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2015年8月11日火曜日

【本棚】日本のいちばん長い日 半藤一利

2015/08/11 日本のいちばん長い日 半藤一利

Kindleにて読了
ついでに1967年版の映画もiTunesレンタルにて

日本陸軍の暴走
「国体」という名目での戦争維持、絶対抗戦という主張は、もはやカルト
ポツダム宣言受諾の陰で、クーデーターまがいのことが生じていたことは初めて知る
終戦も時の運さえ味方して、多くの努力のもとに「勝ち取った」ものであったことが良く分かる
改めて戦争は二度と起こしてはいけないのだと、普通は心に刻むであろう

阿南陸相の自決に関しては、現代と考え方が全く違っていたということの象徴
どうしても相容れない違和感
まだ「武士」としての日本人が生きていたことの証
これを美化して考えるべきではない
死ななくては陸軍が納まらなかったと考える、その根本的な思想が、土台が間違っていたのだと思いたい
生きることの方が難しい、後は託したというのは、今の世では通じない
このような日本的精神が今でも残っているとしたら、そこの方が問題

翻って安倍政権の暴走をどう考えるか
後世は現代の転向をどうとらえるのか


2006年12月11日月曜日

【本棚】硫黄島関連の立ち読み~「十七歳の硫黄島」ほか

書店に行って硫黄島関連の本を立ち読みす(池袋ジュンク堂なので新書は座り読みですが・・・)。先の映画の感想も、一面的で表層的であったことを自省す。

「十七歳の硫黄島」(秋草鶴次著、文春新書)

硫黄島で海軍志願兵として戦い、強靭な精神力で奇跡的に生き残った秋草さんが綴る渾身の書。米軍の硫黄島上陸前から、硫黄島玉砕の報の後2ヶ月も戦地を彷徨い、最期は意識不明となって米軍捕虜として生き残るまでを書いています。硫黄島でのことは、どんなに文章にしても本当のところは伝わらない(伝えることができない)と思いながらも、「玉砕」の一言で語られてしまうことに「耐えられない」という言葉は、ひたすらに重いものです。



どの頁を読んでも凄惨という言葉を通り越しています。自ら「人間の耐久性試験」と言うほどの有様は、現在の平和な世界に生きる私には想像だにできません。これを読むと、イーストウッドが描いた戦場は、あれであっても「綺麗すぎる」と思えてしまいます。市丸少将が「あたかも害虫駆除」と称した米軍による塹壕の掃討作戦。すなわち毒ガスと水、ガソリンと手榴弾による火攻めの阿鼻叫喚。苦痛に叫ぶ兵士を、敵に見つかるから黙れと怒鳴る上官。「お国のために黙ってやる」といって放たれる銃声。塹壕に響く「お母さん」「バカヤロー」の叫びと手榴弾による散華。この世に地獄があるならば、まさにそのままです。

生きて帰るとの意志のもと、左指を吹き飛ばされ、大腿部を貫通するほどの傷を負いながらも生還したこと。まだ生きることができた多くの若者たちが、死ななくてはならなかったということ。戦争の悲惨さでは片付けられない事実です。

米国はブルトーザとダンプで地下壕の上をまっ平らにし(地下には日本人が生き埋めにされたまま)、投光器が煌々と照らす砲撃の後など痕跡もない広場に大量の物資を運び込んでいったという記述は、戦争の一面を如実に伝えています。

擂鉢山の星条旗の欺瞞を描いたのが「父親たちの星条旗」でしたが、そこに日章旗が二度もはためいたということは驚くべき事実です。

「週刊文春 06年12月14日 コラム~本音を申せば」(小林信彦)

そういえば小林氏が「父親たちの星条旗」を絶賛していた同コラムを読んで、私はあの映画を観る気になったのでした。そして今回の「硫黄島からの手紙」に関するコラムを読んで再び成る程と思いました。小林氏はこの映画の実質的な主人公は<基本的に戦わないスタンスの男=西郷>だと思うとし、西郷は兎みたいな奴で、それが戦争を経験してどうなっていくかを書きたかったとのイーストウッドの言葉を紹介しています。

西郷=二ノ宮和也の顔について蛇足的なことを書きましたが、実はいい演技しているんです、彼は。

歴史街道 1月号(12月6日発売)~硫黄島と栗林忠道

もうお決まりのような特集です。栗原中将が息子に宛てた絵手紙に、ほのぼのとすると同時に涙を禁じえません。それにしても、彼の描く絵、決して上手くはないけれど、素人のそれではありません。

アメリカに渡り、アメリカの国力を知悉していた栗林。日本陸軍にあって、珍しく合理的な精神を持ちえていた人物であったことは、ここでも伺えます。脅威を感じつつも惹かれていたアメリカに対し、銃剣を向けなくてはならなかったときの矛盾と葛藤はいかほどであったか。玉砕、総攻撃を禁じた彼でしたが、最後は「一人百殺」と言って総攻撃に討って出ます。自らが敵の雨霰と降る銃弾の中に先陣を切って突入した、その決意と悲愴。彼の意志は決して米国に勝つことではなく、一日でも米軍の本土空襲を遅らせて、日本人が疎開などをする時間を稼いだということ。まさに映画のように一人の兵も無駄にはできなかったのです。

キネマ旬報 12月号

イロイロな人が映画評を書いていました。映画評などほとんど読みませんから、誰のものか忘れました。印象的なことを拾っておきます。

イーストウッドは「正常な人間の理想や自分が正しいと思うものが崩れていったとき、人間はどうなるのか(ふるまうのか)」あるいは「どこか毀れた人間が、どのように再生するのか」ということに一貫して興味があるらしいです。彼は栗林中将と、ロサンゼルス・オリンピックの馬術で金メダルを取った西竹一中尉に「アメリカを見た」のだと。そういう合理主義精神を持っていた栗原中将が、何故にこのような闘いに殉じたのか。

この点は私も映画の中で、栗原氏の精神的な分断として違和感を持ったところです。イーストウッドは日本兵が自決したことが理解できなかったと言います。栗原の最期の闘いは、いわゆる玉砕覚悟のバンザイ突撃ではなく、ゲリラ戦のようなものだったとの記述もどこかで読みました。映画はで残念ながら、そう描いていません。もしかするとイーストウッドの中では、栗原中将の矛盾は解決していない問題なのかもしれません。もっとも、何でもが合理的に説明が付くとは思っていませんが。

「玉砕」「無駄死に」と言うには悲惨すぎる、「無謀で無意味な闘い」というのでは浮かばれない。人は愛国心のために殉じているわけでもありません。映画の中で「いつか君たちのような若者が居たことを、後世の人が思い出して称えてくれる」という言葉は、決して戦争の肯定に繋がるものではなく、当たり前のことであると思う次第です。
















2006年12月10日日曜日

TV:硫黄島~戦場の郵便配達~


フジテレビで「硫黄島~戦場の郵便配達~」という2時間ドラマが放映されていました。映画「硫黄島からの手紙」に触発されて作られた番組でありましょうから、もののついでということで観てみました。感想としては、番組制作者の意図を汲んだとしても、ドラマとしては鑑賞に耐えうるものではなく、「話題つくり」的な拙速さが目に付きました。市丸少将率いる硫黄島の兵士たちの姿も、酷い描き方でした。



これならばいっそのこと、インタビューを交えたドキュメンタリー(*1)にした方が、よほど訴求力があったのではないかと思います。ドラマに挿入されるご遺族の行動や言葉を聞きますと、戦争は決して終わったものではないのだと身に染みる気がしました。


また実在した市丸少将を軸にドラマを展開したのですから、彼の遺書とも言うべき『ルーズベルトニ与フル書』についてもっと言及すべきではなかったのでしょうか。Wikipediaによりますと日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突くものであったとのこと。その「手紙」が米国で丁重に保管(*2)されているというのも、不思議な気がします。


私は硫黄島のことも、戦争のことも、ほとんど無知と言っていい。硫黄島は「玉砕の島」と火炎放射器という断片的な知識を有しているのみです。「硫黄島からの手紙」を主演した渡辺謙氏も、この映画の話が来るまで栗原中将どころか、硫黄島の事も全く知らなかったと語っています。おそらくは他の日本の俳優しかりでしょう。


イーストウッドの映画は、非常にリアリティのある映画でしたが(*3)、それでも戦場の現実からは程遠い(ような気がします)(*4)。
戦争を「リアル」に感じるというのは、どういうことなのか。当時の日本が、一体どういう戦争をしていたのか。当時の世界情勢を考えたとき、戦略的にどうであったのか。日本の取った行動は間違っていたのか、他の選択肢があったのか、何故それは潰されたのか。そして当時の人たちは戦争をどう考えていたのか。戦場に行くということは、敵を倒す(殺す)ということは、個人にどういう意味をもたらすのか。そういうことを私は全く知りません。


イーストウッドは、「戦争がなくなって欲しいとは思うが、歴史は戦争がなくならないことを教えている。しかし理想は捨ててはいけない。」という主旨のことを、12/7の筑紫哲也 NEWS23で語っていました。筑紫氏が「戦争映画は戦争を顕彰することになり、次なる戦争の準備とならないか。愛国心についてどう考えるか。」という質問をしました。イーストウッドは「愛国心(patriotism)」という言葉に一瞬考えながらも、「愛国心は誰にでもある。しかし、それが理由になって(個人や国家を)縛るようなことがあってはいけない。」と答えていたのが印象的でした。


  1. ドキュメンタリーであれば良いというわけでもないようです。NHK総合で2006年8月7日に放送されたNHKスペシャル「硫黄島 玉砕戦~生還者 61年目の証言」について、小林信彦氏は「週刊文春 12月14日号」で、誠実なドキュメンタリーにおち入りがちな穴、あまりにも取材を重ねたために、取材にからめとられて、テーマを見失う、日米双方の主張を並べて、あとは視聴者が考えて欲しいということになったと評しています。

  2. 米国は東京大空襲や広島原爆投下後の日本の様子を、事細かに航空写真などで撮影し、攻撃の効果を記録し今でも保管しています。多くの日本人が目にしたこともない膨大な戦争記録がアメリカにまだまだ保管されているのだと思います。

  3. 「父親たちの星条旗」を見た硫黄島戦闘に加わった米兵は、当時の実写とロケを組み合わせて上手く映像にしたものだ、と戦闘シーンを絶賛したそうです。イーストウッドによると、当時の実写は一切用いてはいなかったそうです。(「キネマ旬報 11月号」だったと思う・・・)

  4. 例えば文春文庫の「十七歳の硫黄島」などを読めば分かるかと・・・


2006年10月29日日曜日

映画:父親たちの星条旗

28日に封切られたばかりの「父親たちの星条旗」を観てきました。クリント・イーストウッド監督、スティーブン・スピルバーグ製作の硫黄島2部作のうち、こちらは、アメリカから見た硫黄島の戦争を描いたものです。

実はほとんど予備知識なく観たのですが、こいつにはビックリです。クリント・イーストウッドは「戦争映画を描いたつもりはない、人間のドラマを描いた」と述べていますが、いやたしかに、人間ドラマもとてつもなく重いのですが、それにしても、この戦闘シーンの凄まじさよ。


スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」が描いたノルマンディ上陸の戦闘シーンも凄かったのですが(というか、映像を観ながら、ほとんど恐怖におののき、吐き気がした)こちらの映像の迫力はその上を行くのではないでしょうか。敵も味方もない、無情にして非情な戦闘シーンの連続。アメリカの圧倒的な物量は映像で観るものを(ことに硫黄島決戦を良く知らない日本人を)圧倒しますが、それを支えた米国の内情にまでは、当時の日本人は(今も?)決して思い至らなかったハズです。国家は日本もアメリカもギリギリまで追い込まれながら、虚しい闘いを続けていたわけです。

そういう戦場シーンがあるからこそ、星条旗の持つ意味、すなわち写真の虚構と真実が重さを持ちます。彼らが命と半生を賭けたもの何であったのかが伝わってきます。

戦場の残酷さと故国のギャップは、戦争映画としては月並みな描き方です。しかしステロタイプな扱い方であってさえも、その対比が訴える力は少しも削がれはしません。映像に描かれたものを言葉に置き換えた瞬間に全てが陳腐にります。言葉では書ききれない重さが映像にあります。

本作は実話に基づく映画であるとのこと。国家が何を望み、個人や家族が何を望んでいたのか、戦争の英雄の実像と虚像。惨めな半生と決して口を割ろうとはしなかった過去の痛ましさ。戦闘シーンと同様に勝者も敗者もありません。愛国心などと言う言葉で括るのも軽がるし過ぎる。人は何故闘ったのか、何故そこに残ったのか、何故そこにまた戻ったのか。

かつての名作「ディァ・ハンター」のように、ひたすら戦争の傷を舐めるという類の映画でもありません。戦争の無意味さを強く主張する映画でもなさそうです。それでいて、戦争と言うものの底辺と真実がイヤと言うほどに実寸大で見えてきます。

おそるべし、イーストウッドです。硫黄島決戦というと、穴倉に火炎放射器を容赦なく浴びせかける米軍兵の映像などが夏のヒストリー・チャンネルやNHKで繰り返し流されますが、それとて何かが欠けていた視線だったのかもしれません。12月9日に公開される「硫黄島からの手紙」は日本の視点から描いたものです。これは是非観なくてはならなくなりました。

2005年8月11日木曜日

靖国問題は「問題」ではない


松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOGから靖国問題に対するTBをいただきました。考えがまとまっているわけではありませんが、ここにメモしてきます。松尾氏は高橋氏に対立するスタンスです。




ブログにおいて松尾氏は、長谷川三千子さん(女性の保守系言論人)の批判について長谷川さんの「靖国問題は問題ではない」の一文に私は激しく同意するとして、


国家が兵士たちを「戦争に動員して死に追いやった」などという言ひ方ほど、「人間不在」の言ひ方はありますまい」 「なによりも決定的なのは、国や人は時として、戦はざるを得ないことがある、といふ洞察が完全に欠落してゐる、といふことです」(同書・124頁)


「さしあたつて、近代民主主義といふものを基盤に話をしてゐるかぎり、国家が戦争や武力行使を想定しなかつたら、などといふ空想にふけるのは止めにした方がよい。(中略)この本の価値は、ほかでもなく「靖国問題」は問題ではないと気付かせてくれるところにこそあるのです」(同書・129頁)



と長谷川さんの一文を引用されています。「靖国問題」の孕む問題が国家のありようを規定するところにまで膨らんでいることには同意します。近代民主主義を基盤にする以上は「軍隊を有しない国家」など考えようもないことも理解します、従って「靖国的なるもの」は不可欠なものであることも仕方ないことであると思います。


長谷川さんは「戦はざるを得ないことがある」と指摘しますが、本当に戦う必要があったのか。というよりも、日本は正しい判断のもとに戦争を継続し続けようとしていたかという点に私の疑義があります。大東亜戦争と日露戦争の日本のありようは例えば司馬遼太郎の名著「坂の上の雲」を思い出すまでもなく非常に違っていたようです。


ヒストリーチャンネルで放映(8月6日)された日本映画社「海軍戦記/陸軍特別攻撃隊」は涙なくして観ることができませんでした。特攻隊ですから生きて帰らぬことを前提とし「再び会うのは靖国の杜で」と誓いながら無謀な戦いに挑んでいった若者を描いています。彼らは心底から「戦はざるを得ない」と感じて命をかけたのでしょうが、その国家判断は間違っていなかったのか。政府は戦争の引き際をどう考えていたのか、大東亜戦争においては児玉源太郎は存在できなかったのか。


日本の敗戦後の戦争責任については歴史を紐解けばすでに決着済みでありますが、なぜこんなにも尾を引くかと言えば、日本国内での総括と歴史観が形成ができていないからでありましょう。現状においては高橋氏の結論の「非武装国家」は確かに妄想でしかないと思いますが、そうであったとしても愚かな指導者の間違った政策の下に死にたくはありません(>と最後は好悪などの感情論に落とすか?)。世論や政治家や評論家の言説にはまだまだ注意が怠れません。

2004年8月30日月曜日

特攻隊の精神?

8月30日の産経抄に特攻隊の精神を美化するような一文が載っておりました。昨日ディスかバリー・チャンネルにて「カラーで見る神風特攻隊の悲劇」という番組をたまたま観ただけに、気になってしまいました。

産経は『特攻隊の散華に熱い涙をそそいだ[...]坂口安吾』の一文を紹介しながら、以下のように書いています。


▼坂口安吾は『特攻隊に捧ぐ』と題した四ページほどのエッセーで、特攻隊の烈々たる「愛国殉国の情熱」に最大の賛美と敬愛をおくったのだった。いささか唐突になるが、アテネ五輪の日本メダリストたちには共通した対応がある。それは「みなさまに感謝します」という言葉だった。

▼その感謝の心と言葉が、それを聴くわたしたちの胸に響いた。この「みなさま」のなかには、生きている人ばかりでなく死んだ人も含まれているはずだ。特攻の英霊たちは、いまの日本の平和と繁栄だけではなく“精神力”も培ったのである。

ヲイヲイ、何を言いたいのでしょうかね。「みなさま」のために自らの命を捧げた「特攻隊思想」が尊いというのでしょうか。先のディスカバリー・チャンネルの番組のナレーションで「アメリカは日本の特攻隊を組織してまで護ろうとする「国体」が理解できず、日本は民間人も殺す原爆を理解できなかった」みたいなことを言っていました。番組は連合国(アメリカ)寄りの見方に基づいて作られていますから、米軍の残虐さは影をひそめ、特攻隊の無謀さを淡々と描いてはおりましたが、いかに当時の日本国が狂っていたかは如実に分ります。

「神風」のみならず、その他の自殺兵器を次々と開発し「一億総玉砕」などと言って、本土決戦に備えた話しは、戦中派の方からも聞いたことがあります。軍部は巧みな教育と情報操作を行って、国家神道と天皇を主軸に武士道精神を絡め、忠義を重んじ個を軽んじさせ「武士道は死ぬことと見つけたり」などと言い「死して靖国で会おう」などと誓って無謀な攻撃命令に従属する国民を作りつづけたのです。

靖国を軽んじることが特攻隊などで死んだ人を軽んじるという意見がありますが、話しの次元が違うように思えます。命を侮辱したのは戦争に走った当時の日本政府なのではないでしょうか。日本人が狂気に近い政策を清算できていない以上、産経のような感情的美談論調には全く賛同ができません。こうなると、またまたベルンハルト・シュリンクの「朗読者」のスタンスを思い出してしまい、さらに憂鬱になります。

2004年8月21日土曜日

【本棚】ベルンハルト・シュリンク:朗読者


『現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー』

私はベストセラーというものに余り信を置いていないのですが、薄い本だし、夏だし、パンダも欲しいし、ということで読んでみました。内容は全く当初の予想を裏切るほどの内容でした。ドイツでは今でもこういうテーマで本が書かれるのですね。

読まれていない方でもギリギリ許容できるレビュとしました。できれば、私のレビュなど読まずに書店へ(笑)

世界中が涙したという名作ですが、主人公15歳のときの初めての体験からして、将来的な喪失感が予感されています。ふたりの関係が性愛的にして不道徳であるとか、年齢不相応であるとか、そういうことからではなく、逆に二人の関係が、それぞれ求めるものが全く違っているにも関わらず、ピュアすぎるだけに、それは長くは続かないことを予感させるのです。

前半でのハンナはあまりにも謎めいています。彼女には確たる自分と固い殻のような他人には決して明け渡さない暗い自我が感じられ、それが更に、彼女が教育をまともに受けてこられなかった境遇と合わせると、少年に何を求めていたのかが、哀しいほどに伝わってきます。

ぼくは、自分が学校をさぼっていることを彼女に話した。

「出て行きなさい」

彼女は掛け布団をはねのけた。

「わたしのベットから出てって。そして、勉強しないんだったら、もう来ないで。勉強がバカみたいだって?バカ?あんた、切符を売ったり穴をあけたりすることがどんなことかわかっているの」
(Ⅰ章 P.42)


この後から少年の「朗読」が始まるのですが、すでに彼女のひとつの秘密が分かってしまいます。そだけに、主人公の少年がそれに気付かないのが鈍く、相手の哀しさが理解できていないのが歯がゆく、相手の脆さが自分の幸福で見えなくなっているのが若すぎると思えてしまいます。そして、少年は当然の帰結として彼女と不本意な別れを経験することになります。


しかし、それだけなら単なる一風変わった苦い恋愛物語で終わってしまうのですが、作品の第二章では、女性の驚くべき過去が明らかになります。私は展開の意外さに最初ついていけませんでしたが、ここにテーマの主眼がある以上、作品は幾重にも枝分かれし、ドイツ人のみならず日本人にも、そして歴史などに興味のない人へも、様々なテーマを投げかけることになりました。それは「戦争犯罪」ということと「他者への理解と受容」ということです。


少年と年長者の恋ということに始まり、過去の罪をどう考えるか、過去に罪を犯した人を愛してしまった人はどうしたらいいのか、そもそも過去の罪を現在の基準で裁けるものなのか、戦争犯罪に対し戦争を経験していない現代の人はどうするのだろうか、あるいは、過去の恋人に対する不誠実を自分のなかでどう処理してゆくのか、さらには、個人の尊厳とは、相手を理解するとは、愛するとはどういうことなのか、などなど・・・


この本はミステリーではありませんが、やはり本書は予備知識なしにまず読まれ、そして再読されるような本なのだと思いますので、詳細には触れられませんが、彼女の以下の言葉がいつまでも残ります。

「わたしは・・・・・・わたしが言いたいのは・・・・・・あなただったら何をしましたか?」
(Ⅱ章 P.129)


主人公の女性に対する接し方につては、彼が半生に渡って彼女を理解しようと努め続けていたにも関わらず、どこかに不誠実さが残ります。彼が法律を専門としていた者でありながら、法史学者とい職業を選択したように、どこか逃避的なのです。

あなたは人生への挑戦と責任から逃げている、とゲートルートは言った。彼女の言うことはもっともだ。ぼくは逃げたのだし、逃げることができてほっとしていた。
(Ⅲ章 P.205)

彼が自分のことと彼女のことについて『ぼくはハンナを裏切ったのだろうか。ぼくはハンナに借りがあるのだろうか。ぼくは彼女を愛したことで罪ある者となったのだろうか。ぼくは彼女の思い出から離れるべきなのだろうか(Ⅲ章 P.245)』と悩んでいても、時に自己弁護的であります。しかし、もし私が「あたなだったら何をしたか」と問いかけられると、答えに窮してしまいます。だから以下の言葉も冷徹に突き刺さります。

「そしていまこの瞬間、わたしはシュミッツ(ハンナ)さんにもあなたにも腹を立てています。でも、もう行きましょう。」
(Ⅲ章 P.236)


ハンナの最後に取った行動には意見が分かれるかも知れません。しかしこれとて、当初からこの帰結しかないということころに落ち着いています。彼女の行動は、彼女自身の尊厳と、彼への純粋な愛を守るために取った行動であるのだと思います。従って、これ以上の帰結がありえようかと言う点において、作者も本件がフィクションであるならば予定調和的です。そして、それが最大の悲劇です。


それでも主人公を責めることなどは、到底できないのではあります。主人公はこれからも自分に対し問い続けるでしょうから。


通読するに「世界中を感動」というフレーズには疑問を感じます。色々な読まれ方をするでしょうが、お涙ものの感動大作ではないと思います。日本人である私には、このような作品が今もドイツで書かれることに対しては驚き以外の何物ではなく、話しは全くそれてしまいますが、サッカーアジア杯での観客による反日行動の源泉について、ふと考えてしまいました。