中沢新一氏による「アースダイバー」は、知的好奇心を鋭くくすぐる意味において、東京に在住する人あるいは東京に極めて感心のある人にとって、ワクワクするような本であると思います。
この本が「週刊現代」の連載であったという事実すらもはや異次元の事実(*)として感じられるのですが、本書からは東京の一皮下に隠されていた縄文時代の地形や文化が、今なお東京の深層に影響しているのではないかと教えてくれています。
(*)「週刊現代」にもときどき興味深い記事が掲載されることはありますが、まず購入することはない種類の雑誌ですから。
実は最初は単なる「地域探索もの」かと思ったのですが、宗教学者の中沢氏ですから、ありきたりな考古学的、民俗学的なアプローチを超えて資本主義に対抗すべきパラダイムでさえ提示しているようです。
天皇制も形骸化し宗教はとっくに効力を失い、高度に発達した資本主義(キャピタリズム)の様相を呈している「神の国」日本。その中心たる東京(江戸)の成立や都市住人の精神的なもところにも縄文時代の痕跡が認められる・・・。これだけ読むと何をバカなと思うでしょう。しかし本書を読み進めるうちに、いつしか中沢氏の牽強付会な論理や独特の視点(思い込み)が強いな説得力を持って読者に迫ってくるから不思議です。
何故本書が売れているのでしょう。おそらくは、かつて挫折した経験のある「中沢新一」の本であるということから手に取った人は多いのではと思います。かくいう私もその一人。意外に平易な文章を読み進めるに従い、読者は自らの内に秘められていた合理主義では割り切れない何か(もしかすると野生)を再認識しはじめます。中沢氏の指摘するのは土地の持つ霊性や地形の成り立ちであったりするのですが、一枚一枚ベールをはぐように謎が解き明かされるてゆく鮮やかさには感嘆せざるを得ません。
さらには息詰まるような資本主義的日常の裏側に、それとは対極的な縄文的世界が存在しているという裏切に近い快感と哄笑を嗅ぎ取ったとき、モヤモヤとした閉塞感を打ち破るポッカリとした穴を見つける思いがするかもしれません。
かつてロラン・バルトが『表層の帝国』で「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である」と指摘したのは1970年の頃。私はバルトなど読んだことありませんが、まさに今も東京は空虚の中心をグルグル回っているだけであるとするならば、こんな皮肉なことはないのですが。
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