ポスト・クラシカルの騎手かつ人気の作曲家であるマックス・リヒターが、ヴィヴァルディの指揮をテーマにリコンポーズしたという作品。
耳慣れた、いや、耳タコのあのフレーズが、ミニマルミュージック的にリピートされて、麻薬のように脳髄を麻痺させていくかのようです。
音楽的な深みという点では、いかがかと思わないでもないですけれど嫌いではないです。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
ポスト・クラシカルの騎手かつ人気の作曲家であるマックス・リヒターが、ヴィヴァルディの指揮をテーマにリコンポーズしたという作品。
耳慣れた、いや、耳タコのあのフレーズが、ミニマルミュージック的にリピートされて、麻薬のように脳髄を麻痺させていくかのようです。
音楽的な深みという点では、いかがかと思わないでもないですけれど嫌いではないです。
Red Priestとは「赤毛の司祭」、まさにヴィヴァルディのあだ名をアンサンブルの名にした、イギリスの非凡なるバロックアンサンブル*1)。昨年は「パイレーツ・オヴ・ザ・バロック」とか銘打って日本公演も行ったみたいです*2)。
曲の冒頭を聴いたときは、こいつはちょっとキワモノで間違えたかと思ったものの、一瞬にしてそんな杞憂を吹っ飛ばす演奏!この鋭さ、この躍動感、そして楽しさ。耳タコの「四季」に新たな一枚が加わったといった感じ。
特にPiers Adamsのリコーダーは超絶的で度肝を抜かれます。ソロ・ヴァイオリンのパートを、凄まじいテクニックで吹ききります。その爽快さ、快感、愉悦。リコーダー的な晦渋さ、重さ、愚鈍さは微塵もありません。イカした野郎が踊りまくっています。
Amazonレビュで*3)冬の暖炉の火のはぜる音がレゲエのリズムに近くなっているのはちょっとやりすぎかもしれない
と書かれている方がいましたが、冬の第二楽章。リコーダーなしの演奏ですが、もはやクラシックに聴こえませんね、私は悪くはないと感じましたが。
アルバムには「四季」をイメージする詩も添えられており、ゆっくりと解説を読みながら再聴したいところ。
コレッリの「クリスマス協奏曲」も同時収録されています。
◇
NMLにヴィヴァルディのRV 626とRV 601があったので聴いてみました(CHAN0714X)
演奏のPurcell Quartetは1983年に設立されたイギリスの古楽楽団。50以上のレコーディングがあり、幅広いレパートリーで活躍しているようです。1998年にはモンティヴェルディの最後のオペラ"L’Incoronazione di Poppea"で来日し、その後も10年近く日本とは深い関係にあるようです。いずれにしても実力派団体(→Bach Cantatas Website)。
Catherine Bottは1952年英国生まれのソプラノ歌手。彼女もシドニーのAustralian Brandenburg Orchestraを伴ってヘンデルのアリアの日本公演を果たしているらしく。古楽分野を中心にフォーレやヴォーン・ウィリアムスなどの作品でも活躍のご様子。
NMLのラインナップでもCHANDOSの録音を結構聴くことができるようです。(→Bach Cantatas Website)(写真はHyperionより)
で、演奏ですが、先に聴いたピオーとはやはり全然違う。こうして聴いてみると、naiveエディションはかなり扇情的とも言える危険なバロックであると改めて思います。RV 626の一曲目を聴いて金縛りにあうこともなければ、RV 601で絶賛した'A solis ortu usque ad occasum'も美しい曲ではありますが、陶然とするほどではない。逆にブロック・フルーテ(Stephen Preston)との'Gloria Patri et Filio et Spiritui sancto'もピオーとは趣は違いますが、これはこれで絶品でしょうか。ラストの'Amen'も神々しいくらい素晴らしい。最初は何だか「もったり」した印象だと思ったのですが、繰り返し聴いていると、この演奏も気に入りましたよ。
ピオーとボットの表現の違いとともに、やはり伴奏、すなわち音楽の指向性の画然とした違いが大きいかもしれません。しかし、モテットとか詩篇というような教会音楽には、このくらいの落ち着きと大人しさが相応しいかもしれません、聴くたびに心を乱されてはかないませんからね。
一年ほど前に、古楽系ブログで話題になった盤で、今更の感もありますが、聴いてみて感じたことを簡単に書いておきましょう。声楽を伴わない器楽曲も納められていますが、やはり聴くべきはサンドリーヌ・ピオーの歌声です。
激しいばかりがビバルディではありません。刺激だけなだけが現代バロックでもありません。厳かにして幽玄な部分の信じられない程の美しさと静謐さ、そして神聖さ。この俗と聖の両極端に足を踏み入れ、聴くものの心情をこれでもかというくらいにかき乱す。ヴィヴァルディの多様さと表現力の幅の広さを思い知る一枚です。
まずはRV626モテット『正しい怒りの激しさに』から3曲。
冒頭のアリアからして、度肝を抜かれ、鳥肌ものです。伴奏はスピーディーでキレが良く現代的な演奏。それにピオーの超絶的な歌声が、神聖にして厳かに、それでいて驚くほどの透明性と軽やかさを兼ね備えて飛び回ります。ほとんど奇跡の歌声。繰り返されるヴィルトオーゾ的な部分と中間部の美しさの対比の見事さ。この1曲だけでもはや脱帽。
��曲目は一転して、オルガンに乗った厳かな短いレチタティヴォ。そして、いかにも、そういかにもビバルティ的な弦の伴奏に導かれて'Tunc meus fletus'(Then my tears will be turned to joy)が唄われます。まさにsorrowfulとかpatheticとしか表現しようのない唄は、ソプラノのハイキーがはかなげで、そしてその敬虔さに涙をさそいます。
悲嘆と望みは、'Alleluia'で解放されます。メリスマティックな技巧も、ほとんど聴いていて口があんぐりな状態です。この歌声の軽やときたらどうでしょう。突然にソプラノの限界とも思えるキーがポンと出てきて、最後は軽くスパイラルアップ!敬虔にして耽美で快楽的。聴いていて背中に汗が流れてしまいます。kimataさんが18世紀前半の夜の女王
と書いていましたが、まさにです。
続いてはRV601詩篇『主の僕たちよ、主を讃えよ』。
'Laudate pueri'(Prise the Lord)は、Allegro non moltoながら、上下する音符、惜しげもなく使われる高音、そして、長調が表現する喜びと明るさに満ちた、聴くだけで幸福になれる曲。
それにしても、3曲目の'A solis ortu'(From the rising of the sun to the going down of the same...)の美しさときたらどうでしょう。昇る太陽を象徴するかのように静かに刻まれる弦にのって、どこまでも伸びやかなピオーの歌声が被ってきたときには、ほとんど奇跡のような・・・と書くのが陳腐すぎるくらい。最初のロングトーンの美しさだけで確実に泣けます。体中に喜びと幸福が溢れます。最後の高音では脳内ホワイトアウトです。激しい曲もいいのですが、私はこの曲が文句なしにイチ押しです。
シリチアーナのリズムに乗った'Excelsus super omnes'は厳かな祈りか。雰囲気が変わっての'Suscitans a terra'は、ザクザクとした弦の軽快な伴奏にピオーのソプラノが勢い良く歌われます。カンタービレとビルトオージック部分が交互に歌われ、至福の時間もあっという間。
'Gloria parti'はフラウト・トラヴェルソの音色が印象的。モダン・フルートとは明らかに違う暖かな音色は、包み込むようで、ピオーの歌声もトラヴェルソと対話するかのように、しっとりと歌われます。
最後は明るく'Amen'です。中間部のAmenと歌うメリスマティックな技巧の凄まじさよ。波状攻撃の高音、限界までスパイラルアップする吹き上がりとヌケの良さ!まさにヴィヴァルディの面目躍如と言った曲。最後にこれを聴くと、ああヴィヴァ聴いたなあと大満足です。
naive社から出されているヴィヴァルディのオペラ集を聴いてみました。4つのオペラからのコンピレーションもので、演奏者も雑多です。こういうアルバムの印象は得てして茫洋としてしまうのですが、じっくりとアリアを聴きこみますと、ヴィヴァルディの才能の多彩さに目を見張る思いがしてきます。というか、イロイロな人が絶賛している通り、splendid!!です。
演奏は四つのペラを下記の三つの団体が演奏しています。
この中で一番驚かされたのは[12]番、《Orlando finto pazzo》からのアリア、Lo stridor, l'orroでしょうか。この不安過ぎるアリアは何度も聴いて癒されるという類のものではありません。しかし、この音楽の奇妙さ、異彩さ、凄さは聴いてみないと分からないかもしれません。ソプラノのいきなりハイキーにスパイラルアップする多少の狂気さえ感じられる歌は、実にゾッとするほどの和音を奏でる弦が伴奏しています。中間部はレチタティーヴォ的になってハープシコードやハープ(?)などに乗って唄われます。これがバロック時代のメロディなんでしょうか、バロック・オペラの範疇内なんでしょうか。だとしたら深過ぎます、バロック音楽という世界は。いや、それとも、ヴィヴァルディの独創性なんでしょうか。それを判断するほどに私はバロックやヴィヴァルディに無知すぎます。
《la verita in cimento》からの[14][15][16]そして[8]はSpinosiの演奏。彼の演奏方法については賛否があるようです。確かにかなり鋭角的で硬質な弦の響きは耳障りと感じる人もいるかもしれません。しかし私には非常に新鮮であり、しかもクリアさ、抜けた空気感、そしてバロック時代のザラつきのような息吹を感じ、それはそれで受容します。
その中で[14]はAnima mia, mio benは五重唄です。前半と後半のしっとりとした歌、中間部の急な部分の差が素晴らしい。[15]のMi vuoi tradir, lo soはアレグロのアリア。ヴィヴァルディの技巧が炸裂し、Spinosiの伴奏がこれでもかとばかりに迫ってきます。ヴィヴァルディが良く好んで用いるようなフレーズが散りばめれ、驚くほどの歯切れの良さで展開します。スピード感と強烈なアクセントが爆発するSpinosiの最たる演奏は[4]のAgita infido flatuでしょうか、もう息もできぬほどの演奏。あたかもイタリアの渓谷を流れる激流か。
Spinosiとて、ガリガリやるだけが能ではありません。[1]の天から降ってきたのではないかとさえ思えるカウンター・テナーの歌声による悲痛な歌、Tu m'offendiや、ソプラノのアリアである[8]Amato ben tu sei la mia speransaは張り裂けそうなばかりの思いをしっとりと聴かせてくれます。
ここにはSpinosiばかりでなく、Alessandriniの演奏も納められています。比べて聴くとSpinosiの演奏との違いが際立ちます。例えばコントラートによる[3]Gemo in un punto e fremo。スピード感がありながらも、どことない余裕と厚みがあります。刺激的な演奏ではあるものの、鋭角に過ぎない彼の演奏センスが光ります。ソプラノの[5]Lo seguitai feliceは官能的でいながら力強いソプラノが脳天を貫きます。[10]の二重唱も捨てがたい、珍しいバス独唱の[11]も聴きのがせません・・・。
[2]のVieni, me sequera fidaには、何とchalumeauという、クラリネットの先祖のような楽器(→Wikipedia)が使われています。[2]と[6]を唄うメゾ・ソプラノKozenaの声も極めて魅惑的、眩暈がしそうです。[7]Andeo,volero,grideroは《Orlando finto pazzo》から、バルトリのヴィヴァルディ集にも納められているアリア。iTunesにこれらの曲は入れてありますので、両者を比べて聴いたりしています。
という具合に、イチイチ書いていてはキリがありません。とりあえず、本アルバムを言及しているサイトをリンクして終わりとします。他にもあるんでしょうが、探せませんでした。
本アルバムは、その中からソプラノ5曲、メゾソプラノ5曲、テノール4曲、四重唱1曲、二重唱1曲の全16曲が選ばれています。ソプラノはバロック界を代表するSandrine Piau、テノールはPaul Agnewです。それぞれのアリアは6つのオペラからのもので、RV749.13のみ元オペラを特定できていません。
その中ではPiauが唄う、'Zeffiretti che sussurrate'RV749.13'が何といってもこのアルバムで特筆モノでしょうか。「四季」を思わせるヴァイオリンの旋律に導かれて、何とも匂い立つような歌声で唄われます。ソプラノに呼応するエコー(aria co eco)、Vieni, vieni o mio diletto (Come, come, my beloved)
で始まる中盤の力強い歌声への変化、そして再び冒頭の響きの再現。たった5分の曲の中に、これほどの技巧と美しさを湛えていようとは。何度聴いていても飽きないラストの超高音の凄さ。
Piauといえば、アルバム冒頭に納められた《LA CANDACE 第1幕》からのアリア'Certo timor ch'ho in petto'も素晴らしいの一語。Piau節全開といいますか、力強く美しく、そしてキモチの良いほどの抜けです。イタリアの乾いた空、ベタついたところなど微塵もない。
同じオペラからの'Usignoli che piangete'は、鳥(ナイチンゲール)を模した極めてアクロバティックな曲。鳥といえば'Quell augellin che canta'も鳥が歌う声を模してアリアを歌わせています。
アルバムでPiauのソロは全部で5曲あります。'Mio cors'io ti credessi'は一転して短調のアリア。《LA SILVIA》の中から冷たく嫉妬深いNerinaが、恋人Nisoに対する秘められた怨みをみたいなものを、弦の短調なユニゾンに乗って切々と唄います。技巧的なアリアとは全く趣が違う、オペラの筋は分からないけど、こんな女性に恨まれたらコワイなと。ヴィヴァルディの音楽の作り方は、確かにうまいですね。
メゾ・ソプラノの曲も随分と聴かせてくれます。Ann Hallengergの唄うL'innocenza sfortunata'など、始まったら思わずにウキウキとして一緒になってリズムを刻んで鼻歌まで歌ってしまうほどです。オペラ《TIETEBERGA》の筋など全く知りませんが、不幸な女王を救って裏切り者を懲らしめろと唄っています。ソレ、ソレ、パシィ~ッ!!です。
イマひとつ弱いかなと思ったテノールのPaul Agnewにしても、何度も繰り返し聴いていると、これはこれで柔らかくて良いではないかと思えてきます。重唱も勿論のこと良いです。最後の曲'lo son fra l'onde d'irato mare'はメゾソプラノとソプラニーノの二重唱といったところ。輝かしい音色で締めくくってくれるのも嬉しい(技術的には、難しいんだろうなあ・・・リコーダーだもの)。
買った当初は、オペラ・アリア集というオムニバス的な作りから、軽く聴きながしてオシマイにしていたのですが、それではとても勿体無いことに気付いたわけです。しかし、こんな具合に1曲ずつ書いていたらキリがありません。とにかくに、ビックリし、うっとりし、惚れ惚れし、スッキリし、ワクワクします。ヴィヴァルディ恐るべし、であります。
敬意をもって、TakuyaさんのエントリにTBしておきます。生Piau聴いてみたいなあ(^^)
バルトリが好きであるかどうかは別としても、私がヴィヴァルディについて認識を改め、そしてバルトリの凄さを知ったのは、紛れもなくYou TubeにあったAgitata da due venti(これやこれ)(*1)であったことは白状しておきましょう(*2)。
そしてこのアルバムは、バルトリがミラノの古楽器アンサンブル「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」と共演した、まさに攻撃的にして挑発的なヴィヴァルディ集です。想像以上に刺激的な盤に仕上がっています、まさに両者の面目躍如といったところでしょうか。全く飽きさせずに最後まで聴きとおしてしまいました。
バルトリの歌唱力は、例えば最初の一曲を聴くだけでも驚愕としか書きようがありません。物凄いスピードで上下する音程、震えそして煽るかのような旋律、鉈でザクリと切り取ったかのようなキレの良さ、そして独特の存在感と太さを持った声音。別な見方をすると、かなりアクが強いと言ってもいい。聴く方にも、ある程度の許容力と体力が必要です。
しかし、一度その魅力に取りつかれてしまうと、もういけません。バルトリが良いのかヴィヴァルディが凄いのか自分でも判然としないまま、両者のかもし出す音楽はスパイラルのようにカラダ中を駆け巡ります。次第に血中ヴィバルトリ濃度が高まり、ついには脳内麻薬様物質が分泌されていくかのようです。
ヴィヴァルディは好みの旋律を使いまわすことが多かったのか、例えば1曲目などは、そのまんま「春」になっています。以前エントリした、「オリンピアーデ RV.725」のDel'aura a sussurarでも同じように使われていた旋律です。11曲目は、さながら「冬」でしょうか。
ヴィヴァルディの歌劇はスピノージの演奏などがネット上で話題なんですが未聴です。次あたりは聴いてみようとおもっています。
◇
私は古楽ファンであったことも、更にはヴィヴァルディの音楽を好んでいたわけでもありません。従ってネット上の古楽ファンの方々が絶賛している、エンリコ・ガッティの演奏について、あれこれと述べる語彙を持ち合わせてはいません。
ある人は、店頭で視聴した途端に耳を奪われて動けなくなってしまった。。
(Sonnenfleckさん)と書いています。ということで、かなり期待して聴き始めたのですが、期待はずれが半分、期待以上が半分という交錯した感想が第一印象。
期待はずれは、私がヴィヴァルディの音楽に求めた「ヴィヴァルディ的刺激」が希薄な曲であった点。これはOp.2というヴィヴァルディ初期の作品である所以と理解、幾人かが指摘しているようにコレルリ的と言われれば、ああそういうものでしたかと合点。期待以上であった点は、今更私が繰り返すまでもないこと。ガッティの演奏の確かさと瑞々しさ、アンサンブルの快楽、音楽がヴィヴィッドでカラダの芯の深いところまで何の抵抗もなく染みわたっていくことの心地よさに浸るのみ。
「フルーティーさ」「ほのかな甘み」「可憐さ」「可愛さ」「蜜がとろりと滴るような美音」などの修辞が感想に踊っていますが、私が聴き取ったのはそういう所謂女性的な特性ではなく、音楽に立ち向かう確たる姿勢と端正さ、そして力強さであります。作品の輪郭が抒情に流れずにくっきりとしている。しかし演奏は全然堅苦しくない、アンサンブルのさざめきに乗って自在にガッティがカラフルに描き踊る。決して扇情的にならずに興奮を作り出す品の良さときたら、あちこちのフレーズで震えがくるほどです。
ああ、確かに・・・ガッティって、何だか分からないけれど「良く効く薬」みたい、あまりにも素敵かもしれない!(>1枚しか聴いていないので判断留保、しかしiPodには即入)
本日はNMLで以下の曲をつまみ聴き。
ヴィヴァルディの「勝利のユディータ RV.644」は、昼休みの視聴。アリアだけを聴いている。ストーリーまだ全然理解していない。
吉松隆とネーメ・ヤルヴィとロンドン響によるブラームスは、イギリスCHANDOSによるNML1月の新着。NMLで吉松と須川の音楽を聴けとは、なんて幸せなことであろうか。
ヴィヴァルディの宗教曲の中ではRV621《スターバト・マーテル》もはずせないもののようです。Naxos MLでは上の二つの盤を聴いてみました。
Stabat mater dolorosa
とは「悲しみに暮れる御母は佇みたもう」という意味で、マリアの悲しみをしのび、苦しみをともにすることを通して神の恩寵が得られるように祈るというような歌らしいです。カウンター・テナーと弦合奏、通奏低音で描かれた短調の音楽は深い慈しみに満ち、宗教音楽としての美しさが込められているかのようです。
1998年にJakub Burzyn'skiによって設立されたポーランドのLa Tempestaによる演奏は、冒頭のStabat mater dolorosa
から打楽器(!これが効果的)と通奏低音が強調された非常に劇的な演奏が印象的です。Jakub Burzyn'skiは指揮とともにカウンター・テナーとしても活躍しています。Quis est homo qui non fleret
(かくも責め苦を負う)やEia Mater
(さあ、御母、愛の泉よ)での超絶的な高音にも驚かされます。ラストのAmen
は二つのバージョンで唄っており後者の方がより技巧的。演奏がヴィヴィッドで胸に迫ります。あまりのことに続けて三度も聴いてしまいました(^^;;
1979年設立のカナダの古楽グループTafelmusik Baroque OrchestraとコントラアルトのMarie-Nicole Lemieuxの演奏は、La Tempestaの激しい演奏を聴いてしまうと表現の違いに戸惑います。あれほどLa Tempestaで打ち鳴らされていた打楽器は使われていません。従って概ねゆっくりと、そして静謐な深い祈り感じる演奏に仕上がっていて、こちらの方が泣けますか。二つを続けて聴くと同じ曲とはとても思えませんね。
ヴィヴァルディのグローリアにはRV589と番号違いのRV588というものもあります。こちらはRV589に比べて知名度がかなり低いようです。
Naxos MLのこの盤では、RV639グローリアへの序章
に続いてRV588が演奏されています。RV639はアルト独唱による演奏で、痙攣するかのごときアルト歌唱の技巧を聴くことができます。アルト独唱からシームレスにグローリアの合唱がかぶるところは、なかなか良いです。オルガンがラリラ・ラリラ・ラリラと脳天気に鳴り響き、アルトと合唱が渾然となっていく様は結構快感です。単純な音楽が好きな私は、何度もこの部分を繰り返して聴いてしまいます。
RV589でソプラノとアルトの二重唱が美しかったLaudamus te.
は、ここでも二重唱、どちらも魅力的です。付点のリズムが楽しかったDomine Fili unigenite,Jesu Christe.
は、こちらでは男女の合唱による荘厳なカノン
、アルト独唱のQui sedes ad dexteram Patris,miserere nobis.
もかなり雰囲気が異なります。こうして全体を通して比べながら聴くと(*1)、RV589はやはり曲としての完成度が高い。RV588の方は何だかのんびりした感じがあります。そこがまた良いと言えなくもありませんが。
どちらも良い曲です。合唱関係者とか余程のヴィヴァルディ・ファン(*2)でもなければ、聴く機会などなかった曲であったと思いますのでNMLに感謝です(^^)
◇
ヴィヴァルディは若くして聖職に入り司祭となっていますので、宗教曲も多く残しています(*1)。中でも有名なのはグロリア(RV.589)ということになっています。さっそくNaxos MLで聴いてみました。
これはミサ曲の中からグロリアの部分だけに曲を付けたもの、いかにもヴィヴァルディらしい管弦楽器の使い方で陽気に始まります。Gloria in excelsis Deo.
(天のいと高きところには神に栄光)と男女の混声合唱と管弦楽の軽妙な掛け合いが曲に喜びをもたらしています。続いて短調に変わり、Et in terra pax hominibus bonae voluntatis.
(地には御心に適う人に平和あれ)と男女の合唱がカノン風に歌われます・・・
全曲で30分程度なのですが、全体を通して聴いてみると、曲としては悪くないのですがヴィヴァルディらしい技巧性や楽しみに欠けるきらいはあります。宗教音楽ですから仕方ないですね。
キリスト者でない私にとっては、この中でオススメといえるのは、Laudamus te.
(われら主をほめ)。長調によるソプラノとアルト(メゾ・ソプラノ)の二重唱です。それとDomine Fili unigenite,Jesu Christe.
(主なる御ひとり子、イエス・キリストよ)でしょうか。こちらは男女の混声合唱による付点音符の弾むようなリズムカルな曲。Qui sedes ad dexteram Patris,miserere nobis.
(父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。)はアルトによる技巧的な曲、。
Naxos MLのうち、上記の二つを聴いてみましたが、どちらかというとPH04019の方が良いかなあ(というか、評価以前だな、まだ)。
◇
器楽作曲家としてのヴィヴァルディは生前から全ヨーロッパにおいて有名であったが、彼の宗教作品は長くヴェネツィアから出ることはなかった。そのため叙任された司祭の地位にあったにもかかわらず、彼は宗教作品を全く書かなかったのだと考えられていた。しかし、1920年代末にヴィヴァルディの個人的手稿のコレクションが発見されてようやく、彼の作品目録に50曲以上の宗教作品が加えられた。その中でも急速に有名になったのが「RV.589」のグローリアである。第2次大戦後にリコルディ社から楽譜が出版されて、合唱の主要レパートリーとなった。
ついでなのでNAXOS MLから、もう一つヴィヴァルディの声楽曲を聴いてみました。これは、《Motet, Sum in medio tempestatum, RV 632》、《Motet, O qui coeli terraeque, RV 631》、そして《Psalmo, Laudate pueri Dominum, RV 600》からのもの。
それにしても、ヴィヴァルディの声楽は快楽に近い!ワーグナーとは対極のところの官能を刺激します。随所にヴィヴァルディらしい高度な技巧を凝らした声楽を聴くことができます。オススメを一曲だけ書こうと思ったけれど、どれも素晴らしいくて選べませんでした(^^;;;
ソプラノ独唱はKarina Gauvin。高度な技巧部分も抑制が効いた柔らかな声音で好感が持てます。彼女の公式サイト(近頃更新はされてない様子)を見ますと、ヘンデルやバッハの他にフランスものも録音しているようです。
HCD32022 VIVALDI: L'Olimpiade (Highlights)
あちらこちらで時々話題になっているNaxosミュージックライブラリ。気に入った盤は手元に欲しいと思うものの、ちょっとだけ聴いてみたいとか、知らない曲を買うにはちょっと勇気もいる。ということでNaxosミュージックライブラリに登録してみました。
で、手始めに聴いてみたのがコレ(ヴィヴァルディの歌劇「オリンピーアデ」)。いやあ、これは良い! #Credoのkimataさんが、しきりにヴィヴァルディのエントリをするので気になっていたのですが、たしかにハマりそうな曲ばかり。
何と言っても、コーンと底の抜けたような明るさ、乾いた響きが心地よい。そして、ヴィヴァルディの有名な曲の断片(*1)があちらこちらに聴こえる面白さ。残念ながらNaxosでは曲の解説などがありませんから、何を唄っているのかは全くわからないのですが、流して聴いているだけで自然と心が浮き立ちます。