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2023年6月4日日曜日

【音盤】モーツァルト 弦楽五重奏曲をスメタナ四重奏団で聴く

日曜日の早朝、本を読みながら音楽を聴く至福の時。

CDもあるけど、Apple Musicにも音源があるようで一安心。

こちらも聴き返しています。

小林秀雄のモーツァルトに対する感傷については、かつて書いたことがあった。

この盤は3枚に分かれている。それぞれ録音年は離れているが熟練の演奏を聴くことができる。



40年以上も前の録音であるということに、少なからず驚く、自分も歳をとったものだ。まだ、クラシック音楽というジャンルが生きていることに感謝しておこう。

2021年12月20日月曜日

オラフソンの「モーツァルト&コンテンポラリーズ」~コンサートでこそ聴きたい構成

オラフソンがモーツァルトの作品と、モーツァルトと同時代の作品を並べて聴かせるコンセプトアルバム。2021年4月録音、9月発売。収録時間は1時間24分とCDにすると2枚組分です。

https://music.apple.com/jp/album/mozart-contemporaries/1572873864

2021年7月13日火曜日

セバスティアン・クナウアーの「The Mozart/Nyman Consert」は、なかなか良い企画

セバスティアン・クナウアーSebastian Knauer(1971-)による、モーツァルトとマイケル・ナイマンMichael Nyman(1944-)の曲を交互に聴かせるコンセプトアルバム。マイケル・ナイマンはイギリスのミニマル・ミュージックの作曲家とのこと。

https://music.apple.com/jp/album/the-mozart-nyman-concert/1561282517

2021年7月3日土曜日

トーマス・エンコ & Vassilena Serafimova の「Funambules」

フランスのジャズピアニスト、トーマス・エンコ(Thomas Enhco)と、ブルガリアのマリンバ奏者、ヴァシレナ・セラフィモワ(Vassilena Serafimova)のデュオアルバム、2016年の発売。ピアノとマリンバの演奏は、先に取り上げた「Bach Mirror」(Clala:リンク)の前作にあたる録音でしょうか。あまり日本語の情報がありません。 

https://music.apple.com/jp/album/funambules/1452298690

2021年6月23日水曜日

Francesco Spazian | Twilight Travelers シルヴェストロフとシューベルトとモーツァルト

シルヴェストロフの音楽には、シューベルトやモーツァルトの音楽の引用や断片が用いられている作品があります。

このアルバムでは、シューベルトのピアノソナタNo.4 イ短調 D.537と2つのディアローグとあとがき(Zwie Dialoge mit Nachwort)、モーツァルトのピアノソナタNo.10 ハ長調 K.330と使者(Der Bote)を演奏しています。

ピアノはこの盤でデビューするというFrancesco Spazianです。

https://music.apple.com/jp/album/twilight-travelers/1445716803

2021年6月11日金曜日

グリモーが繋ぐ過去と現在 モーツァルトとシルヴェストロフ

グリモーは、アルバムごとに新しい断面やストーリーで曲の魅力や世界観を伝えてくれる演奏家のひとりです。

今回のアルバムも、モーツァルトの曲とウクライナ生まれの現代作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフの曲を組み合わせたもので、非常に魅力的なアルバムでした。私はこのアルバムでシルヴェストロフという作曲家を初めて知りました。

https://music.apple.com/jp/album/the-messenger/1526145158


    モーツァルト
  1. 幻想曲 ニ短調 K.397
  2. アノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
  3. 幻想曲 ハ短調 K.475

    シルヴェストロフ
  1.  使者(ピアノと弦楽のための)
  2.  2つのディアローグとあとがき(I. Wedding Waltz/II. Postlude/III. Morning Serenade)
  3. 使者(ピアノ・ソロのための)

コンセプトアルバムではりネタバレ的になってしまいますので、まずは聴いてから解説などを読んだ方が良いと思います。

2021年6月7日月曜日

アンスネスによるMozart Momentum -1785 ピアノ協奏曲第20、21、22番ほか

アンスネスの弾き振りでマーラー・チェンバー・オーケストラによるモーツァルトです。Apple Musicの解説が厚く熱いです。オケの響の安定感もさることながら、アンスネス のピアノが絶品です、聴くべきモーツァルトの演奏といえます。

https://music.apple.com/jp/album/mozart-momentum-1785/1560605515

2019年6月20日木曜日

藤田真央さんのモーツァルト

 チャイコフスキーコンクール2019

2019年5月7日火曜日

【音盤】アンデルシェフスキのシューマンとモーツァルト

 

 

2019年3月31日日曜日

【音盤】ポゴレリチをApple Musicで、初期の録音から聴きなおしてた

ポゴレリチをApple Musicで、初期の録音から聴きなおしてみました。

改めて、彼の天才性が確認できましたね。


追記

2013年12月11日水曜日

【演奏会】アンドレアス・シュタイアー&佐藤俊介 トッパンホール 2013/12/11

トッパンホールでアンドレアス・シュタイアーの演奏を聴いてきました。ヴァイオリニストの佐藤俊介さんとのモーツアルト特集です。

  • フォルテピアノ:アンドレアス・シュタイアー
  • ヴァイオリン:佐藤俊介
  1. モーツァルト:フォルテピアノとヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 K303(293c)
  2. モーツァルト:フォルテピアノ・ソナタ第8番 イ短調 K310(300d)
  3. モーツァルト:フォルテピアノとヴァイオリンのためのソナタ ホ短調 K304(300c)
  4. モーツァルト:「ああ、私は恋人を失った」の主題による6つの変奏曲 ト短調 K360(374b)
  5. モーツァルト:フォルテピアノとヴァイオリンのためのソナタ ニ長調 K306(300l)

フォルテピアノを実演で聴くのは初めてです。印象としては、意外と音が「小さい」なと、ダイナミクスの表現はチェンバロに比べて広いけれども、それでもピアノとは異なる楽器だと思いました。

シュタイアー氏のピアノは繊細にして切れ味よく、また軽やかで小気味よく、それでいて深い、空気まで弾ききるような感じです。K310の疾走感は悲しみに走りすぎずに節度ある演奏に思えました。しかしそのスピード感は尋常ではなく、モーツァルトの音階とアルペジオの連綿たる連なりがひとつの世界を構築していきます。

逆に佐藤氏のヴァイオリンには乗りきれない思いが残りました。

私の感想とは逆に、ネットでは二人の呼吸があっていたとの感想も多く好意的なようです、アンサンブルでの合いかたも初めて共演するとは思えないほど、との評価もみかけました。

佐藤氏はバロックヴァイオリンを使っていたのですが、どうも音程や音と音の移り変わりに不安定さとか甘さを感じ、それがシュタイアー氏の鮮烈なる音列に対し若干の違和感として聞こえる。なんというか、歌い方が「田舎くさい」というか。そう思って聴いてしまうと、もういけない。私の耳が悪いのでしょうか、佐藤さんすみません。

シュタイアー氏のフォルテ・ピアノやチェンバロは、機会があればまた聴いてみたいと思わせるものでした。

2007年8月4日土曜日

映画:魔笛

ケネス・ブラナー監督の映画「魔笛」を、新宿テアトルタイムズスクエアで観てきました。「魔笛」が映画でどのように変化させられているのか興味ありましたし、いちおうクラファンを装っていますから・・・。

しかし、私が良く訪れるクラ・サイトではいまひとつ評判は芳しくない。

  • Takuya in Tokyo~正直結構退屈でした。(中略)モーツァルトで一番大事なのって、「ラブ&ピース」っていう「結論」では必ずしもない気がするんですね。
  • ロマンティク・エ・レヴォリュショネル~「なるほど」と感心した面と、「何だかな」と思った面と、半々といったところ。
  • オジ・ファン・トゥッテ♪~最終的には「愛と平和」に落ち着いてしまうという平凡な結末に不満も感じますが(中略)舞台表現の限界を超えています

といった具合です。私はDVD含めて「魔笛」舞台映像に接したことはありませんから、オペラ演出と比べて云々というとは全く語れません。それでも、これって、モーツァルトの音楽かなあと観ながらにして思ったことは確か、歌詞も英語ですし。

舞台が第一次世界大戦とパンフなどに唄われていますが、それは本当の世界大戦ではなく、対立する二つの集団の武器や衣装などをその時代から借用した程度の使われ方。戦車も飛行機もオモチャのよう。これには全く予想を裏切られます。まあしかし戦争映画を観たかったわけではありませんから、それもいいでしょう。

シカネーダによる台本の捩れは、映画でもそのままではあります。それでも原作以上に善と悪、暗と明、夜と昼、戦争と平和、対立と愛みたいな構図がひどくキッパリと区分されすぎていて、不可解な矛盾までは表現されていません。「魔笛」の一番の肝の部分が換骨脱退されているような・・・。愛だとか平和のようなテーマとモーツァルトというのも、少し馴染みません。モーツァルトってもっと、欲望と人間くささに満ちていますからね。

音楽も聴いていて、ちょっと疲れますね。台詞がほとんどなく、ひたすらにアリアが続きます。それが映画館の誇張されだドルビー音響で鳴らされるので、ちっとも心地よくありません。

ぢゃあ、観て失敗だったかと言うと、まあ、そうでもないかなと。音楽が元になった映像イマジネーションという点では、なかなか面白いと思いましたよ。それらを列記すると・・・

  • 序曲が始まり明るい太陽とまぶしいばかりの草原で繰り広げられる、戦闘シーン。クラシック音楽と戦争シーンてどうしてこんなに合うのでしょう。
  • タミーノが塹壕のなかで突然歌いだすのには、ビックリ。おお!これはミュージカルであったかア!!(>私はミュージカルは苦手であります。サブイボが出ます)
  • 夜の闇中、看護婦姿(?)三人の侍女が空から登場!「私が見張っている」の部分で、自らの衣装をむしりとってバストアップされた胸を強調するシーン!にドキィ!!
  • 夜の女王(リューボフ・ペトロヴァ)が戦車に乗って登場!!「怖がらなくてもいいのです」って、怖いよ!!小林幸子か?
  • 夜の女王の第一幕のかの有名なアリアのシーンの凄さ!画面左に鼻から口の横顔がドアップ、パクパクする口から菱型戦車MkIVらしきものが(→参考)蟲のようにゾロゾロと!!
  • ザラストロの衣装が作業服みたいなのは何故? 某独裁国家の独裁者のイミテーション??
  • またしても夜の女王の第二幕の復讐のアリア、今度は空を飛ぶ!それも、空気を一杯に入れた風船のように物凄いスピードで!!これを笑わずに観ることを耐えられましょうか!!このアリアを聴くたびに、このシーンを思い出してしまうかも・・・
  • ポスターにもなっている、第二幕のパパゲーノのアリアのシーン(右)の美しさと至福さ!カラフルな鳥のような衣装を着た女性たちが空から、すうっと降りてくるんですから。そしてその後の、バカバカしいまでにでかい唇。まるでB級ドタバタ劇のようなノリ>笑えねー(^^;;
  • パパゲーノがパパゲーナをゲットして「子供を作ろう!」って二人して寝床を用意しているのに、三人の童子があどけない顔で横に居てはイケマセん!
  • 終幕の一つ前、夜の女王、三人の侍女、モノスタートスが最後の登場をするところ。垂直に近い城壁みたいなところを、フリークライミングしている! そして、嗚呼・・・! なんだか、遠いムカシの「ひょうきん族」を思い出したり・・・

という具合にツッコミところ満載です。基本的には感動の物語というよりも喜劇ですかね。役柄的には、ザラストロ(ルネ・パーペ)が立派過ぎるので、こちらはあんまり突っ込めない。タミーノとパミーナも、そっとしておいてあげましょう。

  • 音楽監督・指揮:ジェイムズ・コンロン/ヨーロッパ室内管弦楽団
  • タミーノ:ジョセフ・カイザー
  • パミーナ:エイミー・カーソン
  • パパゲーノ:ベン・デイヴィス
  • パパゲーナ:シルヴィア・モイ
  • 夜の女王:リューボフ・ペトロヴァ
  • ザラストロ:ルネ・パーペ
  • モノスタトス:トム・ランドル
  • 三人の侍女:テゥタ・コッコ、ルイーズ・カリナン、キム=マリー・ウッドハウス

2007年6月3日日曜日

【演奏会】東京バッハ・モーツァルト・オーケストラのモーツァルト

目白バ・ロック音楽祭が昨日から始まりました。聖母病院チャペルのチェンバロ・リサイタル*1)にも食指が動いたのですが、やっぱりオケが聴きたいなあという気になって、東京芸術劇場で東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ(TBMO)の演奏会に行ってきました。

    東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ演奏会vol.2 What's MOZART
  1. 「魔笛」序曲 K.620
  2. クラリネット協奏曲イ長調 K.622
  3. 交響曲第39番変ホ長調 K.543
  • 2007年6月2日(土)19:15 東京芸術劇場
  • 指揮:有田正広 東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ(ピリオド楽器使用)
  • バセット・クラリネット:エレック・ホープリッチ

TBMOは、1989年に結成された日本初のピリオド楽器によるオーケストラ。10年間の休止期間を経て昨年6月、モーツァルトのフルートと管弦楽のための作品を演奏するために再結成され、その演奏会が絶賛されたことは、知る人なら知っているでしょう*2)

さて、そんな期待に満ちたオケによるオール・モーツァルト・プログラムの最初は「魔笛」序曲。冒頭の和音からして、ビンと張り詰めた響き。これを聴いただけで、オケのアンサンブル精度と技巧を感じ取ることができました。

演奏に余計な贅肉はなく、かといって厳格すぎるわけではなく、エキセントリックとか過度のシャープさとも離れたところにある。それでいて研ぎ澄まされた技巧は冴えており、響きはクリアで透明、あたかも吟醸酒のような趣。

この演奏スタイルは有田氏の音楽に対する真摯なアプローチの賜物なのでしょうか、聞いていて素直に心地よいです。それが逆に欠点といいましょうか、モーツァルトの心の底から沸き起こるような愉悦を感じることは少ない。

クラリネット協奏曲を演奏するホープリッチは、ブリュッヘン率いる18世紀オーケストラの首席奏者にして知る人ぞ知るクラリネット・ヲタク*3)。今日も彼自らが復元したらしいバセット・クラリネットを用いての演奏。芸術劇場の広い空間ではソロ・クラリネットの音色は2階席まで朗々と響き渡るといったものではない。特にオケとの合奏になる技巧的な中音域のパッセージは聴き取りづらい。しかし、それであっても、彼のまろやかにして独特の音色は極めて印象的。「クラリネット臭さ」がない、と書いても分からないか。非常にキモチの良くなる演奏で、これはブラボー。

最後の交響曲第39番は、再び「魔笛」と同じような印象。オケはテンポラリーな団体だとはいえ、ウマいです。しかし、私の好きなウキウキするようなメヌエット、そして終楽章のアレグレットは、なかなかドライブしてこず、有田氏はしっかりと着実に演奏します。誠実ではありながらも、はやりモーツァルトの何かが失われてはいまいかと、演奏終了後に考えてしまいました*4)

  1. こちらを読むと(→#Credo http://blog.livedoor.jp/credo5026/archives/50843939.html)、やっぱりチェンバロにしておけば良かったか、なんて・・・思ったりしています。
  2. 私は知りませんでした(^^;
  3. 私は知りませんでした(^^;;
  4. 正直に書きますと、私は今日はとても、とても疲れておりました。睡眠不足と精神的な疲労、加えて肉体的な疲労と軽い内蔵系の病から回復したばかりであり、満足に演奏を満喫するという体調になかったことは告白しておきます。モーツァルト音楽に何を求めるかは、ごく個人的な偏見に所以した要求でしかないと思っています。

2007年4月22日日曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲 K.414、K.467、K.488/ファジル・サイ

  1. ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414
  2. ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467
  3. ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
  • ファジル・サイ(p)
  • チューリヒ室内管弦楽団、ハワード・グリフィス(cond)
  • naive V4992

随分前に買って*1)iPodにも入れて何度も聴いていた曲なんですが、まだ感想を書いていませんでしたので、ちょっとだけ記して*2)おきましょう。

モーツァルトのピアノ・ソナタであれほど個性的な演奏をしたサイですから、ピアノ協奏曲となると一体どうなってしまうのだろう、彼の個性は発揮され得るのだろうかと若干の不安を持って聴きはじめた盤ではありましたが、まさにここには紛れもないサイの演奏が、そしてサイの美学がぎっちり詰まっていました。やっぱりサイのモーツァルトは素晴らしい。

例えば冒頭のK.414が始まったと同時に、低くかすかな唸り声が入ります。これが耳障りという人も居るでしょう。しかし、その繊細な舞うがごとき演奏からは、サイがすぐにモーツァルトの音楽世界に没入していることを知らせてくれます。協奏曲でも、サイの弱音のピアノのタッチ、鳴らし方、唄い方は絶妙であります。緩徐楽章のAndanteの美しさときたら、ここを聴くためにだけでも何度も本盤を取り出したくなります。

K.414の軽いジャブの後は、あまりに聴き慣れた名曲のK.467です。グリフィス率いるチューリヒ室内管弦楽団も小気味良い軽さでオケを鳴らしているようです。さりげなく滑らかに入るサイのピアノの明確さ、少し暗転するモーツァルトの翳と陽の妙。モーツァルトを聴く至福がこの最初の数分間に凝縮されています。サイのピアノとオケによる波状攻撃は、この曲を初めて聴くかのような興奮と哀しみと悦びを与えてくれます。

そしてサイ・オリジナルのカデンツァのドキドキする展開、茶目っ気とユーモアと美しさ、・・・言葉は余りにも無力か。Andanteの夢見るような旋律は、安穏とした午睡ではなく、モーツァルト特有の喪失の予感が巧みにオブラートされているかのよう。これまた眩暈がするほどにメランコリック。水晶を通して乱反射する硬質な陽光。終楽章ラスト近くのピアニッシモは冗談ではなく息が止まるかと思うほど。

最後のK.488も、これまた長調の明るくメランコリックなモーツァルトが炸裂しています。川田朔也氏は「CDジャーナル」に、

ショッキングなほど音を切る23番第1楽章のカデンツァが如実に示しているように、サイが目指すのはスタッカートを軸にした軽い音作り。同じ23番第2楽章のスタッカートを、譜面通りに、しかもやや強調して弾き、嬰ヘ短調の憂愁に異分子を混入させたかのような奇異さで耳を引きつける

と書き(→amazon)、宇野功芳氏は日本版のライナーで

シンプルな「K.488」の第2楽章は、あの長い主題を最弱音だけで進めてしまうが、それでいてだれず、小手先に終わらず、その独白がなんともいえない。

と絶賛しています。この余りにも有名な嬰ヘ短調のAdagio。確かにモーツァルトのペーソスではある。くぐもったペダルワークによる旋律、強調されたスタッカートによる上昇。霧の中、着地点も目標も見えない彷徨。聴きようによっては、ここにない、どこか他の場所に通じる場所に向って歩むかのような趣さえ感じます。それだけに終楽章が始まったときには、こちら側の世界にグッと引き戻された思いさえしてホッとします。モーツァルトって、やっぱりコワイ。そして、演奏からこんな「夢」を見させてくれるサイに改めて感服。

  1. サイは私が注目している鍵盤奏者の一人。Clala-Flalaのエントリは音盤DBから。
  2. ちっとも「ちょっとだけ記して」おくことはなりませんでした。聴く作業と同時進行的に文章をしたためていると、私の場合、大体こういう情動優先の文章になってしまうんですよね、反省。

2006年11月15日水曜日

【音盤】モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397/アファナシエフ

  1. 幻想曲 ニ短調 K.397
  2. 幻想曲 ニ短調 K.396
  3. ピアノ・ソナタ ハ短調 K.475
  4. アダージョ ロ短調 K.457
  • ヴァレリー・アファナシエフ(p)
  • COCQ84057

愛すべき幻想曲 ニ短調 K.397を見事にまで変形させてしまっているのがアファナシエフの演奏です。彼の演奏は、グールドのそれとは違って、異様なまでの遅さが作品の持つもうひとつの世界を炙り出してしまいます。

いったいに、モーツァルトはK.397に、アファナシエフが描いたような文学的にして深淵な内的世界を本当に期待していたのでしょうか。冒頭の分散和音の彼岸から奏でられるかのような重く荘厳にして美しい響きにまず打たれます。この静寂な響きを破るようにして打鍵される主題の虚無的なまでの凍りついた輝き。アファナシエフはあるいは孤独な宇宙旅行者が、大宇宙の寂寞たる広大さに直面する時に経験するかもしれない感情と書いています。

ここに聴こえるのは、もはや母親喪失と言う幼稚的哀しみではなく、存在の根源的な寂寥感。死にさえ通じる虚無と孤独、彷徨い放浪する魂。どこにも淵がなくグルグルと巡る運命のような嘆き。

ニ長調への転調の後も、徹底的な明るさは訪れないかのようです。ひょっとすると、もう一つの彼岸へと突き抜けただけ。すなわち光、輝き、失楽園を提示する。このように曲は、終わりから始まりへと、さかさまに作曲されているとアファナシエフは書きますが、生の世界の決して楽天的ならざる美しささに逆に私は慄然としてしまいます。

自問する、モーツァルトの幻想曲は、こんな曲であったのかと。もっと無邪気で無垢な小品ではなかったのかと。アファナシエフの盤については、もう少し聴きこんでからでなければ、何かが書ける気がせず、しばらくお預け。

2006年11月14日火曜日

【音盤】モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397

「モーツァルトの哀しさ」の本質の一端に、母親喪失の哀しみがあるように感じると以前書きました。これはモーツァルト解説本やら伝記、曲の解説から得られた結論ではありません。ごく個人的な私の感傷です。


例えば幻想曲 二短調 K.397という作品。モーツァルトの短調はどれもが極めて名曲ばかりです。この小品も前半の憂鬱なアルペジオに続き奏でられる主題に、まさに私はモーツァルト的な哀しみの表現を聴き取ります。目が覚めたら母親が見つからなかった幼児の哀しみがそのまま表現されているかのようです。不安と疑念にさいなまされながら、産毛の光る頬を哀しみの涙が流れます。不安な心は行きつ戻りつしながらも深まっていく。その絶頂において突如とニ長調に転調されます。その驚くべき変化。今までの哀しみがどこにあったのかと思うほどに、頬の涙の筋は乾かぬうちに、きらきらと喜び溢れる音楽が奏でられます。「ああ、やっぱりお母さんはどこにも行ってはいなかった!」という無邪気な安堵。


このような曲の単純さは極めて愛すべきものであると思いますし、反面で曲の平明さとあいまって幼稚な印象を感じます。しかし、聴くほどに深いのがこの曲です。


ちなみにこの曲はで最後10小節は、モーツァルトの死後補筆されたものだそうです。それでもモーツァルトの音楽の輝きは失ってはおらず、貴重な一曲だと思います。


と、アファナシエフの演奏を聴くまでは思っていました。

2006年11月13日月曜日

【音盤】モーツァルト:ピアノ・ソナタ集(抜粋)/グールド

以前紹介したように、グールドが弾くモーツァルトのピアノ・ソナタはとても個性的です。ピアノの先生は間違っても生徒にグールドのモーツァルトを薦めないと思います。本盤は抜粋版ながらも、そんな異様なモーツァルトの片鱗を堪能することができます。

異様に遅いK.311《トルコ行進曲付》を除いてテンポは極端とも言えるほどに速い。繰り返しをバッサリと削除しているようで演奏時間もとても短い。従って、ともすると冗長で退屈になりがちな曲が、キリリと引き締まりドライな印象を与えます。ドライと言えば、これ以上に乾いた表現は考えられません。あの愛すべきK.330さえもがグロテスクなまでに変形し無数の音の粒が跳ね回ります。

ピアノ音に混じってグールドの調子はずれの鼻歌も聴けます。彼の歌を聴いていると、本当にグールドはモーツァルトが嫌いであったのかと疑問になります。グールドのモーツァルトは他の誰の演奏にも似ていず、その天衣無縫さは驚くばかり。こんなのはモーツァルトは認めないという人もありましょう。しかし、これが私には何とも小気味良い。音の煌きと躍動するリズム感。まるでチェンバロのような反応の良さ。そして、モーツァルトが秘めた哀しみと悦びの表現は、グールドの演奏であっても全く損なわれることなく、聴くものに愉悦と快感を与えてくれます。

この演奏にハマってしまうと、抜粋盤では全くモノ足りなくて、全曲を聴いてみたくなります。いつか入手することとしましょう。

  1. 第8番イ短調K.310
  2. 第10番ハ長調K.330
  3. 第11番イ長調K.331《トルコ行進曲》
  4. 第12番ヘ長調K.332
  5. 第13番変ロ長調K.333
  6. 第15番ハ長調K.545
  • グレン・グールド(p)
  • SRCR2068

モーツァルトの音楽の哀しみって?


モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけないという有名な言葉を残したのは小林秀雄。あまりにも感傷的過ぎて、また小林のモーツァルト観が一面的であるとの批判も認めた上で、この言葉は広く人口に膾炙しました。


モツアルトの音楽にきこえる哀しみってこれに気づくと病みつきになってしまうyurikamomeさんはブログに書いています。私はモーツァルトの音楽を聴いていると、哀しみの感情の根底に「母親喪失の哀しみ」というものがあるような気がします。どんな陽気な瞬間でも、さあっと翳がさす。それは幼児が母親を見失ったときの不安感にも似た感情。あるいは、もし母親が亡くなってしまったらと想像したときの、抗いようのない運命的な喪失感とでもいうのでしょうか。幼い感情ですが自己の存在そのものに対する不安にさえつながる。そういう面を感じさせる音楽は、大曲よりは交響曲や歌劇よりも室内楽的小品に多いように感じ、ピアノ曲やら弦楽曲をチマチマ聴いています。

2006年10月6日金曜日

【演奏会】ファジル・サイ ピアノ・リサイタルin王子ホール

王子ホールでファジル・サイのリサイタルを聴いてきました。

  1. J.S.バッハ(サイ編):パッサカリア ハ短調 BWV582
  2. J.S.バッハ:フランス組曲 第6番 ホ長調 BWV817
    モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
  3. J.S.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ ニ短調 BWV1004
  4. モーツァルト:「ねえ、ママ聞いて」による12の変奏曲 ハ長調 K265(キラキラ星変奏曲)
  5. モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第10番 ハ長調 K330
    アンコール
  6. モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》第3楽章
  7. モーツァルト(サイ編):ジャズ風トルコ行進曲
  8. ガーシュイン:サマー・タイム
  9. ファジル・サイ:ブラック・アース
  • 10月5日(木)19:00 王子ホール
  • ファジル・サイ(p)

何と評して良いのでしょう。今までサイについて散々と語ってきたつもりでしたのに、私は今日のコンサートを聴いて、実は何も語れてはいなかったのではないかという疑念が沸きました。それほどに今日のコンサートは素晴らしく、感嘆の声しか出ないのでした。

モーツァルトの幻想曲 K397も素晴らしい曲ですが、それを演奏することを止め替わりにシャコンヌが演奏されました。これにより前半はバッハ、後半はモーツァルトと、性格の違う世界を描き分けたプログラムとなりました。

何しろ、パッサカリアの最初の数音が奏でられた瞬間に、電撃に撃たれたような感触を覚え、私はこの場に居合わせることのできた僥倖に思わず歓喜の声をあげてしまいそうになりました。音の凝縮力といい音楽への集中力といい、多摩の時よりも凄かったかもしれません。いったい何度、胃がひっくりかえりそうな想いをし、どれほど感興を抑え込むのに苦労しなくてはならなかったか。

《フランス組曲》も充分に素晴らしく、特に弱音部分で無数の真珠が無垢な斜面を煌きながら転がり落ちるかのような表現は、ほとんど奇跡的です。《フランス組曲》より《イタリア組曲》の方を聴きたかったというのは贅沢な望みでしょうね。

特筆すべきは《シャコンヌ》でしょうか。パルテノン多摩のリサイタルでは実は今ひとつシャコンヌには共感ができませんなどと書きましたが、今日の感想は全く異なったものとなりました。座った位置が前回は最前列の右端という、あまり良好な環境ではありませんでした。たかがピアノ1台で、これほどまでの表現をされてしまっては、圧巻という以外に書きようがありません。ガンガン弾いてるように思われますが(本当に全身の体重をかけて重い和音を奏でていますから視覚的にも迫力があります)、彼のピアニズムの特徴である柔らかなタッチ、左ペダルと右ペダルの微妙な使い分けによる繊細さや弱音はここでも健在です。バッハをベースとした音楽の大伽藍は、人間のあらゆる感情を飲み込み、人智を超えた救いさえ垣間見る思いです。壮大な内宇宙を構築してくれました。

演奏が終わった後、拍手をしようにも脇の下や手のひらに汗をかいてしまい、まともに拍手などできるような状態ではなく呆然としながらサイを見つめていました。

後半は打って変わって軽く、ト長調のモーツァルト。K265は「ねえ、ママに聞いて」という題のように、恋人のことを母に打ち明ける音楽です。サイは演奏しながら客席に向かって語りかけるような仕草をよくするのですが、CDで聴いていてもサイが音楽を通して「語っている」ことが良く分かります。サイの演奏からは快活で元気な女の子が色々な調子で語りかけてきます。前半は女の子といった感じなんですが、第11変奏になると彼女は、ひとつの時を経た乙女の表情を見せてくれます。活発だった女の子が恋を通してこんなにも綺麗になってしまいます。その音楽の、色彩と香りさえ感じるような対比。結婚式で娘の花嫁姿に愕然とする程に(そんな経験ありませんし、息子しかいないからこの先もありませんが)この変奏は美しい。

K330の楽しさには思わず聴き惚れてしまいます。こちらも声には出さずに鼻歌を歌い、足踏みをしながら聴いてしまいます。

かくも素晴らしき演奏会のアンコールは、お馴染みのレパートリー。まずは普通の《トルコ行進曲》をスピーディーに奏で、1拍手を受けた後、続けて《ジャズ風トルコ行進曲》に突入です。やっぱり客席は沸きますね。《サマータイム》に続いて《ブラック・アース》で締めですが、例の弦を押さえた特殊奏法の音でホールの隅々まで満たされた瞬間は、何か原始的にして根源的な力を感じました。中間部は以前も書きましたが例えようもないほどに美しすぎ、全くもって、そういうものをストレートに感じすぎる自分がイヤになるほどです。



2006年10月1日日曜日

ファジル・サイ ピアノ・リサイタルinパルテノン多摩

パルテノン多摩でファジル・サイのリサイタルを聴いてきました。

  1. モーツァルト:「ああ、お母さんに聞いて」の主題による12の変奏曲 ハ長調 K.265
  2. モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331《トルコ行進曲付き》
  3. モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K.397
  4. J.S.バッハ(ブゾーニ編):シャコンヌ
  5. ベートーベン:ピアノ・ソナタ 第23番 ヘ短調 op.57《熱情》
  • 9月30日(土)19:00 パルテノン多摩
  • ファジル・サイ(p)

本日のプログラムはCDなどで「お馴染みの」、サイ得意の曲ばかりがズラリと並んだもの。最初の曲もモーツァルトの《キラキラ星変奏曲》と非常に親しみ易い曲から始まりました。

サイのモーツァルトは聴いていて、心の底が浮き立つような、うれしくなるような、そんな演奏です。私の席からはサイの口元が良く見えたのですが、モーツァルトの愛すべき曲が心底好きなのか、始終唄いながらピアノを弾いています。彼のピアノは弱音の美しさ、独特のタメとドライブ感が特筆モノだと常々感じています。今日の演奏でもそれを充分に味わうことができました。解釈はCDとほとんど変わることがありませんが、彼が舞い散らしたモーツァルトの花びらは風に舞ってホール中に散りばめられた感さえあります。

休憩をはさんでのバッハは、CDで聴くより余程迫力のある演奏。ブゾーニ編曲による、まさに壮大な建築物を構築するかのような音楽が奏でられました。ただCDでもそうなのですが、これほど彼の演奏に心酔していても、実は今ひとつシャコンヌには共感ができません。音が多すぎて濁りがあるのか、サイ独特の美しさが現れないような気がするのです。

しかしベートーベンは圧巻でしたかね。ともすると猛烈な第三楽章ばかりに関心が向いてしまいますが、今日の演奏では第二楽章の素晴らしさが際立っていた。祈るかのような第一主題が優しく奏でられた瞬間に、そのあまりの美しさにあいた口がふさがらず、この場でサイの音楽を聴けたことを心から感謝しました。

演奏姿を見て分かりましたが、弾き始めと同時にサイの両手は鍵盤を踊ると同時に空中を舞い、あたかも指揮をしているかのよう。曲にあわせて揺れるのみならず、ほとんど客席に向かって語りかけるかのような仕草。左足はソフトペダルを操作しながらも常に拍子をとっている。曲が興に乗ってくるとメタボリックな全身がリズムと化した様に弾み、演奏にも一層ビートがきいてきます。このノリの良さ!

アンコールの《ブラック・アース》はYouTubeの画像でしか接したことがなかったのですが、特殊奏法の部分がこんなにも効果的だとは、実際に聴くまでは思いもしませんでした。この曲にもサイの美学が散りばめられていて、一瞬ウィンダムヒルかと思う部分もなきしもあらずですが、それもよしです。アンコールの後の2曲には文句の付ける余地などあるはずもありません。ベートーベンから上がりっぱなしになったテンションは、最後に一音で最高潮に達し、思わず「ブラボー」と叫んでしまいました。

今日の演奏会を振り返ってみると、実は変奏曲のオンパレードだったのだと気付きました。K.265は12の、K.331は第一楽章が6つの、バッハは30の、そしてベートーベンの第二楽章は3つの変奏が聴かれます。もっともシャコンヌの変奏を全て聴き取ることは至難の業ですが。クラシックもジャズも結局はソナタ形式を含めて主題と変奏の展開の音楽ですからね・・・(^_-