小泉首相が米国のイラクへの軍事攻撃を支持すると明言した。政府関係者もそこまで「踏み込んだ」発言に及ぶとは考えていなかったとTVニュースは報じていた。
そうは言っても、小泉首相の結論は日本の保守派の考え方を代弁しているのだろう。「北朝鮮の脅威がある以上、日米同盟に頼るしか日本に選択の余地はない、従って米国を支持するしか方法がない」と言ったものだ。
これを逆手に取って「だから日本は日米同盟を見直し、積極的に自国防衛ができるようにすべきだ」と論ずる改憲論者(にわかを含め)の声が(与野党を問わず)聞こえてこないでもない。どちらにも明るいパラダイムは感じられない。
日米安保は昔からあった。自民党保守派にしてみたら「今更何を言っているのか、米国を支持しないなどということがあろうか」と息を巻く。一方で保守派の中でも比較的穏健な方々からは「日米同盟というのは本来、対等な立場であるべきだ。日本も基地を提供している。対等な立場で日本の意見を言うべきだ(戦争を止めることなど)」と、なんだか大甘な発言を耳にする。
「日本とアメリカが対等」などという幻想的外交センスを抱いている政府関係者がいることには耳を疑うのだが、やはり私はここにきて、戦後のアメリカを含めた外交の歪みが一気に吹き出てきたように思えてならない。つまりは自国の安全保障や他国間との外交戦略というものが実は戦後50年間皆無であったということが自明になってしまったわけだ。
北朝鮮の脅威は事実だろう。しかし日米同盟において米国が日本を守ってくれるという保障が本当にあるのだろうか。日本をそれほど重要な同盟国とアメリカは位置付けているのだろうか。
冷戦時代は日本は共産圏防御のための重要な拠点だった。沖縄基地も台湾防御のための重要な任務を負っていた。冷戦終結後、日本の拠点としての重要性は変質してはいないだろうか。アメリカはソ連なき後、一時期、中国を仮想敵国と定めた時期もあったという。しかし、その政策も微妙に変化している。日本の役割はどうなっているだろう。
北朝鮮の脅威から日本を守らなければ同盟違反だと言うかもしれない。北朝鮮有事の際は日本は何を負担し犠牲を払わなくてはならないのだろう。私にはここのところも全く思い描けない。
金正日は地下室でCNNにかじりつきという報道を週刊誌が報じていた。でも、本当にイラクの次は北朝鮮なのだろうか。北朝鮮がイラク以上にはるかに危険な国であることは認めよう。しかし、アメリカが直ぐに北朝鮮に迫るとは、私には思えない。北朝鮮を攻撃してアメリカにどういうメリットがあるのかを考えた場合、むしろ北朝鮮の緊張を利用して、韓国、日本、中国を牽制していた方がアメリカには好都合だという考えの方が妥当のように思える。アメリカは北朝鮮問題に関して、日本や韓国にかなりの自助努力を求めてくるように思える。
いずれにせよ、今回の米国支持は今の政権与党にとってこれを是として進めてゆく以上、非常に重い十字架をしょってしまったのではなかろうかと思わざるを得ない。そのときになって慌てないように、今から考えておかねばならないと思うのだが・・・
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
2003年3月25日火曜日
2002年5月26日日曜日
中国領事館亡命事件で考える
福田官房長官と小泉首相が、野党民主党の中国領事館亡命事件の調査結果を「自虐的過ぎる」と称した。真実を追求する報道、調査が何故に自虐的なのだろう。この発言を聞いたときに、もはや小泉=福田内閣はファッショではないかと耳を疑った。「自虐的」という言葉で思い浮かべるのは、「新しい歴史教科書をつくる会」だが、「自虐的」とは一方的過ぎる見解に思えた。
中国にODAとして莫大な額を投入しながら、中国に実は蔑視されていることここそ自虐的だと指摘する週刊誌もある。今回の事件は、TVカメラがなければ闇の中だった。主権だの領事館の独立性だの言う前に、日本の外交力のなさを露呈させたことになる。恥ずべきなのはどちらだろうか。
しかし、今回の事件は少し感情的過ぎると思ったことも確かだ。23日の朝日新聞「記者は考える(百瀬和元 編集長)」によれば、今回の一件は主権侵害とまではいかず、『外交施設の「不可侵権」を「国家主権」に置き換えて論ずるのは乱暴すぎる』と書いている。領事館に「治外法権」は存在していないのだ。改めて指摘されてはっとした。
更に、『国際法では在外公館が駆け込んだ亡命申請者を保護する権利(外交庇護権)は確立されていない』と、ペルーの「アヤ・デラ・トーレ事件」の名前を引用し、『外交施設による保護は人道的な配慮から「不可侵権」を盾にして成り立っている』と説明している。
今回の事件で繰り返し報道される、他国の領事館に集団で駆け込み、亡命に成功して歓喜している外国人の姿を見るにつけ、違和感と不思議な思いを抱いた人も多いだろう。彼らにとっては人権と生存をかけた行為なのだろうが、何か滑稽なゲームを見ているような違和感だ。
その問題はさておき、中国領事館の事件は亡命問題に冷淡な日本政府の態度も浮彫りにしたことになる。日本も難民や亡命者を受け入れているのだろうが(細かい数字は調べていません)、国境を接している欧州諸国などとは実情が異なると思う。
大量の外国人労働者が流入したドイツでは多くの社会問題が発生した。26日のNHK日曜討論(9時から)でも、難民を受け入れるなら相当の覚悟が必要だと主張している議員がいた。たしかにそうだ、しかし、それらを受け入れた上で自国の難民政策について考えることが大人の外交で、国際社会の一員としてのあり方ではなかろうか。日本は「異質」なものとの接点があまりに少なすぎ、今でも鎖国をしているのかと思うときもある。有事法制のあり方も、国際社会の中での日本を考えるよりどころになってはいるが、欧米よりの政策だけが正ではなかろう。
「甘い」とか「理想論」と言う人もいるだろう。「では具体案を出せ」とも反論するかもしれない。しかし、私は政治家ではない(急に開き直る)。そういう世界観を示す指導力を持った政治家はいないのだろうか。
中国にODAとして莫大な額を投入しながら、中国に実は蔑視されていることここそ自虐的だと指摘する週刊誌もある。今回の事件は、TVカメラがなければ闇の中だった。主権だの領事館の独立性だの言う前に、日本の外交力のなさを露呈させたことになる。恥ずべきなのはどちらだろうか。
しかし、今回の事件は少し感情的過ぎると思ったことも確かだ。23日の朝日新聞「記者は考える(百瀬和元 編集長)」によれば、今回の一件は主権侵害とまではいかず、『外交施設の「不可侵権」を「国家主権」に置き換えて論ずるのは乱暴すぎる』と書いている。領事館に「治外法権」は存在していないのだ。改めて指摘されてはっとした。
更に、『国際法では在外公館が駆け込んだ亡命申請者を保護する権利(外交庇護権)は確立されていない』と、ペルーの「アヤ・デラ・トーレ事件」の名前を引用し、『外交施設による保護は人道的な配慮から「不可侵権」を盾にして成り立っている』と説明している。
今回の事件で繰り返し報道される、他国の領事館に集団で駆け込み、亡命に成功して歓喜している外国人の姿を見るにつけ、違和感と不思議な思いを抱いた人も多いだろう。彼らにとっては人権と生存をかけた行為なのだろうが、何か滑稽なゲームを見ているような違和感だ。
その問題はさておき、中国領事館の事件は亡命問題に冷淡な日本政府の態度も浮彫りにしたことになる。日本も難民や亡命者を受け入れているのだろうが(細かい数字は調べていません)、国境を接している欧州諸国などとは実情が異なると思う。
大量の外国人労働者が流入したドイツでは多くの社会問題が発生した。26日のNHK日曜討論(9時から)でも、難民を受け入れるなら相当の覚悟が必要だと主張している議員がいた。たしかにそうだ、しかし、それらを受け入れた上で自国の難民政策について考えることが大人の外交で、国際社会の一員としてのあり方ではなかろうか。日本は「異質」なものとの接点があまりに少なすぎ、今でも鎖国をしているのかと思うときもある。有事法制のあり方も、国際社会の中での日本を考えるよりどころになってはいるが、欧米よりの政策だけが正ではなかろう。
「甘い」とか「理想論」と言う人もいるだろう。「では具体案を出せ」とも反論するかもしれない。しかし、私は政治家ではない(急に開き直る)。そういう世界観を示す指導力を持った政治家はいないのだろうか。
2002年5月16日木曜日
内閣官房内閣とは大本営か、そして哀しき絶望
天下の外務省がボロボロである。機密費問題に始まり、田中外相との対立、瓢箪から駒のような鈴木宗男疑惑、そして今回の中国瀋陽の日本総領事館亡命事件での不手際である。
現在のところ日本と中国側の主張が大きく異なっていることは報道にて周知の通りである。TVを見ていると、小泉総裁や福田官房長官は「日本の報道よりも外国の報道を信じるのですか」と開き直る。
この論理を聞いて、私は怒りを通り越して絶望を感じた。確かに中国は当初、この問題を国内で全くと言っていいほど報道しなかったらしい。日本が現地検証などをTVカメラ監視のもと実施していても、何が起きているのか理解している市民は少なかったという(私の情報源はTV朝日のニュースステーション:偏向していると言われりゃそれまでだが)。それは報道管制かもしれないし、あるいは、何かを守るために事を大きくしたくなかったと言う配慮だったのかもしれない。守る対象が中国政府かもしれないし、もしかしたら日本政府そのものだったかもしれないのだが、それは分からない。
客観的な事象に基づいて、双方の主張をどこまで信用すべきかを我々が知る手段はないのだ。
しかし、少ない報道情報から両者を比較した場合、どちらにより真実が多く含まれるらしいかということに気づかないほど、我々はばかではない。中国政府発表を全面的に信用しているというわけではないものの、最近の日本政府および内閣官房のやり方を、どうして信用できようか。
現在国会は、経済再生については「底を打った」とし、有事関連法案、個人情報保護法案などの超重要案件を通そうとしているのだ。この2関連法案の提出のされ方からして、政府あるいは内閣官房の言を信じることはできない、思い上がりもはなはだしい!
書いていて、あまりのことに情けなくなってくる。国民には一番重要な事を知らせず、話さず漏さず、政府の言うことだけ信じろという。「民は知るべからず」か、まさに今の内閣官房は戦時(有事)中の大本営そのものなのではないか。
この事件を機に、私は今の内閣をついに全否定しているということにやっと気づかされた。信頼しないということは、支持しないということだ。もう福田官房内閣は支持しません、あ小泉内閣か。
蛇足だが、先日のニュースステーションで、久米宏がビルマ(ミャンマー)のスー・チー書記長に「ちなみに最近の外務省がガタガタなことはご存知ですか」と愚問を発した。スー・チー女史は、笑いを押し殺し、そして少し困ったように(私には見えた)「それは外務省だけではないのでは」と答えたのだったよ、トホホ・・・
現在のところ日本と中国側の主張が大きく異なっていることは報道にて周知の通りである。TVを見ていると、小泉総裁や福田官房長官は「日本の報道よりも外国の報道を信じるのですか」と開き直る。
この論理を聞いて、私は怒りを通り越して絶望を感じた。確かに中国は当初、この問題を国内で全くと言っていいほど報道しなかったらしい。日本が現地検証などをTVカメラ監視のもと実施していても、何が起きているのか理解している市民は少なかったという(私の情報源はTV朝日のニュースステーション:偏向していると言われりゃそれまでだが)。それは報道管制かもしれないし、あるいは、何かを守るために事を大きくしたくなかったと言う配慮だったのかもしれない。守る対象が中国政府かもしれないし、もしかしたら日本政府そのものだったかもしれないのだが、それは分からない。
客観的な事象に基づいて、双方の主張をどこまで信用すべきかを我々が知る手段はないのだ。
しかし、少ない報道情報から両者を比較した場合、どちらにより真実が多く含まれるらしいかということに気づかないほど、我々はばかではない。中国政府発表を全面的に信用しているというわけではないものの、最近の日本政府および内閣官房のやり方を、どうして信用できようか。
現在国会は、経済再生については「底を打った」とし、有事関連法案、個人情報保護法案などの超重要案件を通そうとしているのだ。この2関連法案の提出のされ方からして、政府あるいは内閣官房の言を信じることはできない、思い上がりもはなはだしい!
書いていて、あまりのことに情けなくなってくる。国民には一番重要な事を知らせず、話さず漏さず、政府の言うことだけ信じろという。「民は知るべからず」か、まさに今の内閣官房は戦時(有事)中の大本営そのものなのではないか。
この事件を機に、私は今の内閣をついに全否定しているということにやっと気づかされた。信頼しないということは、支持しないということだ。もう福田官房内閣は支持しません、あ小泉内閣か。
蛇足だが、先日のニュースステーションで、久米宏がビルマ(ミャンマー)のスー・チー書記長に「ちなみに最近の外務省がガタガタなことはご存知ですか」と愚問を発した。スー・チー女史は、笑いを押し殺し、そして少し困ったように(私には見えた)「それは外務省だけではないのでは」と答えたのだったよ、トホホ・・・
2002年5月3日金曜日
小泉政権の1年を振り返る
小泉政権が誕生してからほぼ1年が経った。新聞マスコミでは政権の評価や世論調査の記事が載せられていた。現在の支持率は40%を上回るもので依然として従来の政権よりは高支持率であるものの、発足当初から見れば激減しているということになる。
私の小泉政権に対する評価は複雑である。まず彼の靖国神社参拝に代表される歴史認識の甘さには全く賛同できない。有事関連法案と個人情報保護法案(作家城山三郎は「治安維持法より悪い」と言い切る)を提出したことにも危機感を感じる。米国テロの時の自衛隊なし崩し派遣を含め、彼がどこまで有事法案に本気なのかが見えない点ももどかしい。彼の論は分かりやすいぶん単純で深みがない、従って、これら外交を含めて小泉内閣へは評価できないどころか、歴史的に汚名さえ残す政権になるのではないかと危惧する。
一方で、彼の掲げるスローガンの構造改革と景気回復についてはどうだろうか。倒産も相次ぎ失業率も上がった。これが「痛み」であり、構造改革の現れだとするならば、ひとつの「変化」ではある。また彼が意図したかどうかは別として、与党、野党の対立の構図というものも、小泉内閣にて完全に崩壊したように思える。引き続いて露呈した鈴木・加藤・辻本・井上議員などの離党、離職は、政党政治そのもののメルトダウンさえ予感させるものだ。彼の「自民党を壊す」ということが図らずも実現しつつあるのかと皮相的な見方さえできる。少なくともYKKは完全に崩壊したわけだ。
彼が昔から変わらず主張していた郵政民営化は、クロネコに10万本のポストを要求した郵政議員により事実上先送りされた(葬り去られた)。特殊法人改革も形だけで実際は変わってはいない。道路公団の件もしかり、医療費の個人負担増も根拠が不明確なまま先送りされた。景気回復のための構造改革では企業倒産が相い次いだが、流通大手のマイカルは潰すがダイエーは政治的配慮から存続を決断、残る不良債権のカタマリであるゼネコンは中堅の数社が倒産したのみ、3月危機がなかったかのような振る舞いだ。
こうしてみると、彼を評価できる点は少ないことに気付く。もっともこれがたった1年の間にあった事柄なのかと考えると改めて驚くが。彼が政権になってから、良くも悪くも政治への感心は高まった。逆にそれが不信と期待はずれに終わったとしてもだ。
評価点が少ない(どころか危ない面も多い)のだが、それでもまだ私は小泉政権が存続することを期待している。小泉首相の力量や政策に同意しているのではない。何か今までの体制が流動的に崩壊しはじめており、小泉というトリガーがそれを加速させているように思えるからなのだ。彼の政権下にある限り、まだ何かもう少し起こりそうな予感がする。それを見極めたいという気がしている。まあ、捨て鉢なようだが「ダメになるところまでダメになってしまえ」という心境だ。ここまで来たら一度ウミは出し切らなくてはダメである。
私の小泉政権に対する評価は複雑である。まず彼の靖国神社参拝に代表される歴史認識の甘さには全く賛同できない。有事関連法案と個人情報保護法案(作家城山三郎は「治安維持法より悪い」と言い切る)を提出したことにも危機感を感じる。米国テロの時の自衛隊なし崩し派遣を含め、彼がどこまで有事法案に本気なのかが見えない点ももどかしい。彼の論は分かりやすいぶん単純で深みがない、従って、これら外交を含めて小泉内閣へは評価できないどころか、歴史的に汚名さえ残す政権になるのではないかと危惧する。
一方で、彼の掲げるスローガンの構造改革と景気回復についてはどうだろうか。倒産も相次ぎ失業率も上がった。これが「痛み」であり、構造改革の現れだとするならば、ひとつの「変化」ではある。また彼が意図したかどうかは別として、与党、野党の対立の構図というものも、小泉内閣にて完全に崩壊したように思える。引き続いて露呈した鈴木・加藤・辻本・井上議員などの離党、離職は、政党政治そのもののメルトダウンさえ予感させるものだ。彼の「自民党を壊す」ということが図らずも実現しつつあるのかと皮相的な見方さえできる。少なくともYKKは完全に崩壊したわけだ。
彼が昔から変わらず主張していた郵政民営化は、クロネコに10万本のポストを要求した郵政議員により事実上先送りされた(葬り去られた)。特殊法人改革も形だけで実際は変わってはいない。道路公団の件もしかり、医療費の個人負担増も根拠が不明確なまま先送りされた。景気回復のための構造改革では企業倒産が相い次いだが、流通大手のマイカルは潰すがダイエーは政治的配慮から存続を決断、残る不良債権のカタマリであるゼネコンは中堅の数社が倒産したのみ、3月危機がなかったかのような振る舞いだ。
こうしてみると、彼を評価できる点は少ないことに気付く。もっともこれがたった1年の間にあった事柄なのかと考えると改めて驚くが。彼が政権になってから、良くも悪くも政治への感心は高まった。逆にそれが不信と期待はずれに終わったとしてもだ。
評価点が少ない(どころか危ない面も多い)のだが、それでもまだ私は小泉政権が存続することを期待している。小泉首相の力量や政策に同意しているのではない。何か今までの体制が流動的に崩壊しはじめており、小泉というトリガーがそれを加速させているように思えるからなのだ。彼の政権下にある限り、まだ何かもう少し起こりそうな予感がする。それを見極めたいという気がしている。まあ、捨て鉢なようだが「ダメになるところまでダメになってしまえ」という心境だ。ここまで来たら一度ウミは出し切らなくてはダメである。
2002年1月30日水曜日
失望多きことかな
このごろ失望することばかりだ。子供たちに今の政治状況をどのように説明すればよいのか。小学生の息子は、完全に馬鹿にしきっている。
そこで大橋議員の議員辞職だ。詳細は分からない。今回のNGO騒ぎでの小泉首相の対応の責任のなさ、民主党の小泉支持に対する路線転換に関する説明のなさ、党としてのふがいなさに嫌気がさしたから、というのが表向きの理由という。そのことには同意するものの、「それでも」と思う。彼の政治理念は何だったのか、民主党に何を期待していたのか、そもそも議員に立候補する前に、冷静なる政党や政策分析があったのだろうかと疑問を感じる。41万票の政治責任を何と考えるのだろう。
結局、彼はただの野次馬的に好きなことを評論するだけの輩であったということか。彼の今後の政治姿勢次第では、私は彼を信用することがもはやできなくなるだろう(議員を辞職したのだから政治姿勢も何もないのだが)
断っておくが、詳しい本当の事情はわからない。しかし政治家には、明確なる説明責任がある。それを支持者に納得する形で示せないならば、政治家としての資質はない。(今の日本の政治化にはほとんどその資質がないようにも思えるが)私は新聞報道だけでは彼の真意を理解することはできなかった。このままでは議員になったのも金持ちの気まぐれとしか思えない。
ここ数日の政治状況の混乱や大企業の不始末(雪印食品のラベル張替え事件)を、いまの子供たちはどういう目で眺めているのかと不安になる。冒頭に述べたが小学生の息子でもうんざりしている。ばかばかしさと無責任、これが大人社会であるとしたら、冷淡で無関心な層が増えることは、大人たち自らが撒いた種でしかない。悪い土壌には良い作物が育つのが難しい。同じ箱にひとつ腐ったりんごがあると他のものにも影響する。こういう社会で、まっとうに正しく生きることの意味と力、未来への希望や政治への信頼、安全の重要さをどうやって教えるといいというのか。
ましてや海外の識者が日本を見た場合、日本売りが加速するのもむべなるかなである。
そこで大橋議員の議員辞職だ。詳細は分からない。今回のNGO騒ぎでの小泉首相の対応の責任のなさ、民主党の小泉支持に対する路線転換に関する説明のなさ、党としてのふがいなさに嫌気がさしたから、というのが表向きの理由という。そのことには同意するものの、「それでも」と思う。彼の政治理念は何だったのか、民主党に何を期待していたのか、そもそも議員に立候補する前に、冷静なる政党や政策分析があったのだろうかと疑問を感じる。41万票の政治責任を何と考えるのだろう。
結局、彼はただの野次馬的に好きなことを評論するだけの輩であったということか。彼の今後の政治姿勢次第では、私は彼を信用することがもはやできなくなるだろう(議員を辞職したのだから政治姿勢も何もないのだが)
断っておくが、詳しい本当の事情はわからない。しかし政治家には、明確なる説明責任がある。それを支持者に納得する形で示せないならば、政治家としての資質はない。(今の日本の政治化にはほとんどその資質がないようにも思えるが)私は新聞報道だけでは彼の真意を理解することはできなかった。このままでは議員になったのも金持ちの気まぐれとしか思えない。
ここ数日の政治状況の混乱や大企業の不始末(雪印食品のラベル張替え事件)を、いまの子供たちはどういう目で眺めているのかと不安になる。冒頭に述べたが小学生の息子でもうんざりしている。ばかばかしさと無責任、これが大人社会であるとしたら、冷淡で無関心な層が増えることは、大人たち自らが撒いた種でしかない。悪い土壌には良い作物が育つのが難しい。同じ箱にひとつ腐ったりんごがあると他のものにも影響する。こういう社会で、まっとうに正しく生きることの意味と力、未来への希望や政治への信頼、安全の重要さをどうやって教えるといいというのか。
ましてや海外の識者が日本を見た場合、日本売りが加速するのもむべなるかなである。
田中外相の更迭について
アフガニスタン復興支援国際会議への一部の非政府組織(NGO)の参加拒否問題を巡って国会が混乱した責任で、田中真紀子外相と野上義二外務次官が更迭された。
野党やNGOの大西代表などは「けんか両成敗」のような決着に不満を表明している。私も水掛論的なやりとりにはうんざりであるが、真相がどこにあったのか、あいまいなまま事を納めようとする態度には疑問を感じる。
田中外相も任期の間は、外務省との軋轢ばかりが目につき、肝心の外交や外務省改革を全く実施できなかったという印象だけを残しての退陣であり、個人的にはやりきれない思いも残る。小泉首相も、人気の両輪として田中外相を位置付けていたものの、重なる失言などから、いつ更迭するかその時期をにらんでいたのではないかとも考えてしまう。
田中外相のやり方が良かったとは思えないものの、今回の解決の仕方には釈然としない。「くさいものには蓋」的な解決では、真の改革には程遠かろう。小泉首相は、もしかしたら自らのパンドラの箱を開けてしまったかもしれない。
私が田中真紀子に期待してきたことは、外務省との対立の構図にある。現在の外務官僚は田中外相のような人を、ある意味で(外交、省内の力関係双方とも)無知と侮り、それゆえに恐れていたのではないかとも思う。そのような対立の構図から、新たなる官僚と大臣の関係を築くことができたのなら、それは「新生」と呼べたのかもしれない。彼女の外交手腕よりもマネジメント能力に期待していた。それが、今回の一件で霧散したわけで、そこに失望を感じる。
一方で緒方さんは完全なる実務家である。外務官僚といえども彼女には一目置くだろう。彼女が外相となれば外交面では成果があがるだろうが、外務省そのもののドラスティックは変革までは至らないのではという不安もある。そういう低次元なレベルを超えた活動が期待できなくもないのだが、政治の力関係に緒方さんほどの方がエネルギーを消耗するのは耐えがたいことでもある。
野党やNGOの大西代表などは「けんか両成敗」のような決着に不満を表明している。私も水掛論的なやりとりにはうんざりであるが、真相がどこにあったのか、あいまいなまま事を納めようとする態度には疑問を感じる。
田中外相も任期の間は、外務省との軋轢ばかりが目につき、肝心の外交や外務省改革を全く実施できなかったという印象だけを残しての退陣であり、個人的にはやりきれない思いも残る。小泉首相も、人気の両輪として田中外相を位置付けていたものの、重なる失言などから、いつ更迭するかその時期をにらんでいたのではないかとも考えてしまう。
田中外相のやり方が良かったとは思えないものの、今回の解決の仕方には釈然としない。「くさいものには蓋」的な解決では、真の改革には程遠かろう。小泉首相は、もしかしたら自らのパンドラの箱を開けてしまったかもしれない。
私が田中真紀子に期待してきたことは、外務省との対立の構図にある。現在の外務官僚は田中外相のような人を、ある意味で(外交、省内の力関係双方とも)無知と侮り、それゆえに恐れていたのではないかとも思う。そのような対立の構図から、新たなる官僚と大臣の関係を築くことができたのなら、それは「新生」と呼べたのかもしれない。彼女の外交手腕よりもマネジメント能力に期待していた。それが、今回の一件で霧散したわけで、そこに失望を感じる。
一方で緒方さんは完全なる実務家である。外務官僚といえども彼女には一目置くだろう。彼女が外相となれば外交面では成果があがるだろうが、外務省そのもののドラスティックは変革までは至らないのではという不安もある。そういう低次元なレベルを超えた活動が期待できなくもないのだが、政治の力関係に緒方さんほどの方がエネルギーを消耗するのは耐えがたいことでもある。
2002年1月19日土曜日
「脱中流意識のすすめ」ということ
朝日新聞の「私の視点」で、「非中流」意識ということについて言及しているものがあった。(2002年1月18日 東京文芸倶楽部代表理事 山形誠司 ◆生活水準「中流意識」捨ててこそ健全)
小泉首相の構造改革に賛意を示す層が、「中流意識」を持つ層と重なるのではないかと指摘した上で、「構造改革に取り組むなら景気の低迷は仕方がない、環境問題解決のためには今の生活レベルを下げる必要がある、とはっきり主張できる階層の出現がぜひ必要」と述べている。この層を「下層」では抵抗があるので「非中流」層とでも呼ぶ。
大胆なる意見といえよう。「本来、8割以上が「中流」などというのは幻にすぎず、そのような社会は不自然」と言うが、今まで階級差がないこと、みなが中流であるという幻想に守られて、これも幻想かもしれない平和と平等と安全を享受してきた。ある程度努力するとレベルの差こそあれより金銭的に豊になれると信じてきた。
そういうものが崩れるどころか、そのこと自体を否定するということ。以前にも書いたが、成長や発展を目標とする生き方に転換を求めなくてはならない。企業など資本主義の大前提は拡大再生産である、この前提を覆すことは並大抵のことではない。
自分が中流でないという意識を含め、現在の生活水準を下げることへの同意は難しいだろう。一度上がった水準は用意には落とせないものだ。しかし、家庭での父親不在や子供の教育などを考えると、今の生活がベストであるとも言いがたい。
小泉首相の構造改革に賛意を示す層が、「中流意識」を持つ層と重なるのではないかと指摘した上で、「構造改革に取り組むなら景気の低迷は仕方がない、環境問題解決のためには今の生活レベルを下げる必要がある、とはっきり主張できる階層の出現がぜひ必要」と述べている。この層を「下層」では抵抗があるので「非中流」層とでも呼ぶ。
大胆なる意見といえよう。「本来、8割以上が「中流」などというのは幻にすぎず、そのような社会は不自然」と言うが、今まで階級差がないこと、みなが中流であるという幻想に守られて、これも幻想かもしれない平和と平等と安全を享受してきた。ある程度努力するとレベルの差こそあれより金銭的に豊になれると信じてきた。
そういうものが崩れるどころか、そのこと自体を否定するということ。以前にも書いたが、成長や発展を目標とする生き方に転換を求めなくてはならない。企業など資本主義の大前提は拡大再生産である、この前提を覆すことは並大抵のことではない。
自分が中流でないという意識を含め、現在の生活水準を下げることへの同意は難しいだろう。一度上がった水準は用意には落とせないものだ。しかし、家庭での父親不在や子供の教育などを考えると、今の生活がベストであるとも言いがたい。
2001年8月7日火曜日
小泉首相と米百俵と教育改革
8月2日の首相メルマでも、「米百俵」のことが取り上げられていた。
「米百俵」とは、今さら解説するまでもないが、北越戊辰戦争の時の長岡藩の故事である。食べるものに窮していた長岡藩に、支藩の三根山藩から見舞いの米が贈られてきた。しかし、長岡藩大参事小林虎三郎は「食えないときこそ、教育に金をつぎ込むのだ」と言って、その金を国漢学校に注ぎ込んだ、というものだ。
つまりは、国を支えるの「教育の重要性」や「目先のことにとらわれない明」ということを小泉首相は強調したいんだろう。
しかしだ、小泉首相はそこまで教育に熱心なんだろうか。現在の義務教育の2002年の改定(学習指導要領の改訂)などについて、議論に上ることは少ない。
私は、2002年の指導要領改訂は、愚行にも近い改悪だと思っている。こう考えるのは、昔ながらの教育を受けたから、その枠組みから逃れられないせいである、とか、学校の勉強についていけない者の気持が分からない者の発言、とか批判的に考えることもできるかもしれないが。
しかし、それでもなおかつ思う。指導要領は改悪だし、今のままでは「米百俵」を腐らせるだけのような気がするのであった。
「米百俵」とは、今さら解説するまでもないが、北越戊辰戦争の時の長岡藩の故事である。食べるものに窮していた長岡藩に、支藩の三根山藩から見舞いの米が贈られてきた。しかし、長岡藩大参事小林虎三郎は「食えないときこそ、教育に金をつぎ込むのだ」と言って、その金を国漢学校に注ぎ込んだ、というものだ。
つまりは、国を支えるの「教育の重要性」や「目先のことにとらわれない明」ということを小泉首相は強調したいんだろう。
しかしだ、小泉首相はそこまで教育に熱心なんだろうか。現在の義務教育の2002年の改定(学習指導要領の改訂)などについて、議論に上ることは少ない。
私は、2002年の指導要領改訂は、愚行にも近い改悪だと思っている。こう考えるのは、昔ながらの教育を受けたから、その枠組みから逃れられないせいである、とか、学校の勉強についていけない者の気持が分からない者の発言、とか批判的に考えることもできるかもしれないが。
しかし、それでもなおかつ思う。指導要領は改悪だし、今のままでは「米百俵」を腐らせるだけのような気がするのであった。
2001年7月29日日曜日
投票してきましたが
参議院選挙に行って来た。どこの党に投票するのか迷ったが最終的には民主党を選択してしまった。小泉首相になって政治的空気は変革したものの、彼の唱える論点で以下が不明確であることと、政治的な健全性と対抗勢力(自民内ではなく二大政党という意味での)を保つという意味である。
小泉首相の論点で気になるのは、以下の部分である。
郵政の民営化や道路特定財源などについては、どんどん進めていただきたいが、どちらかというと瑣末的な事項のように思える。自由党の小沢氏が唱えるように、これらを含めたもっと大き問題が横たわっている。「構造改革」は重要だと思うことには変わりない。
民主党がその全てに明快であるのかということでもない。民主党だって小泉首相への対応は何度か変わった。変革を唱える彼らでさえ自分たちの機軸を示しきれていないという印象だ。
しかし、小泉氏は「自分を選出した自民なのだから、私の唱える政策は自民も支持している」と言うが、これにも疑問がつくのだ。今の自民ではやはり将来の日本は成り立たないと思うのである。
小泉政権になってからの景気と株価の低下は今のところ判断材料にはなっていない。具体的施策が施されていないのだもの、景気がよくなろうはずがないではないか。竹中蔵相だって、一時的に悪くなることを肯定していたはずだ。
小泉内閣自体には、小泉首相と田中外相の人気で持っている雰囲気だが、二人に共通した協調性のなさと公私の発言の混同という、政治家としての資質を問われる部分が多く、危うい印象を受けざるを得ない。個人的には二人の政治家の登場には活目すべき点はあるもののだ。
さて、皆さんはどこに投票しただろうか。
小泉首相の論点で気になるのは、以下の部分である。
- 痛みを伴う構造改革は理解する(野党も理解している)が、それを実行するためのセーフガードが不明確、5年間530万人(だったっけ?)の雇用の創出という考えの不透明さ。また、痛みをどこの業種に向けるつもりなのか、不良債権処理についても党内で一致しているかが見えない点。(不良債権は大手ゼネコンと流通だと言い切る人もいるが)
- 靖国問題や教科書問題における近隣アジア諸国に対する、歴史認識の甘さと外交感覚の幼稚さ。
- 京都議定書に見られる優柔不断と対米追従型外交のあり方に対する疑問。
- アメリカのMD構想に対する政府方針(対米協力)に対する疑問(私はブッシュのMD構想を支持しない)
- ひいては憲法9条と周辺事態に関する見解への疑問。
郵政の民営化や道路特定財源などについては、どんどん進めていただきたいが、どちらかというと瑣末的な事項のように思える。自由党の小沢氏が唱えるように、これらを含めたもっと大き問題が横たわっている。「構造改革」は重要だと思うことには変わりない。
民主党がその全てに明快であるのかということでもない。民主党だって小泉首相への対応は何度か変わった。変革を唱える彼らでさえ自分たちの機軸を示しきれていないという印象だ。
しかし、小泉氏は「自分を選出した自民なのだから、私の唱える政策は自民も支持している」と言うが、これにも疑問がつくのだ。今の自民ではやはり将来の日本は成り立たないと思うのである。
小泉政権になってからの景気と株価の低下は今のところ判断材料にはなっていない。具体的施策が施されていないのだもの、景気がよくなろうはずがないではないか。竹中蔵相だって、一時的に悪くなることを肯定していたはずだ。
小泉内閣自体には、小泉首相と田中外相の人気で持っている雰囲気だが、二人に共通した協調性のなさと公私の発言の混同という、政治家としての資質を問われる部分が多く、危うい印象を受けざるを得ない。個人的には二人の政治家の登場には活目すべき点はあるもののだ。
さて、皆さんはどこに投票しただろうか。
2001年7月24日火曜日
選挙が近いが・・・・
日本経済新聞社が29日投票の第19回参院通常選挙を前に実施した全国世論調査で、小泉純一郎内閣の支持率は過去最高を記録した前回6月調査(85%)から16ポイント低下し、69%となった。(6月23日 日経新聞)
そうである。約7割が支持という状況は、それでも依然として高支持率であることに変りはない。
小泉内閣が「構造改革」と「景気回復」をうたって登場してきたが、今週末の参議院選挙で、いったいどの政党に投票すべきかは今もってワタシ的には流動的だ。
小泉内閣は、外交問題については「対米路線」「アジアへの視点」のふたつの点について、大きな違和感を感じるし、彼の歴史認識と日本の位置付けの甘さは一国の首相としての資質を欠いていると思う。また、「構造改革」に向ける意気込みは認めるものの、具体策となると彼が一体何をしたいのかが見えてこない。骨太の方針は確かにある。「痛み」を伴うということも、与野党共通の認識だ。しかし、「痛み」の後が見えない。本当に任せていいのか、「骨太方針」の前提は本当に正しいのか? と思ってしまう。
かといって、民主党や自由党である。今でも一番しっかりしているのは、民主党だと思うのだが、鳩山さんと菅さんの論点も微妙に異なっているように思える。
一番の問題は、もはや「与党」「野党」とかの政党が、その政治立脚点であるはずの政策を含めて崩れてしまっているのに、誰一人としてその枠組みを今回は越えられない点にあるのではないか。小泉さんが「自民党にいなければ改革なし」というのも分かる。「加藤の乱」のときの彼もそういう立場だった。自由党の小沢さんなど、今の状況をどう思っているのだろうか。
政治家というのは、立場になると言いたい事を言えなくなるものなのか、とも思うが、例えば22日のテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」、各党の幹事長クラスが集まって討論を行っていたが、あの自民党の山崎さんでさえ、自らの立脚点を明確に示すことができないでいた。「極めて政治的発言」に慎重になるのは当然だと思うものの、政治家というのは、だとすると自分の考えを述べられないのか? ここからが、一体誰を支持すべきなのか曖昧にしてしまうと思うのだ。
2001年7月16日月曜日
党首のTV討論
参議院選挙まであと2週間。昨日の日曜日の朝は、NHKおよびテレビ朝日で党首すべてがTV出演し、論戦を張っていた。私はNHKの方は観なかったが、「サンデー・プロジェクト」はなかなかに面白かった。
その中で、司会の田原さんがしきりに「YesかNoか、やるのかやらないのか」と二者択一的に回答を迫っても、相変わらず回答を濁す小泉首相の答弁が気になった。首相たるもの、おいそれと白黒つけることは難しいのだろうが、首相としての真意と自民党の真意の微妙なずれを、浮き彫りにすることができないもどかしさを感じた。
一方、野党の方は野党で、扇国土相に「選挙のためだけの団結、不良債権処理さえ意見がばらばらではないか」と指摘されるように、足並みの乱れとスタンスの不確かさが逆に露呈してしまったように思える。国会の党首討論よりもよほど面白いと思うのは私だけだろうか。
さて、それぞれの政党の論点を書く気はないが、「痛みを伴う構造改革」とは「倒産し失業する可能性」であることを出演党首は全て認識していたし、与野党含めてそれを「止む無し」とする姿勢も明らかにはなった。それならばである、50万人の雇用創出にしても、セーフガードにしてももっと具体的な対策として打ち出されなければ、本当に未来があるのかは見えてこない。5年後に自分は失業していないと言い切れるだろうか?
さて、ここで、全くレベルの違うことを、ついつい思ってしまう。以上の議論は、「発展すること、進歩することが是である」という、前提のもとに全ての議論は展開されている。そうなのだ、京都議定書の件についてもなのだ、「進歩しつづけること」が前提なのである。それは人間社会が高度に経済的な活動に置きかわっているからだけではなく、「常に進歩しつづける=新たな刺激を求めつづける」動物としてプログラムされてしまったことからくる悲劇なのだろうか・・・と。
その中で、司会の田原さんがしきりに「YesかNoか、やるのかやらないのか」と二者択一的に回答を迫っても、相変わらず回答を濁す小泉首相の答弁が気になった。首相たるもの、おいそれと白黒つけることは難しいのだろうが、首相としての真意と自民党の真意の微妙なずれを、浮き彫りにすることができないもどかしさを感じた。
一方、野党の方は野党で、扇国土相に「選挙のためだけの団結、不良債権処理さえ意見がばらばらではないか」と指摘されるように、足並みの乱れとスタンスの不確かさが逆に露呈してしまったように思える。国会の党首討論よりもよほど面白いと思うのは私だけだろうか。
さて、それぞれの政党の論点を書く気はないが、「痛みを伴う構造改革」とは「倒産し失業する可能性」であることを出演党首は全て認識していたし、与野党含めてそれを「止む無し」とする姿勢も明らかにはなった。それならばである、50万人の雇用創出にしても、セーフガードにしてももっと具体的な対策として打ち出されなければ、本当に未来があるのかは見えてこない。5年後に自分は失業していないと言い切れるだろうか?
さて、ここで、全くレベルの違うことを、ついつい思ってしまう。以上の議論は、「発展すること、進歩することが是である」という、前提のもとに全ての議論は展開されている。そうなのだ、京都議定書の件についてもなのだ、「進歩しつづけること」が前提なのである。それは人間社会が高度に経済的な活動に置きかわっているからだけではなく、「常に進歩しつづける=新たな刺激を求めつづける」動物としてプログラムされてしまったことからくる悲劇なのだろうか・・・と。
2001年6月29日金曜日
小泉首相のメールマガジン その3
世間と隔絶された1週間が過ぎてしまった。またしてもメルマで時の移っていることに気づかされる。
今回は武部農林水産大臣の話題が心に残る。彼は北海道斜里町の出身なんですね。
カリフォルニアよりも小さな国で、『「都市だ」「地方だ」という風に考えること自体、おかしなこと』というけど、それに対する是非はさておき、都会と農村という対立図式が、彼が書くようなインフラ整備だけで可能になるのかは疑問が残る。
北海道に住んでいるせいか、田舎に時間をかけていくよりも、都会から車で1時間以内のところに豊かな農村が広がるという図式が望ましいと思うのだよな。私はマンション暮らしなんで、家庭菜園どころか、せいぜい日曜日にベランダの植物に水をやるくらいですがね。
日本の農業をどうするか=何を将来食べてゆくのかという議論は「経済効率」以上に重要な問題だとは思うのですよ。
今回は武部農林水産大臣の話題が心に残る。彼は北海道斜里町の出身なんですね。
カリフォルニアよりも小さな国で、『「都市だ」「地方だ」という風に考えること自体、おかしなこと』というけど、それに対する是非はさておき、都会と農村という対立図式が、彼が書くようなインフラ整備だけで可能になるのかは疑問が残る。
北海道に住んでいるせいか、田舎に時間をかけていくよりも、都会から車で1時間以内のところに豊かな農村が広がるという図式が望ましいと思うのだよな。私はマンション暮らしなんで、家庭菜園どころか、せいぜい日曜日にベランダの植物に水をやるくらいですがね。
日本の農業をどうするか=何を将来食べてゆくのかという議論は「経済効率」以上に重要な問題だとは思うのですよ。
2001年6月21日木曜日
2001年6月16日土曜日
小泉内閣メールマガジンで・・
小泉内閣メールマガジンを登録しただろうか。登録者数があっという間に100万人を超えてしまったらしく、ちょっとコワイ気もする。そういう私も登録したし、家人も登録しているのではあるが・・・
今回はジャブといったところだろうが、扇国土交通大臣の「台所からの政治」というので気になった。彼女は、スマートな週末の過ごし方として、「曜日の夜から香港に出かけて、土曜日は飲茶と夜景を楽しみ、日曜日はショッピング、帰りはETC(ノンストップ自動料金収受システム)で料金所も止まらず高速道路で空港へ向かい月曜朝には何食わぬ顔で出勤」(長いがメルマより引用)というライフスタイルを描いた。
そういうライフスタイル、できれば確かにいいよね。でも、それが実現できるのは、ハコものや制度ばかりじゃなくて、経済状況や労働環境なども重要だよね。
一体、どれだけの人が、扇さんの描く優雅なライフスタイルを享受できるようになるのだろうね。それが「台所からの政治」なのかな? 夢を語るのもいいんだけど、感覚的なずれを感じずにはいられない一文なのであった。
まあ、国民の大多数がそのような生活を享受できるのならば、多分幸せだろうから目指すことに異論はないけどさ。
今回はジャブといったところだろうが、扇国土交通大臣の「台所からの政治」というので気になった。彼女は、スマートな週末の過ごし方として、「曜日の夜から香港に出かけて、土曜日は飲茶と夜景を楽しみ、日曜日はショッピング、帰りはETC(ノンストップ自動料金収受システム)で料金所も止まらず高速道路で空港へ向かい月曜朝には何食わぬ顔で出勤」(長いがメルマより引用)というライフスタイルを描いた。
そういうライフスタイル、できれば確かにいいよね。でも、それが実現できるのは、ハコものや制度ばかりじゃなくて、経済状況や労働環境なども重要だよね。
一体、どれだけの人が、扇さんの描く優雅なライフスタイルを享受できるようになるのだろうね。それが「台所からの政治」なのかな? 夢を語るのもいいんだけど、感覚的なずれを感じずにはいられない一文なのであった。
まあ、国民の大多数がそのような生活を享受できるのならば、多分幸せだろうから目指すことに異論はないけどさ。
2001年5月31日木曜日
小泉内閣支持率
小泉内閣の支持率が85%近くになったそうですね。驚異的な支持率といえましょう。
朝日新聞によると、支持はしているものの、実力より人気先行型であると考える人の割合も多く、アンケート自体、自己矛盾を露呈したような結果になっていて、無気味です。
「小泉さんは、なんだか今までと違うし、何か変えてくれそうだから支持する。でも政策とか細かいことはよく分からないや」ということでしょうか。
「細かいことを分かりやすく」伝えるのが、やっぱりマスコミの使命なんじゃないかと、このごろ思うのですよ。
専門家は小泉政権を今でも「あだ花」とか「いずれ崩壊する」とか否定的な見方をしています。国会じゃあもどかしいので、そういう専門の方々との公開討論とかが企画されても面白いとは思うのですがね。
小泉内閣も、そういう意見を撥ね付けるような理論武装が、そろそろ欲しいですね。
朝日新聞によると、支持はしているものの、実力より人気先行型であると考える人の割合も多く、アンケート自体、自己矛盾を露呈したような結果になっていて、無気味です。
「小泉さんは、なんだか今までと違うし、何か変えてくれそうだから支持する。でも政策とか細かいことはよく分からないや」ということでしょうか。
「細かいことを分かりやすく」伝えるのが、やっぱりマスコミの使命なんじゃないかと、このごろ思うのですよ。
専門家は小泉政権を今でも「あだ花」とか「いずれ崩壊する」とか否定的な見方をしています。国会じゃあもどかしいので、そういう専門の方々との公開討論とかが企画されても面白いとは思うのですがね。
小泉内閣も、そういう意見を撥ね付けるような理論武装が、そろそろ欲しいですね。
2001年5月26日土曜日
今、政治に望むこと・・・
小泉首相になって以来、政治に関する話題が身近になったと思うひとは多いと思う。マスコミがタレントのような扱いで書くから興味を持つ層が増えるのか、あるいは潜在的な政治に対する興味のある層を刺激したのかは分からない。実際、私だって、ある意味で政治には絶望しかしていなかった。
昨日のニュースで田中外相は、「夢を実現できるのが政治だ」と言うようなことを力説していた。思わず目をむいてしまった。なんと言う理想論を持った、そして、語れる政治家なんだろうと。
さて、そんな期待と落胆の背中合わせの現政権から、「教育問題」が出てこないのは何故なのだろう。国を作るのは次世代の子供たちだ。「新しい教科書」問題だけが教育の問題ではないと思う。
昨日のニュースで田中外相は、「夢を実現できるのが政治だ」と言うようなことを力説していた。思わず目をむいてしまった。なんと言う理想論を持った、そして、語れる政治家なんだろうと。
さて、そんな期待と落胆の背中合わせの現政権から、「教育問題」が出てこないのは何故なのだろう。国を作るのは次世代の子供たちだ。「新しい教科書」問題だけが教育の問題ではないと思う。
2001年5月17日木曜日
クリエイティブ・ディストラクション
クリエイティブ・ディストラクションとは創造的破壊ということだ。小泉総理が今、自民党と日本に対して仕掛けようとしているのは、まさにこういうことなのだと、昨日の答弁で理解した。
このキーワードは、企業におけるリストラクチャリングにおいても使われる言葉であるらしい。「リストラ=人減らし」ではないものの、改革を行って一時的に「食っていけなくなる人」が出ることに変りはない。
企業であれば、それでも理屈は通るのかもしれない。しかし、日本においてはそうはいかないのである。既得権益に踏み込み、ある種の仕事を中止した場合、その人たちは何を主として生きてゆくのか?
このキーワードは、企業におけるリストラクチャリングにおいても使われる言葉であるらしい。「リストラ=人減らし」ではないものの、改革を行って一時的に「食っていけなくなる人」が出ることに変りはない。
企業であれば、それでも理屈は通るのかもしれない。しかし、日本においてはそうはいかないのである。既得権益に踏み込み、ある種の仕事を中止した場合、その人たちは何を主として生きてゆくのか?
2001年5月2日水曜日
小泉政権と憲法改正
明日は憲法記念日である。小泉新総裁になってから、政局の話題に事欠かないが、彼が「タカ派」であるというのは、いかがなのかと思っている。石原慎太郎が「タカ派」と言うのは分かるが、小泉総裁の自衛隊と憲法改正に関する考えは根深いものとは思えない。
憲法改正と自衛隊の位置付けというのは、非常に深いテーマで私など手に余るのだが、ひとつだけいえることはある。
「徴兵されて兵役義務を負うのはイヤであるし、次の世代にもさせたくない」ということだ。
ある年齢になると兵役義務がある国や、貧困層を士官学校などに組み入れている国もないわけではなかろう。
自衛のための軍隊というのも分からないではない。しかし、結局、軍隊というのは相手を殺傷することを前提としている。理屈などとこにあろうか。国際社会の役割だの周辺事態への対応なども、理屈はわかるが、あなたは自分が戦場に行くことを良しとするか?と問いたい。
我々や次の世代が目指べきは、甘いと言われても別の理想形なのだと思う。
憲法改正と自衛隊の位置付けというのは、非常に深いテーマで私など手に余るのだが、ひとつだけいえることはある。
「徴兵されて兵役義務を負うのはイヤであるし、次の世代にもさせたくない」ということだ。
ある年齢になると兵役義務がある国や、貧困層を士官学校などに組み入れている国もないわけではなかろう。
自衛のための軍隊というのも分からないではない。しかし、結局、軍隊というのは相手を殺傷することを前提としている。理屈などとこにあろうか。国際社会の役割だの周辺事態への対応なども、理屈はわかるが、あなたは自分が戦場に行くことを良しとするか?と問いたい。
我々や次の世代が目指べきは、甘いと言われても別の理想形なのだと思う。
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