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2008年1月27日日曜日

【本棚】小川洋子:ブラフマンの埋葬

サンスクリット語で「謎」を意味する「ブラフマン」と名づけられた小動物と、<創作者の家>という施設の管理人をつとめる主人公との物語。タイトルにあるように、最後には「ブラフマン」に死が訪れることを読者はいやが上にも最初から知らされています。それゆえに「ブラフマン」の温もりが痛いほどに伝わってきます。

物語の軸は、確かに「僕」と「ブラフマン」の純粋な愛情です。しかし単なる動物との交流物語に陥ってはいないところが、小川洋子氏の小説世界。

物語を支配するのは静謐さ。その静謐さの下には、美しさと醜さ、人生に対する不気味と諦め、愛と性、生と死さえも横たわっているかのようです。それらは泉の底の沈殿物のように普段は表面に現れてこない。

ふとした拍子に、泉の表面にさざなみが現れて、下にあったものが露呈することがあったとしても、しばらくすると、全ては押し流され再び静寂と静謐だけが支配する、時間だけは無情に淡々と流れ・・・。

深い悲しみも、絶望も、欲望も、葛藤も、およそ小説のテーマとなるような物語や感情は何ひとつ提示されてはいません。登場人物の描写もひどくそっけない。このような確信的とさえ思えるような描き方をすることで、淡々とした人々の営みと命の物語は、逆に深く心を捉え、蝋燭の仄か光のように心を暖めてくれます。そして、小説を読む愉悦を思い出させてくれます。

2008年1月12日土曜日

【本棚】小川洋子:博士の愛した数式

映画にもなって、小川洋子氏の名前を広く世に知らしめた代表作です。多くの人が彼女の独自の世界観に、そして作品内容の誠実さと愛おしさに感動したことと思います。

しかし、私にとっては、この作品はそれ程面白いものではありませんでした。

決して作品をけなすつもりはありませんよ、小川氏の小説家としての才能、そして彼女が小説に求めている核はここでも健在です。それを私なりに解釈すると、例えば彼女の短編にあった、ある「生」あるいは「命」を別の者がしっかり受け止めるとでもいうような、切なくなるような受け渡しと、そこに潜むやさしい喪失の物語でしょうか。

しかし、「薬指の標本」のような作品に認められた、背徳的なエロスとかタナトス、不気味さ、じわじわとした恐怖のようなものは、「博士の~」からは全く剥ぎ取られてしまいました。

今までに読んだ短編(ごく少ないです)の、ネット上レビュを読むと「何を書いているのか分からない」という感想がチラホラ目につきます。確かにラストを放り投げたようなものや、未完に感じられるものもあります。私にとっては、そういう「異色さ」が小川氏を他の作家との隔てているものであり、そこに魅力を感じていたのですが、小川氏は「異色さ」を主として作品を書いてはいないものの。

彼女の作品は翻訳もされ海外でも評価されているようです。村上春樹と同様の無国籍性と無臭性を感じる部分です。小川氏の作品のどこが評価されているのか詳しく調べたことはありません。それでも、国内においては「博士の愛した~」が最も彼女の名を広く知らしめた作品だというのは間違っていないでしょう。「異色さ」を剥ぎ取っても、一層に万人受けしたのですから、やはり確かな才能なのだと思います。

記憶を80分しか維持することのできない数学者という突飛な人物が主人公、その存在そのものが「異色」といえば異色です。数学はつけたしではなく、それも数論という分野の持つ特殊さと純粋さを作品は見事に吸収し消化してます。

しかし、そうであっても残念ながら、私にとって本作が小川氏の作品の初読であったならば、他の作品を続けて読もうという気にはならなかったかもしれません、ひねくれていますかね。

2007年12月23日日曜日

【本棚】小川洋子:まぶた ほか

薬指の標本』の独特の世界に惹かれ、標題作が収録されている短編集を読んでみました。やはり彼女の独特の静謐な、透明な世界は健在です。そして作品に通底する、いとおしさとか、生とか死のありよう、あるいは偏執的なフェティシズムを感じ取ることができます。

本作には8つの短編が収められています。作品の雰囲気によって大きく二つに分けられるように思えますので、それぞれについて少しだけ感想を書いてみます。

第一群は、『飛行機で眠るのは難しい』『中国野菜の育て方』『詩人の卵巣』『リンデンバウム通りの双子』。そして第二群は『まぶた』『お料理教室』『匂いの収集』『バックストローク』としてみました。

第一群の作品は、人生における、言葉には出来ない「いとおしさ」とか「はかなさ」そして「生きる強さ」みたいなものを感じ取ることができます。作中人物たちは、何かを相手に提示せざるを得ず、それを受け取った者は、何か大切なものを引き受けます。提示されるものは一応に「死」の匂いがします。しかし受け取った者はには、ひそやかだけども確かな「生の光」が芽生えます。

ここら当のことを堀江敏幸さんは文庫本解説で「小さな死の塊」かすかな命の影、あるいは死とひきかえでなければ得られない体温のありかと表現しています。あまりにも的確な表現で、付け加えることがありません。それらは、ガンガンと主張するようなものではなく、ひっそりと、当人同士にしか分からないやり方、あるいは呼吸や触れ合いを通して、直接的にしか伝わらないもののようです。それゆえに秘めやかで、壊れやすく感じるのでしょうか。

第二群の作品は、より肉体性を感じる作品です。生と死の匂いはここでも健在で、かつフェティシズム的な雰囲気や、乾いたエロティシズム、あるいは、矢張りなのですが過去とか死の匂いを感じます。『匂いの収集』は『薬指の標本』にも繋がるホラーさえ感じる作品になっています。ちょっと滑稽で奇妙な『お料理教室』も、背反するものを未分化なままに提示しているように思えます。

『バックストローク』では、主人公はアウシュビッツを訪れたところから回想を始めています。アウシュビッツそのものが本作のテーマではありませんが、小川氏は中学時代に読んだ「アンネの日記」に大きな影響を受けていると言いますし、アウシュビッツにも興味を持っているようです。死者から生きている者が何を汲み取るのか、ということは彼女の大きなテーマなのであろうと思います。彼女が肉体やその一部に(決て生々しい肉体や息遣いではなく)拘るのは、自己と他者を、あるいは生と死をつなぐインターフェースとして身体を捉えているからかもしれません。

そういう意味からは、便宜的に作品を二つのカテゴリーに分けましたが、改めて考えると意味はなさそうです。 しかし・・・万人受けはしませんね、こういう作品群は。

2007年12月10日月曜日

【本棚】小川洋子:薬指の標本

小川洋子という作家の作品が映画化もされ話題になっていることは知っていました。しかし積極的に読みたいリストには入ってはいませんでした。日経新聞夕刊で12月3日から「人間発見」という企画で『物語の森の観察者』と題する彼女とのインタビュー記事が5回にわたって連載され、記事を読んでみたところ、作品にも興味を持ちました。

小学校の頃は体も小さく、色々なことがみんなと一緒にできず、図書館だけは楽しかったという少女が大人になって。小説を書き始めた頃は最も重要なのは自分自身だったということ。一番知りたいのは自分で、それが最も深い闇だったと自覚していた彼女。彼女の創作はどこに飛翔したのかと。

最初に読んだのが、代表作の一つである『薬指の標本』。評判とおり透明で静謐な作品です。どこかを突付くと、そこからこなごなに壊れてしまいそうなくらいに繊細で、微妙なバランスで保たれた世界。ディテールはリアルでありながら全く現実離れしています。標本を作ってもらうということと、それを作るということ。

「封じ込めること、分離すること、完結させることが、ここの標本の意義だからです。繰り返し思い出し、懐かしむための品物を持ってくる人はいないんです。」

と説明する標本技師。彼は地下室で標本つくりに没頭し、それを保管し続けます。「標本」にして所有するということとは。主人公である彼女は、標本技師に抱かれながら問いかけられます。

「君は何か、標本にしてもらいたいものを持っているかい?」

その二人が、標本技師が彼女にプレゼントした靴をキーとしながら、秘められた関係性に陥っていきます。

「これからは、毎日その靴をはいてほしい」
彼女に、あまりにぴったり過ぎる靴。靴が彼女の足を侵食する。その束縛と解放がないまぜとなって、秘められたエクスタシーにまで昇華されてゆきます。
「自由になんてなりたくないんです。この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じ込められていたいんです」

「標本」とは、いわば部分と時間を閉じ込めた小世界。その中に収められたモノは永遠に残ったとしても、それを包括していた全体としての存在は消えているということ。存在の消失と永続性、フェティシズムと乾いたエロティシズム。束縛されることで自己を解放するというアンビバレンツな衝動、むしろエロスよりはタナトスか。非常に雰囲気と香りを伴ったフランス人好みの作品かもしれません。

文庫に収められている、もうひとつの『六角形の小部屋』という作品も、『薬指の標本』に劣らずに不思議な小説です。しかし、ここでも語られるのは主人公の心、そして束縛と解放。

どちらも、ひたすら自己の内面に静かに降りて行くような作品。自分の心の井戸の底に何が沈んでいるのか、当の自分にも分からない、井戸の底にチラリと見えた水面がどんな色をしているのか。その水は透き通っているのか、はたまた黒く濁っているのか、毒なのか。

小川氏の小説は始めて読みましたが、この静謐さや幻想性は非常に儚い。性的な描写も女性の視点のそれだし、まるで少女の夢想した世界のよう。まだ彼女の作品は短編ニ作のみ、誤読している可能性はありますが、続けて幾つか読みたいと思わせる作家でもあります。