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2006年2月8日水曜日

【本棚】「女系天皇論」の大罪


本日7日、秋篠宮妃紀子さま(39)が懐妊されたことが判明したそうです。あまりにもタイムリーな話題は、今国会で提出される予定の拙速な「皇室典範改正案」にも影響を与えそうです。(タイムリー過ぎて、皇室からの「ささやかな意思表明」とまで思えてしまいます・・・)

本書は、小堀桂一郎氏、櫻井よしこ氏、そして八木秀次氏によるニ度に渡って行われた鼎談をまとめたもので昨今の性急な動きに意義を唱える《緊急出版》の書。小堀氏が「鼎談を終えて」に記しているように、同じ趣旨の反復等の形式上の不備が目に付きますし、本書の主張をまとめたら、おそらくは最初の50頁だけで足りてしまうだろう内容ではありますが、三者の「皇室典範改正」に反対する強い意気込みは、ズイズイと伝わってきます。

小堀桂一郎氏について、私は本サイトの中で批判的な文章を数度も書いてきました。天皇あるいは皇室の現代日本における存在意義については、私は未だ明確な見解を持ちえていませんが、それでも「今国会で」ということが理解できません。素人集団であった有識者会議の面々や、延30時間程度の議論で出した拙速な結論については釈然としません。

小堀氏や櫻井氏らは「万世一系の天皇家の伝統」「男系維持の原則」「日本文化の秩序の核心」として皇室を位置付けていますし、GHQにより解体させられた旧皇室を含めて、皇位継承についてもっと慎重に議論すべきだとしています。有識者会議は皇籍離脱した人を「今更皇室と国民が受け入れるか」と排除しながらも、一方で皇族のスコープを拡大することになることについては、「皇室の安定的維持」以上に、皇室とは何かという問題を提起はしないのでしょうか。

国会でも国民の間でも、議論は分かれるでしょう。「女性」と「女系」の違いなど基本的なことも重要ですが、私は議論すればするほど泥沼に陥る気がしています。「国家の品格」の藤原氏ではないのですが、理論の限界や「ならぬものはならぬ」ということは、どうしてもあるのではないかと。小泉首相はここにきて日本国の「ある部分」を完全に解体する気なのでしょうか。

実のところ数年前に森元首相が「日本は天皇を中心とした神の国」という発言で物議をかもし、私も当時は随分と違和感と不快感を持ってその発言に接したのですが、実は案外と本質をついているのではないかと考える時もあったりします。かように天皇制の問題は国歌・国旗問題を含めて私の中では自己矛盾に満ちたままです。

蛇足ですが、小泉首相の発言。

女系天皇を認めないということは、仮に愛子さまが天皇になられた場合、そのお子さまが男でも認めないということだ。それを分かって反対しているのか

全然わかってない・・・こんな人が、改正しようとしていることに、もっと非難を集中すべきでありましょう。マスコミもバカかいな。

2004年6月12日土曜日

ものごとの本質は天皇論か

先の木村剛に発することをつらつら考えるに、やはり気になるは日本の天皇制です。藤田省三氏の言葉で以下のようなものがあります。


天皇は道徳的価値の実体でありながら、第一義的に絶対権力者でないことからして、倫理的意志の具体的命令を行えない相対的絶対者となり、したがって臣民一般はすべて、解釈操作によって自らの恣意を絶対化して、これ又相対的な絶対者となる。(「天皇制国家の支配原理」)

深い!

2004年5月6日木曜日

クラクラする産経新聞


私は普段は新聞(ペーパー)はあまり真面目に読んでおりませんでして、大手新聞の社説とコラム、それに電子新聞サイトの主要記事だけをざっと眺めるという乱暴なことをしております。社説など滅多に読まない(読みたくない)という方は多いのですが、クラシックサイトの擬藤岡屋日記で『最近の「産経新聞」の主張(社説)は面白い。[...]面白すぎて、頭がクラクラする。というエントリーが目に止まりました。私もこの頃産経のオモシロさにクラクラしておりましたので。




もっとも私は産経批判をするほどに思想的でも知識が豊富でもありませんので気分や感想でしかないのですが、それでも5月2日の産経新聞の憲法改正に関する社説(主張)で


フジテレビ「報道2001」による二月二十六日調査は「改正すべきだ」が65%を示した。最近の各種世論調査はそろって改正派が多数を占め、国民の認識の深まりを反映している。


と書いているのを読むと、私の感覚は少数派意見なのかと思たりしてしまいます。産経新聞はサッカーW杯予選などで若者が日の丸や君が代を歌う様を『社会が成熟してきた証』とか書いたりもします。産経にしてみると、世の中の趨勢は産経にありというところなのでしょうが、どうしても私の感覚とずれているなあと。


では「憲法の矛盾を是正せず、自衛隊は廃止、天皇制も廃止し皇居は解放した公園にでもしたいのか」と問われると答えに窮することも確かで、ここらあたりが改憲派からは突け込まれる論理的弱さなのだと思います。


��月4日の朝日新聞社説は靖国神社の遊就館について書いていました。これは私も以前「意見箱」で書いたことがありますし、東京に居る間に一度は訪れてみたく思っている場所のひとつなのですが、朝日は以下のように書いていました。


戦争には相手があった。しかし、展示や説明には、あくまでも当時の日本から見た敵国への憎悪や世界の姿があるだけだ。戦争をする日本を世界がどう見たのかという客観的な視点は、およそうかがえない。ただひたすら戦地に散った日本人の心の尊さをたたえるのだ。


どちらがズレているのかは、やはりすぐには答えが出せません。今日は『サヨクを論破するための理論武装入門』というこれまたクラクラする題名につられて、『正論6月号』(産経新聞社)を購入してしまいましたよ。