2002年5月26日日曜日

中国領事館亡命事件で考える

福田官房長官と小泉首相が、野党民主党の中国領事館亡命事件の調査結果を「自虐的過ぎる」と称した。真実を追求する報道、調査が何故に自虐的なのだろう。この発言を聞いたときに、もはや小泉=福田内閣はファッショではないかと耳を疑った。「自虐的」という言葉で思い浮かべるのは、「新しい歴史教科書をつくる会」だが、「自虐的」とは一方的過ぎる見解に思えた。

中国にODAとして莫大な額を投入しながら、中国に実は蔑視されていることここそ自虐的だと指摘する週刊誌もある。今回の事件は、TVカメラがなければ闇の中だった。主権だの領事館の独立性だの言う前に、日本の外交力のなさを露呈させたことになる。恥ずべきなのはどちらだろうか。

しかし、今回の事件は少し感情的過ぎると思ったことも確かだ。23日の朝日新聞「記者は考える(百瀬和元 編集長)」によれば、今回の一件は主権侵害とまではいかず、『外交施設の「不可侵権」を「国家主権」に置き換えて論ずるのは乱暴すぎる』と書いている。領事館に「治外法権」は存在していないのだ。改めて指摘されてはっとした。

更に、『国際法では在外公館が駆け込んだ亡命申請者を保護する権利(外交庇護権)は確立されていない』と、ペルーの「アヤ・デラ・トーレ事件」の名前を引用し、『外交施設による保護は人道的な配慮から「不可侵権」を盾にして成り立っている』と説明している。

今回の事件で繰り返し報道される、他国の領事館に集団で駆け込み、亡命に成功して歓喜している外国人の姿を見るにつけ、違和感と不思議な思いを抱いた人も多いだろう。彼らにとっては人権と生存をかけた行為なのだろうが、何か滑稽なゲームを見ているような違和感だ。

その問題はさておき、中国領事館の事件は亡命問題に冷淡な日本政府の態度も浮彫りにしたことになる。日本も難民や亡命者を受け入れているのだろうが(細かい数字は調べていません)、国境を接している欧州諸国などとは実情が異なると思う。

大量の外国人労働者が流入したドイツでは多くの社会問題が発生した。26日のNHK日曜討論(9時から)でも、難民を受け入れるなら相当の覚悟が必要だと主張している議員がいた。たしかにそうだ、しかし、それらを受け入れた上で自国の難民政策について考えることが大人の外交で、国際社会の一員としてのあり方ではなかろうか。日本は「異質」なものとの接点があまりに少なすぎ、今でも鎖国をしているのかと思うときもある。有事法制のあり方も、国際社会の中での日本を考えるよりどころになってはいるが、欧米よりの政策だけが正ではなかろう。

「甘い」とか「理想論」と言う人もいるだろう。「では具体案を出せ」とも反論するかもしれない。しかし、私は政治家ではない(急に開き直る)。そういう世界観を示す指導力を持った政治家はいないのだろうか。


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