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2006年3月6日月曜日

暇なわけではないのだが、天気がいいとヤル気にならない

仕事が溜まっているので日曜出勤でもしようかと思っていたのだが今日も天気が良い。昨日も好天でだったのに、意に反し15時から22時まで会社で悶々としてしまったので、さすがに今日も出勤するのがアホくさくなる。本とiPodを鞄にぶち込んで目的もなくJRに乗り込み、以前から気になっていた方面を散策することとした。(注)以下は本人以外はほとんど意味のない文章。

まずはJR日暮里駅で降りて谷中霊園に向かう。谷中は観光スポットとしても有名になってきたので休日の霊園だというのに線香も持たずカメラを携えた人が多い。桜並木をぽくぽく歩いて気分を良くするが、開花にはまだまだ。霊園だけあってカラスが多くウルサイ。石原都知事に抹殺対象とされたかの鳥達は、こういう場所をネグラとしていたのか。

霊園内には徳川慶喜の墓があるというので行ってみたが、塀の外から伺い見ることしかできない。もっと堂々としたものかと期待したのだが意外と簡素。その後寛永寺まで足を伸ばす。街頭の地図を見て初めて気付いたのだが、寛永寺は上野の東京国立博物館のすぐ裏に当たる。航空写真で上野方面を眺めると(寛永時の境内にある)JR線が大きな河の流れのようだ。上野と合わせて考えると徳川幕府の都市計画の一環が透けて見える。ここらあたりは「上野の山」といわれるだけあり、寛永寺越に御徒町方面を眺めると遠くのビルの屋上が同じ視線に見えている。

寛永時の前を過ぎ国立博物館を裏手から正門に廻る。今月末から「最澄と天台の国宝展」と「国宝・天寿国繍帳と聖徳太子像展」が企画されている。おおっ!と思ったものの、これまた会期中は激混みなのだろうなと観る前から気分が萎えてくる。博物館の敷地内を伺い見ると梅が咲いていた。

東京芸術大学旧奏楽堂の前を通り藝大美術館へ。何かやっていたら観ようと思ったが、入試シーズン中なので閉館中。ちょっと残念に思いになりながらも、まあいいやと言問通を根津の方へ歩き始める。ここら当たりから道はグッと下がっている。坂の途中には墓地と寺というのは中沢新一氏の「アースダイバー」的風景。

谷中や根津の周りは、いかにも「下町」的。若者達がもの珍しげにウロチョロしている(私もその一人、ただし若者ではない)。現代のガラスと金属やコンクリートの建物を見慣れた目には、単に古いだけの木造下見板の家など、それだけで珍しいのだろう。街を歩いているとどこか懐かしい気分になることは否定できない。一体、日本は何を造って何を壊してきたのか、などということは考えない。

下町情緒をちょっとだけ感じながら、なるほどなるほどと訳の分からないことを思う。不忍通りを越えると、道はまた登りに転じる。その転じた先にあるのが東京大学

考えてみたら東大って行ったことがなかったなと思い弥生門からキャンバス内へ入る。垂直線を強調したデザインの建物が権威と上昇志向を象徴しているよう、ただし施設は恐ろしく古い。某学部に勤める旧友から聞きいていはたが、ここまでとは。建物に歴史的価値があるようなので壊すに壊せないジレンマを抱えているのだろう。

安田講堂は初めてホンモノを目にしたが驚くほど小さいことに拍子抜け。放水銃と火炎瓶の記憶はどこを探しても見当たらない(当たり前)。キャンバス内は休日のせいかカップルや観光客や犬連れの家族などがチラホラする程度で人影もまばら、平和である。三四郎池もせっかくなので見てみる。ここの水はどこから沸いてくるのだろう、上野の不忍池とともに繋がっているのだろうかと、東京の地下を脈々と流れ、行き場を求めてさまよう暗い水の流れに思いを馳せる。窪地になったこの場所は東京とは思えないような空間を形成していてとても素敵だ。

赤門を潜り抜け、ついで(何のついでだ?)なので本郷通りを通って御茶ノ水にまで出てみる。神田川を越えた途端に若者がウジャウジャ沸いてる。神田川は相変わらず汚いが、紅梅が川沿いに咲いていた。御茶ノ水駅を降りた景色というのは、東京の私学の方々にはおなじみだろうが、私からするとグロテスク以外の何ものでもない。そのグロテスクさを更に際立たせるように、秋葉原方面に更に巨大な建造物が聳えている、イヤハヤ。こういうグロテスクさも、キライではないのだが・・・度を越しているな。

いささかゲンナリしながら御茶ノ水駅前の喧騒を避けニコライ堂向かう。教会はこれからまさに夕刻の祈祷の時間、燭台に蝋燭を灯し始めている。ドームのステンドグラスが西日を投下して天井にきれいな光を投げかけている。キリスト教の精神にはちょっとついていけないので、祈祷が始まる前に退散。そういう割りに、このときiPodで聴いていたのは、やはりバッハだったりする。

かなり疲れてきたが頑張って神保町の古本街へ。日曜日はこの街は半分くらい眠ったみたい、ほとんどの古本店のシャッターが下りいる。平日来なくてはダメなのだな。ただ神保町界隈には魅力的な喫茶店が多いことを発見。旨い珈琲でも飲みながら持ってきた本でも読もうと、ある店に足を踏み入れたら「あと15分で閉店です」と言われ断念。楽しみはまた後ということだろうか。


2005年10月25日火曜日

中沢新一:「アースダイバー」 2


中沢新一の「アースダイバー」の中に歌舞伎と鶴谷南北に関する興味深い記述がありますので拾っておきましょう。

本書は縄文時代の痕跡が、長く東京(江戸)の精神世界の根底に影響を与え続けているという仮設が書かれています。現在の東京の地図に洪積層と沖積層という「固い」地盤と「湿った」地盤で示される地形を重ねることで、縄文当時の地形が生み出していた土地の性格と東京の成り立ちが、密接に結びついていることを示した点で画期的でありました。

そこで新宿歌舞伎町です。「歌舞伎町」の名前の由来が、戦後に新宿に歌舞伎座を誘致しようということから名付けられた事は、何かで知ってはいましたが、

もともと歌舞伎は湿地を住処とするような人々によって、守り育てられてきた芸能ではないか。(中略)歌舞伎を乾いた土地から、湿った土地へ取り戻そう。それは、歌舞伎という芸能にとっても、生命復活のきっかけをもたらすに違いない。(P.46)

という気運が当時盛り上がっていたのだと中沢氏は書いています。ご存知の通り、歌舞伎は江戸庶民の娯楽ですし、題材も廓(遊郭)ものが多い。そういう意味からは中沢氏の言うように「湿った」土地を基盤とする芸能であるという主張は、何となく納得してしまいます。

その後に中沢氏は鶴谷南北の「四谷怪談」について触れ、これを湿地からの逆襲という言葉で表現してみせています。四谷怪談の「お岩」さんは、史実によると決して怪談に書かれたような不幸な女性ではなく、市民生活の幸福の象徴として「お岩稲荷」に祀られています。そして「お岩稲荷」のある場所は四谷の高台(「乾いた場所」)に今も存在しています。

一方鶴屋南北の生きていた世界は「湿った土地」の「湿った社会」であり、歌舞伎役者たちは「川原乞食」とさえ呼ばれ社会的には低い身分でした。鶴谷南北は「お岩稲荷」の「お岩」という名前と、当時流行していた柳亭種彦の「近世怪談霜夜星」の主人公「お沢」に着想を得、「乾いた土地」の象徴であった「お岩」を「湿った土地」につながりをもつようなドロドロとした世界に引き摺り下ろす物語を書いたというのです。

鶴谷南北の心の中で、湿地帯の想像力がむくむくと頭をもたげだした。高台に住む幸福な武家の主婦であったという、その女性の名前は「お岩」。その名前によって、彼女は崖下の湿地帯に、秘密の通路でつながっているはずだ。お岩というこの女性は、お沢の同類でなければならない。暗い大地の底で死霊の世界につながりを持っているお岩は、なにかの原因で、ふためと見られない醜い容貌に成り果てる必要がある・・・(P.56)

かように鶴屋南北が考えたかは定かではありませんが、「乾いた土地」と「湿った土地」の絶妙な対立とバランス。これは、中沢氏の文章とアースダイバーの地図を片手に、場所を思い浮かべたり、あるいは実際に訪れるならば、夜陰に忍び寄る霧のように体のなかに染み込むように感じられる瞬間があるかもしれません。

2005年10月23日日曜日

【本棚】中沢新一:「アースダイバー」


中沢新一氏による「アースダイバー」は、知的好奇心を鋭くくすぐる意味において、東京に在住する人あるいは東京に極めて感心のある人にとって、ワクワクするような本であると思います。

この本が「週刊現代」の連載であったという事実すらもはや異次元の事実(*)として感じられるのですが、本書からは東京の一皮下に隠されていた縄文時代の地形や文化が、今なお東京の深層に影響しているのではないかと教えてくれています。

(*)「週刊現代」にもときどき興味深い記事が掲載されることはありますが、まず購入することはない種類の雑誌ですから。

実は最初は単なる「地域探索もの」かと思ったのですが、宗教学者の中沢氏ですから、ありきたりな考古学的、民俗学的なアプローチを超えて資本主義に対抗すべきパラダイムでさえ提示しているようです。

天皇制も形骸化し宗教はとっくに効力を失い、高度に発達した資本主義(キャピタリズム)の様相を呈している「神の国」日本。その中心たる東京(江戸)の成立や都市住人の精神的なもところにも縄文時代の痕跡が認められる・・・。これだけ読むと何をバカなと思うでしょう。しかし本書を読み進めるうちに、いつしか中沢氏の牽強付会な論理や独特の視点(思い込み)が強いな説得力を持って読者に迫ってくるから不思議です。

何故本書が売れているのでしょう。おそらくは、かつて挫折した経験のある「中沢新一」の本であるということから手に取った人は多いのではと思います。かくいう私もその一人。意外に平易な文章を読み進めるに従い、読者は自らの内に秘められていた合理主義では割り切れない何か(もしかすると野生)を再認識しはじめます。中沢氏の指摘するのは土地の持つ霊性や地形の成り立ちであったりするのですが、一枚一枚ベールをはぐように謎が解き明かされるてゆく鮮やかさには感嘆せざるを得ません。

さらには息詰まるような資本主義的日常の裏側に、それとは対極的な縄文的世界が存在しているという裏切に近い快感と哄笑を嗅ぎ取ったとき、モヤモヤとした閉塞感を打ち破るポッカリとした穴を見つける思いがするかもしれません。

かつてロラン・バルトが『表層の帝国』で「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」と指摘したのは1970年の頃。私はバルトなど読んだことありませんが、まさに今も東京は空虚の中心をグルグル回っているだけであるとするならば、こんな皮肉なことはないのですが。