今回の内閣と国会の動きを見ていて感じるのは、その真意が読み取れないもどかしさと、どこまで本気なのか判じかねる答弁、そして、法案そのものの内容があまりにも不備なことからくる漠然とした不安感だ。国会での与野党の議論さえどこか他人事で白熱していない。
本法案への支持ということで言えば、橋本龍太郎元首相も「私が見ても急いでやりすぎているとの不安が残っている」と言い、古賀誠前幹事長も「私は積極論者ではない」と語っている。自民党内部でさえ積極派と慎重派に分かれているのだ、国民が分かるわけがない。
そもそも私には法案の内容について基本的なことさえ分かっていない。
改めて憲法九条を引用してみよう。
日本国憲法第九条【戦争の放棄、 戦力及び交戦権の否認】
��1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平 和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
��2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「あたらしい憲法のはなし」(中学校社会科の副読本 文部省 1947年8月)
「よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないことをきめたのです」
「戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです」
なんとも明快である。「集団的自衛権」「周辺自体」、定義が必要な言葉はどこにもない。戦争を放棄したという意思が強く感じられる説明だ、50年前、日本は心の底から悔いたのだ。
いつの時期にも憲法改正論というのあったが、実際に憲法九条が改正されてはいない。92年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法も、99年成立の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)関連法も、憲法の基本原則との枠組みで多くの議論がなされた。(実際は危ういところは多く、賛成しかねるのだが)
「なぜ今の時期に」という問いに中谷防衛庁長官は「なぜ今の時期にではなく、いままで整備されていなかったのかと問うべきだ」と主張しているのだが、それならば法案の内容が具体的かつ国民に合意されたものでなくてはならない。
「備えあれば憂いなし」と小泉首相は唱えるが、単純なスローガンにしか過ぎず、議論を不毛にする危険性をはらんでいる。25日の朝日新聞は「歴史的課題を処理する責任の重さも、骨太の国家観も、感じられない」と批判するが、全く感情的に同意する。
国を守ること、国民生活を守ることの重要性は認めよう。では以下の疑問にまず答えてもらいたい、私が無知で勉強不足なだけなのかもしれないが。
- 何物かが日本を攻撃するとした場合、その組織(国家)はどこをさすのか。
- その場合の目的と背景は何と予想されるのか。
- ブッシュの言う「悪の枢軸国」という指摘に日本は同調するのか。
- 以上を認め「敵」がいると想定した場合、当面の帰着点として何を求めるのか(何をもって戦闘=有事の終結とするのか)
- 米国、日本を含む連合国と悪の枢軸国という対立の中で、日本の応分の役割についてどう考えるか。
- 悪は武力による攻撃でしか殲滅できないという感が方か、最終的にはどのような世界観を取るのか。
要は、攻撃してくる敵がいた場合、武力攻撃で根絶やしにすることを是とするのか、それ以外の道を探るのかということだ。
その「それ以外の道」という代案を、「有事に備える武力と体制を整備する」という古来から広く指示されてきた方法への対立軸として具体的に提示することは、極めて困難な作業である。その困難さと理想論に脱する点が、武装派から鋭くつつかれてしまうわけである。
たとえば、911米国へのテロについて、アフガニスタンの貧困やイスラム社会の問題を提示することは簡単だが、テロを発生させない平和的手段となると難しい。
仮に攻撃される可能性が否定できないとしよう。では「有事」とは何を指すのか。それさえ今の答弁でははっきり見えてこない。
「武力攻撃事態」は内閣によって認定され、国会の承認を経ることになっている。しかしその判断基準と論拠は国民に知らされるのだろうか。明らかに攻撃を受けた場合は別だが、「予測される事態」などは、最高レベルの国家機密でろう、国民に知らされるとは思えないが。
ある日突然、NHKが「今から有事体制に入りました。NHK他報道機関、地方自治体は総理大臣の指揮下に置かれました。」とか報ずることになるのだろうか。
「武力攻撃事態」の言葉の定義はさておき、たとえば
「北朝鮮がミサイルが日本のA市に向けて配備されたいう、かなり確かな情報を偵察衛星などによりアメリカ筋から入手した。」
「別な情報では、北朝鮮がその射程距離のミサイルを保有開発していたという事実は確認されていない」
さて、これらは「有事」に該当するのだろうか。あるいは、下の場合はどうなのだろう。
「国際的テロ組織からB市に1ヶ月以内に、大規模なテロ行為を展開するという犯行声明ないしは、確かな情報を入手した」
私にはよく分からない。
「有事」と定義された事態になったとしよう。そのとき、国民生活のどこまで影響が及ぶのだろう。
- 日常生活(仕事したり学校行ったり、買い物したり)はどこまで制限されるのか=いわゆる外出制限
- 物価はどうなるのか、物資の不足による急騰ということはあるのか、配給という言葉まで出てきているが
- 交通規制はどうなるのか(自衛隊は道路交通法の適用外になるのでしょう?)
- 住民避難はどのうな体制で行うのか、周辺自治体との関連は
- 住民避難の際の自治体の権限はどこまで有しているのか
- 不安感などから騒動が予想される場合、あるいは犯罪防止(治安維持)のための警察の役割権限の範囲は
- 教育機関への影響は、一時的に教育が行われなくなった場合の受験などへの影響は
- 通常の経済活動は行われるのか、企業活動はどこまで「有事」にシフトするのか
- 報道機関はどう統制されるのか
個々の事例を細かく今から考えることは難しかろう。でも想定はしなくてはなるまい。
一見、自然災害と似たような事態を思い浮かべる。阪神の震災のことを思い出しても、あれもひとつの「有事」だった。神戸は「戦場」と化していたが、梅田では夜のネオンは華やかであった・・・。しかし、「有事」となると「局所災害」ではないのだ。もはや日本全体が巻き込まれているのだ。災害と同様には考えられない。
災害訓練と同様な、有事訓練というものも実施されることになるのだろうか(福田官房長官は視野に入れているという発言をしていたが)
また、25日朝日新聞の「私の視点」で、大東文化大学の富井幸雄教授(公法学)は、有事の際に国会を重視する姿勢が法案に欠けていると指摘している。先に有事と認定するのは内閣で国会が承認すると書いた。有事において権限が集中する内閣に対し、国会が常に開会しており機能しなくてはならないことは、確かに一番重要な問題かもしれない。そこさえ、議案は曖昧なのだ。
悪いことに、事態は更に進展したとしよう。
この段階で、日本はまだ攻撃されていない。しかし、日本を標的としたテロリストが北朝鮮の山奥に居ることが判明。米軍が中国軍とともに大陸北西から特殊部隊を展開し始めた。米軍は政府に自衛隊の支援を要請してきた。
さて「周辺事態」法の適用となった場合、どこまで日本は関与するのだろう。「集団的自衛権」は行使しないとか主張してられるの?
��市において予告声明とおりテロが発生し、市民に死傷者がでた。 セカンドアタックも予告されているため、自衛隊が派遣され、テロ組織の探索を開始したそのとき、第二のテロが発生し、不幸なことに自衛隊員にも死傷者がでた。
自衛隊用の専用病院がいくつか指定され、また臨時の医療施設も設営された。 一部の学校は医療活動の拠点となり、優秀な医者に労働協力の依頼(罰則規定なし)が布達された。
ここまでくれば、明らかな「有事」だろうが、非戦闘員とは言っても拠点の人たちと、被害を全く被らない人たちも居る。我々はこのような事態を50年以上経験していない。私にはそのときどのような生活が待っているのか想像ができない。
自分の職場が有事協力を要請されることはないのか。戦闘地域の定義さえはっきりしないが、少なくとも「専守防衛」を唄うなら、それは国内だ。協力はどの範囲にまで及ぶのか・・・、協力を拒めるのか(現在は罰則規定なし)。
医療・燃料・食料の自衛隊への優先的提供(罰則規定あり)により、非戦闘員(国民)への影響はどうなるのか。逆に戦闘員が目の前で自らの財産を損なってゆく場合、どこまで権利は主張できるのか、そのときの相談相手は誰なのか、その相談相手に権限はあるのか。
最初にも書いたが私は、基本的なことがまだ分かっていない。政治家は誰一人として分かりやすい説明をしてくれてはいない。答弁は内閣内部でも日替わりで変わっている。
そんな首尾一貫性がない内容であるというのに、しかも、自分達の問題であるのに議論が白熱しないもどかしさを感じる。それとも、可決にはそれほど意欲がないのだろうか、あるいはサッカーワールドカップで国民が浮かれている間に可決してしまおうとしているのだろうか。それさえ分からない。
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