが楽しいのだよと答えた」 

あまりにも有名な「ひび割れた骨董品」の書評についてもコメントしていました。私は、吉田氏がそれを語るときの、言い知れぬ深い愛惜をこめた悲しい口調を、吉田氏の映像とともに忘れることはないでしょう。そしてまた、次の言葉も。

結局は、バッハ、モーツァルト、ベートーベンに尽きるなア。バーバラが死んだ後、音楽を聴く気にもならなかったけれど、バッハの音楽は邪魔をしないんだ。

インタビューアは堀江敏幸氏でありました。不勉強にして私は彼を知りません。どうやら小説家にしてフランス文学者らしいです。吉田氏と対談できるという機会を得たにも関わらず、インタビュアーとしては少々役不足と感じられたことは否めません。

2007年5月31日木曜日

では、ギーレンのマーラーはいかに


ギトギトしていないベートーベンを好感に思い、ついでなのでNMLでマラ6を聴いてみる。




録音は1999年なのでかなり新しい演奏。ギーレンの路線は変わらず、硬質にして整然。クリアにして透明。美しくはあるが耽美には傾かない。激情はあっても、あからさまで無制御な感情の放出は皆無。すなわち、音楽的な峻厳さや落差は十分に表現されるが、そこから情念のようなもの、あるいは破滅的な暗さまでは感じない。それ故というのだろうか、計算された演奏は音楽的な美しさと構成美を際立たせる。


では、これがマーラーなのかと問う。マーラー好きには、マーラーに求めるカタルシスは得られないかもしれない。このマーラーを通してギーレンは何をしたかったのか。たった二つの演奏を、ラジオ並みの音質*1)で聴いただけで、これ以上語る無謀はできない。ただ、このテの指揮者は、録音と実演の印象が全然異なるような予感はある。もしもホールで聴いたならば、その音響世界にブチのめされる可能性は否定できないなと。


クラ界定番の下記サイトに詳細レビュあり。




  1. NMLが「ラジオ並の音質」というわけではない、念のため・・・。会社PCのヘッドフォンが酷いだけのことである。

2007年5月30日水曜日

疲れたときのギーレンのベートーベン


��MLは私の場合、会社のPCでも聴取可能です。毎日が仕事にただ流されていく中、NMLの薦めるままに、ギーレンのベト3を聴く。聴いて、思わず愕然として、心が洗われる。そして、やはり何か書かなくちゃという気にさせる、そんな演奏。





これって、本当にベートーベンなんだろか。第一楽章の軽快さ、優雅さ。一瞬シューベルトかと思う程の天国的リピート。


私はコアなクラシックファンではない。だからギーレンが、どちらかというと熱血系とは対照的な指揮者であることくらいしか知らない。従って食指の動く指揮者とはならず、彼の音盤が私のCD棚に存在するかさえ確認したことはない。


しかし、これは良い。というか、コテコテ演奏を受け付けない位に疲弊した体には、滋養のように染み込む。カラダに悪い脂肪分が取り除かれたサラサラの液体のよう。しかもそれでいて、ベートーベンなのである*1)。ドライな印象であってもベートーベン的なるものは細胞の核のように残り、そしてサプリメントのようにどこかを鼓舞してくれる。



  1. コレステロール1/2のマヨネーズとか、カロリーを抑えたギガ・マックとか(←ないって、そんなもの)

2007年4月22日日曜日

NMLでシェーファーとかIJAとか

#CredoさんとTakuyaさんが絶賛しているので、何気に聴いてみたNML提供によるシェーファーの「冬の旅」 シェーファーは初めてだけど、Takuyaさんの以下の例えは、思わず吹き出すほどに絶妙!座布団10枚!
フィッシャー=ディースカウのは、舗装も電化もされてないようなドイツの辺鄙な農村を、人生に絶望したくたびれたお爺さんが足を引きずりながら歩いているような感じでしたが、このシェーファー&シュナイダーは、ICEに乗ってベルリンのツォー駅から出発し、車窓から寂しげな眼差しで去っていく街の景色を眺めているような、そんな感じです。
ベルリンに行った事もないしICEになんて乗ったこともないけど。NMLにはバッハやハイドンの曲などが納められています。この歌声で、シェーンベルクとかベリオとか聴いたら、かなりクラクラするかもしれない・・・。

NMLといえば、こんなのもあったので聴いてみた。 IJAの切れ味に、ムローヴァのヴァイオリンが乗っかります。ムローヴァのヴァイオリンには、あまり親しんでいないので感想は保留。とりあえず忘れないようにメモということで。それにしてもNMLでIJAが聴けるなんて!

2007年3月26日月曜日

[NAXOS ML]ハイドン:ピアノ三重奏曲

syuzoさんがハイドンのピアノ三重奏曲が良いというものだから、NMLをガサガサ*1)やってGryphon Trioによるアルバムを聴いてみる。


Gryphon Trio*2)はトロントを拠点としたカナダのトリオ。ハイドンばかりではなく、ベートーベン、メンデルスゾーン、ドヴォルザーク、モーツァルトそしてカナダの作曲家の音楽も録音している。


演奏は鋭角的なバロックではない、Prestoもひたすらに柔らかいので安心してハイドンの明るさを満喫することができる。練習曲みたいなものですって? とんでもない! 確かに一聴して平易なようですが、この楽しさときたら!まさに春ってカンジかなァ。有名な25番の第2楽章Poco Adagioの優雅さときたら*3)




  1. ネットなので「ガサガサ」なんて音はしない、書くなら「チクチク」である。
  2. Annalee Patipatanakoon, violin、Roman Borys, cello、Jamie Parker, piano
  3. いい加減、買ったCDの感想書けよと言われそうですが・・・

2007年3月19日月曜日

ハイドンに満たされる休日

syuzoさんがハイドンに嵌っているようです(ハイドン2007/03/11)。このごろ頻繁にチェックする古楽系ブログでもハイドンの話題は尽きない。今日はWhittardのアール・グレイを淹れ、SEEDS ON WHITESNOWのエントリ(トーマス・ファイとその仲間たち-ハイドンとベートーヴェンの録音を通じて-2004/6/20)*1)などを読みながら、NMLでトマス・ファイとハイデルベルグ交響楽団の演奏を聴いてる。

SEEDSNOWさんも指摘している例えば第39番 ト短調。冒頭のフレーズが一瞬ではあるがモーツァルトの弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516を思い出させる。ハイドンのそれはモーツァルトの短調ほど内的には陥らず、随所にハイドン的明るさが解放される。

ファイの演奏はキビキビとして推進力があり、それでいて美しい*2)。一度聴きだしたら止まらない。こういう演奏をNMLで聴ける幸せと、「所有していない」ということの不満とストレス。

  1. このエントリには(も?)恐ろしい数のコメントが続いている・・・
  2. などと評せるほど私は古楽に接していない。正直に書いておくが、まともにアーノンクールさえ聴いていないのである。こんなことでクラ・サイトしていて良いのだろうか・・・

2007年3月12日月曜日

NMLに新レーベル!

何かと話題のNaxos Music Libraryですが、LINDEN日記によりますと新たに6レーベルが参加。ヒストリカルものも増えているようです。


にしても、NMLのビジネスモデルは、どこで収益を上げているのですか?NMLを通じてCD購入というのは増えているのでしょうか?「ウェブ人間論」にあった、ロングテール部分に貢献があるのですか?今ひとつ私には判然としません、誰か教えていただけるとスッキリします。