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2022年2月5日土曜日

アレクサンドロ・カントロフのブラームス、バルトーク、リスト

アレクサンドロ・カントロフのアルバムを聴いています。本アルバムの収録曲は、バルトークとリストが2019年9月にパリのルイ・ヴィトン美術館で、ブラームスが2020年1月にフィンランドのタピオラ・コンサートホールで録音されたものです。

選曲はなかなか凝ったものです。ブラームスとバルトーク、そしてリストの「ラプソディ(狂詩曲)」に、ブラームスのピアノソナタ第2番を挟むという構成です。

2022年1月8日土曜日

アレクサンドル・カントロフのブラームス:4つのバラード、ピアノソナタ第3番、左手のための「シャコンヌ」~恐ろしいまでの若き才能

2019年の第16回チャイコフスキー国際コンクールは藤田真央が2位となり、アレクサンドル・カントロフ Alexandre Kantorow(1997-)が優勝したことは記憶に新しいところです。藤田さんの演奏も類まれな素晴らしい才能を発揮したものでしたが、カントロフの演奏はそれを上回る評価を受けました。

https://music.apple.com/jp/album/brahms-piano-works/1594418802

本アルバムは2021年3月、カントロフのオール・ブラームスプログラムで、フランスのゲブヴィレールのドミニカ教会で録音されたものです。

2021年12月27日月曜日

アダム・ラルームのブラームス ピアノソナタ Op. 5 、7つの幻想曲Op. 116~これはいただけませんでした

フランスのアダム・ラルーム Adam Laloum(1987-)の弾く、ブラームスのピアノソナタ第3番と、7つの幻想曲を聴いてみました。このアルバムは、シューベルトに次いで、ハルモニアムンディに彼が録音するソロアルバムの第2弾となります。


2021年6月24日木曜日

シフがピリオド楽器を使ってのブラームスピアノ協奏曲

アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff)がピリオド楽器を使い、自ら弾き振りをしてのブラームス ピアノ協奏曲の録音。オケはエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団。

https://music.apple.com/jp/album/brahms-piano-concertos/1561178466

2019年7月25日木曜日

【音盤】ニコラ・アンゲリッシュのブラームス後期ピアノ曲

ニコラ・アンゲリッシュ(Nicholas Angelish)は1970年生まれのフランス系アメリカ人ピアニスト。アルゲリッチが絶賛しています。古典派からロマン派の作品が得意とのこと。

渋めのブラームスの後期作品集を聴いています。



ブラームス:

  • 幻想曲集 op.116(全7曲)
  • 3つの間奏曲 op.117
  • 6つのピアノ小品 op.118
  • 4つのピアノ小品 op.119


2019年7月4日木曜日

【演奏会】新日本フィルでドイツレクイエムを聴く サントリーホール

 

それでいながらも、いつも歌唱の入る曲に対する余所者感も若干覚える。ドイツレクイエムはキリスト教的な色彩が薄いとは言うものの、信仰心は不可欠。 信仰の深さ、素養が音楽受容に対し影響しないとは言い切れない。その意味からは、真にブラームスの意図を理解して聴いているかというと恐らくはそうではない、という後ろめたさも感じつつ。

予習はしておいた。

2007年11月19日月曜日

【音盤】ブラームス:交響曲第4番/クナツパーブッシュ&ケルン放送響

  1. 第一楽章 Allegor non troppo 12'51
  2. 第ニ楽章 Andante moderato 11'41
  3. 第三楽章 Allegro giocoso 6'55
  4. 第四楽章 Allegro energico e passionato 9'53
  • Hans Knappertsbusch(cond)
    Ko"lner Rundfunk-Symphonieorchester
  • 1953.5.8
  • C723071B

クナツパーブッシュのブラームス4番がORFEOから発売になっていました。クナのブラ4の録音は1952年のブレーメン・フィルとのものと、本盤1953年のケルン放送響の2種類があるらしく、これは後者の版。詳しくはSyuzo's Homepageの「クナを聴く」を参照されるのが良い。

というか、syuzoさんのレビュ以上のことは書けないのですが、とにもかくにも、このブラ4には心底たまげました。syuzoさんも第1楽章だけで満腹してしまうような演奏と書かれているように、第一楽章から重心は低く、凄まじい音楽が鳴っています。

特に、驚いたというか、ブチのめされたのは何と第二楽章。これ程の第二楽章を、かつて聴いたことがありません。分厚いというのでは言足りない度厚さ。そこに漂う一瞬恐怖さえ感じるほどの迫力。それに反する、チェロが歌う劇的なまでの浪漫と美しさと哀しさ。楽章終わり(8'10)近くでの弦楽合奏の恰幅たるメロディの素晴らしさ。ブラ4の第二楽章から、これ程の音楽を引き出せるものとは。

そのままの迫力で始まる第三楽章冒頭では肝を潰します。巨大な質量を持った音塊を硬質な壁にグシャリとぶつけたような音。粗く朴訥であり、そして半ばヤケではないかとさえ思える金管の音。皮が、いや底が抜けるのではないかという打楽器の強打。これらには背筋が寒くなる思いを感じながらも、それら全てが渾然となって、ある説得力を持って迫ってきます。重い演奏です、粗いといえば粗い。しかし、ピアニッシモからフォルテッシモまで、実は巧みにコントロールされています。小細工は一切なく、言葉を越えた音楽が身体を蹂躙します。

終楽章は痛いほどの音楽が鳴り響きます、悲劇的な英雄の肖像でしょうか。syuzoさんが闘争的音楽と評したのには同意します。戦い前の内なる闘争心を全身に漲らせ、その暗いエネルギーを一体にどこに放散させようとしているのでしょう。しかし、この演奏のフィナーレに解放と解決はありません。

かのグスタフ・マーラーは、この曲を「空っぽな音の桟敷」と評しました、相変わらず作曲当時は評判がよろしくなかったようです。クナはそこに、恐ろしいほどの密度で、かつて聴いたことのないほどのエネルギーを注ぎ込んだように思えます。この熱情は何によるのか、まともでは受け止め切れません。

2007年11月10日土曜日

【音盤】ついでにラトル&ツィマーマンのブラームスPコン1番を聴いてみる

ブラームスのピアノ協奏曲といえば、ラトルとツィマーマンがCD棚にありました。2005年発売で、以前感想を書いていたと思ったのに何も記していなかったようです。改めて簡単なインプレッションなどを。


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ツィマーマン(p) ラトル(cond) ベルリンpo 2003
00289 477 6021

ツィマーマンにとっては1984年のバーンスタインとの演奏以来実に20年ぶりの演奏です。ライナーによりますと前回は万全の録音とは言えなかったようです。楽器は運送の事故で、とてもブラームスに適したとはいえない楽器となり、しかもビデオ録音のため各種機材の溢れかえったホールは、音響的にも悪影響であったのですとか。

"For the recording of the First Piano Concerto I was unable to get the instrument I wanted, as the van that was supposed to bring the piano from Italy was involved in an accident. The instrument that was finally placed at my diposal may well have been good for Mozart, but not for Brahms."

ツィマーマンの侮恨が伺えるコメントです。今回のレコーディングについて何を考えるかとの問いに対しては、

"Every recording documents a single moment."

と言い切る彼ですが、相当の思い入れで本録音に取り組んだことは確かなようです。当然自ら調整した"his own piano"を持ち込んでの演奏です。80以上の異なる演奏を聴き比べ、テンポ設定の研究も行ったのですとか。

"By this I dont't mean a metronomic tempo;rather,it's something subjective,something that I might call the psychological perception of a tempo."
"Everything must cerate the impression of a uniform flow."

そういう点から、非常に気合の入った演奏が聴かれます。アマゾンとかHMVのレビュでもカスタマーズ・レビュ絶賛されているようです。バックのベルリン・フィルはオケの精度も良く、確かに現在望みうる最高の演奏だと言えるかもしれません。

ラトルは相変わらずティンパニを際立たせた、ハリのある演奏に仕上げています。ホールの響きも良くバランスも良いです。ピアノは激しいところでも決して濁らずに際立ち、それでいて凄まじく、弱音部の音色も鮮やかにして美しい。ラトルの指揮下というせいもあるのか、演奏は洗練されており、ガッチリとした骨格を示し、タフであり、ベタさはありません。第二楽章冒頭のオーケストレーションなどは映画音楽!のように美しい。反してツィマーマンのピアノは、少々くぐもり内省的な響きを聴かせます。ブラームスの憂愁というより、もっと現代的なリリカルさを感じる部分です。終楽章の炸裂も鮮やかの一言。

さて、それでは、この演奏の感想が最上かと言えば、何度この演奏を聴いても心情に訴えてこないというか、ある線より上には響かない。いや、とても、とても素晴らしい演奏です、生で聴いたら、おそらくぶっ飛ぶと思いますよ。しかし、何でしょうね、このモノ足りなさは、私が古い人間なんでしょうか。

2007年11月6日火曜日

【音盤】秋ということでブラームスPコン1番を聴いてみる

秋になり、活動も書き込みも低調になりがち。そういうときは秋らしくブラームスでも聴きたいという気になってきます。11月4日響アワーではエレーヌ・グリモーのピアノによるピアノ協奏曲第1番の1楽章が放映されました。指揮はアシュケナージで、貧弱なTVのスピーカーを通しても結構な熱演と聴こえ、第一楽章が終わって拍手が生じるというのは、いかにもアメリカ的であるなァと思ったものです。

私のCD棚にはブラームスPコンのラインナップがほとんどありませんので、池袋HMVに行ってSONYの廉価版シリーズから標記の盤を購入して数度聴いてみました。リファレンスと言えるほどの盤がないので、とやかく書くこともないのですが、この曲は改めて名曲だなとの感を新たにしました。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番
ラザール・ベルマン(p) ラインスドルフ(cond) シカゴ響 1979
ベートーベン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
ラザール・ベルマン(p) 1979 カーネギー・ホール・ライブ
SICC 824

曲は1958年、ブラームス25歳の作。曲が出来るまでには紆余曲折があったのは有名なハナシ。無骨なところもありますが、この曲に込められた多くの感情と抒情と激情は聴いていて飽きることがありません。20分近くもある第一楽章はやっぱり圧巻で、オケと張り合うかのようなピアノの強打と流れるような旋律はまさにブラームス。展開部の前に現れるホルンの音色などはライン河の流れる風景を彷彿とさせてくれます、勝手な解釈ですけどね。

ベルマンはロシアン・ピアニズムの継承者としてリストやラフマニノフで有名ですが、本盤のブラームスでも彼の鍵盤は冴えているようです。抒情に傾きすぎずに旋律を歌い上げるところは好ましくウェットに流れないのはベルマンの特質なんでしょうか。聴き疲れはなく、よい意味で繰り返し安心して聴ける演奏です(実際買ってから5度くらい聴いた)。

ベルマンのピアノをYou Tubeでいくつか検索してみると、ラフマニノフやリストの作品をいくつか聴くことができます。これはこれで、素晴らしいですね。

2005年12月23日金曜日

【音盤】ブラームス:交響曲第3番/テンシュテット&LPO






テンシュテット

ベートーベン交響曲第7番、ブラームス交響曲第3番


  1. ベートーベン:交響曲第7番
  2. ブラームス:交響曲第3番


  • テンシュテット(指揮) ロンドンpo.
  • Royal Festival Hall,London,22 November 1989(Beethoben)、Royal Festival Hall,London,7 April 1983(Brahms)
  • BBSL 4167-2



ベートーベンの7番が余りにも素晴らしい演奏でしたが、このブラームスもなかなか聴き逃せません。独特の温かみと優しさに満ちた演奏です。爆演とかいう種類のものではないのですが、フツフツと内側からこみ上げる重厚さと説得力に満ちていて音楽を聴く喜びを満喫できます。


たとえば2楽章の中間部などを聴いていると「ああブラームスっていいなあ、ベートーベンみたいに頑張んなくたっていいや」という愉悦に浸ることができますし第3楽章の寂寥感を伴った美しさは特筆モノで、いつまでも聴いていたくなります。


テンポは比較的「ゆっくり」しているように感じます。他の演奏と比べて聴いたわけではありませんので、実際はどうなのか分かりません。そう感じるのは曲全体を支配する大きな波のようなものを感じさせてくれる演奏だからでしょうか。コケ脅しのようなところは微塵もなく細部も丁寧です。終楽章も適度に抑制された表現の中にゆるぎない意志を感じます。ここでも大波のようなうねりを感じることができ、その揺れに身をまかせているうちに曲は静かに幕を閉じます。ああ、満足。




2005年3月11日金曜日

【音盤】クレンペラー/ブラームス:大学祝典序曲

このごろの東京は一気に暖かいですね、日中はコートがいらないほどですし、昨日乗ったタクシーは「日中はクーラーつけましたよ」とか言っていました。このまま寒くならずに春モードに突入してくれると良いのですが。

そんなサクラサクの季節だからというわけではないんですが、何気なく手にとって聴いたのが、クレンペラー&フィルハーモニァ管のブラームス 祝典序曲でした。

クレンペラー/ブラームス:大学祝典序曲
  1. 大学祝典序曲 Op.80
  2. 悲劇的序曲 Op.81
  3. アルト・ラプソディ Op.53
  4. 交響曲 第4番 ホ短調 Op.98
  • クレンペラー指揮 フィルハーモニア管
  • 1&2 1957年3月、3 1962年3月、4 1956年11月、1957年3月 EMI (輸入版)


この曲はブラームスがドイツのブレスラウ大学から名誉博士の称号を受けた際に、その返礼として作曲したものですが、曲からは快活さ、若さ、明るさ、希望みたいなものを感じます。

クレンペラー指揮とフィルハーモニア管によるブラームス交響曲はどれもが、そしていつ聴いても感銘を受ける演奏なのですが、大学祝典序曲も目から鱗のような演奏です。堂々たる風格、音楽の持つふくらみとふくよかさ、そして温かみと祝福感。耳を傾けているだけで馥郁たる香りが漂ってくるかのようです。「旺文社ラジオ講座」で有名なファゴットによる幾分滑稽な「新入生の歌(元歌は「狐狩りの歌」)」メロディも全体の中に溶け込んで悠々たる流れです。

最後に流れる「だから愉快にやろうじゃないか」のメロディの当たりになると、すっかり立派な音楽を聴いてしまったという感動と充実感に満ち溢れてしまいました。あまりのことに3度も続けて聴いてしまいましたよ。有名ではあるものの、それほど「名曲」とはいえないんぢゃないかと言うような曲を、ここまで立派に仕上げてしまうクレンペラーには改めて感服です。

ちなみに、私の周りで受験をした人はいません、あしからず。

2004年10月27日水曜日

【音盤】アンネローゼ・シュミット/ブラームス:作品119

ブラームス:
4つのピアノ小品 作品119
4つのピアノ小品 Op.119
アンネローゼ・シュミット(p)
1979年11月18日/19日、日本コロンビア第一スタジオ
DENON COCO-70536

CD棚をごそごそやっていたら、アンネローゼ・シュミットさんの弾くブラームスの4つの小品 作品119がみつかりましたので、ケンプの盤と比べてみました。いやあ、全然印象が違うので、びっくりしてしまいましたよ。

アンネローゼ・シュミットの弾く作品119

ああ、なんてことでしょう。あんなにも穏やかだったケンプの弾く作品119とは全く違った世界がここにはあります。ひとことでいえば、生きがよく弾けるような生命感に満ち溢れた、力強い音楽に仕上がっています。迷うような寂しさよりは、強靭な精神の中に秘められた孤独を感じるような演奏で、ある種の凄みさえ感じます。枯淡の中に迷ったり、昔を思い返すような音楽ではないですね。(ここらへん、かなり主観独断的)

アンネローゼ・シュミットは1936年生まれで旧東ドイツを中心に活躍したピアニスト。この演奏は1979年のものですから43歳頃の時の演奏になります。何度か日本にも来ているようで、美貌のピアニストとして有名であったとか。

それにしても、シュミットのピアノは強烈、というか、こうして比べてみるとケンプがやっぱり「甘い」のか、それを「味」と感じた指のもたつきも、リズムの乱れも「ダル」に聴こえる、表現は聴始終「泣いて」いるようでさえある。

それに比してシュミットは硬質な響きが印象的で、スピーディーに進みます(第3曲:ケンプ1:42、シュミット1:16、第4曲:ケンプ5:10、シュミット4:26)。余計な誇張やわざとらしさはあまり感じない。ストレートな表現、あるいは「虚飾」がないと言っても良いかもしれません。2楽章最後の、ほのかな花が咲いたかのような柔らかな表現を聴くと、バリバリ弾いているところよりも凄いと思います。3楽章から4楽章にかけては打鍵も強く圧巻です。鄙びた味わいなどどこにもありません。

ちなみにこの盤のメインは、ケーゲル&ドレスデン・フィルによるブラームスのピアノ協奏曲第2番、DENON CREST1000で今は求めることができます。

2004年10月18日月曜日

【音盤】ケンプ/ブラームス:後期ピアノ作品集


ブラームス:後期ピアノ作品集
ケンプ名盤1000 ピアノ名演第2集
3つの間奏曲 Op.117
6つの小品 Op.118
4つの小品 Op.119
ヴィルヘルム・ケンプ(p)
DG POCG-90117(457 855-2)

今日は休日にして久しぶりの快晴、気持ちの良いくらいの秋晴れです。休養をたっぷり取っているので朝6時過ぎには目が覚めてしまいます。富士山がくっきりきれいでした。

さて、ヴィルヘルム・ケンプが昨日エントリーしたビレットのメンターであったということで、思い出したように引っ張り出して聴いてみたのがブラームスの後期作品集が納められた本盤。

一般にブラームスの後期ピアノ作品というと116番~119番を指すことが多く、これらの曲は派手さはないものの甘美さと寂寥感がないまぜになった曲で、秋深まる季節に聴くにはもってこいです。

この曲たちには枯淡とか訥々としたというような表現を冠したくなりがちですが、よく聴くとブラームスの複雑な心境を吐露しているようにも思えます。

さまざまな思いがよぎり、昔を思い出すかのような雰囲気が漂っているかと思えば、何かから解放されたかのような自由さを感じさせたりもします。それが得も言われぬ歌となって奏でられるのを聴いていると、心をじかに撫でられているような気にさえなります。これはケンプのピアノのなせる技なのでしょうか。ブラームスが何から解放され何を悟ったのか、それは分かりませんが聴いていて飽きることがありません。

それにしてもブラームスが晩年に至って、この曲を書くような境地に至ったことは興味深いものがあります。特に作品119は弟や姉に先立たれ、知己も少なくなってきた孤独感が投影されているといいます。119-1でのまるで水滴の響きのような旋律は、ブラームスがクララに宛てて「非常にゆっくりと、ためらうように弾いて下さい」と注文を付けたと言いますが、まさに時間が過ぎるのを惜しむほどの音楽です。119-4の力強さと抒情性の振幅の美しさには涙をさそいます。これらの曲は、ベートーベンが音楽の極北にまで達したのとは対照的といえるかもしれません。

録音は1963年の演奏ですから、ケンプが70歳近くでの演奏です。ケンプのピアノは下手だとか、ブラームスの後期作品のような曲はケンプではダメだという意見もあるのですが、どうなんでしょう。他と比較しているわけでないのでよく分かりません。でも作品117など適度なテンポ感といい、どこか甘いアンニュイな雰囲気とか非常に良いと思います。

2004年4月11日日曜日

【音盤】ジュリーニ/LOP:ブラームス交響曲第1番

  • 指揮:カルロ・マリア・ジュリーニ
  • 演奏:ロサンゼルス・フィルハーモニー管
  • 録音:1981年11月

ジュリーニ/LOPによるブラームス交響曲第1番は名演であるとの評判が高く、今年1月に再発売された盤です。

ジュリーニの演奏ですからテンポはゆったりとしています、というかかなり遅いです。第一楽章が19分弱、第ニ楽章が10分半、第三楽章が5分、そして第四楽章は18分半です。しかしこの遅いテンポで丁寧に歌われるブラームスは格別な味わいで、堂々たる風格を有しています。最後まで聴いていると、何か人生の長い旅路を終えてきたような境地と至福感にまで達してしまいます。

ゆったりしたテンポではあるのですが、弛緩したり生ぬるい演奏では全くありません。第一楽章は冒頭から音響の迫力は物凄く、特にティンパニの強いアクセントをもった強打が印象的です。しかしこれとて、ただ強いだけではなく微妙なニュアンスの違いを叩き分けています。打楽器と重厚なオケが一楽章の持つ暗さや悲愴感を際立たせています。

翻って第二楽章のAndante sostenutoは暗さと明るさを兼ね備えた美しい楽章です。この「田園風」楽章でのジュリーニのオケの唄わせ方には陶然としてしまいます。第二楽章の7分頃に現れるソロ・ヴァイオリンの部分など、ヴァイオリン・コンチェルトを聴いているような気にさえさせられます。続いてのヴァイオリンと木管が寄り添うように唄うところは特に格別で、こうなるとコンチェルトではなくオペラの一幕と言ってもいいかもしれません、ここだけ何度も聴きたくなってしまうほどです。

第三楽章は更に「幸せ感」が高まっていきます。しかし、あざとい表現とか煽るような表現は聴こえません。第一楽章のティンパニの強打も昔のことのように思えます。第三楽章は短い間奏曲のようで、再び壮大な悲痛を予告する第四楽章に受け継がれますが、この楽章はとりわけ見事です。

ブラームスが描いた音楽も素晴らしいのでしょうが、ジュリーニの演奏は実に説得力があります。ティンパニの強打の意味もはっきりと分かり、かの有名なホルンとフルートが奏でる旋律が現れる頃(3分半)には体がブラームスで満たされてしまっています。主部のベートーベン第9の歓喜の主題に似た第一主題を聴くいていると、まさにこれは形を変えた、ベートーベンよりも穏やかで静かな、しかし内に秘めた熱情では負けない歓喜であることが、しみじみと分かります。いやはや本当に美しい旋律です、完全にブラームスが効いてしまっています。ジュリーニのテンポで聴きますと、ブラームスが非常に大人びて聴こえます。感情をむき出しにする直情型の演奏とは異質のもので、それでいて激しいという恐るべき音楽です。

中間部のたたみかけるかのような音響は、ブラームスの複雑な感情(喜び、怒り、嫉妬、絶望、そして達観)が全て詰まっているかのようです。故にラストに向けての感情の解放は静かにそして熱く、一人静かに固い拳を握り締めるがごときです。ブラボー!

(CDと同時進行的にレビュを書くと、こういう直情型支離滅裂文章になってしまいますね・・・)

2003年7月13日日曜日

東京交響楽団第505回定期演奏会

日時:2003年7月12日 18:00~
場所:サントリーホール

指揮:ユベール・スダーン   ピアノ:ゲルハルト・オピッツ
演奏:東京交響楽団

ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83
ベートーベン:交響曲 第7番 イ長調 作品92




ピアノのオピッツ氏といえば、1994年のNHKテレビ「ベートーベンを弾く」という番組で出演されていたので知っている方も多いと思う。彼は「ドイツ・ピアノの正統派」としてその筋では有名である。そういう彼がブラームスのピアノ協奏曲第2番を演奏するというので期待してでかけた。
ブラームスのピアノ協奏曲第2番は、1番と違って明るく美しい曲であるが、「ドイツ正統派」がどういうことなのか全く理解していない私は、ガッチリと構成的で硬い演奏を思い浮かべていたのである。しかしオピッツ氏の奏でる音楽は、そんなイメージのものでは全くなかった。

この曲は冒頭で薄靄の中から立ちあがるホルンの響きと、それに導かれて登場するピアノのカデンツァが印象的だが、今日この部分を聴いた時、大げさではなく私はこのまま死んでもいいと思ってしまった。それほどの至福の音色が聴こえてきたのだ。オピッツ氏のピアノは風貌とも風評から抱いたイメージとも全く異なり、そっと撫でるような、あるいは天使がもらす溜息のような(ゲロゲロ!恥かしい表現!)柔らかなタッチで、全く私を別次元の世界へと誘ってしまったのであった。自我や自己を主張しすぎず、バックのオーケストラに柔らかく溶け込むかのような音色は、夢見るごときであった。

決してもって弱々しく女性的という演奏なのではない。締めるところは締め、そして感情の高まるところでは激しくあるのだが、全体的な印象としてはブラームスのアンニュイな感じや、優雅さ、そしてどこか懐かしんだり物思うような雰囲気が非常によく表現されているようで、そういう語りの部分がとにかくCDなどを聴いていては決して感じることができないような雰囲気として伝わってくるのだ。

そうなんだよなと思う。ブラームスは押し付けがましくないのだ。技巧をバリバリとひけらかしたり、力瘤をためて挑みかかるようなことはしないのだ。嗚呼、今までブラームスをベートーベンのように聴いてはいなかったか、と彼のピアノを聴いていて思った。

だからというわけではないが、3楽章はチェロの主旋律が美しいくチェロ協奏曲とでも言いたくなるような部分なのだが、オピッツ氏のピアニズムとは少し異なった表現に聴こてしまったのが惜しい。チェロの音色はふくよかで、それだけを取り出して聴くと全くもって実に素晴らしい演奏なのだが、オピッツ氏のピアノと対話する部分になると、違った話しをしているように聴こえてしまったというのは、私だけの感想だろうか。

満足いかなかったのはそこだけで、全体にピアノを中心とした懐古や対話、そして訥訥とした語りなどを、明るい光の注ぐ部屋で、香り高い紅茶でも飲みながら聞いているような、あるいは寄せては返す波を見ているような、激しすぎずに流れる奔流か、色々なイメージや光を見せてくれる演奏であった。激しい感動ではないが、深い心地よさにブラボー!

さて、お次はベートーベンの第7シンフォニーだ。第一楽章を聴いていて私は思わず笑ってしまった。演奏にではない、こんなに単純にしてくどいフレーズの繰り返しなのに、期待して高ぶってしまう自分がおかしく、そして何とブラームスとは異なるのだろうと改めて思ったのだ。

スダーン氏の指揮に注目すると、彼の指揮は非常に分かりやすいように思えた。キビキビと弾ける様に奏でて欲しい時には、あたかもバスケットボールのショートパスのような振りで指示を投げかける。第2楽章では、主旋律が重々しいテーマを奏でるとき、ビオラなどが裏旋律を奏でるのだが、スダーン氏は主旋律の方は見向きもせず、ビオラにガシと正面から対峙し音を引き出してくる。そういう指揮振りから音楽が多重的かつ立体的に浮き上がってくる。

まあそれ以外にもイロイロあるのだが、ベト7には細かいことはいらない(^^;; 小気味良く歯切れの良い音楽がビュンビュン進んで行くことを楽しめればよいとも思う。スダーン氏の指揮においても、この軽快さは第3楽章からラストまで延々と続く。あたかもはずみ車が、慣性によって一度廻り始めたらもはや止まらないとでもいうかのようだ。非常に健康的な感情の発露を全身で表現しているかのようで、例えばかりで恐縮だが(悪文の典型ってやつだな)陸上の400m走のように、ひと時も力を抜かずに走り抜けたかのような感じを受けた。

実際、弦セクションは猛働きであったようで、演奏が終了し拍手喝采を浴びているときに、コンマスの大谷さんは汗を拭うような仕草をしていたし、大谷さんの隣の奏者は「手がしびれちゃいましたよ」みたいな仕草で大谷さんに笑いかけていた。

東京交響楽団を聴くのは今日が二度目なのだが、ヴァイオリンセクションの上手さには改めて感嘆した。少しハイキーで透明な感じの音色を特色とし、特に弱音での美しさが際立つ。ブラームスで聴かれた、ピアノをバックに静かに裏で支えている部分など、涙ものの美しさだった。ヴァイオリンだけではないが、フレーズの出だしのアンサンブルの合い方は、若々しさと小気味良ささえ感じる、実に丁寧だ。そして演奏からは音楽以上の、いや音楽というものの喜びそのものが伝わってくるような気がするのだ。それがコンマスの大谷さんのキャラクターによるものなのか、このオーケストラを育てた秋山和慶氏の影響なのか、それは分からない。

今日は定期演奏会ではあったが、明日は新潟公演になる。それだからだろうか、アンコールにはシューベルトの「ロザムンデ」から第3楽章が演奏された。アンコールについて語るのはもはや野暮というものであろう。

2003年6月20日金曜日

高村薫とシューマンとブラームス

シューマン:
 歌曲集「リーダークライス」作品39
 歌曲集「女の愛と生涯」作品42
 
エリザベート・シュワルツコップ ソプラノ
ジョフリー・パーソンズ ピアノ
1974年4月 ベルリン
EMI TOCE-59088(国内版)


 

ブラームス:
 ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83
 4つのピアノ小品 作品119
 
アンネローゼ・シュミット ピアノ
ヘルベルト・ケーゲル 指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
1979年9月10-13日 ドレスデン、ルカ教会(作品83)
1979年11月18-19日 日本コロムビア第1スタジオ(作品119)
DENON COCO-70536(CREST1000



小説家の高村氏はブラームスとシューマンがことのほか好きらしい。彼女が二人の作曲家に抱く思いについては「半眼訥訥」というエッセイ集の中で『ブラームス的造詣』『ブラームスとヴァイオリン』『シューマンという魔物』という形でまとめられている。これらの文章の初出はウィーン・フィルハーモニー日本公演のパンフレットである(それぞれ1995、1996、1997年)。

特にブラームスのくだりは、彼女の創作活動とブラームスのそれを重ね合わせて書いている点が興味深い。たとえばこうだ。

��ブラームスは)一つの音楽的直感を表現するときに、AとBのどちらが全体の構成の中で相応しいかを厳密に考えた人だったという気がする。ブラームスの作品を聴くとき、すべての部分と部分の間に強固な関係性が感じられるのはそのせいであろう(同書 230頁)
一方シューマンについては、シューマンの歌曲が幼い頃の心をとらえたとし、その音楽について

形式はあっても感性のたえまない奔流がそれを押し流していくような、(中略)さらに、叙情的に聞こえるものが実は、ほとんど魔物のような完成の確かな結実なのであって、そうした果実が次から次へと溢れ出してくるような、そういう空間(同書 242頁)
と書いている。

高村氏はシューマンの天才に憧れてはいるが、彼女の小説からシューマン的感性を感じ取ることは少ない。彼女の文章は、どちらかと言えばブラームス的であるかもしれない。

「リヴィエラを撃て」においては、シューマンの歌曲が効果的に使われている。高村氏は主人公のテロリストにリーダクライスの「異郷にて」を歌わせるのだが、それが小説の中で何とも物悲しいトーンを奏でている。小説での描写はこういう具合だ。

詩人が異郷の森に静めた諦観は、ジャックの語る階段の夢想に、どこか似てなくもなかった。《伝書鳩》は今やっと、ジャックがこの歌を歌い続ける理由を、自分なりに納得したように思った。(同書下巻142頁)
シューマンの歌曲には疎いので、早速右のシュワルツコップの盤で聴いてみた。異郷に住む孤独が哀しくも美し切々と唄われるのは何度聴いても胸に迫る。それにしてもシューマンの歌曲を口ずさむテロリストなど、いったい想像できるだろうか。


In der Fremde (異郷にて)

稲妻の赤くきらめく彼方、
故郷の方から、雲が流れてくる。
父も母も世を去って久しく
あそこではもう私を知るひともない。

私もまたいこいに入る、その静かな時が
ああ、なんとまぢかに迫っていることだろう、
美しい、人気のない森が私の頭上で葉ずれの音をさせ
ここでも私が忘れられる時が。

一方、同じ小説に登場するピアニストが、積年追ってきた人物の前で披露するのがブラームスのピアノ協奏曲第2番だ。この曲は1番とは違って明るさと光に満ちた力強い曲である。苦悩や深刻さを感じることは少ない曲だが、ブラームスらしい響きと陰影はやはり随所に聴くことができ、控えめながら内に秘められた激情を感じ取ることができる。小説においてピアニストがどのような思いでこの曲を弾いたのかを、作品を思い出しながら聴くのも一興ではある。

小説ではウィーン・フィルの演奏であったが右の盤は旧東独のアーティストからなる演奏である。

2001年7月22日日曜日

ブラームスの交響曲を久々に聴いてみたが・・・

シベリウスの4番というウニョウニョした音楽ばかり聴いていたら、急に独逸系の正統的な交響曲を聴きたくなった。ここはやっぱりブラームスとばかりに、久しぶりにワルター指揮 コロンビア交響楽団(1960)の演奏で2番と3番を聴いてみた。

この演奏がブラームスの名盤であるかは論が分かれるだろうが、私にとってはブラームスを(ベートーベンもそうだが)まじめに聴くきっかけとなった「名盤」である。

ブラームスの2番や3番は、名曲であることは認めるものの、1番や4番に比べて地味な印象がないわけではない。しかし、シベリウスを聴きつづけた耳には、骨格のしっかりした、まるで両足で地をふんばっているかのような安定感と、堂々とした物凄い立派な曲に聴こえて、改めて驚くのであった。構成美と言ってもいいのかもしれない。切々たる旋律もあるが、全体の流れの中で破綻せずに訴えかけてくる。それが心地よいし安心感がある、ととれる反面、余りにもストレートすぎて気恥ずかしさを感じないわけでもない。

こういう交響曲が独逸の伝統だとすると、シベリウスの音楽というのは、極北の音楽であると称される意味もわかるというものだ。どちらが良いとかの問題ではない。目指した音楽性も、そして時代背景も全く違うということだろう。ワルター&コロンビアの演奏は、ブラームスを熱くそして独特の粘りをもって分厚い演奏に仕上げており、非常に満足のゆくものだ。ただ、ひとつだけ気になるのは音質なのだ。

私の聴いている盤は、SONY(SRCR1663)20bit Mastering のものなのだが、特に弦の音がシャリシャリとした金属的なトゲトゲしい音に聴こえる。マスタリングのせいなのだろうか、弦は決してこういう音は出さないだろうと思うだけに、惜しまれるのであった。