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2007年6月15日金曜日

[NML]テンシュテットのブル3に驚愕

とんでもない演奏を聴いてしまった、それもNMLで! 

メジバロ(目白バ・ロック音楽祭)ももう行けないし、ガッティのオペラはチマチマ訳しながら聴いてはいるが、仕事も相変わらず忙しいし、ということで、天秤座+AB型のバランス感覚ゆえベタな方にベクトルが傾いた。そして、何気にブルックナーの3番を聴いてみようという気になったのである。

そもそもブル3はCDさえ持っていない。従って、あまり期待していなかったし、軽い気持ちで聴きはじめたのだ。

しかし、これは何と言う演奏であろうか。そして、これはブルックナーなのだろうか。いや、確かに、第一楽章冒頭の弦とホルンの静かな始まり方、盛り上がる部分でのオーケストレーションの騒々しさはブルックナーではある。しかし、だ。第二楽章の半音階など、一瞬トリスタンだし、マーラーを思わせるところもある。

テンシュテットが振るのは、バイエルン放送響。1976年11月4,5日のミュンヘンでのライヴ録音だ。実のところテンシュテットのブルックナーは少ない。この演奏も正規版としてファン待望の盤として発売された。

それにしてもだ。全く予想を覆す演奏である。ブル3がこんなにも面白い曲であったなんて! 何度感嘆符を付けても足りない。どんな演奏かは、私の拙い感情的な感想を読むより以下を参照すると良く分かる。

その凄まじさは、許氏がおそらく生で聴けばホールの天井が抜けるのでは、いやそれより聴いている人間の神経が持たないのではと驚愕するであろうことと書くように、第一楽章から全開なのである。この爆発するエネルギーと重さはどこから生ずるのか。フォルテッシモにおける、何処までも突き抜ける金管の咆哮、恐ろしいほどの低弦の分厚さ、打楽器の確かさ。弦の旋律の滑らかさと質量感。ああ、なんていいオケなんだ。

ちょっとでも聴いてしまうと、鷲掴みにされたまま終楽章まであっという間に連れて行かれる。第一楽章も凄いが、第三楽章のスケルツォから終楽章にかけては、もはや言葉も発せられない。ダダダ・ダッダッダッの付点的な、いかにも野暮なスケルツォにミニマル音楽のような弦の伴奏が絡まり、猛烈な演奏を繰り広げる。 終楽章冒頭はゲンダイ音楽さえ彷彿とさせるが、それも一瞬で、再び凄まじい熱い激情の奔流が渦巻く。ラストのティンパニのロールのクライマックスは鳥肌もの。

いやはや、再度問う。これはブルックナーなのか。これがブルックナーなのか。いや、それに意味はない。これもブルックナーの一つの姿なのかもしれない。細かいことは私には分からない。私は何度も聴いた。そして、こういう演奏を心底凄いと思う。こういう盤があるから、クラ聴きは止められない。

ただし、好みは分かれる、保障はしない。そして、こんな演奏をNMLで聴いていていいのか?(>いいって、買わなくて) こんな演奏に感動する私は、やっぱり、冷静なバロクーにはなれないか(苦笑)

2006年11月25日土曜日

【音盤】シューベルト:交響曲 第9番 ハ長調 D944《ザ・グレイト》/テンシュテット(1984 Live)

  1. ウェーバー:「オベロン序曲」
  2. シューベルト:交響曲第9番《グレイト》
  3. ブラームス:「悲劇的序曲」
  • テンシュテット(cond)、ロンドンpo.
  • BBC Legends/BBCL 4195-2(England)

ホワイトノイズは乗るものの、非常に優れた演奏です。レビュを書きながら何度も繰り返し聴いています。そしてやはり《グレイト》はグレートだなと思うのです。

シューベルトの《グレイト》は果たして楽天的で天国的な曲であるのか。私はテンシュテットの演奏を聴いて、その考えに疑問を持ちました。ラトルはこの曲は聴く者の不安を募らせる地獄への楽しい馬車の旅というものが存在するのであれば、まさにそのような感じの、終着点が全く見えない曲と評しました。そういうラトルの演奏では「地獄への楽しい馬車の旅」という印象を残念ながら受けなかったのですが、テンシュテットの演奏からは逆に私は楽天性を聴き取ることができません。

テンシュテットは独特の推進力で第1楽章から曲を煽ります。シューベルトの冗長な繰り返しが切迫した感じで演奏されます。明るさや楽天よりも別の要素が聴こえてくるように感じます。すなわち、《グレイト》はシューベルトの描いた《運命》であり、かつベートーベン的な歓喜の爆発ではなく、生と死の深淵からの必死の逃走ではないかと思えてしまうのです。

この演奏には「闇と悲しみ」「惑乱し引き裂かれた自己」「死に向う狂騒」のようなものを感じます。それが「天衣無縫の楽天性」によってオブラートされながらも、あちらこちらで暗い影が顔を出すのです。「天国的な長さ」は最終的に辿りつく先を回避したいがための、無限に回るメリーゴーランドを思わせます。

だからといって、テンシュテットは感情移入たっぷりに歌い上げているわけではありません。第2楽章など、歌いどころ満載なのに結構あっさりと通り過ぎます。

終楽章は聴き所でしょうか。ベートーベンのシラーの歓喜の断片が姿を見せたりはするものの、とことんに明るい狂騒の中にかき消されます。いつもならラストに向う盛り上がりは歓喜に向けての序奏のように聴こえるというのに、テンシュテットの演奏では不安の増長を感じます。そして今までが明るいだけに、あの低弦による確信的なユニゾンの繰り返しには心底ゾッとします。忘れていフリをしていたのに、ついに追いつかれた暗い運命に飲み込まれた瞬間であるのか。行き着いた先はラトルの言うように「地獄」であったのか。あまりにも決然とした結論と明るい諦念。

かのsyuzoさんはこんなに明るくていいんだろうか?書きます。終楽章についてはパレードかお祭り騒ぎのような明るさとも書いています。あまりにもかけ離れた私の印象に愕然としてしまいます。もっとも、違った日に聴くと全く違った印象になるのも音楽レビュのいい加減さです。「お祭り騒ぎ」は自らの内部で捩れた感情の表出、言い換えるならばベートーベン的ストレートな心情よりも、マーラーのそれに近いものを感じるのです。何度も聴いていたら、上記印象が麻痺してきたし・・・今日は考えすぎでしょうかね(^^;;

2006年2月16日木曜日

【音盤】ベートーベン:交響曲第1番/テンシュテット






テンシュテット ベートーベン交響曲第1番


  1. Adagio mlto-Allegro con brio 9:02
  2. Andante cantabile con moto 7:45
  3. Menuetto:Allegro molto e vivace 3:31
  4. Adagio-Allegro molto e vivace 5:36


  • テンシュテット(指揮) スヴェーリン・メクレンブルク州立管弦楽団
  • 1968.8
  • Weitblick SSS0056-2



同時収録は以前紹介したベートーベン交響曲第5番(何度聴いても凄い)とエグモント序曲(何度聴いても息が止まる)。キール歌劇場オケとの演奏も壮絶ではありましたが、1968年の東独時代のこの演奏もエネルギーレベルが極めて高く、そして瑞々しさに溢れた演奏に仕上がっています。


ベートーベンの1番なんて滅多に聴こうという気になりませんが、改めて聴いてみると、こんなにも良い曲であったのかと気付かされます。第1番はベートーベンらしさと、古典派のテイストが旨い具合に溶け合っていて、そんなに気負わずに聴ける曲ですが、テンシュテットの演奏からは、しっかりベートーベンの息吹を感じ取ることができます。


やたらと刺激的ではないものの重厚さと迫力は充分。さらっと流して聴ける演奏ではないです。第一楽章はそれこそあっという間。第二楽章も悠然としていながらも、演奏全体からは若々しい力を感じます。第三楽章などは、もうすこし綾とか余韻が欲しいところですが、テンシュテットの推進力はグングンと勢いを増し圧巻の終楽章に進みます。このキビキビとした運動性能の心地よさ!


聴いていると体内の奥底からフツフツと喜びが沸いてくるというのは、ベートーベンの持つ音楽の力です。なんだかんだ言っても俺ってベートーベンが好きなんだなと思ってしまいます。

2006年1月8日日曜日

【音盤】ベートーベン:「エグモント」序曲/テンシュテット キールpo.






テンシュテット ベートーベン「エグモント」序曲




  • テンシュテット(指揮) キールpo.
  • 1980.3 Live
  • Weitblick SSS0056-2



一体この「エグモント」序曲は何なんだっ!と聴き終わったあと、愕然とし、呆然とし、自分が何を聴いたのか良く理解できず、改めてもう一度聴き直しながらレビュを書いています。


演奏は第5番と同様のキールフィルハモーニー管弦楽団。録音のせいなのか、実際そうなのかは分かりませんが、ここでも低弦とコントラバスは分厚いアンサンブルを聴かせてくれます。ティンパニは時にはドロドロと重く、時には決然と打たれ演奏を際立たせます。


そして第5番で聴かれた、ポジティブな推進力はここでも全く失われておらず、8分14秒の演奏があっという間です。後半の切迫するような煽りからラストに至る部分は、もはや一気呵成といった感じ。


戯曲「エグモント」はエグモント伯爵という悲劇の英雄の物語ですから、序曲は暗く始まりますし、処刑シーンを現す部分もあるのですが、演奏解釈はひたすら前向きです。というのも、この曲も結局はベートーベン的な「勝利の音楽」で終わるからでしょうか。


最後の長調に転じた部分は、自殺する恋人クレールヒェンと処刑されるエグモント伯爵の愛と正義、あるいはネーデルランドの独立を暗示しているらしいのですが、演奏はまさに圧巻の一語に尽きます。一転の曇りもない青空に向かって、特大の打ち上げ花火と祝砲を鳴り響かせているような印象さえ感じます。


圧巻ついでに、もう一度繰り返して聴いてしまいましたよ・・・トホホ(>4度は聴かんぞ、でもiPodには入れよう)


PS. syuzoさんには敬意を表してTBを2発ほど打っておきました。

【音盤】ベートーベン:交響曲第5番/テンシュテット キールpo.

テンシュテット ベートーベン交響曲第5番
  • テンシュテット(指揮) キールpo.
  • 1980.3 Live
  • Weitblick SSS0056-2

キール・フィルハモー管弦楽団、あまり馴染みのないオケとテンシュテットのライブなのですが、すさまじいの一語に尽きる演奏です。他との比較で聴いてはいませんが、第一楽章からスピード感のある推進力と迫力を聴かせてくれます。

オケがうまいとか、そういうことではなく、指揮者とオーケストラが一体となって熱いパッションを振りまいています。「運命」の第一楽がこんなにも短く感じたことはありません、それほど最初から高テンションです。

syuzoさんも「テンシュテット:禁断の部屋」で指摘されていますが、低弦とティンパニの音が非常に響きに重厚さを与えています。やたらと打楽器が強調されていたにも関わらず、ある意味で「軽く神経質な」印象を与えたラトルのものとは全く異なることは、言うまでもありません。ベートーベンを聴く至福が第二楽章においても充分に味わえます。

確かに、オケがちょっと危なげに聴こえる部分がないわけではありません。しかし、それが音楽の「総体」に一体どういう影響を与えるというのでしょう。渾然一体となった表現の前には瑣末的な問題でしかありません。

輸入代理店である東武ランドシステムが簡単なコメントを付けています。

隅々まで緊張感が漲り、かつ雄大、豪快なアプローチは他のディスクを引き離します。 ドイツのオケならではの奇麗ごとに終わらない切実で献身的な演奏が心に染み渡ります。

確かにそうです、しかし演奏は心に染み渡るなどというレベルを遥かに凌駕しています。前へ前へと前進してゆく力、推進力、漲る加速感、なにも第三楽章から終楽章へ至る部分だけではなく、この演奏全体を支配している強烈なエネルギーであり、まさにそれがこの曲の持つ命だと言わんばかりの演奏です。

終楽章を聴いていて理性的であり続けることは、ほとんど困難を極めます。最後までティンパニがまた凄いんだ! あまりに力強く、確信に満ち、ポジティブな壮絶さに、実際に聴いているだけで、うっすらと汗ばんでしまいます。こういう音楽は、やはりベートーベン以外、他の誰も描けなかったと思う演奏です。(>いやはや、こんなに単純に感動していて良いものだろうか・・・)

2005年12月23日金曜日

【音盤】ブラームス:交響曲第3番/テンシュテット&LPO






テンシュテット

ベートーベン交響曲第7番、ブラームス交響曲第3番


  1. ベートーベン:交響曲第7番
  2. ブラームス:交響曲第3番


  • テンシュテット(指揮) ロンドンpo.
  • Royal Festival Hall,London,22 November 1989(Beethoben)、Royal Festival Hall,London,7 April 1983(Brahms)
  • BBSL 4167-2



ベートーベンの7番が余りにも素晴らしい演奏でしたが、このブラームスもなかなか聴き逃せません。独特の温かみと優しさに満ちた演奏です。爆演とかいう種類のものではないのですが、フツフツと内側からこみ上げる重厚さと説得力に満ちていて音楽を聴く喜びを満喫できます。


たとえば2楽章の中間部などを聴いていると「ああブラームスっていいなあ、ベートーベンみたいに頑張んなくたっていいや」という愉悦に浸ることができますし第3楽章の寂寥感を伴った美しさは特筆モノで、いつまでも聴いていたくなります。


テンポは比較的「ゆっくり」しているように感じます。他の演奏と比べて聴いたわけではありませんので、実際はどうなのか分かりません。そう感じるのは曲全体を支配する大きな波のようなものを感じさせてくれる演奏だからでしょうか。コケ脅しのようなところは微塵もなく細部も丁寧です。終楽章も適度に抑制された表現の中にゆるぎない意志を感じます。ここでも大波のようなうねりを感じることができ、その揺れに身をまかせているうちに曲は静かに幕を閉じます。ああ、満足。




2005年12月22日木曜日

【音盤】ベートーベン:交響曲第7番/テンシュテット&LPO

テンシュテット
ベートーベン交響曲第7番、ブラームス交響曲第3番
  1. ベートーベン:交響曲第7番
  2. ブラームス:交響曲第3番
  • テンシュテット(指揮) ロンドンpo.
  • Royal Festival Hall,London,22 November 1989(Beethoben)、Royal Festival Hall,London,7 April 1983(Brahms)
  • BBSL 4167-2

来年がモーツアルト・イヤーだからというわけではありませんが、iPodに入れたモーツアルトばかり聴いていたときに、Syuzo's Columnでこの盤の紹介を目にしました。その中での文章に、

ベートーヴェンを箱庭のような所に押し込めて、「ベートーヴェンって、そんなに凄くないじゃん。モーツァルトみたい」とロココ風の衣装を着せて軟弱に喜んでいる演奏ではない。これは不屈の精神と巨大な愉悦という、ベートーヴェンの凄みをしっかりと知らしめてくれる演奏である。

ということが書かれています。この文章は演奏スタイルというだけではなく、モーツアルトの音楽とベートーベンの音楽の決定的な差異について端的に語っています。ベートーベンをどのように解釈して演奏しようと、それは間違いではないのでしょうが、ベートーベンが表現した音楽は、モーツアルトという天才がどんなに技巧を凝らしても決して表現できなかった(しなかった)世界を提示していることだけは確かなでしょう。

音楽が『意志』を持ち始めた、と言ったのは思想史家の丸山眞男です。

音楽という芸術の中に『意志の力』を持ち込んだのはベートーベンです。『理想』と言ってもいい。人間全体、つまり人類の目標、理想を頭に描いて、<響き>=<音響感覚>でそれを追求し、表現する。凄まじい情熱ですね。これを『ロマンティック』と言わずして、他になにがありますか。(「丸山眞男 音楽の対話」中野雄著 P.75-76)

以前に触れましたが慶応大学教授でもある許光俊氏は「オレのクラシック」の中で、そういう近代の生み出したクラシックは、突然、古くなってしまった(P.49)と指摘します。

しかし、こういう力強い圧倒的なベートーベン演奏を聴くにつけ、改めて音楽の持つ力と今の時代にベートーベンを聴く意味について考えざるを得ません。この演奏はもはや、弦がどうだとか、ティンパニのロールが凄いとか、そういう感想を超えています。第三楽章あたりから、もはや涙が止まりません・・・感想はsyuzoさんや以下を参照してください(;_;)

HMVサイト

2005年5月10日火曜日

テンシュテット/マーラー:交響曲 第7番 「夜の歌」


本日は四谷でポルトガル料理を食し非常に良い心持。GW明け早々から、滅多矢鱈と忙しいハメに陥ることもなく何よりと心をなでおろし、帰宅してからそういえばと以前に買っていたテンシュテットのマーラー 交響曲 第7番を聴く。

テンシュテット/マーラー:交響曲 第7番「夜の歌」
  1. 第1楽章 ゆるやかに~アレグロ・リゾルート・マ・ノン・トロッポ 24'07"
  2. 第2楽章 夜の歌Ⅰ(アレグロ・モデラート) 17'32"
  3. 第3楽章 スケルツォ(影のように) 11'10"
  4. 第4楽章 夜の歌Ⅱ(アンダンテ・アモローソ) 15'30"
  5. 第5楽章 ロンド=フィナーレ、アレグロ・オルディナリオ 19'53"
  • クラウス・テンシュテット指揮 ロンドンpo
  • 1993年5月 Live ロイヤル・フェスティバル・ホール
  • EMI決定1300 TOCE13563.64

私のマーラー遍歴など、とても人に言えるほどのものではなく、未だにマーラーの全交響曲を空でイメージできる境地には程遠い。であるからしてマーラーの7番も、以前に聴いたのは一体いつのことであったか、そもそも、どういう曲だったかほとんど思い出すことができない。曲の難解なイメージと「夜の歌」という標題に惑わされ、霧の彼方にぼんやりと浮かぶ音楽というのがこの曲の印象だった。

そういえば、かなり以前に札幌のPMFの屋外コンサートでの演目で「夜の歌」が演じられたことがあった。妻と当時小学低学年の息子を連れて行った件のコンサートは、その実死ぬほど退屈で心の底から来たのが失敗だと思った。演奏は全く覚えておらず、鳥のさえずりばかりが気になったことが唯一の印象であった。

そういうわけなので、テンシュテットの本盤が極めて名盤であることは知ってはいたものの、今ままで敬遠してしまっていた。たまたま気分の酔い今日に聴き始めたときも、再び退屈地獄に陥るかもしれないと懸念を抱いていたのだが・・・果たして結果はといえば・・・げに凄まじき演奏であり、またこの曲の持つ魅力の一旦が垣間見えた気になった。

徹底的な「明」の世界を提示している第5楽章など続けて数度も聴いてしまったほどだ。この単純なほどの明るさと分かりやすさは、マーラーの憧憬なのか捩れた諧謔なのか判然としないものの、ただひたすらに圧倒的されてしまうことは否定できない。楽章冒頭のティンパニの連打など笑ってしまうほどの決然とした響きで驚く。この音楽のありようは、マーラーのこれまでに歩んできた道程を考えると、少し楽天すぎぬのか?という疑問が沸くのだが、それを書けるほどにはまだ曲に馴染んでいない。

それにしてもテンシュテットの演奏である。打楽器のこれでもかという迫力、トロンボーンの音色、トランペットの勝利に似た響き、怒涛のがぶり寄りのような勢いは凄まじく、この楽章だけ取り出して聴いたときに感じる爽快感は罪作りであり、ラスト近くは随喜の涙をこらえることが困難でさえある。

いや考えてみると、どの楽章も、「それだけ取り出して聴いて完結」しているのではないだろうか、と思い始めた。第7番の曲の構造を解説するとき、ABCBAの対照的な楽章構成だとか、1楽章のテーマが終楽章の結尾で現れ全曲に統一感を与えているなどと説明されるが、演奏時間が1時間半にもなんなんとする曲のテーマを覚えていられるほどに果たして聴衆は耳が良いのか。むしろ楽章を独立して聴いた方が曲の持つ意味を理解できるのかもしれない。

「夜の歌」という標題に騙され、今まで暗い曲というイメージを抱いていたが、実際はそれほどに暗澹たる曲でもない。むしろ脈絡のない思いが入り乱れる夜の夢想のような趣だ。また第5楽章は確かに聴きやすいが、この曲の魅力を探るには、やはりそれ以前の楽章を丹念に聴く必要を感じる。

それに何と言ってもこの演奏はテンシュテット最後の演奏会のものである。その点からも、とても疎かには聴けないのだが、グダグダといい加減な感想など書かずに、syuzoさんのページでも熟読して再聴でもしてみることにしよう。ポルトガルワイン(ポートワインを含む)によるほろ酔い気分での雑エントリでありました。

2005年1月13日木曜日

テンシュテット&NDR/マーラー:交響曲第1番「巨人」

マーラー/交響曲第1番「巨人」
  • テンシュテット(指)NDR
  • 1977.11.14
  • MEMORIES

Syuzo's Homepageの「テンシュテット:禁断の部屋 テンシュテットを聞く 第13回 2000/1/4」で紹介されている盤のひとつであると思うのですが、CDの録音年月日が1977年11月24日となっています。Syuzoさんのサイトでは、おまQさんの推定によるとただし書きがあるものの、1981/6/16? (LIVE)となっています。FIRST CLASSIC盤と同一音源であるかは私には判断できませんが、CDショップ・カデンツァの解説ではともにFirst Classicsが初出だった音源だが、その素晴らしさからすぐに売切れ&廃盤となり、とありますから、1977年の演奏なのでしょう。

前置きが長くなりましたが、Syuzoさんも指摘のとおり、これも並外れた演奏として聴くことができます。音質はちょっと抜けが足りないようですが、ノイズなどが気になるようなものではありません。テンシュテットの演奏は完全に突き抜けていますので、ライブの迫力に浸るには充分といえましょうか。NDRは「復活」もそうでしたが、特に低弦の音色がただものではないです。

マーラーの交響曲の中で1番は、演奏会でもCDでも比較的耳にする機会が多いのですが、ここに聴かれるような硬質で彫の深い演奏は捨てがたい魅力があります。私などがテンシュテットを語ることなどおこがましいのですが、彼特有の推進力、そして激情的ではあっても感情に溺れずに制御された演奏を、ここでも聴くことができます。例えば第三楽章のマーラー特有の美しく甘い旋律にしても、耽美に流れることはありません。

第四楽章も冒頭から畳掛けるかのような表現が圧巻です。『ここで英雄はうち倒された』とのことですが、一体何回打ち倒されたんでしょうね、徹底的に痛めつけられてるつーか・・・。痛めつけた後に甘美なメロディも冗長すぎないという感じ。ラストへの流れも凄いのですが、最後の2音が急に音圧が下がってしまうのは興ざめ、拍手をカットしたためか?。 ブラボーとブーイングが飛び交った伝説の演奏とのことですが、ブーイング派はどんなマーラー像がお好みでしたでしょうかね。

2005年1月10日月曜日

テンシュテット&NDR/マーラー:交響曲第2番「復活」

  • テンシュテット(指)NDR エディット・マティス(S)、ドリス・ゾッフェル(Ms)
  • 1980.09.28
  • MEMORIES

Syuzo's Weblogと夢遊的日録さんのサイトにて、テンシュテット&NDRの「復活」が発売されていることを知り、年末にCDショップ・カデンツァに注文、聴くのを楽し非常に楽しみにしていた盤でした。ところが年末に帰省してCD棚をごそごそとやっていたら、なんとこの演奏はLUCKY BALL盤で既に入手済ではありませんか、マーラー交響曲第1番は持っていませんでしたから、それほど落胆はしませんでしたけど。

購入したときのレビュウがないので、あまり感動しなかったのだろうか?と訝りながらLUCCKY BALL盤を年末に聴いてみたのですが、いやはや、冒頭からの抉り込むような弦の響きに全身ぶちのめされ、そして圧倒されまくった1時間半でありました。本当に空恐ろしくなるような演奏です、こんな演奏が存在するのかというほど。

で、その時の衝撃をもう一度ではないのですが、MEMORIES盤でしつこくもまた聴いてみました。すると、あれ?という印象なんですね。再生装置が違うというせいもあるのか、何か抑え気味な演奏に聴こえてしまいます。冒頭の殺されるのではないかという迫力も半減しています。これは録音の質の問題でしょうか。いずれにしても、凄い演奏であることに変わりはないんですが、機会があれば聴き比べてみたいところです。

2004年12月19日日曜日

【音盤】テンシュテット&NDR/ベートーベン:交響曲第7番

年の瀬も押し詰まってまいりまして、結構ばたばたと忙しい状態が続いています。あっという間の一年でしたが、聴きたい音楽、読みたい本など山積みのまま来年になりそうです。

てことで、テンシュテット&NDRのベト7の感想を書きました。正直な話、本文でも書きましたがSyuzo's Weblogを参照していただいた方が、時間の節約だとは思います。

テンシュテット(指揮)NDR
EMI/NDR 10122(Germany)

リズムとエネルギーの塊のような「舞踏の神化」ベートーベンの交響曲第7番。爆演系ではありませんが、別な意味で物凄い演奏が展開されています。最初に断っておきますが、私の感想など読まずにSyuzo's Weblogのレビュを読んでください。全てが言い尽くされています。

第一楽章冒頭はゆったりと、そしてふくよかで、堂々たる風貌の音色を響かせてくれます。このコントロールされたふくよかさは全楽章を支配する明るさに通低しています。弦の刻みは強すぎないものの的確で、テーマは朗朗と歌われます。ここに広がる明るさと幸福感は例えようもなく、交響曲第6番「田園」の延長を思わせる世界観に素直に驚かされます。

重層的に重ねられる音は、キャンバスに塗り重ねられる油絵の具のようであり、標題音楽ではないのに様々な風景が目の前に浮かんでは消えていきます。例えばそれは、黄金色に染め上がった丘陵地帯であったり、その上を舞う鳥であったり、農夫たちの踊りであったり、木枯らしや嵐であったり・・・あまりにも見事な音楽と演奏に至福の時が流れます。

静かに、しかし芯が燃え上がるようにパッションが加わる第1楽章の終わり近くは、なかなか聴きどころです。比較的長い残響時間さえも音楽に組み込み多くの余韻を残してくれます。

第ニ楽章は葬送行進曲とされていますが、こんなにもテーマが穏やかにそしてなだらかに奏でられてしまいますと、もはや言葉にすることができません。例えようもないほどに哀しくそして美く、そのまま昇天してしまいそうです。この楽章を聴くだけでも価値がある、そんな演奏です。

第三楽章冒頭はティンパニの強打で始まるものの、決してテンポは急がず着実な演奏です。大人しすぎるのではないか、などと途中で感じたりしたのですが、実のところ第四楽章まで聴き終えあたりを見回したら、ボウボウと燃え盛る炎にホールごと包まれていたというような感じです。

テンシュテットのオーケストラコントロールは確かに見事で、フレーズを微妙に伸ばしたり、ごく短い間にゆるやかなクレッシェンドをかけたりと、かなり細かなことをしているように聴こえ、それが演奏と音楽に彫琢を施しています。第三楽章でのリズムとメロディの交替は次第に高揚し、聴くものにとてつもないベートーベンのエネルギーが注入されていきます。

第三楽章と第四楽章は間に譜面をめくる音が「ガサガサ」と聴こえたと思ったら、あの聴きなれた付点のリズムが炸裂します。ラストに向けてはsyuzoさんの迫力はあるのにいたずらに威嚇的にならず、自然で明るい表情のまま、巨大なスケールで上昇と下降を繰り返してゆく。しかも、その響きは透明さを失わない。というコメントに尽きています。終末近くにホーンの音色が聴こえたときには、ベートーベンを聴いたという勝利の感慨に満ち溢れています。

ああ・・・なんと幸せなベートーベン、なんと凄いテンシュテット。おいら、三度も続けて聴いちまったよ(;0;)<泣くな

(2004.12.17)
追記

とここまで書いて、自分のHPファイルをごそごそしていたら、テンシュテット&ミネソタ管のレビュが見つかりました。こちらは今手元にないので比較して聴けません。しかし、Syuzo's Home Pageの「テンシュテット:禁断の部屋 その6 ベートーヴェン:交響曲第7番」を参照にして自分のレビュを読むと、今回の演奏(80年)とミネソタ管の演奏(89年)には明らかに違いがあるのかと知らされます。機会があれば聴き比べて見ましょう。

2004年2月15日日曜日

【音盤】テンシュテット/ドヴォルザーク交響曲第8番

  1. ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調
  2. スメタナ:歌劇『売られた花嫁』序曲
  3. ヤナーチェク:シンフォニエッタ
  • クラウス・テンシュテット(指)ロンドンpo.
  • ロイヤル・フェスティヴァルホール(ステレオ・ライヴ)
  • 1991年4月2日ロンドン

昨年、ベートーベン交響曲第9番のリリースで話題になったテンシュテットによる、オールスラブプログラムです。演奏は1991年4月1日ロイヤル・フェスティヴァルホールによるライブ録音です。


1991年4月2日のライブ録音はテンシュテットによるオールスラブプログラムです。テンシュテットのスラブものというのは珍しく、スメタナに限らず、ドヴォルザークの交響曲第8番でも、あまりスラブらしさを感じさせませんでしたが、それでもテンシュテットらしい演奏を満喫できる盤であるとは思います。

■スメタナ:「売られた花嫁」序曲

冒頭はスメタナの「売られた花嫁」序曲から始まります。のっけからオケを煽るかのごときスピードと躍動感に圧倒されます。メロディの裏の弦の刻みが凄まじく秘めたエネルギーを蓄えているかのような感じで、それだけに蓄積されたエネルギーの放逸は凄まじいものです。まさに爆発といってもいい響きを聴くことができます。低弦の刻みなど堂々としすぎていて、ドイツものを聴かされているような印象を受けないわけではありません。スラブ的とはどういうことか、と問われると答えに窮するのですがね。

■ドヴォルザーク:交響曲第8番

ドヴォルザークの交響曲第8番も、これはこれは素晴らしく堂々とした演奏でした。一瞬ベートーベンを聞いているのではないかという気にさせてくれる点でも稀有の演奏かもしれません。(特に第2楽章の後半を聴いていてそう感じました。)

それでもスラブ特有(?)の弾け方や体の内側から、固い殻を突き破って溢れ出るかのような生命力というものを感じないわけでは全くなく、むしろ演奏のダイナミズムと相まって劇的なまでに興奮が増幅された演奏になっているように思います。ここらあたりは、さすがにテンシュテットというところなのでしょうか。

エネルギーの放逸という点では、本当にもう脱帽するほどで第一楽章ときたら壮大なドラマさえ感じます。第2楽章などは、十分に歌を聴かせてもらいたいところですが、HMVのカスタマーズレビュにもあるように、ちょっとやりすぎという気がしないでもありません。この楽章にこんな劇的さを私は求めていませんよと(笑)。

誰が演奏しても「スラブ的」になるはずの第3楽章も振幅の大きさは凄まじいですね。実は、ドヴォルザークの8番というのは、高校時代に私は非常に好きだった曲で、久しぶりに聴きましたが、フレーズのひとつひつを口ずさんでしまうほどなのです。ここでも頭の中に刷り込まれた演奏(誰のでしょう?)を反芻しながらテンシュテットの演奏を聴くのですが、体の芯が痺れてしまうような演歌的な臭さはついぞ感じません。

この勢いで怒涛の終楽章に突入するのですが、ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラの金管群とティンパニの猛打が印象的ですね。ヤナーチェクでもそうですが、狂ったような木管の吹奏もかなりすごいです。この明朗なドヴォ8をここまで追い込むとは、テンシュテットっていったい何なんでしょうね。

■ヤナーチェク:シンフォニエッタ

私はクラシックファンのようなフリをしていながら、ヤナーチェクのような作曲家の曲を実は聴いたことがありませんでした。したがって、これまた凄い演奏であったとしか書けないところが情けないです。

2003年2月23日日曜日

【音盤】テンシュテット&ミネソタ管/ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 op.92


ベートーベン:交響曲第7番 イ長調 op.92 テンシュテット(指揮)ミネソタ管弦楽団 1989年11月 lsu1010-2 USA 
札幌で海賊盤のCDが入手できるところは光堂Pals21である。ここに訪れるたびに一応お義理に海賊盤をチェックすることにしている。定番や正規盤でさえ満足に聴いていないのに、マニアぶって海賊盤に手を出すのもいかがなものかとも思うのだが、たまに物凄い演奏に出くわしたりするものなので無視もできないのだ。(例えばテンシュテット指揮 ロンドン響とブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲第1番とベートーベン交響曲第5番 1990年8月30日のカップリングは凄い)
このCDはテンシュテットとミネソタ管弦楽団による1989年11月の演奏である(lsu1010 usa)。店の解説に惹かれてゲットしてしまったもの。
「ビッグファイブばかりでなく、この辺りのオケとの共演というのも食指をそそられます。比較的遅いテンポが採用され、厳格に刻むリズムは普段の激情型演奏とは一味違います。ふつふつと湧き上がるようなパワーが途切れません。音質は各所に傷がありますが抜群の演奏です」
しかしクラシック初級者のわたしは、ビックファイブもテンシュテットの芸風にも通じているわけではない。
確かに音質はもこもこと非常によくない。フォルテッシモになると途端にもこもこ感が増してしまう。ダイナミックレンジの狭い昔の古いテープ録音を聴いているようだ。ノイズは少ないが音の伸びやかさは全く聴こえない。音割を起こしていないだけ幸福と言えようか。
最初cdウォークマンで聴いて、あまりの音の悪さに「これは失敗であったかな」と思ったものだ。しかし終演後の拍手の凄まじさから改めて自宅ステレオで聴いてみたのだが印象が変わった。
音質の悪いのをがまんして聴くならば、ここには濃厚なるベートーベンが展開されていることを否定できないと思うようになった。解説の通りテンポは遅い、馬鹿丁寧なとも言えるようなテンポ感だ。揺れも少ないようだ。ひとつひとつ切られた音は残響を残してホールの空気を震わせている。強弱の幅は広そうだ。オケが充分に指揮についていっているように聴こえる。ティンパニももこもこしているが、実際は非常にしっかり叩いているようだ。低弦も厚みのある音だ。ミネソタ管弦楽団のまともな演奏を今は知らないので、これが持ち味なのかどうかは判断がつかない。非常に機能的なオケに聴こえる。
第二楽章の歌い方も、正攻法のように攻めていながらにして体の奥底からこみ上げてくる感情を押さえることができない、という感じを受ける。第三楽章などでも弱音部分での丁寧な音楽作りには感心してしまう。細部にまで神経が行きわたっている、特に第三楽章の終わり方は特に印象的。
そういう音作りが演奏に何とも言えぬ迫力と説得力を生み出しているように思える。「ふつふつと湧き上がるようなパワー」とは良く言ったものだ。底知れぬベートーベンのエネルギーを感じ体の底が熱くなるような演奏である。ベートーベンの交響曲というのは、力瘤をためたこれでもかという音楽である。さらりと軽くなどとはなかなか聴けない曲だ。例えば有名なc.クライバーの名演などはスポーティーに駆け抜けてしまうが、そういう颯爽としたところは全くなく、あくまでも王道たるベートーベンをわざとらしくなく、それでいて熱く奏でてくれるている。
一端聴き始めたら音は悪くとも最後まで掴んで放さない迫力に満ちており、何を隠そう私は続けて二度も聴いてしまった。ただし万人にお薦めかといえば疑問は残る。

2003年2月22日土曜日

このCDはテンシュテットとミネソタ管弦楽団による1989年11月の演奏である(LSU1010 USA)。久々にベートーベンを聴き健康的なエネルギーを得ることができて満足である。ベートーベンには有無を言わせぬ説得力というものがあると思う。ワーグナーなどを続けて聴いていると40分程度の交響曲はすごく短く感じてしまところがコワイ。

この盤はいわゆる海賊盤なのだが、私は海賊盤を集める趣味までは持ち合わせていない。たまに覗くCD店で見つけて思わず買ってしまったのだ。実際音質は海賊盤の中でもあまり良い方とは言えないかもしれない。

ただし演奏は音質ほどは悪くないので、レビュも書いてみた。テンシュテットファンの方から見たら「何を書いているのだか・・・」という内容だとは思うのだけど。



2001年10月28日日曜日

今日買ったCD

しばらくCDを買っていなかったので、久しぶりに札幌PALS21に出かけて物色した。
まずは、2001年 第70回 日本音楽コンクールで1位を獲得した高木綾子さんのCD。フルートを吹かれる方が太鼓判を押すので、どんなものかと試聴してみた。ソロアルバム「Air Bleu」を何気に聴いてみてびっくり。甘さを排除した確たる世界がそこに屹立として存在しており、試聴していることを忘れさせるほど。なんということなのか、その美形に騙されて「お嬢さん芸なのかな」などと思っていた先入観が、ものの見事の打ち砕かれた、いやはや…


 

そこで、PALS21は新譜のポスターサービスがないみたいなので、既発売の「ジェントル・ドリームズ~20世紀のフルート音楽」と「青春の輝き~プレイズ・カーペンターズ」を購入。これらも、なかなかに素晴らしく、いっぺんでファンになってしまった。今まで買わないでいたことが悔やまれる。人のハナシは素直に聞くもんのだな・・・ 



次は、今月はじめに紹介したラヴェルの室内楽作品集をゲット。曲目は聴きたいと思っていたヴァイオリンとチェロのためのソナタやピアノ三重奏曲などが収録された二枚組。ヴァイオリンはカントロフ、チェロはフィリップ・ミュレ、ピアノはルヴェル。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタも収録されており聴くのが楽しみ。レーベルはERATOで1900円だからお買い得だ。





ラストは超重量級、テンシュテットと北ドイツ放送響によるマーラーの交響曲第2番「復活」、ラッキー・ボールという海賊盤レーベルのもの。海賊盤は見つけたら買っておかないと、すぐになくなる恐れがある。とくにテンシュテットは、海賊のエースであるのでなおのこと。これがかねていてから欲しかった盤であるのか確かめる必要があったのだが、エイ!とばかりに買い物籠へ。海賊版は当然のことながら解説がないので不安である。
ということで、本当に久々にCDで散財してしまった(^^) さてさて、ゆっくり楽しみますか。レヴュは期待しないこと。



2001年8月29日水曜日

【音盤】「今さら『運命』?」と言うなかれ!~三つのライブ録音

ラトルの「運命」が話題になっている。これを機会にと思い、その他の気になる演奏をふたつほど(フルトヴェングラー、テンシュテット)聴き比べてみた。
このほかにも、ライブで忘れられないセル&ウィーンの演奏もあるのだが、これ以上運命に付き合うのはちょっとつらいので、またの機会に譲りたい。一度聴いただけで「あたる」演奏と、何度か繰り返さないと「ピントこない」演奏、こういうのは個人差あがあるのだということが、今回の収穫か。


ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」(ライヴ録音) ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77 指揮:サイモン・ラトル 演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ヴァイオリン独奏:チョン・キョン=ファ EMI TOCE-553311
ラトルとウィーン・フィルによる「運命」である。レコード芸術では絶賛級の賛辞を与えられていた、非常に刺激的な演奏である。(レコ芸の評をどう考えるかはさておき・・・)
国内版を買うのは値段の点で躊躇してしまうのであるが、どうしても聴いてみたく購入。一聴しただけで文章を書く雑さをご了承願いたいが、これはすさまじき「運命」であると感じた。
カルロス・クライバーの怒涛のような「運命」もあるが、それ以上に刺激的な演奏に聴こえる。印象に残るのは、やはりティンパニの音やピッコロなどの音、さらには、全楽章を支配している圧倒的なリズムと切れの良さだろうか。演奏からは軋みのようなものさえ聴こえてくるではないか。今さら「運命」なんて、と思うならば聴いてみると良い。新たな感動が沸き起こるのを禁じることができないだろう。
どちらかと言うと「快速系」の演奏なのかも知れないが、軽くはない。微塵の迷いもなく突き進むその姿は、聴くものの内側に大きく質量感のある感動を落とす。ベートーベンの音楽の持つ力、硬く熱く重い金属のような力強さを我々に与えてくれる。
ぜひ聴いてみて、その音楽を感じてもらいたい(ああ、こういう演奏を聴くと、つくづく生演奏に接したくなるよ)。レヴュは気が向いたら書いてみたい。
ラトルはウィーン・フィルとのベートーベン全集の録音に取り掛かっているらしく、各交響曲の特徴を際立たせることを意図しているらしい。これからが非常に楽しみである。


ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」(ライヴ録音) 指揮:フルトヴェングラー 演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1947年5月27日 DG
解説不要の名盤。フルトヴェングラーが戦後ベルリンに復帰した演奏の三日目のもので、歴史的名演奏として名高いものだ。ラトルの演奏を聴いて、改めてこの演奏がどういうものなのかを知る意味で聴いてみた。
石をぶつけないでいただきたいが、この名演を聴くのは今回が初めてであった。クラシックな方々には「基礎問題的常識」であっても、この世界に疎い、あるいは足を踏み入れたばかりの若輩者には、未知の世界なのである。
さて、この演奏の凄さはあちらこちらで語り継がれている。最近のレコード芸術「21世紀の名演奏300選」でも54年版を押しのけて上位に入ってきたという演奏である。しかし、録音はモノラルだ、本当にそんなに凄いのか?と半信半疑で聴き始めたことを告白しておこう。
半ば期待を込め半ば揶揄的に聴き始めたのだが、恥ずかしい話、感動するとかいう言葉では表現できないほどの衝撃を受けてしまった。私は2楽章のあたりからから、涙を抑える事ができなかった。始終泣きどおしで最後のコーダまで聴いてしまった。あまりにも、あまりな演奏に、この盤をもう一度聴く気力がおきないほどだ。
CDであっても「あたる」というのか、何かにシンクロしてしまう瞬間というものがある。この演奏がまさにそういう状態だったのかもしれない。何と言う「運命」がここには展開されているのであろうか。どこが凄いとか説明すること自体が無意味にさえ感じさせる鬼気せまる演奏だ。
「フルトヴェングラー的アインザッツ」とか「怒涛のアッチェレランド」とか、言葉を弄すれば何か書けるだろうが、それらは空しい行為でしかない。歴史的名盤と皆が言う意味が嫌と言うほどに分かった。
「たった一度聴いただけで分かったなんて言うな。」という人もいよう。しかし、再度聴いて、さきに始めて聴いたときほどの衝撃があるかと考えれば、それは叶わないのではないかと思うのである。衝撃は最初のものだけが真実であると思う。

 



ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67「運命」(ライヴ録音) 指揮:テンシュテット 演奏:ロンドン交響楽団 録音:1990年8月30日 米RARE MOTH RM 401/2-S
札幌PALS21で見つけた海賊版。カップリングはブレンデルのピアノによるブラームスのピアノ協奏曲第1番である。
テンシュテットも私にはなじみの多い指揮者ではない。バーンスタインと並ぶマーラー指揮者という印象が強いが、あちこちのサイトを覗いていると、スタジオ録音とライブ録音の差が大きい指揮者であるという評が多い。マーラーのライブを探しているが、なかなか見つからず、たまたまこの盤を見つけたので買ってみたという次第だ。
フルトヴェングラーの演奏を聴いてしまって、続けてこの演奏を聴くことに意味があるのか、疑問に思ったことも確かだが、半ば強迫的な義務意識で聴いてみた。
最初に聴きとおしたときは、正攻法でなんとなく響きの柔らかい(甘い)演奏だな、という印象を超えなかった。ライブの海賊盤なんで音質もいまひとつだし。何気なく流して聴くとあまり特徴のない演奏に聴こえてしまうのかも知れない、「運命」という耳慣れた曲であるだけになおさらだ。
しかし、何度か聴いいると、音が自分の中で立ち上がってくるのを覚える瞬間がある。「・・・!!」という感じだ。この演奏でもそうだった、「ええ? 何を今まで聴いていたんだ?」と自問してしまった。
確かに正攻法のベートーベンだ。例えばラトルのような切り込んだ斬新な解釈はみられない。しかし、それでいて、ここには並々ならぬ熱気をはらんだ、すさまじきエネルギーの演奏が込められていることに気づかされた。ティンパニの叩きなども尋常とは思えない。地が沸きあがるようなベートーベンである。
カップリングされているブラームスも物凄い。ブラームスはワタシ的にはちょっと苦手なのだが(嫌いなのじゃない、とっかかりがつかめないのだ)あのブレンデルがものすごいピアノを弾いている。今回はブラームスのことを書くのが主旨ではないので割愛するが、このテンシュテットのライブ録音、類稀な熱演であることは確かなようだ。