チャイコフスキーは中学時代から、最近まで最も好きな作曲家の一人だった。5番は最も繰り返し聴いた曲であった。そんな思い出のあるチャイコフスキーだが初期作品から通して聴くことで、新たな作曲家像が結ぶだろうか。
交響曲 第5番
この曲を始めて聴いたのは中学2年生くらいだったと思う。カラヤン指揮 ベルリンフィルの録音だったが、今はこのLPが手元にないので、何年の録音かは分からない。なぜこの曲を手にとろうとしたのかは覚えていない。多分、「作曲家の5番シンフォニーは名曲が多い」くらいの気持ちで購入したのだろう。
当時、この曲は本当に全て口ずさめるほど愛聴したものだ。好きな楽章は2楽章と4楽章。2楽章のホルンの夢見るような旋律は、月光が輝く静かな夜を思わせ、こんなに美しい曲があるものかと聴き入ったものだ。4楽章は、それこそこの楽章だけ何度も聴いた。めくるめく弦と金管のハーモニーにほとんど眩暈にも似た感覚を覚え酔いしれたものだ。この楽章は、なんだかアメリカの砂漠地帯を大疾走しているイメージを浮かべた
一度終わったかと思わせるが、再びテーマが始まるところからフィナーレに向けては、この曲の圧巻の部分だと思う。ただ、冷静に聴けば、それほど名曲とは言いがたいのかもしれない。かの、吉田秀和先生もチャイコフスキーは「あまり好きでない、ベートーベンやブラームスに比べて深みがない」とにべもない(出典は忘れました、追求しないでください)。
聴くものによっては「しつこすぎるフィナーレ」など、鼻につく人もいるのかもしれない。最後の終わり方だって「ダ・ダ・ダ・ダ!」というリズムも、やりすぎていう気もしないでもない。しかーーし、である。それで良いのである。しつこさこそチャイコらしさだ。
人間的な慟哭がこめられた交響曲を聴きたければ、ベートーベンやマーラーを聴けばよいのである。軽やかにサロン風に聴きたければモーツアルトに走ればいい(モーツアルトはとてもサロン風なだけではない底知れなさがあるが、それはさておき)。超越した世界に入りたければブルックナーが聳えているのである。(ここらへんは、異論が結構あると思うので、あんあまり主張しないでおこう)
でも、そんなことどうでも良いのである。まるで遊園地のジェットコースターに乗っているかのような快感を感じ、最後の「ダ・ダ・ダ・ダ!」の後に「ブラボー---!!」と叫ぶためには、この曲しかないのである。
ただし、である。この曲の刷り込みは、先にも書いたように中学2年のとき、おそらく70年後半のカラヤン・ベルリンにて刷り込まれたものであることを断っておこう。(2001.02)
交響曲 第6番 「悲愴」
これも、中学2年、カラヤン・ベルリンで聴いたのが始めて。2枚組LPでピアノ協奏曲とカップリングされていた。4楽章を聴いて、何と暗い曲であることか、この終わった後の気持ちをどこに放り投げたら良いのだ、と疑問に思ったものだ。3楽章の馬鹿騒ぎの後の4楽章は、あまりにも異質であった。だから、単細胞な中学生である私は、悲愴といえば3楽章だけを好んで聴いていたと思う。
高校に入ってからも何度か聴いていたと思うが、映画「チャイコフスキー」をTVで見てから、この曲に対する印象が少し変わった。チャイコフスキーが自殺未遂しようとしていたシーンのバックで流れているのが悲愴だったと思う(記憶が定かではないが、なにせ25年以上も前の記憶だ)。いずれにしてもこの映画を見てから、真価は4楽章にあるのだと思った。チャイコフスキーが同性愛者で当局から目をつけられ悩んでいたという俗説を知ってもだ。
考えてみればタイトルが「悲愴」なんだから、3楽章を熱愛するのは、作曲者の意図に反しおかしいのであったが・・・
高校時代のあるとき、何気にこの曲を流し聴きしていたのだが、どこかで心情的なものがシンクロし、気づいたら私は涙していたことがある。音楽を聴いて涙できるとは、それまで思ってもいなかっただけに、自分にうろたえたことを覚えている。
やはり「悲愴」を悲愴たらしめているのは、4楽章であり、その消え入るようなフィナーレをホールで聴いた後は、拍手を控え、しばし余韻にひたりたいものである。
しかし、チャイコフスキーて躁鬱病だったのだろうか・・・・
(2001.02)