アレクサンドロ・カントロフのアルバムを聴いています。本アルバムの収録曲は、バルトークとリストが2019年9月にパリのルイ・ヴィトン美術館で、ブラームスが2020年1月にフィンランドのタピオラ・コンサートホールで録音されたものです。
選曲はなかなか凝ったものです。ブラームスとバルトーク、そしてリストの「ラプソディ(狂詩曲)」に、ブラームスのピアノソナタ第2番を挟むという構成です。
時代は大きな転換期、自分もとうに還暦を過ぎた。何に関心があり、どう考えていたか、記憶と思考の断片をつなぐ作業。将来の何に「投資」するか、自分を断捨離したときに最後に残すものは何か。私的なLife Log、ネット上の備忘録。
アレクサンドロ・カントロフのアルバムを聴いています。本アルバムの収録曲は、バルトークとリストが2019年9月にパリのルイ・ヴィトン美術館で、ブラームスが2020年1月にフィンランドのタピオラ・コンサートホールで録音されたものです。
選曲はなかなか凝ったものです。ブラームスとバルトーク、そしてリストの「ラプソディ(狂詩曲)」に、ブラームスのピアノソナタ第2番を挟むという構成です。
2019年の第16回チャイコフスキー国際コンクールは藤田真央が2位となり、アレクサンドル・カントロフ Alexandre Kantorow(1997-)が優勝したことは記憶に新しいところです。藤田さんの演奏も類まれな素晴らしい才能を発揮したものでしたが、カントロフの演奏はそれを上回る評価を受けました。
https://music.apple.com/jp/album/brahms-piano-works/1594418802
本アルバムは2021年3月、カントロフのオール・ブラームスプログラムで、フランスのゲブヴィレールのドミニカ教会で録音されたものです。
フランスのアダム・ラルーム Adam Laloum(1987-)の弾く、ブラームスのピアノソナタ第3番と、7つの幻想曲を聴いてみました。このアルバムは、シューベルトに次いで、ハルモニアムンディに彼が録音するソロアルバムの第2弾となります。
アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff)がピリオド楽器を使い、自ら弾き振りをしてのブラームス ピアノ協奏曲の録音。オケはエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団。
https://music.apple.com/jp/album/brahms-piano-concertos/1561178466
ニコラ・アンゲリッシュ(Nicholas Angelish)は1970年生まれのフランス系アメリカ人ピアニスト。アルゲリッチが絶賛しています。古典派からロマン派の作品が得意とのこと。
渋めのブラームスの後期作品集を聴いています。
ブラームス:
#NicholasAngelich のブラームス。しみじみと良い。まだ夏も来ていない中で秋には早いのだけど。 https://t.co/VgIcj2dLUz
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) July 24, 2019
昨日は #サントリーホール で新日本フィル定期にてドイツレクイエムに浸る。非常に心地よい響き、厳かにして敬虔な音楽。大合唱団の空気の振動を全身に浴びる至福。音楽の心地よさが最大に生かされる時間。
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) July 4, 2019
それでいながらも、いつも歌唱の入る曲に対する余所者感も若干覚える。ドイツレクイエムはキリスト教的な色彩が薄いとは言うものの、信仰心は不可欠。 信仰の深さ、素養が音楽受容に対し影響しないとは言い切れない。その意味からは、真にブラームスの意図を理解して聴いているかというと恐らくはそうではない、という後ろめたさも感じつつ。
予習はしておいた。
これに向けて予習中 https://t.co/v4HxMizYDq
— yukimaru | Clala-Flala (@yukimaru_o) July 3, 2019
クナツパーブッシュのブラームス4番がORFEOから発売になっていました。クナのブラ4の録音は1952年のブレーメン・フィルとのものと、本盤1953年のケルン放送響の2種類があるらしく、これは後者の版。詳しくはSyuzo's Homepageの「クナを聴く」を参照されるのが良い。
というか、syuzoさんのレビュ以上のことは書けないのですが、とにもかくにも、このブラ4には心底たまげました。syuzoさんも第1楽章だけで満腹してしまうような演奏
と書かれているように、第一楽章から重心は低く、凄まじい音楽が鳴っています。
特に、驚いたというか、ブチのめされたのは何と第二楽章。これ程の第二楽章を、かつて聴いたことがありません。分厚いというのでは言足りない度厚さ。そこに漂う一瞬恐怖さえ感じるほどの迫力。それに反する、チェロが歌う劇的なまでの浪漫と美しさと哀しさ。楽章終わり(8'10)近くでの弦楽合奏の恰幅たるメロディの素晴らしさ。ブラ4の第二楽章から、これ程の音楽を引き出せるものとは。
そのままの迫力で始まる第三楽章冒頭では肝を潰します。巨大な質量を持った音塊を硬質な壁にグシャリとぶつけたような音。粗く朴訥であり、そして半ばヤケではないかとさえ思える金管の音。皮が、いや底が抜けるのではないかという打楽器の強打。これらには背筋が寒くなる思いを感じながらも、それら全てが渾然となって、ある説得力を持って迫ってきます。重い演奏です、粗いといえば粗い。しかし、ピアニッシモからフォルテッシモまで、実は巧みにコントロールされています。小細工は一切なく、言葉を越えた音楽が身体を蹂躙します。
終楽章は痛いほどの音楽が鳴り響きます、悲劇的な英雄の肖像でしょうか。syuzoさんが闘争的音楽
と評したのには同意します。戦い前の内なる闘争心を全身に漲らせ、その暗いエネルギーを一体にどこに放散させようとしているのでしょう。しかし、この演奏のフィナーレに解放と解決はありません。
かのグスタフ・マーラーは、この曲を「空っぽな音の桟敷」と評しました、相変わらず作曲当時は評判がよろしくなかったようです。クナはそこに、恐ろしいほどの密度で、かつて聴いたことのないほどのエネルギーを注ぎ込んだように思えます。この熱情は何によるのか、まともでは受け止め切れません。
ブラームスのピアノ協奏曲といえば、ラトルとツィマーマンがCD棚にありました。2005年発売で、以前感想を書いていたと思ったのに何も記していなかったようです。改めて簡単なインプレッションなどを。
ツィマーマンにとっては1984年のバーンスタインとの演奏以来実に20年ぶりの演奏です。ライナーによりますと前回は万全の録音とは言えなかったようです。楽器は運送の事故で、とてもブラームスに適したとはいえない楽器となり、しかもビデオ録音のため各種機材の溢れかえったホールは、音響的にも悪影響であったのですとか。
"For the recording of the First Piano Concerto I was unable to get the instrument I wanted, as the van that was supposed to bring the piano from Italy was involved in an accident. The instrument that was finally placed at my diposal may well have been good for Mozart, but not for Brahms."
ツィマーマンの侮恨が伺えるコメントです。今回のレコーディングについて何を考えるかとの問いに対しては、
"Every recording documents a single moment."
と言い切る彼ですが、相当の思い入れで本録音に取り組んだことは確かなようです。当然自ら調整した"his own piano"を持ち込んでの演奏です。80以上の異なる演奏を聴き比べ、テンポ設定の研究も行ったのですとか。
"By this I dont't mean a metronomic tempo;rather,it's something subjective,something that I might call the psychological perception of a tempo."
"Everything must cerate the impression of a uniform flow."
そういう点から、非常に気合の入った演奏が聴かれます。アマゾンとかHMVのレビュでもカスタマーズ・レビュ絶賛されているようです。バックのベルリン・フィルはオケの精度も良く、確かに現在望みうる最高の演奏だと言えるかもしれません。
ラトルは相変わらずティンパニを際立たせた、ハリのある演奏に仕上げています。ホールの響きも良くバランスも良いです。ピアノは激しいところでも決して濁らずに際立ち、それでいて凄まじく、弱音部の音色も鮮やかにして美しい。ラトルの指揮下というせいもあるのか、演奏は洗練されており、ガッチリとした骨格を示し、タフであり、ベタさはありません。第二楽章冒頭のオーケストレーションなどは映画音楽!のように美しい。反してツィマーマンのピアノは、少々くぐもり内省的な響きを聴かせます。ブラームスの憂愁というより、もっと現代的なリリカルさを感じる部分です。終楽章の炸裂も鮮やかの一言。
さて、それでは、この演奏の感想が最上かと言えば、何度この演奏を聴いても心情に訴えてこないというか、ある線より上には響かない。いや、とても、とても素晴らしい演奏です、生で聴いたら、おそらくぶっ飛ぶと思いますよ。しかし、何でしょうね、このモノ足りなさは、私が古い人間なんでしょうか。
秋になり、活動も書き込みも低調になりがち。そういうときは秋らしくブラームスでも聴きたいという気になってきます。11月4日響アワーではエレーヌ・グリモーのピアノによるピアノ協奏曲第1番の1楽章が放映されました。指揮はアシュケナージで、貧弱なTVのスピーカーを通しても結構な熱演と聴こえ、第一楽章が終わって拍手が生じるというのは、いかにもアメリカ的であるなァと思ったものです。
私のCD棚にはブラームスPコンのラインナップがほとんどありませんので、池袋HMVに行ってSONYの廉価版シリーズから標記の盤を購入して数度聴いてみました。リファレンスと言えるほどの盤がないので、とやかく書くこともないのですが、この曲は改めて名曲だなとの感を新たにしました。
ベルマンはロシアン・ピアニズムの継承者としてリストやラフマニノフで有名ですが、本盤のブラームスでも彼の鍵盤は冴えているようです。抒情に傾きすぎずに旋律を歌い上げるところは好ましくウェットに流れないのはベルマンの特質なんでしょうか。聴き疲れはなく、よい意味で繰り返し安心して聴ける演奏です(実際買ってから5度くらい聴いた)。
ベルマンのピアノをYou Tubeでいくつか検索してみると、ラフマニノフやリストの作品をいくつか聴くことができます。これはこれで、素晴らしいですね。
テンシュテット ベートーベン交響曲第7番、ブラームス交響曲第3番
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ベートーベンの7番が余りにも素晴らしい演奏でしたが、このブラームスもなかなか聴き逃せません。独特の温かみと優しさに満ちた演奏です。爆演とかいう種類のものではないのですが、フツフツと内側からこみ上げる重厚さと説得力に満ちていて音楽を聴く喜びを満喫できます。
たとえば2楽章の中間部などを聴いていると「ああブラームスっていいなあ、ベートーベンみたいに頑張んなくたっていいや」という愉悦に浸ることができますし第3楽章の寂寥感を伴った美しさは特筆モノで、いつまでも聴いていたくなります。
テンポは比較的「ゆっくり」しているように感じます。他の演奏と比べて聴いたわけではありませんので、実際はどうなのか分かりません。そう感じるのは曲全体を支配する大きな波のようなものを感じさせてくれる演奏だからでしょうか。コケ脅しのようなところは微塵もなく細部も丁寧です。終楽章も適度に抑制された表現の中にゆるぎない意志を感じます。ここでも大波のようなうねりを感じることができ、その揺れに身をまかせているうちに曲は静かに幕を閉じます。ああ、満足。
このごろの東京は一気に暖かいですね、日中はコートがいらないほどですし、昨日乗ったタクシーは「日中はクーラーつけましたよ」とか言っていました。このまま寒くならずに春モードに突入してくれると良いのですが。
そんなサクラサクの季節だからというわけではないんですが、何気なく手にとって聴いたのが、クレンペラー&フィルハーモニァ管のブラームス 祝典序曲でした。
この曲はブラームスがドイツのブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた際に、その返礼として作曲したものですが、曲からは快活さ、若さ、明るさ、希望みたいなものを感じます。
クレンペラー指揮とフィルハーモニア管によるブラームス交響曲はどれもが、そしていつ聴いても感銘を受ける演奏なのですが、大学祝典序曲も目から鱗のような演奏です。堂々たる風格、音楽の持つふくらみとふくよかさ、そして温かみと祝福感。耳を傾けているだけで馥郁たる香りが漂ってくるかのようです。「旺文社ラジオ講座」で有名なファゴットによる幾分滑稽な「新入生の歌(元歌は「狐狩りの歌」)」メロディも全体の中に溶け込んで悠々たる流れです。
最後に流れる「だから愉快にやろうじゃないか」のメロディの当たりになると、すっかり立派な音楽を聴いてしまったという感動と充実感に満ち溢れてしまいました。あまりのことに3度も続けて聴いてしまいましたよ。有名ではあるものの、それほど「名曲」とはいえないんぢゃないかと言うような曲を、ここまで立派に仕上げてしまうクレンペラーには改めて感服です。
ちなみに、私の周りで受験をした人はいません、あしからず。
さて、ヴィルヘルム・ケンプが昨日エントリーしたビレットのメンターであったということで、思い出したように引っ張り出して聴いてみたのがブラームスの後期作品集が納められた本盤。
一般にブラームスの後期ピアノ作品というと116番~119番を指すことが多く、これらの曲は派手さはないものの甘美さと寂寥感がないまぜになった曲で、秋深まる季節に聴くにはもってこいです。
この曲たちには枯淡とか訥々としたというような表現を冠したくなりがちですが、よく聴くとブラームスの複雑な心境を吐露しているようにも思えます。
さまざまな思いがよぎり、昔を思い出すかのような雰囲気が漂っているかと思えば、何かから解放されたかのような自由さを感じさせたりもします。それが得も言われぬ歌となって奏でられるのを聴いていると、心をじかに撫でられているような気にさえなります。これはケンプのピアノのなせる技なのでしょうか。ブラームスが何から解放され何を悟ったのか、それは分かりませんが聴いていて飽きることがありません。
それにしてもブラームスが晩年に至って、この曲を書くような境地に至ったことは興味深いものがあります。特に作品119は弟や姉に先立たれ、知己も少なくなってきた孤独感が投影されているといいます。119-1でのまるで水滴の響きのような旋律は、ブラームスがクララに宛てて「非常にゆっくりと、ためらうように弾いて下さい」と注文を付けたと言いますが、まさに時間が過ぎるのを惜しむほどの音楽です。119-4の力強さと抒情性の振幅の美しさには涙をさそいます。これらの曲は、ベートーベンが音楽の極北にまで達したのとは対照的といえるかもしれません。
録音は1963年の演奏ですから、ケンプが70歳近くでの演奏です。ケンプのピアノは下手だとか、ブラームスの後期作品のような曲はケンプではダメだという意見もあるのですが、どうなんでしょう。他と比較しているわけでないのでよく分かりません。でも作品117など適度なテンポ感といい、どこか甘いアンニュイな雰囲気とか非常に良いと思います。
ジュリーニ/LOPによるブラームス交響曲第1番は名演であるとの評判が高く、今年1月に再発売された盤です。
ジュリーニの演奏ですからテンポはゆったりとしています、というかかなり遅いです。第一楽章が19分弱、第ニ楽章が10分半、第三楽章が5分、そして第四楽章は18分半です。しかしこの遅いテンポで丁寧に歌われるブラームスは格別な味わいで、堂々たる風格を有しています。最後まで聴いていると、何か人生の長い旅路を終えてきたような境地と至福感にまで達してしまいます。
ゆったりしたテンポではあるのですが、弛緩したり生ぬるい演奏では全くありません。第一楽章は冒頭から音響の迫力は物凄く、特にティンパニの強いアクセントをもった強打が印象的です。しかしこれとて、ただ強いだけではなく微妙なニュアンスの違いを叩き分けています。打楽器と重厚なオケが一楽章の持つ暗さや悲愴感を際立たせています。
翻って第二楽章のAndante sostenutoは暗さと明るさを兼ね備えた美しい楽章です。この「田園風」楽章でのジュリーニのオケの唄わせ方には陶然としてしまいます。第二楽章の7分頃に現れるソロ・ヴァイオリンの部分など、ヴァイオリン・コンチェルトを聴いているような気にさえさせられます。続いてのヴァイオリンと木管が寄り添うように唄うところは特に格別で、こうなるとコンチェルトではなくオペラの一幕と言ってもいいかもしれません、ここだけ何度も聴きたくなってしまうほどです。
第三楽章は更に「幸せ感」が高まっていきます。しかし、あざとい表現とか煽るような表現は聴こえません。第一楽章のティンパニの強打も昔のことのように思えます。第三楽章は短い間奏曲のようで、再び壮大な悲痛を予告する第四楽章に受け継がれますが、この楽章はとりわけ見事です。
ブラームスが描いた音楽も素晴らしいのでしょうが、ジュリーニの演奏は実に説得力があります。ティンパニの強打の意味もはっきりと分かり、かの有名なホルンとフルートが奏でる旋律が現れる頃(3分半)には体がブラームスで満たされてしまっています。主部のベートーベン第9の歓喜の主題に似た第一主題を聴くいていると、まさにこれは形を変えた、ベートーベンよりも穏やかで静かな、しかし内に秘めた熱情では負けない歓喜であることが、しみじみと分かります。いやはや本当に美しい旋律です、完全にブラームスが効いてしまっています。ジュリーニのテンポで聴きますと、ブラームスが非常に大人びて聴こえます。感情をむき出しにする直情型の演奏とは異質のもので、それでいて激しいという恐るべき音楽です。
中間部のたたみかけるかのような音響は、ブラームスの複雑な感情(喜び、怒り、嫉妬、絶望、そして達観)が全て詰まっているかのようです。故にラストに向けての感情の解放は静かにそして熱く、一人静かに固い拳を握り締めるがごときです。ブラボー!
(CDと同時進行的にレビュを書くと、こういう直情型支離滅裂文章になってしまいますね・・・)
In der Fremde (異郷にて)
稲妻の赤くきらめく彼方、
故郷の方から、雲が流れてくる。
父も母も世を去って久しく
あそこではもう私を知るひともない。
私もまたいこいに入る、その静かな時が
ああ、なんとまぢかに迫っていることだろう、
美しい、人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ
ここでも私が忘れられる時が。