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2007年2月2日金曜日

[NML]吉松隆:ピアノ協奏曲「メモ・フローラ」


引き続き、吉松隆の音楽をNMLで聴く、本日は田部京子のピアノで「メモ・フローラ」。




テーマは宮沢賢治による。花畑(スコア)に花(メロディ)を植えてゆくというイメージ。吉松的なリリシズムが感じられるが、美しく、繊細すぎるきらいもある。特にPetals(花びら)と題された第二楽章。許容可能なギリギリの線で限りない美しさ、和音の重なり、そして静謐さ。これをどう捉えるか。美しくて何が悪いという開き直り。


谷山浩子的なピュアさを感じるというのは、大きな勘違いか。

2003年5月26日月曜日

【音盤】田部京子/モーツアルト ピアノ協奏曲第9番、24番


ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 K.271 《ジュノム》
ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491
田部京子 ピアノ
ヘスス・ロペス=コボス指揮
ローザンヌ室内管弦楽団
1995年6月10,11日 スイス、ラ・ショード・フォン、ムジカ・テアトル
DENON COCO-70537

天真爛漫な明るさ、日がふと翳るがごとき暗さと憂い、気まぐれな不機嫌。あるいは思わせぶりな仕草やさや当て。自分では演じているつもりだったのに、本当に哀しくなってしまうのは、やりすぎさ。いやいや、いまのは冗談、ほらほら、明るくやろうよ、こんなに美しく楽しいじゃない。ほんとうに君は何て愛らしいのかしら。そんなところでじっとしてないで、踊ろうよ。踊ればさっきの気まぐれな気分なんて、吹き飛ぶじゃない? ほらじっとぼくの目を見てみて、ハハ、何か見えたかい! ウ○コタレちゃん!(>超キメ-!)

てことを、モーツアルトを聴くと感じるんだよな(-_-;;; 映画「アマデウス」の影響はでかい。

だから、モーツアルトのスケールやアルペジオは深刻になってはだめなので、あくまでもそのまま天上へ駆け上るかのような加速とスピードが欲しい。精神性なんていらない、そんなもの用意しなくても、モーツアルトの音楽には後から幾らでもついてくる。この単純極まりない恐るべき音形の中に、既に神や悪魔が潜んでいるのだから。そういう意味からは、K.271の田部氏とオケは少しだけ重いと感ずる部分がなきにしもあらず。(>そう思うのは私だけだと思うが)

でも、K.491番は良い。何たってモーツアルトの短調だ(モーツアルトは31曲のピアノ協奏曲を書いていながら、短調はこのK.491とK.466だけだ)。冒頭からして良い、晩年のモーツアルトの重く暗い深刻さが出ている。K.271から続けて聴くと、音楽が深化しているのが如実に分かる。いやモーツアルトという人間が深化したのか。ここまで来ると、彼の音楽からは悪ふざけは姿を消し、どこか深いところを覗いてしまったかのような神秘性が宿る(ように私は感じる)。1楽章再現部の後のカデンツァは田部氏のオリジナルのもの(モーツアルトはカデンツァを遺さなかった)。ここは、ずいぶん力を入れて弾いている、どちらかというとベートーベンを志向する音楽に仕上げているように聴こえる。

��楽章のピアノの響きには、少し怜悧にして硬い響きが欲しいと感じた。孤高の孤独さを表現するような雑味の少ない響きを。もっとも私はモーツアルトにそんなに親しんでいるわけでも、誰かの演奏を思い浮かべているわけでもない、あくまで曲から感じるイメージである。勿論のことモーツアルトの作品背景などを知ってのものでもない、所詮私には音楽をその時のイメージでしか語ることはできない。

軽い気持ちで、久しぶりにモーツアルトでも聴いて癒されようと思ったのに、意に反して真面目に聴いてしまった・・・トホホ

2003年1月18日土曜日

【音盤】田部京子のメンデルスゾーンとシフのバッハ

以前紹介したDENONのCREST1000シリーズの中からピアノ曲集を二つほどゲットした。とにかく1000円なのだから買って損はないと思う。(現在はシリーズ第二段が発売中)
田部京子/メンデルスゾーン「無言歌集」 (COCO-10450)

こういう曲を聴いていると音楽を聴く至福を感じることができると同時に、とやかくレビュを書くことの空しささえ感じてしまう。

「メンデルスゾーンのもつドイツロマンの抒情性」「静謐さ」「珠玉の名品」「ナイーブな音楽世界」「癒し系」 なるほどとは思うが、どれもが陳腐な言葉だ。

ぐたぐた言わずに静かに耳を傾けるがよい。ただゆったりと受け入れるのみ。そうすると、がさがさになった精神が、やさしく瑞々しいもので満たされてゆくのを感じることができる。非常に得をしたと感じるお薦めの1枚である。





アンドラーシュ・シフ/バッハ「インヴェンションとシンフォニアBWV772a-801」(COCO-70448)

私はシフの弾くバッハが好きだ。飾ったりひけらかすことのない、どちらかというと生真面目にも聴こえる音楽かもしれない。だからだろうか、深いところに静かにか語りかけてくれる。

バッハのインヴェンションはピアノを少しでもかじったことのある人ならば弾いたことがあるだろう。あるいは自分が弾かなくても隣に住む中学生や高校生が弾いているのを聴いたこともあるかもしれない。そんな曲だが、インヴェンションはまさにバッハを聴く喜びを感じさせてくれる曲だ。

彼はよく「グールド以来のバッハ弾き」と評される。私にはバッハを評することも、グールドとシフを比較することも適わないのだが、シフの演奏を聴くとグールドの演奏はやはり刺激的過ぎると感じてしまうのも事実である。

2002年2月27日水曜日

田部京子/ シベリウス ピアノ小品集 (PIANO WORKS)


5つのロマンティックな小品 作品101 - Five Romantic Piecess
5つのピアノ小品(樹木)作品75 - Five Pieces for Piano('The Trees')
5つのピアノ小品(花)作品85 - Five Pieces for Piano('The Flowers'
5つのスケッチ 作品114 - Cinq Esquisses
5つの性格的な印象 作品103 - Five Characteristic Impressions

ピアノ:田部京子
英CHANDOS CHAN 9833(輸入版)

田部京子がシャンドスにシベリウスの小品を録音したと話題になった盤だ。しかし、田部が室蘭出身のピアニストで世界的にも評価が高いこと、吉松隆の「プレイアデス舞曲集」の録音などがポピュラーであることは知っているものの彼女の盤を買うのははじめて。そもそもシベリウスのピアノ曲演奏は舘野泉さえ聴いたことがない。だからそれほど期待していたわけではなかったのだが、聴きとおしてみると、レビュを書かずにはいられないような内容であった。とにかく素晴らしいというに尽きる、まずは聴いてみてと素直に薦めよう。

シベリウスといえば交響曲や管弦楽曲、それにバイオリン協奏曲などが有名であるものの、ピアノ曲となると、メジャーとはいえない分野だろう。交響曲作家が室内楽やピアノ曲を描く場合、作曲家の本心に近い内声を反映させたものとなることがある。たとえばベートーベンやショスタコービッチの弦楽四重奏曲などがそうだ。

シベリウスのピアノ曲も、シベリウスの交響曲などに表現されない別の心象の表出なのかと思えてくる。誰の曲か知らずに聴いていると、これらの小品がシベリウスの作品であると気付かないかもしれない。聴きようによっては、ドビュッシーのようにもラベルのようにも聴こえるし、アルベニスのような雰囲気の旋律さえ漂わせる。

作品番号75は交響曲4番と5番の間、作品番号114は交響曲7番の後の作品である。シベリウスの位置付けとしては、初期の民族高揚的な音楽を越えて彼独自の内面的な世界へと入りつつある時期からの作品と言えるだろうか。5つの小品群は、交響曲が後期に進むにつれて簡潔さとともにある種の晦渋さを併せ持つようになったのとは対称的だ。儚さにも似たもろさと美しさをたたえ、しかもシベリウス的な透明感と清涼感を感じる。さらには、繰り返して私が彼の曲から受ける煌きが随所に感じられる。こんなに素晴らしい曲を彼は描いていたのかと、改めてシベリウスという作曲家の認識を新たにする。

演奏を耳にする機会が少ないだろうと思われるこれらの曲の素晴らしさは、もの珍しさだけではないと思う。それにしても田部のピアノも良い。シベリウスの曲の雰囲気にタッチや音色が非常にマッチして、ため息がこぼれるような演奏に仕上がっている。何度も繰り返し聴きたくなる宝物のような一枚と言えようか。

この演奏については、以下のサイトでレビュが公開されているので併せて読まれると興味が尽きない。