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2025年12月13日土曜日

ブログのラベルの見直し

もはや、このブログも何のブログか分からなくなってきた。当初はクラシック音楽の音盤の感想がメインだったけど、そもそもこの頃あまり聴いていないし、感想も書けない。

ページの右フレームにラベルをカテゴリーのように使って書き込みを分類表示してたんだけど、過去の駄文を分類しても如何なものかと思うし、ラベルを元に関連する書き込みを自動で出しているけど、山のようにリンク先が表示されてもウザいし不便だ。

ということで、チマチマとラベルをグローバルなものからローカルなものへと修正をかけている。

  • Music-C 演奏会の感想→削除 タイトルにカテゴリー【演奏会】
  • Music-D 音盤の感想→削除 タイトルにカテゴリー【音盤】
  • Music-E 音楽雑記町→音楽雑記帳
  • Books 本の感想→削除 タイトルにカテゴリー【本棚】
  • Opinion 意見箱→あれこれ考えること

ささやかな過去の記憶や再構築てことなんだけど。

2025年11月18日火曜日

ブログの名前とか

ブログを再開するとしても、昔のようなレビューや批判めいたことをグチのように綴っても仕方がない。

誰も訪れる事もないブログであるし、長い間変えなかったブログの名前だけども、Clala-Flalaて名前もなんだかわからないので、ブログ名も変えても良いかなと→変えました

ついでに、ハンドルネーム、イメージ画像とも変えてみた。気に入らなかったら、また戻すか変えるかするかもだな。

少し考えるけど、なんのために書くかというと、この時代の節目にあって次の世界とか時代を見てみたいとということなんだよなと。

日々の気づき

このブログも放置状態だが、改めて記憶の連携、新たな気づきのために、綴ることを再開しようかと思っている。

世の中はAIブームでありこの先、どういう世界が見えてくるのか。

綴りながらその流れをリアルタイムで世界の大きな変化を見ていきたい。 

相変わらずに、誰かに向けて書くと言うよりは、ネットのメモ、日記みたいなもの。文体もですます調から変えてみる。

Xに投稿するみたいに、内容や形式にとらわれず、気軽に書くことにする。

2025年4月26日土曜日

goo blog の終了に時代の流れを感じる

世の中は、もはやblogの時代ではないと分かりつつも。

時代の変化と流れに、若干の違和感と、底知れぬ寂しさを感じます。

2025年4月になって、また気まぐれに 本blogに書き込みを始めた矢先であったばかりなので尚更に。


2023年1月5日木曜日

2023年 新しい年が始まりました

集中的に書いたり、全く放置状態だったりというブログですが、年も改まったので久しぶりに書いています。

2021年6月5日土曜日

にほんブログ村と人気ブログランキングに登録してみました

このブログ、基本は自分の備忘録なので、内容的にもとっ散らかっていてジャンルもまちまち。それぞれのテーマについての記事も浅く、とても人様に読んで頂くようなものではないものの、昨年から再開してそろそろ半年。気まぐれに、にほんブログ村 と人気ブログランキングに登録してみました。


2021年4月28日水曜日

Bloggerにカテゴリー分類を導入

世の中、緊急事態宣言発令下で、ディストピアのような世の中になっています。飲みにも山にも行かれずに暇なので過去のブログ記事を読み返したり整理しています。

記事の数も1700件を越え、ジャンク記事も多く、何とかしなくてはならないなと思う反面、ブログの体裁も少し直したいと思い、先日から「関連記事」を表示する機能を追加しました。

今回は、カテゴリー分類です。

GoogleのブログサービスBloggerには、階層別カテゴリーという概念がありません。

そのかわりに、ラベル(タグ)が複数設定できるため、本ブログでもタグを活用し、大きな分類をしていました。記事の下にタグクラウド状に配置しているのがそれです。

このラベルガジェットを、右フレームにも配置して、大分類を、あたかも「カテゴリー」のように表示させてみました。

関連記事の表示も、カテゴリー分類も、「ラベル」を使っているため、「関連記事」のヒット率が非常に低いため、そこを何とかしたいのですが、いまのところ解決策はないようです。

2021年4月27日火曜日

Bloggerの画像の周りの枠線を消去

Blogger本文に挿入した画像の周りに、余計な薄い枠線が表示されるので、消すことにしました。

参考にしたのはYahoo!知恵袋の下記

「.post-body img」を無効化しました。






Bloggerのモバイル表示に月別アーカイブと検索ボックスを追加

昨日は、BloggerのWeb版に、関連記事を表示させるようにしました。

ラベル(タグ)を参照して関連記事を表示させるものですが、モバイル版には設定は反映されません。モバイル版にはラベルが表示されないため、この方法ではうまくいかないと、どこかで書かれていました。

そこで、モバイル版には、ブログ月別アーカイブと検索Widgetを追加することにしました。

やり方は簡単で、下記のWidget行を探して、b:widget idとtitleの間に「mobile='yes'」と追加するだけです。


検索 id=BlogSearch1

ブログアーカイブ id=BlogArchive1


あとは、テーマに戻って、カスタマイズ>モバイルの設定でカスタムを保存するだけです(これを忘れると反映しない)。

無事にモバイル版でもブログアーカイブが表示されましたが、ダラダラと長すぎて少し格好が悪いです。

実用上は問題ないですし、どうやって直すのが探すのも面倒なのでこのままでしばらく運用します。

2021年4月26日月曜日

Bloggerに「関連する記事」を表示させるプラグインを導入してみた

Googleの提供するBloggerを使って本ブログを書いていますが、広告がないなどのメリットはあるものの、機能的には他のブログサービスに比べて、ちょっと前時代的な雰囲気があります。

このたび、ラベルをベースに関連する記事を文末に表示させるプラグインを追加してみました。


参考としたサイトは以下。


実装してみたのですが、エラーが出てて動きません。


エラーコードなど読んでもよく分かりませんから、本文への表示部につては、オリジナルのコードを用いることとしました。


とりあえず、関連記事が表示されるようになりました(表示数は8つに変更)。サムネイルを表示するようにしているので、記事に画像がないときはショボイです。

関連記事は「ラベル」をベースに、ランダムに表示されます。

本ブログの記事は、音盤の感想は「Music-D」、展覧会の感想は「Gallery」などのラベルをつけているので、関連記事の表示範囲が広くなりすぎていしまい、狙った記事が、いまひとつ出てこないのが欠点です。

上記のような、あまり使えない=使わないラベルは少し整理していこうと思います。

ブログのテーマがバラけて取っ散らかっているのが原因なんですけれども、ラベルを少し多めに付けると絞り込みができるのか、少し試してみます。



2021年1月1日金曜日

ブログを開設して20年目を迎えました

明けましておめでとうございます。

2021年の新年をむかえました

このブログも開設してから20年を迎えます。

昨年来のコロナはおさまる気配を見せず、また米大統領選挙の行方もまだ決着していません。

十年ほど前からSNSが盛んになってきて、当時よく訪れていたブログが次々と放置、閉鎖されてしまった中にあって、こんな、誰も訪れないようなブログをよくも続けているものだと思います。

続けていつのは、ひとえに自分のライフログ、記録としての意味合いしかないのですが、書き続けることで見えてくるものがあるのか

自分も今年で還暦を迎える年になったわけでして、人生の後半戦をどう生きるか、ということについて、真面目に考えなくてはならない年齢になってしまったということでもあります。(今から考えるのでは遅いんですけれど)

そんなわけで、ボチボチと続けていこうと思っています。

2018年7月6日金曜日

ブログを書くことについて改めて考える

このHPを始めたのが2001年、ブログに移行したのが2004年、ブログ休止宣言したのが2013年と色々と変遷をしてきた。

約20年近くの間に、ネット、SNS、メディア、IT機器など激変した。かつてよく訪れていた優良なサイトのいくつもが閉鎖されもした。

いろいろなものが変わり、終わり、始まった。

自分的にも、ある時代が終わり、次のフェイズに移り変わりつつある。

老化とともに停滞どころか退化する肉体と精神だが、まわりのスピードはますます速くなり、そこに留まり続けることを拒否される。

変わらない自分、あるいは土台ごと変わり続ける自分を見つめ直す意味から、この私的ブログを再開することとした。

かつてのように、何かを批判したり、批評の真似事をしたり、日々の出来事を綴るつもりは毛頭ない。あくまでも、気になることの記録と、わずかばかりの思索、日々死滅しゆく脳細胞のための備忘録として。

2010年3月31日水曜日

ブログ移行に伴い当面休止








2001年1月から始めてきたホームページとブログですが、この度Bloggerに切り替えました。

過去ログはlolipopサーバーからbloggerに移動、自分の防備録を兼ねてネット上に残しておくこととします。(ほとんど手作業による引っ越しとなりました。すべてのログを移動できたわけではありません。)

画像リンク、ログの固定リンクは変更していないので、ほとんどはリンク切れになっています。

この10年の間で、あらゆるものが変わってしまいました。世界の変わるスピードは速く、今までと同じようなやり方では生きていけない。いくつかのクラッシュと再生への道のり、あるいは脱皮と変革、そして進化?


2005年5月13日金曜日

ブログについての春秋の話題

Six Apartの ひらた だいじ さんのブログdh's memorandaにおいて日経新聞 4月30日の春秋の「ブログに関する記事」が紹介されていました。




ブロガーが国内で200万人も居ることに触れ、


▼有名になりたいのか。自分に酔っているのか。書き込みに精を出す40代の男性に聞くと答えは意外だった。「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。


なるほどねえと、再びしみじみ。世には「誰も読んでくれなくたっていい」って思う、健気というか控え目な方がウヨウヨ居るってことですか。と翻って自分のことを考えて、なぜブログ(非ブログ時代も含めてだが)なら続くのか。

自分を律したいと思ったことはさらさらないですし、春秋記者が指摘するボクやワタシの話を聞いてほしい自称評論家やタレントだとも思いませんが、ネットという実態のない壁の「向こう側」壁に延々と語りかけることそのものに、何かしらの精神的安定を求めているのだとしたら、ある種のそら寒い病理を感じないわけではありません。


書く内容がなくなると、ちょっとサビシイ思いをしますが、だからと言って人のエントリを「盗用」するのも何なので、その時は止めるまでです。時々自分でもアホらしくなるし。


2004年12月1日水曜日

ブログ中毒?

k-tanakaの映画的箱庭で「Blog中毒者チェック」というエントリをみつけました。このごろは、エントリ頻度もめっきり減っていますし、中毒なんかぢゃないぜと、思いながら確認してみました。





  1. WEBブラウザのお気に入りに、ついブログフォルダ作成してしまった。→当然

  2. そのフォルダにはすでに10数件以上登録してある。→加えては消している、RSSリーダーには数十件、Firefoxにも十件以上・・・

  3. 仕事場でもアクセス情報をチェック、うっかり閲覧した人の出所を全てたどる。→した。逆のことも怖れて会社からのクラ関連アクセスは止めた

  4. よくわからない話題でも、なんとかしてコメントしてみたい自分がいる。→やめた

  5. 会社では更新すまいと思いつつ、いつか折れそうな自分がいる。 →折れまくり

  6. ていうかネタ発見→本当に即更新作業をしたい。→今がそう

  7. 隙あらば誰彼構わずトラックバックしようとする。→人は選ぶ

  8. 「む!今の発言にトラックバック!」等と口走ってしまう。 →口走らない

  9. 深夜の閲覧、更新作業による慢性的な寝不足。 →夜は弱い

  10. 相当飽きっぽいのにまだ続けている。 →そろそろ止めようと思っている

  11. 終始なにかと新しい記事のネタ探し。 →ネタはネタころやってくる

  12. 同じ職場内で、ネタの譲りあいみたいなものが発生している。 →ない

  13. 携帯のデジカメ機能の使用頻度が、以前より確実に増している。 →携帯はキライ

  14. ブログの話かと思って聞いていたら実は仕事の話だった。 →周りの人間はブログを知らん

  15. 仕事の話でちょっとでもがっかりしてしまった。→んなわけない

  16. 「さ、もう寝よ。」と思いつつ、もうちょっと見てからにしようと思ってしまう。→布団に入った後、エントリの誤字とかに気付いて、再びPC立ち上げなおすことはしょっちゅう。


あとひとつ加えた。

17. 空港でヒマなんでネットカフェとかに入って、自ブログやいつも見ているブログを閲覧して飛行機に乗る。

・・・完全に逝ってる・・・

なお、このエントリ作成所要時間、約11分。

2004年4月3日土曜日

木村氏のブログ:広告に関すること

『週刊!木村剛』の今週のコラムは『「広告の奴隷」から「広告の主人」へ』というものでありました。

木村氏は、今までは受動的であった広告の受け手が、『消費者は [...] 各種の情報で武装しつつあり』、『発信者が特定されるブログ』が『そのサイトの信用力が他のメディアと同格』になった場合、『消費者は既存の広告以外に有力な情報源を持つ』として、従来型の広告媒体からインターネットを通じた主体的な広告選択の可能性が拡がると書いています。




少し疑問もあるので書いてみます。現在でもインターネットでは見たくもないバナーと広告の洪水です。むしろサイトの方が巧妙な広告技術が駆使されているように思えます。ログ履歴を通して、一体どのような情報を企業が享受しているのか知るよしもありません。

またブログが広告情報主体の担い手になるという考え方も、ではそのブログの主体である個人が、どのような選択眼に基づいて広告情報を提供しているか分らなければ、ニュートラルな広告情報源とは捉えることができなくなります。


逆にブログなどが提供する広告情報においてニュートラルなものはないという論点に立つならば、誰々が推薦している広告情報であるから信用できる、あるいは、しないという選択はできるかもしれません。ブログ流行以前から、カスタマーズ・レビュを掲載しているサイトは多いですし、購買者の評価点を表示する広告も何かで見たことがあります。


そうした広告情報であっても、更にそれが作為的に操作されたものでないかを広告情報の受け手は考慮する必要があります。購買者は商品が少なく一方的に広告を受けていた頃よりも、広告を評価する情報を更に吟味することになり、広告呪縛は続いてゆくようにも思えます。

だからこそ木村氏は『サイトの信用力が他のメディアと同格になってきたならば』という条件付きでこの仮定を提示していますが、『他のメディアと同格』というのがまた、クセモノかなと思えます。


なぜ木村氏のエントリーに反応したかといえば、「商品広告」という経済的なものではなく、広く「マスコミが流布している情報」ということにまで敷衍して考えるならば、両情報に明確な区別はないかもしれず、求められるものは情報の受けての判断力と取捨選択力、そして主体的な情報への接し方とそれを可能にするある種の知恵が必要になってくると考えているからです。


そもそも広告評論家の天野氏にいわせれば、表現の全てが「広告」であるという極論にまで達してしまいそうです。「政治的プロパガンダ」こそ言葉の通り「広告」ですからね。

(エントリー当初より少し改稿)

2004年3月28日日曜日

ブログについて考える

ブログの隆盛について歩きながら考えた。



今までも掲示板や日記サイトはあったが、これほどのムーブメントにはならなかった。活発なブログサイトを閲覧していると、ごくごく個人的な出来事とか、ニュースサイトのパクリとか、あるいは「ブログを作る苦労をつづったブログ」「ブログのデザインを変更する記録を書いたブログ」だったりで、いささかゲンナリしてしまう。(実際私も最初はそういうブログを作っていたし、今でもそうだ、だから否定や批判をしているわけではない)


さて、どうしてこのような自己目的化したブログが盛んなのかというとを考えてみたのだが、もしかすると「ブログはオレ様サイトである」ということなのではないかと思い至った。


最近の若者は、雑誌などを見ていると、自分の部屋を自分好みのデザインにすることや、自分の好きなものに囲まれて住むことに労力をかけている。いわゆる「オレ様部屋」というらしいのだが、ブログもこれに当たるということだ。


ブログはトラックバックという機能があるため、他人のサイトに言及したいときでも自分のサイトに記述してピングを送ればよい。つまり、全て自分のサイトで完結できるわけだ。今までの掲示板だと、他人のサイト(家)にお邪魔して書かねばならず、せっかくイロイロ書いても、結局他人のサイトが賑わうだけであったのとは構造が全然異なっている。


また自分で掲示板を持っいたとしても、cgiなどを駆使した自前の掲示板でなければ、デザインはお仕着せのものとなってしまう。いわゆる「許せない」という状態なのである。


ネットでの情報交換という意味では、従来のシステムでも十分であが、自分のログ管理とか、更には自分の思考と嗜好をまとめたいと考えている向きには大いに不満もあるシステムであったわけだ。そういう中でブログは、デザインも含めかなりの要望を満たしてくれることになった。スキンと呼ばれるテンプレートを日々変更させて悦に入ったり(初期の私だ)、テンプレートのデザインコンテストまであるくらいである、自分の拘りの部屋を雑誌に掲載するのと似たようなトーンを感じる。


かくして、ブログは広範なネットワークの形成とか、あらたなオピニオンの構築とかいう面より、ジャンク情報とオレ様サイトに溢れ返り(私のサイトもそうだが)、ネット上は巨大なお喋りとため息の掃き溜めと化してゆくような感さえあるというのは言いすぎだろうか。


それともう一つ、木村剛氏もはからずも書いていたが、ブログには「中毒性」があるという面も見逃してはいけない・・・

2003年6月3日火曜日

サイトで書くということ あるいは呟き

高村薫氏の「半眼訥訥」という本を読んでいてはっとした。
 
自分の気分を言葉で表現することで、とりあえず意見らしい体裁が整うのだが、客観的な比較検討や分析を加えられていないその正体は、以前として気分であり、個人の呟きの披見に過ぎない。そのことを、彼らが当分意識することはないだろうと思うのは、この社会と時代が、彼らの呟きとまったく同じありようをしているからだ。 「呟きの時代」(P.115)

これは、最近の携帯メールや掲示板でのありようを指摘したものだ。
 
以前、作家の村上龍氏が、違う文脈においてマスコミや日本のサイトを「日本語というものに守られて、国際競争や批判にさらされることのない環境」と指摘していたことを、さらに思い出した。
 
私がこうして、音楽や本の感想を綴るということも、高村氏に言わせるならば「呟き」の範囲を越えるものではないと、今さらながらにして思う。感情の赴くままに、個人的な考えだからと無防備にして無邪気な文章をしたため続ける、その行為はいったい何なのかと自問するに、これは感想という体裁をとった長大なる日誌に過ぎないのだと気づく。
 
自分で自分を納得させるために書くのということか。HPをベースにして発展的な話題を求めているわけでもなく、あたかも食べたものを吐き出すかのごとく、個人にしか意味のない文章を綴り続けているだけだ。
 
私のサイトに限らないが、そういうサイトは多い。特に日記サイトは(それが日本だけのものなのかは分からないが)、信じられないほどの数だ。中には小さなコミュニティを形成している幸せなサイトもあるが、関係ないものから眺めると、原始的にして局地的な小集団にしか見えないし、多くはムーブメントをつくるまでには至らない。私もそうだが、大きな集団などは求めていないのだから余計なお世話と言えばそれまでである。
 
意見らしきものを書くサイトにおいてさえ、仲間内にしか通じない話題に特化した時点で、それは表現や意見や主張などではなく「呟き」以外の何物でもないと思い知らされる。「呟き」は個人を慰め、浄化しはするが「他人の分析や評価に耐えない、稚拙な呟き」(同書 P.116)にそれ以上の意味は、おそらくない。思うに電子空間とは畢竟、精神空間の巨大な掃き溜めのようなものか。

2001年1月1日月曜日

HP開設挨拶

昨年、ある団体のHP作成の依頼を受けて、無料HPサービスと掲示板サービスを利用して作成してみたところ、アット言うまにサイトを作れることが分かった。

会社でもイントラネットページを作成し業務利用を模索しているだけに、個人サイトを作成してみることにした。勢いで作ってみたがさて、どうなることやら・・・・音楽と本とフルートのページだけ作ってみた。
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  • 音盤の視聴記、フルートの練習日記としてホームページを2001年に立ち上げ
    (「Yukihiro's Room」)
  • 2004年にブログ(lolipop+Movable Type)化
  • 2011年にlolipopからBloggerに乗り換え(ブログ内のリンクはそれに伴い切れてしまっています)