2004年12月19日日曜日

テンシュテット&NDR/ベートーベン:交響曲第7番

年の瀬も押し詰まってまいりまして、結構ばたばたと忙しい状態が続いています。あっという間の一年でしたが、聴きたい音楽、読みたい本など山積みのまま来年になりそうです。

てことで、テンシュテット&NDRのベト7の感想を書きました。正直な話、本文でも書きましたがSyuzo's Weblogを参照していただいた方が、時間の節約だとは思います。

テンシュテット(指揮)NDR
EMI/NDR 10122(Germany)

リズムとエネルギーの塊のような「舞踏の神化」ベートーベンの交響曲第7番。爆演系ではありませんが、別な意味で物凄い演奏が展開されています。最初に断っておきますが、私の感想など読まずにSyuzo's Weblogのレビュを読んでください。全てが言い尽くされています。

第一楽章冒頭はゆったりと、そしてふくよかで、堂々たる風貌の音色を響かせてくれます。このコントロールされたふくよかさは全楽章を支配する明るさに通低しています。弦の刻みは強すぎないものの的確で、テーマは朗朗と歌われます。ここに広がる明るさと幸福感は例えようもなく、交響曲第6番「田園」の延長を思わせる世界観に素直に驚かされます。

重層的に重ねられる音は、キャンバスに塗り重ねられる油絵の具のようであり、標題音楽ではないのに様々な風景が目の前に浮かんでは消えていきます。例えばそれは、黄金色に染め上がった丘陵地帯であったり、その上を舞う鳥であったり、農夫たちの踊りであったり、木枯らしや嵐であったり・・・あまりにも見事な音楽と演奏に至福の時が流れます。

静かに、しかし芯が燃え上がるようにパッションが加わる第1楽章の終わり近くは、なかなか聴きどころです。比較的長い残響時間さえも音楽に組み込み多くの余韻を残してくれます。

第ニ楽章は葬送行進曲とされていますが、こんなにもテーマが穏やかにそしてなだらかに奏でられてしまいますと、もはや言葉にすることができません。例えようもないほどに哀しくそして美く、そのまま昇天してしまいそうです。この楽章を聴くだけでも価値がある、そんな演奏です。

第三楽章冒頭はティンパニの強打で始まるものの、決してテンポは急がず着実な演奏です。大人しすぎるのではないか、などと途中で感じたりしたのですが、実のところ第四楽章まで聴き終えあたりを見回したら、ボウボウと燃え盛る炎にホールごと包まれていたというような感じです。

テンシュテットのオーケストラコントロールは確かに見事で、フレーズを微妙に伸ばしたり、ごく短い間にゆるやかなクレッシェンドをかけたりと、かなり細かなことをしているように聴こえ、それが演奏と音楽に彫琢を施しています。第三楽章でのリズムとメロディの交替は次第に高揚し、聴くものにとてつもないベートーベンのエネルギーが注入されていきます。

第三楽章と第四楽章は間に譜面をめくる音が「ガサガサ」と聴こえたと思ったら、あの聴きなれた付点のリズムが炸裂します。ラストに向けてはsyuzoさんの迫力はあるのにいたずらに威嚇的にならず、自然で明るい表情のまま、巨大なスケールで上昇と下降を繰り返してゆく。しかも、その響きは透明さを失わない。というコメントに尽きています。終末近くにホーンの音色が聴こえたときには、ベートーベンを聴いたという勝利の感慨に満ち溢れています。

ああ・・・なんと幸せなベートーベン、なんと凄いテンシュテット。おいら、三度も続けて聴いちまったよ(;0;)<泣くな

(2004.12.17)
追記

とここまで書いて、自分のHPファイルをごそごそしていたら、テンシュテット&ミネソタ管のレビュが見つかりました。こちらは今手元にないので比較して聴けません。しかし、Syuzo's Home Pageの「テンシュテット:禁断の部屋 その6 ベートーヴェン:交響曲第7番」を参照にして自分のレビュを読むと、今回の演奏(80年)とミネソタ管の演奏(89年)には明らかに違いがあるのかと知らされます。機会があれば聴き比べて見ましょう。

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