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2006年4月12日水曜日

【本棚】中島義道:うるさい日本の私


私の嫌いな10の言葉」に書かれていたことに対し、主張の鋭さを認めるはするが不快さも禁じえないという合い半ばする感想であったため(一度は、こんなくだらない本はさっさと捨てようとさえ思った)、氏の別著を読んでみました。

「一番うるさいのはオマエ(中島氏)だ!」と、本書に向かって何度も叫びそうになりますが、しかし彼の主張と行動には応援を送りたいです。

彼は何に対し闘っているのかといえば、公共空間に撒き散らされている「公共放送」のうるささに対してです。例えばそれはバスの中に流れる放送であったり、駅ホームの放送であったり、江ノ島海岸に流れる案内であったり、防災放送であったり・・・。彼はそういう放送源に単身乗り込み、流されている放送のうるささをまくしたて、中止することを求めるのです。その奮闘ぶりは、もはや喜劇的色彩さえ帯びています。

ここで氏はイロイロな問題を提起しています。「公共放送をうるさいから止めろ」という個人のエゴは主張して良いものなのか、静かな環境である方が好ましいと思われる場での「おせっかいな放送」は、マジョリティ側からの無意識の管理と暴力ではないのか、思いやりや善意という発想が公共性を持ったときの危険性などなど。

「ホームと列車の間が離れているところがあるから足元に注意しろ」と喚起するのは、仮に事故が起きた場合に企業責任を少しでも免れるためという意味もあるでしょう。そういう放送を煩いと思っても、普通は止めてくれとは言いません(言えません)よね。

ですから氏は「日本古来の美学」である「察する」美学から「語る」美学へ移行すべきだと主張しています。日本の音漬け社会を批判しながら、実はココを一番主張したかったようです。

あまり他人に「思いやり」をもたないようにしよう。あまり他人から「優しさ」を期待しないようにしよう。何事につけ「察し」が悪くなろう。そして、その代わり言葉を尽くして語りつづけよう!
その主張に心から同意できる人は、なかなか多くはないだろうとは思いますが。

蛇足ですが、音漬け社会ということに関して。駅ホームや車内放送の煩さは、都会に住む人ならもはやBGMのようなものです。駅係員の絶叫と発車ベルと列車到来の自動放送が交錯する中、もみくちゃになりながら列車に押し込まれるという毎日の風景にあって、もし仮にそれらが全て無音の中で演じられるとしたら。それこそ高度な管理社会と狂気を感じます。現在の狂騒があるから、かろうじて人間性を喪失しないでいるという逆説もあるのかなと・・・。

2006年4月11日火曜日

【本棚】中島義道:私の嫌いな10の言葉


 書店に行くと「私の嫌いな10の人びと」というタイトルの本が。ありがちな有名人批判本かなと思って手に取り目次をながめたら、中島氏の嫌いな人とは1 笑顔の絶えない人 2 常に感謝の気持ちを忘れない人 3 みんなの喜ぶ顔が見たい人 4 いつも前向きに生きている人 5 自分の仕事に「誇り」をもっている人・・・なのだとか。

目次を見たただで何だか感ずるところがあり、それでも誰だか分からない人の本に1260円も払うほどのこともなかろうと文庫棚に移動し、氏の類似書である本書を購入した次第。

で、氏の嫌いな10の言葉とは、1 相手の気持ちを考えろよ! 2 ひとりで生きてるんじゃないからな! 3 おまえのためを思って言ってるんだぞ! 4 もっと素直になれよ! 5 一度頭を下げれば済むことじゃないか! 6 謝れよ! 7 弁解するな! 8 胸に手をあててよく考えてみろ! 9 みんなが厭な気分になるじゃないか! 10 自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!なんだそうです。

青春ドラマや家族更正ドラマ、あるいは新入生相手の会社ドラマのような安っぽい台詞の羅列で冒頭から少々ゲンナリです。それに改めて考えてみると、私は氏のような言葉を人から頻繁にかけられたことは、ここ十数年に限って言えばありませんし人に言ったこともありません。

もっとも、それは中島氏的に言えば「大人になった」ということなのです。未だに中島氏が、このような言葉を生み出す環境にいるとしたら、彼も周りの人もやりにくいだろうなと。

という具合に、最初は批判的に読んでいたのですが、氏の指摘は日本の文化的なありように鋭く切り込んでいるもので、捨てきれない面も多く感じます。氏はマイノリティとマジョリティに対する考え方、一方的な「善意」のもたらす暴力、「集団」が無意識のうちに示す残酷さ。「全体」のエゴと「個」のエゴの関係性などを鋭く喝破し、日本においては個人が主体的かつ個人的な言葉を発することを抑えられているというこを、筆致鋭く指摘しています。

人によっては、読むとかなり「不快」になりますが、その「不快度」の高さが逆に自分の立ち位置を教えてくれるかもしれません。