フジテレビで「硫黄島~戦場の郵便配達~」という2時間ドラマが放映されていました。映画「硫黄島からの手紙」に触発されて作られた番組でありましょうから、もののついでということで観てみました。感想としては、番組制作者の意図を汲んだとしても、ドラマとしては鑑賞に耐えうるものではなく、「話題つくり」的な拙速さが目に付きました。市丸少将率いる硫黄島の兵士たちの姿も、酷い描き方でした。
これならばいっそのこと、インタビューを交えたドキュメンタリー(*1)にした方が、よほど訴求力があったのではないかと思います。ドラマに挿入されるご遺族の行動や言葉を聞きますと、戦争は決して終わったものではないのだと身に染みる気がしました。
また実在した市丸少将を軸にドラマを展開したのですから、彼の遺書とも言うべき『ルーズベルトニ与フル書』についてもっと言及すべきではなかったのでしょうか。Wikipediaによりますと日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突くもの
であったとのこと。その「手紙」が米国で丁重に保管(*2)されているというのも、不思議な気がします。
私は硫黄島のことも、戦争のことも、ほとんど無知と言っていい。硫黄島は「玉砕の島」と火炎放射器という断片的な知識を有しているのみです。「硫黄島からの手紙」を主演した渡辺謙氏も、この映画の話が来るまで栗原中将どころか、硫黄島の事も全く知らなかったと語っています。おそらくは他の日本の俳優しかりでしょう。
イーストウッドの映画は、非常にリアリティのある映画でしたが(*3)、それでも戦場の現実からは程遠い(ような気がします)(*4)。
戦争を「リアル」に感じるというのは、どういうことなのか。当時の日本が、一体どういう戦争をしていたのか。当時の世界情勢を考えたとき、戦略的にどうであったのか。日本の取った行動は間違っていたのか、他の選択肢があったのか、何故それは潰されたのか。そして当時の人たちは戦争をどう考えていたのか。戦場に行くということは、敵を倒す(殺す)ということは、個人にどういう意味をもたらすのか。そういうことを私は全く知りません。
イーストウッドは、「戦争がなくなって欲しいとは思うが、歴史は戦争がなくならないことを教えている。しかし理想は捨ててはいけない。」という主旨のことを、12/7の筑紫哲也 NEWS23で語っていました。筑紫氏が「戦争映画は戦争を顕彰することになり、次なる戦争の準備とならないか。愛国心についてどう考えるか。」という質問をしました。イーストウッドは「愛国心(patriotism)」という言葉に一瞬考えながらも、「愛国心は誰にでもある。しかし、それが理由になって(個人や国家を)縛るようなことがあってはいけない。」と答えていたのが印象的でした。
- ドキュメンタリーであれば良いというわけでもないようです。NHK総合で2006年8月7日に放送されたNHKスペシャル「硫黄島 玉砕戦~生還者 61年目の証言」について、小林信彦氏は「週刊文春 12月14日号」で、
誠実なドキュメンタリーにおち入りがちな穴
、あまりにも取材を重ねたために、取材にからめとられて、テーマを見失う
、日米双方の主張を並べて、あとは視聴者が考えて欲しい
ということになったと評しています。 - 米国は東京大空襲や広島原爆投下後の日本の様子を、事細かに航空写真などで撮影し、攻撃の効果を記録し今でも保管しています。多くの日本人が目にしたこともない膨大な戦争記録がアメリカにまだまだ保管されているのだと思います。
- 「父親たちの星条旗」を見た硫黄島戦闘に加わった米兵は、当時の実写とロケを組み合わせて上手く映像にしたものだ、と戦闘シーンを絶賛したそうです。イーストウッドによると、当時の実写は一切用いてはいなかったそうです。(「キネマ旬報 11月号」だったと思う・・・)
- 例えば文春文庫の「十七歳の硫黄島」などを読めば分かるかと・・・
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