モーツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない
という有名な言葉を残したのは小林秀雄。あまりにも感傷的過ぎて、また小林のモーツァルト観が一面的であるとの批判も認めた上で、この言葉は広く人口に膾炙しました。
モツアルトの音楽にきこえる哀しみってこれに気づくと病みつきになってしまう
とyurikamomeさんはブログに書いています。私はモーツァルトの音楽を聴いていると、哀しみの感情の根底に「母親喪失の哀しみ」というものがあるような気がします。どんな陽気な瞬間でも、さあっと翳がさす。それは幼児が母親を見失ったときの不安感にも似た感情。あるいは、もし母親が亡くなってしまったらと想像したときの、抗いようのない運命的な喪失感とでもいうのでしょうか。幼い感情ですが自己の存在そのものに対する不安にさえつながる。そういう面を感じさせる音楽は、大曲よりは交響曲や歌劇よりも室内楽的小品に多いように感じ、ピアノ曲やら弦楽曲をチマチマ聴いています。
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