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2017年12月19日火曜日

松元ヒロさんの一人芝居

池袋の東京芸術劇場にて、松元ヒロさんの一人芝居を見てきました。

松元ヒロさんは、「こんにちは、憲法くんです」と初めて、日本国憲法の重要性を、笑いとともに強く訴えてこられた方です。

松元さんの、憲法前文語りなどは、その迫力と真摯な思いに、聞いていて涙が出るほどです。

憲法改正については、色々議論があろうかと思いますけれど、松元さんの平和を求める気持ちには、大きく共感するものです。

2005年8月1日月曜日

高橋 哲哉氏:「靖国問題」



サンデープロジェクトの「靖国問題」を見た余勢で、最近本屋に山積みされている高橋哲哉氏の「靖国問題」(ちくま書房)を購入して読んでみました。
非常に丁寧に「靖国問題」が何であるかについて、

 第一章 感情の問題~追悼と顕彰のあいだ
 第ニ章 歴史認識の問題~戦争責任論の向こうへ
 第三章 宗教の問題~神社非宗教の陥穽
 第四章 文化の問題~死者と生者のポリティクス

と大きく四つの面から論理的に説明しています。最終章は

 第五章 国立追悼施設の問題~問われるべきは何か

として筆者の見解をまとめています。

「靖国問題」を問うことは、A級戦犯の合祀のみならず「東京裁判史観」を問うものであることは、私も何度も書いてきましたし、問題がそこにあるからこそ政治的問題に発展する要素を孕んでいるわけです。高橋氏の態度は明白です。

東京裁判を「勝者の裁き」として拒否し、「A級戦犯」断罪を容認できないと主張するなら、戦後日本を国際的に承認させた条件そのものをひっくり返すことになってしまう。(P.69)

歴史はひとつではありませんし、国によって同じ事象が全く正反対の歴史として記述されるのも珍しくありません。また時の為政者により「造られる」のも歴史です。安倍氏のように判断を未来に委ねることも一つの手でしょうが、それではあまりにも日本的な曖昧さに満ちすぎております。政治家としての責任についても疑問を呈してしまいます。

高橋氏の態度は上記のようなものですから、現在の靖国神社のありようには否定的な見解を示すこととなります。靖国の本質については以下のように喝破します。

靖国の論理が近代日本の天皇性国家に特殊な要素-とりわけ国家神道的要素-を有している反面、そうした特殊日本的な要素をすべて削ぎ落としてしまえば、そこに残るのは、軍隊を保有し、ありうべき戦争につねに準備を備えているすべての国家に共通の論理にほかならない(P.197)

とし、

国家が「国のため」に死んだ戦死者を「追悼」しようとするとき、その国家が軍事力をもち、戦争や武力行使の可能性を予想する国家であるかぎり、そこにはつねに「尊い犠牲」、「感謝と敬意」のレトリックが作動し、「追悼」は「顕彰」になっていかざるをえない(p.205 太字本文ママ)

と説きます。従って彼の結論は、

非戦の意思と戦争責任を明示した国立追悼施設が、真に戦争との回路を経つことができるためには、日本の場合、国家が戦争責任をきちんと果たし、憲法九条を現実化して、実質的には軍事力を廃棄する必要がある(P.220)

となります。靖国問題が過去の戦争責任と将来の国防のありようにまで結びつく故に「靖国問題」は政治的であり、また日本政府が戦争責任を明確化していない点でアジア諸国からは「外交カード」として使われ、多くのアジアの人の感情を逆なでしています。一方で日本の戦死者たちをもある意味でないがしろにしているわけです。

「将来の国防のありよう」についても議論百出でしょうし、いまだ「日米安保」さえ明確にできない日本において「靖国問題」が決着することなどありえないと本を読んで感じるのでした。

これで「靖国問題」の全てが語られているとは思えませんが、わかり易い点であることとタイムリーである点から「売れる」本かもしれません。

2004年5月6日木曜日

クラクラする産経新聞


私は普段は新聞(ペーパー)はあまり真面目に読んでおりませんでして、大手新聞の社説とコラム、それに電子新聞サイトの主要記事だけをざっと眺めるという乱暴なことをしております。社説など滅多に読まない(読みたくない)という方は多いのですが、クラシックサイトの擬藤岡屋日記で『最近の「産経新聞」の主張(社説)は面白い。[...]面白すぎて、頭がクラクラする。というエントリーが目に止まりました。私もこの頃産経のオモシロさにクラクラしておりましたので。




もっとも私は産経批判をするほどに思想的でも知識が豊富でもありませんので気分や感想でしかないのですが、それでも5月2日の産経新聞の憲法改正に関する社説(主張)で


フジテレビ「報道2001」による二月二十六日調査は「改正すべきだ」が65%を示した。最近の各種世論調査はそろって改正派が多数を占め、国民の認識の深まりを反映している。


と書いているのを読むと、私の感覚は少数派意見なのかと思たりしてしまいます。産経新聞はサッカーW杯予選などで若者が日の丸や君が代を歌う様を『社会が成熟してきた証』とか書いたりもします。産経にしてみると、世の中の趨勢は産経にありというところなのでしょうが、どうしても私の感覚とずれているなあと。


では「憲法の矛盾を是正せず、自衛隊は廃止、天皇制も廃止し皇居は解放した公園にでもしたいのか」と問われると答えに窮することも確かで、ここらあたりが改憲派からは突け込まれる論理的弱さなのだと思います。


��月4日の朝日新聞社説は靖国神社の遊就館について書いていました。これは私も以前「意見箱」で書いたことがありますし、東京に居る間に一度は訪れてみたく思っている場所のひとつなのですが、朝日は以下のように書いていました。


戦争には相手があった。しかし、展示や説明には、あくまでも当時の日本から見た敵国への憎悪や世界の姿があるだけだ。戦争をする日本を世界がどう見たのかという客観的な視点は、およそうかがえない。ただひたすら戦地に散った日本人の心の尊さをたたえるのだ。


どちらがズレているのかは、やはりすぐには答えが出せません。今日は『サヨクを論破するための理論武装入門』というこれまたクラクラする題名につられて、『正論6月号』(産経新聞社)を購入してしまいましたよ。

2001年5月3日木曜日

憲法と武装

今日は憲法記念日。ふと思ったが、憲法改正論が白熱しないのも、ゆるやかな国粋主義者の発言がいまだにあるのも、いわゆる島国の「平和ボケ」日本を象徴していることなのかもしれない。

昨日「戦場には行きたく、行かせたくない」と書いたが、「民族解放のための闘争と、血と犠牲を乗り越えて勝ち得た権利と憲法」という歴史を持った国においては、どのような「憲法」が制定されているのだろうか、とふと考えを及ばさざるを得ない。

朝日新聞17面「私の視点」での土井香苗(弁護士)の視点と、「憲法9条の役割は国際的にも終えてはいない」という論点に、私は賛同の意を覚えるのである。

2001年5月2日水曜日

小泉政権と憲法改正

明日は憲法記念日である。小泉新総裁になってから、政局の話題に事欠かないが、彼が「タカ派」であるというのは、いかがなのかと思っている。石原慎太郎が「タカ派」と言うのは分かるが、小泉総裁の自衛隊と憲法改正に関する考えは根深いものとは思えない。

 憲法改正と自衛隊の位置付けというのは、非常に深いテーマで私など手に余るのだが、ひとつだけいえることはある。

 「徴兵されて兵役義務を負うのはイヤであるし、次の世代にもさせたくない」ということだ。

 ある年齢になると兵役義務がある国や、貧困層を士官学校などに組み入れている国もないわけではなかろう。

 自衛のための軍隊というのも分からないではない。しかし、結局、軍隊というのは相手を殺傷することを前提としている。理屈などとこにあろうか。国際社会の役割だの周辺事態への対応なども、理屈はわかるが、あなたは自分が戦場に行くことを良しとするか?と問いたい。

 我々や次の世代が目指べきは、甘いと言われても別の理想形なのだと思う。