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2006年12月7日木曜日

【音盤】シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D944《ザ・グレイト》/ジュリーニ&シカゴ響

  1. シューベルト:交響曲第9番《グレイト》
  • カルロ・マリア・ジュリアーニ(cond)、シカゴso.
  • 1977年 シカゴ
  • UCCG-9446


やっぱり評判が高いだけあって、ジュリーニ&シカゴ響は名演です。この曲の持つ若々しさ、躍動感など余すことなく伝えてくれます。晩年の演奏とは印象は全く別物と言ってもいいかもしれません。



まず聴いてびっくりするのが解像度の良いシカゴ響のオーケストレーション。弦の刻みの鋭さ、金管群の明確さ、重なり合う音が作り出す重厚感。それでいて、音は互いに濁ることなく硬質で見通しの良い立体感を形作ります。いかにもアメリカ的な機能美を感じます。冒頭のホルンの音色、トロンボーンの響き、どこを取っても素晴らしい。


この高性能のオケをジュリーニは、一切の妥協も見せず、最後までグイグイ引っ張り、堂々たる音楽を描ききります。表現としては第一楽章のレガティッシモの主題の歌い方が特徴的です。ここには抑制的で一瞬ダルな印象を受けますが、聴き続けますと、そのほかの部位においては弛緩したところなど全くありません。そこここに聴こえる強調されたアクセントは、旋律線を浮き立たせる点で見事です。


機能美は冷たさには繋がらず、例えば第二楽章、劇的なクライマックスを迎えた後のカンタービレは惚れ惚れするほどの歌です。第三楽章冒頭の弦5部のユニゾンは小気味良いほどの切れ味。曲の雰囲気は学生最後の卒業舞踏会パーティーを思わせます。終楽章のテンポは速く、キビキビとした圧倒的な躍動感を伴っています。これまた舞踏の音楽でしょうか。


全体に高貴であり、従って少々気取りが、そしてジュリーニの曲に対するリスペクトと音楽的に真摯な几帳面さを感じる演奏です。表現は広く図太く、そして男性的であるが故に、恐ろしく重厚で実直な美しさをたたえています。音楽的輪郭の鮮やかさが粋で格好良く、溢れるばかりの躍動感と幸福感に、聴いていて素直に背筋が伸び、そして元気になれます。

2006年11月29日水曜日

【音盤】シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D944《ザ・グレイト》/ジュリーニ&バイエルン(1993 Live)

シューベルト:交響曲第9番《グレイト》
  • カルロ・マリア・ジュリアーニ(cond)、バイエルン放送交響楽団
  • 1993年 ミュンヘン
  • SICC-269 SONY CLASSICAL

テンシュテットの《グレイト》の感想のコメントで、syuzoさんに「リファレンス盤は何か?」と問われ、ふと考えてみると、私の場合、音盤のレビュを書くのに当たって比較対照となる演奏をあまり意識していないことに気付きました。比較もなしにレビュを書けるのかと、しばらく自問し、何たる雑で無責任な文章を垂れ流している事かと恥じ入る思いです(><;;;





ただ《グレイト》を書こうと思ったきっかけを敢えて挙げるとするならばジュリーニ&バイエルン盤を聴いて素直に感動したからということになるでしょうか。20GBのiPodにはラトル&ベルリンとジュリーニ&バイエルンの演奏が入っていますが、聴くのはもっぱらジュリーニの演奏ばかりなのです。


《グレイト》なんて長いだけで単調で冗長という印象が強く、よほど楽天的な気持ちにでもならない限り聴きたいと思う曲ではないと思っていました。でも80歳目前であったジュリーニがバイエルン放送交響楽団に録音した本盤(ライブ)を聴いたときには、その余りにも堂々とした演奏に、そして横綱相撲振りに全くすっかり参ってしまったのです。


ジュリーニの演奏にはシカゴとの録音もあるのですが、こちらは未聴。ですから、この録音だけでジュリーニの芸風を述べることはまたしても危険であるとは思うものの、悠々たるテンポ感、朗々と唄われるメロディ、深い弦の響きなどなど、どこを取っても素晴らしい演奏だと思います。こけおどしなど全くなく、音楽をまっとうする姿。永遠に続くと思われる終楽章は、まさに至福と歓喜の時間です。


テンポがちょっと遅すぎて弛緩していると感じられたり、今となってはいささか古臭いと感じられるスタイルと思われるところもありましょうが、こういう幸せな一時代を象徴しているかのような演奏を限りなくいとおしく思います。素直に癒される思いがします。


でもシカゴ響との演奏もそのうち聴いてみます聴いてみました、ハイ。 ちなみにCD解説は宇野功芳氏が書かれていました。

(何たる雑駁たる感想!!)

2004年4月11日日曜日

【音盤】ジュリーニ/LOP:ブラームス交響曲第1番

  • 指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
  • 演奏:ロサンゼルス・フィルハーモニー管
  • 録音:1981年11月

ジュリーニ/LOPによるブラームス交響曲第1番は名演であるとの評判が高く、今年1月に再発売された盤です。

ジュリーニの演奏ですからテンポはゆったりとしています、というかかなり遅いです。第一楽章が19分弱、第ニ楽章が10分半、第三楽章が5分、そして第四楽章は18分半です。しかしこの遅いテンポで丁寧に歌われるブラームスは格別な味わいで、堂々たる風格を有しています。最後まで聴いていると、何か人生の長い旅路を終えてきたような境地と至福感にまで達してしまいます。

ゆったりしたテンポではあるのですが、弛緩したり生ぬるい演奏では全くありません。第一楽章は冒頭から音響の迫力は物凄く、特にティンパニの強いアクセントをもった強打が印象的です。しかしこれとて、ただ強いだけではなく微妙なニュアンスの違いを叩き分けています。打楽器と重厚なオケが一楽章の持つ暗さや悲愴感を際立たせています。

翻って第二楽章のAndante sostenutoは暗さと明るさを兼ね備えた美しい楽章です。この「田園風」楽章でのジュリーニのオケの唄わせ方には陶然としてしまいます。第二楽章の7分頃に現れるソロ・ヴァイオリンの部分など、ヴァイオリン・コンチェルトを聴いているような気にさえさせられます。続いてのヴァイオリンと木管が寄り添うように唄うところは特に格別で、こうなるとコンチェルトではなくオペラの一幕と言ってもいいかもしれません、ここだけ何度も聴きたくなってしまうほどです。

第三楽章は更に「幸せ感」が高まっていきます。しかし、あざとい表現とか煽るような表現は聴こえません。第一楽章のティンパニの強打も昔のことのように思えます。第三楽章は短い間奏曲のようで、再び壮大な悲痛を予告する第四楽章に受け継がれますが、この楽章はとりわけ見事です。

ブラームスが描いた音楽も素晴らしいのでしょうが、ジュリーニの演奏は実に説得力があります。ティンパニの強打の意味もはっきりと分かり、かの有名なホルンとフルートが奏でる旋律が現れる頃(3分半)には体がブラームスで満たされてしまっています。主部のベートーベン第9の歓喜の主題に似た第一主題を聴くいていると、まさにこれは形を変えた、ベートーベンよりも穏やかで静かな、しかし内に秘めた熱情では負けない歓喜であることが、しみじみと分かります。いやはや本当に美しい旋律です、完全にブラームスが効いてしまっています。ジュリーニのテンポで聴きますと、ブラームスが非常に大人びて聴こえます。感情をむき出しにする直情型の演奏とは異質のもので、それでいて激しいという恐るべき音楽です。

中間部のたたみかけるかのような音響は、ブラームスの複雑な感情(喜び、怒り、嫉妬、絶望、そして達観)が全て詰まっているかのようです。故にラストに向けての感情の解放は静かにそして熱く、一人静かに固い拳を握り締めるがごときです。ブラボー!

(CDと同時進行的にレビュを書くと、こういう直情型支離滅裂文章になってしまいますね・・・)