日時:2002年5月5日 14:00~
場所:札幌コンサートホール Kitara
指揮:現田茂夫 管弦楽:札幌交響楽団
ソプラノ:足立さつき オルガン:ファン・マリア・べドレロ フルート:森圭吾
司会:うじきつよし
ビゼー:歌劇「カルメン」より前奏曲
モーツアルト:歌劇「フィガロの結婚」より”恋とはどんなものかしら”
プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より”愛しい父よ”
マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲
チャイコフスキー:歌劇「エフゲーニ・オネーギン」より”ポロネーズ”
フレディリック・ロウ:ミュージカル「マイ・フェア・レディ」より”踊りあかそう”
休憩
J.S.バッハ:管弦楽組曲 第2番 ロ短調 BWV1067
プーランク:オルガン、弦楽器とティンパニのための協奏曲
音楽雑記帳にもこのコンサートのことを書いたが、ここでは後半の2曲について感想を述べておきたい。私の座った席は1階11列40番である。
バッハの管弦楽組曲 第2番はフルートの活躍する曲で、第5曲のポロネーズ、第7曲のバディネリが特に有名である。編成は室内楽に近いような小規模の弦楽器とチェンバロに独奏フルートを加えたもの。曲はロ短調という悲劇的な調性を表してか、悲愴な雰囲気を帯びて開始されるが、ロンド、サラバンドと続くにつれ、フルートの独奏色も表に出てきて華麗な舞曲を形作っている。フルート独奏はもちろん札響の顔とも言える首席奏者の森圭吾さんである。
曲の聴きどころはフルートと弦楽とチェンバロの掛け合いにある。森さんのフルートは今年になって何度か聴いてきた(1月6日ニューイヤーコンサート、3月16日キクヤミニコンサート)。今日は改めて森さんの音に耳を傾けたが、だんだんと彼の音に関するイメージというものが私の中で固まってた気がする。森さんが信条とするところは暖かにして柔らかな音色ということなのだろうか。森さん自身が「春の陽だまりの中のような」と言う雰囲気にまさにぴったりな音色を届けてくれた。ポロネーズにおけるテクニックの流麗さも際立ち、札響のオケやチェンバロとの音色のとけぐあいも良い。フルートが全般にわたって強く主張しすぎず、オケと絶妙なるバランスの上に気品を保っている。日光によって温まった藁のような香りがほのかに漂うかのような、そんな演奏だった(決して「田舎くさい」という意味で使っているのではありませんよ)
あと一つ付け加えておくと、この演奏に指揮者は立たなかった、というか森さんが自身で吹き振りを行ったのだ。森さんは最近指揮の勉強を本格的に始めているらしい。こんなところにも、彼の意欲と試みが現れているのかと思わせられた。
少し残念なところもないわけではない。森さんが独奏フルートとしてオケの中央に立っての演奏である、今年のニューイヤーでのカデンツァを思い出すたびに、更に彼らしい(?)バッハが聴けるのではと期待したのだが、今回は正攻法バッハというところか。どうも私は森さんに「押しの強い演奏」を期待する傾向にあるようだ(笑)。実際には、森さんは演奏の中でイロイロやっていたのかも知れないが、残念ながら私にはそれを聴き取るほどの音楽的素養が備わっていないようだ。音量の点では、チェンバロとフルートだけに限って言えば、あとほんの少しだけ大きな音で掛け合いを聴かせてくれても良いと思った。もっともフルートで大音量を出すことは、一方で微妙な響きやニュアンスを消すことにもつながる、バランスは演奏者にとって難しい問題かもしれない。
こうして聴かせて貰って思ったことがある。普段のオケのメンバーと室内楽を組むという活動が、音楽家にとってどのような意味を持つのかは計り知ることができないが、例えばパユとベルリン・バロック・ゾリスデンの関係のように、もっと活動するような場がもっとあっても良いのではないかということだ。室内楽というのは残酷な編成である。音楽が精緻で繊細であるだけに、音楽の構造やアンサンブルの密度が聴き手にダイレクトに伝わってくる。ほんの少しの出だしの呼吸の乱れ、弦のボウイングひとつさえアンサンブルの質に影響してくる。演奏終了後、弦楽器メンバーが足を踏み鳴らし森さんを称えている姿を見るにつけ、今回の演奏に対する彼らのスタンスの一端を知る思いだ。しかし聴き手としては室内楽的な完成度という意味においてもう一つ踏み込んだものが欲しいと感じたのは、これも欲張りな期待だろうか。(まあまあ、子どもの日コンサートなんだから・・・)
プーランクのオルガン、弦楽とティンパニによる協奏曲を聴くのは、今回が始めて。プーランクは数年前に生誕100年を迎え、色々なディスクが出回っていたが、聴かずに過ごしてしまった。
初めて聴く曲というのは、どこで盛り上がるのか全く分からないし、音楽の構成などもつかんでいないため、得てしてピンと来ないものだ。この曲は、出だしのオルガンの強奏が決定的な響きとして音楽を支配しているように思えた、不協和に近いオルガンの音は圧倒的で強い印象を残す。管楽器や木管楽器が使われておらず、その全てをオルガンが替りに奏するというものらしい。随所に木管的な響きや金管的な音色を聴くことができ、オルガンの多彩な音色に感心しながら、森の中で宝捜しをしているかのようだ。
オルガンの音量と弦楽器のみの透明感のある音色の対比が見事であり素晴らしい。オルガンとティンパニの掛け合いというのも初めて聴かせていただいた、フムフム・・・。こうして聴くと、札響の弦セクションというのは本当に綺麗な音を出す、ティンパニの響きもよい。現代音楽というほどには難解ではなく、19世紀までの音楽とは全く違った音色を聴くことができ、そういう意味からも楽しめるものであった。
なおこの演奏は、6月23日(日)NHK-BS2で放映されます。
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(雑記)
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子どもの日コンサートに家族で行ってきた、曲目は上記のとおり。うじきつよしが司会をつとめるというので、オーケストラや管弦楽の魅力を紹介する企画なのかと思っていたのだが、肩すかしを受けたような印象だ。事前にろくにプログラムの内容も確認していなかったということもあるのだが、コンサートの対象者と、狙いが伝わりにくい企画であると個人的には感じた。
前半は、足立さつきを中心に据えたオペラのさわりを聴かせるプログラムだ。音楽や構成の仕方そのものは悪くない、知名度の高いものや親しみやすいフレーズのものを選んでいることもあり、楽しめるものだった。指揮者の現田茂夫はかの佐藤しのぶのハズバンドである、どうりでオペラものにこだわるわけである。しかしここで司会のうじきは、道化のような格好で笑いをとるような役割を演じさせられている。登場の仕方からして少し浮いていた。来場者の年齢はうじきのキャラクターが期待するほど低学年ではなかったのではないだろうか。
後半は、音楽と対象年齢を上げた演出ということなのだろう、うじきは道化役を止め普通の司会に転じていた。そこで演奏された2曲がバッハとプーランクである。これにも「うーん」と唸ってしまった。子どもの日コンサートである、子どもたちに「オーケストラの音って凄いなあ、綺麗だなあ、迫力あるなあ、面白いものだなあ」と思わせることが目的だとすると、この2曲が適切であったかは(企画者の意図は理解するものの)今でも疑問である。
編成を考えても、全曲を通してフルオーケストラで演奏しているものが、ビゼーくらいというのも淋しい。バッハは室内楽に近い編成だし、プーランクは弦楽器と打楽器とオルガンという編成なのだ。オケといえばドイツものを、しかもベートーベンやブラームス、あるいはブルマラタコ系をやらなくてはならないというわけでもないというのは分かるのだけどね。オルガンとオケの混成ならば、サン=サーンスの交響曲第3番のMaestosoだけやったって良いと思う、ピアノだって加わるし。
この企画今年が初めてではなく、主催者もマンネリズムに陥らないようにプログラムを考えているのだと思う。毎年楽しみにこのコンサートに来る人もいるのだろう。でも、こういうコンサートはマンネリズムで数年毎に同じ企画であってもいいと思う。
実のところ、家族でいきなり聴きに行って楽しめるオーケストラのコンサートというものは少ない。それだけに、この種の企画というのは、もっと分かりやすく楽しいものであって良いと思った次第である。司会者が道化のようにおどけて笑わすことが「面白く楽しい」わけではない。主役のオケが本来の実力で「面白い」と思わせることこそ重要なのだと思う。演奏会に行かれた方は、どのように感じただろうか。私の息子がもっと小さかったら、全然違う感想を持ったかも知れないが。
とここまで書いてから、肝心のうちの息子(中1)に感想を求めたところ、な・なんと(@_@)「プーランクが一番良かった」そうである!!(書く前に聞けよてか?) うーーん、結局親の思惑とは関係なく、結果的には良い企画であったということなのだろうか(^^;;; 企画された方、演奏された方、そして、うじきさん、ご苦労様でした、勝手なことばかり書いて済みませんm(_ _)m
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