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2024年10月2日水曜日

森永卓郎の投資依存の警告本

石破ショックの後、株価が持ち直しているが、暗号資産は下落気味。ボラティリティーが大きい。

投資を開始してハードルが下がったことから、通貨、株と手を出している。

しかしどこかで歯止め、規則を作っておかなくてはいけない。

投資の多幸感、陶酔感、焦燥感に弄ばれてはいけない。枠を決めて、最悪それがなくても問題ないレベルで投資する。

投資はギャンブル、ゼロサムゲームは、おそらく正しい。投資をしなかった時の感覚こそが正常なのだと肝に銘じておく。

金融破壊の懸念さえ起きなければ、これ以上欲を出す必要はないのだから。

2005年10月23日日曜日

【本棚】林信吾:「しのびよるネオ階級化社会」


 題名に吊られて購入してしまった本です。不勉強にして林信吾氏がどのような方なのか全く知りませんが、この程度の内容が「新書」として740円で売られているということに疑問を感じないでもありません。平凡社新書はせいぜい、このレベルということでしょうか。

と辛辣な事を書いてしまいましたが、だって題名が「しのびよるネオ階級化社会~"イギリス化"する日本の格差」などという大そうな割に、内容ときたら、せいぜいが「ぼくの十年間にわたるイギリス滞在経験から考えた最近の日本」くらいのものでしかないからです。

視点は極めて個人的経験に依拠しており、たとえば森永卓郎氏の「年収300万円時代を生き抜く経済学」などを森永氏の論の立て方はてんで雑で、説得力に欠ける(P.200)と書いたりするのですが、そっくりそれは林氏の本書に返してあげたいくらいです。

林氏の指摘する「最近の日本は機会不平等の傾向が強くなってきている」「特に教育機の不平等は階層の固定化を招くこととに繋がり、それは日本の活力を奪う可能性がある」ということは、多くの人が指摘していることです。この「固定化された階層」が「イギリス型階級社会」に似ているとしている点のみが氏独自の視点と言えるでしょうか。

それでも、本書を読んでいくらか考えるべき点はあるようです。たとえば「中流意識の崩壊」ということについても、努力次第で誰もが享受できると信じられていた成長=幸福という果実が実りなきものであると認識され始めた故だとするならば、社会全体が感じ始めている無力感の根は深いと改めて思います。

どうやら林氏が一番書きたかったのは「教育機会の不平等」ということらしく、そこから生まれる固定化された階層の社会の底辺に押し込められた人たちは、のんびり生きるのではなく、単に向上心を持たないその日暮らしになると指摘し、

頑張っても大したものは得られない、という社会には、未来はない。(P.208)

と主張します。

しかし、それでは問う「大したもの」とは何なのかと。森永氏の「年収300万円生活」に対する胡散臭さなどはさておいても、結局問われるのは個人の生活であり人生であり幸福論に行き着くはずで、「階級社会」を選択するか否かも、政治家や資本的強者が仕向けているわけではなく、もしかすると「弱者」と規定されつつある、まさに私たちの日々のあり様がそれを決定付けているのかもしれません。

2004年3月30日火曜日

森永卓郎氏の「戦争反対」2

先にも触れた29日のテレビ朝日「たけしのTVタックル」ですが、森永卓郎氏が出演していて「他国に攻められたら、皆で死ねばいいぢゃない」「そういう国があったと、思い出してくれればよい」という主旨の発言をしていて、案の定、出演者のほとんどから罵倒されていましたね。



森中氏は、

個人のサイトも書いている考えををTVで話しただけですが、自民党の平沢議員などは「そういう考え方だから北朝鮮拉致問題が生じたのだ!拉致される船を見ていながら指をくわえて見ているだけで、何もできなかったのだ!」と震えんばかりに激昂しておりました。


「世界で武器も持たず、攻めて来ても良いなどと言って黙っている国など、一国もない!」と怒った挙句、ハナシにならんという態度をとっていたのは、名前が出てきませんが、頭の毛のない政治評論家の方です。例えばスイスは永世中立国ですが、軍隊は持っていますからね。かつて永世中立国であったベルギーは、ナチスドイツに侵攻されてしまったのでしたよね。「戦争と派遣は違う」というフレーズもよく出てきました。なるほど、勉強になりますです。

2004年3月24日水曜日

森永卓郎氏の「戦争反対」


��FJ総合研究所の森永卓郎氏のサイトを見ていたら、「戦争反対」という記事がみつかりました。これはニュースステーションのメールマガジン「ブーメラン」に掲載したものとのことで、2003年3月18日と同年5月14日に掲載されたものです。森永氏の論理は痛いほど良く分ります。




短い文章なので読んでいただいた方が良いのですが、彼の論旨で以下の部分はなるほどと思うものです。


中国にしても、ベトナムにしても、しばらく前まではとても民主的な国家とは言えなかった。それが大きく変わったのは、経済的に豊かになったからである。力でねじ伏せるのではなく、経済的な豊かさを実現することが、独裁を終わらせる最良の方法なのではないか。


世界を100人のムラに例えたらとかのベストセラーではありませんが、アメリカの一部の富裕層に世界の富のほとんどが集中しているのは事実です。日本も戦後は平和憲法のもと経済復興に全力を挙げることができたから、ちょっと前までの日本があるのだと思います。


戦後復興の件についても、少し触れられていますがチェイニー副大統領とハリバートン社の関係、軍の後方支援に関わる業務を民間発注として、KBR社(ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート社=ハリバートンの子会社)に、ほとんど特命で発注したことも、知る人は皆知っています。


北朝鮮を刺激して危険な行動に走らせているのは、他ならないアメリカなのだ。余計な圧力をかけなければ、日本が危険にさらされる確率は随分減るだろうし、万が一日本攻撃時にアメリカに守ってもらえなくても、私は大量殺人に加担するくらいだったら、死んでしまった方がましだと思う。


私は「死んでしまった方がまし」というところまでは、腹をくくれていませんが、こういう論を聞くと最近の国防を増強しようとする論者からは罵倒されそうですね。外交とは戦争をするところまでを見据えた圧力が絶対に必要だと説いていますから。


力には力で対抗してきます。イスラエルの暴挙によって世界は緊迫の度合いが一気に高まっているように思えてなりません。

2004年2月6日金曜日

【本棚】森永卓郎:続年収300万円時代を生き抜く経済学

題名の通り続編です。読んでみますと前編の実践編ということになりましょうか。

森永は金持ちなのにどうしてそういう本を書くのか、というキモチは私も持ちましたが、そう思った読者の方は多かったようです。

前作を読んで成る程と思う反面、ちょっと違うなあということも感じたのですが、共感できる部分も多かったため、ついでに続編である本書も読んでみました。前書が2003年3月1日発行、本書が11月25日発行ですからその間約半年程度しか経っていません。ですから森永氏の経済に対する考え方には全く変化はありません。(むしろ半年の間で経済状況は悪化していると指摘していますが。)

そういう本書のテーマは「まえがき」の以下の部分に要約されています。

前作を読んでいただいた方々から、たくさんのご意見をいただいた。[...] 一つは、具体的にどのような対策をとれば年収300万円で暮らせるのか教えて欲しいというもので、もう一つは年収300万円で暮らせると言いながら、実は森永は金持ちではないかというご批判だった。(P.4)

このように書かれていますので、前編の実践編というふうになりましょうか。森永氏は所得格差は絶対に進む、数年後には必ず意図的なデフレ脱却が起こり土地や資産は上昇し、そうなったらもう日本は過去のような皆が平等であった時代には二度と戻れないと警鐘を発しています。

彼はそういう市場原理と戦っていくという姿勢よりも、300万円で身の丈にあった生活をした方が人間的な生活を回復できますよと説いているのです。第4章で森永氏で自らの前書の書評を紹介していますが、まさに「『逃散』の勧め」というわけです。ですから、そういう生活を選択した方々の生活ぶりについても第3章「心豊かなライフスタイルを模索し実践する人たち」として紹介しています。

ちょっと違うのではと思うのは、世の中が1億以上稼ぐ社会の数パーセントの人と、社会の6割り程度を占める年収300万円代の人と、年収100万円以下の三つの層に分化するということでしょうか。(P.65) 確かにアメリカ社会は数パーセントの超金持ちと一般の人に分化しているという話は聞きますが、本当にそうなるのかとなると、鈍いせいか実感を伴いません。それでも彼は書きます。

一つだけどうしても言っておきたいのは、「これから日本が市場原理主体の社会に変貌するなかで、能力や成果が政党に評価されるようになるのだから、きちんと仕事で成果を出していけば、それが出世に結びついていく」と考えるのは、完全な誤りだということだ。(P.235)

会社生活にはもはや夢も希望もないと言い切っているのと同じです。会社の中で「ラットレース」を繰り返し身も心もボロボロにするよりもっと豊かに暮らせというのですが、確かに会社生活は厳しい面もありますが、皆そこの中で自己実現を重ねてきているわけです。急にそういう人生を止めなさいと言われても、実のところ戸惑うばかりです。自分の足元の階段をはずされるようなものですから。

森永氏の考え方に同調できる部分も実は多いだけに考えどころです。思うに、日本の会社勤めの人の大部分はあまりにも忙しすぎ、家庭はおろか、近隣や社会、自国の政治、さらには国際社会としての役割に、個人的に関わっている時間がないと感じています。あるいはすごく忙しく働くことが、社会やその他の人たちと直接結びついている人たちは幸せかもしれません。多くの会社勤めの人は、自分の成果を社会に還元して納得できにくくなっているのではないでしょうか。

会社勤めはどんなに頑張っても、役員や顧問にならない限り長くて60歳で定年です。リストラ後の再就職がままならないように、普通の会社勤めの人が、そこでのキャリアを定年後にも生かせる機会は稀有と言ってよいでしょう。会社という肩書きを外れた個人として、自分が自分以外のものとの繋がりが薄すぎることが日本人とそして日本の最大の不幸なのかもしれないと思うこのごろです。

2004年2月5日木曜日

【本棚】森永卓郎:年収300万円時代を生き抜く経済学


先のようなことを考えていたのは、森永さんの本を読んでいたからです。

森永さんの経済に関する考え方についての論評はできませんが、内容は示唆に富むものでした。相容れないところもなくはありませんが。

テレビ朝日のニュース・ステーションに出演されている森永さんの本です。最近この人の書いたものを良く目にします。特に経済系の週間・月間誌、30代ビジネスマン向けの雑誌をぱらぱらと捲れば、人の良さそうな彼の写真をすぐ探すことができます。だから本の題名が良くないですね。「あちこちで結構稼いでいるくせに、人には年収300万円で生き抜けとご教授を垂れるのか」と、やっかみにも似た反発を覚えるものです。

そうは言っても、何を言っているのか、とりあえず読んでみました。

景気回復と不良債権処理の考え方は、竹中金融相や木村剛氏の考えとは真っ向から対立しているようです。森永氏は不良債権をなくしてもデフレからは脱却できず景気も回復しない、むしろマネタリー・ベースを増やして流通現金量を増やし、更に土地担保主義の金融システムを復活させよと主張しています。一方の木村氏は「悪臭の源は不良債権である」(日本資本主義の哲学:木村剛)と言い切っているのですからね。

デフレ処理と不良債権処理に関するテクニカルな問題については、私はその是非を判断する知識を持ち合わせていません。興味のある方は両者の著書を読み比べて判断されると良いかもしれません。

私が面白かったのは、「日本に新たな階級社会が作られる」(2章)、「1%の金持ちが牛耳る社会」(3章)などの部分で、全てではないにしてもかなり説得されてしまいます。薄々私が感じていることと似ているからです。森永氏は最初控えめながら、こう書きます。

不良債権処理を進めても、マネーは増えず、景気も回復しない。[...] (政府は)何ひとつ良いことが起こらない金融再生プログラムをなぜ強行しようとするのか。一つの可能性は、小泉内閣のブレーンたちが、とてつもなく頭が悪いということだ。[...] (そんなことはありえないので)むしろ、小泉内閣の正体が「金持ちをますます金持ちにする」ことになるのだとしたら、この金融再生プログラムは実によくできている (P.49)

これを実現させる手順は以下のようだと書いています。

  1. ITバブルを引き起こして「頭金」を作る。
  2. 金融引き締めによるデフレを仕掛けて、資産価格を急落させ、不動産を借金で購入した企業を追い込む。
  3. 不良債権処理を強行して、放出された不動産を二束三文で買い占める。
  4. デフレを終わらせて、買い占めた不動産価格でキャピタルゲインを得る。
  5. 一度たたき落とした旧来肩の企業や一般市民が、這い上がってこないように弱肉教職社会へ転換する。

今、東京で起きている現象に妙にラップする部分を感じてしまうのは私だけでしょうか(まさに日々そういう事象を仕事でも目にしていますから)。現象は②~③に達しています。

しかしここからが良く分からないのです。森永氏の言う「勝ち組」とは具体的にどこに居る人たちのことなのでしょう。私の業界(完全な「負け組」ですから)では、全く実感を伴いません。

また彼の論では、家族もかえりみず寝る暇も惜しんで働き1億円の年収を得る一部のサラリーマンと、「負け組」の年収300万円のサラリーマン、更にそこにさえ達さない三つの層に分かれると書いています。これは少し私の感覚と異なります。年収1億円のサラリーマンも、年収300万円のサラリーマンも、同じように死ぬほど働いているのが現実のような気がします。(死ぬほど働く期間は異なるでしょうが)。

真に恩恵をこうむるのは、どこに居るのか分からない、死ぬほど働くことを一生しないですむ「資産家」「投資家」のような気がします(それこそ、そんな人たちはどこに居るのだと思いますが)。また、森永氏が主張するように300万円でよしとして、ガリガリ働くことを放棄して優雅に過ごせるような人など、それこそ僅少であるように思うのです。

日本において価値観の転換が必要ということは、おそらく言われなくても皆が気づき始めています。でも理不尽に思うことは、世界でもトップクラスの平均年収を誇り、物質的にも衣糧・教育環境とも豊かな日本国民が、なぜにこんなに「幸福感」を実感できないでいるのでしょう。それは労働時間や高い地価だけのせいでしょうか。

彼の主張は私に色々なことを考えさせてくれました。それはまたおいおい書いていきましょう。