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2005年10月10日月曜日

戸板康ニ:「歌舞伎の話し」 その2


198頁程の薄い本なのですが、業務多忙によりやっと読み終えました。

以前も触れたようにこの本が発行されてから50年以上が経つというのに、歌舞伎をめぐる状況は当時のありようと表面上は変化していないのではないか、というくらいに「現代」に置き換えても読むことができるものでした。

歌舞伎ファンが客席から「なな代目」とか「松音屋」とかいう片言を叫んでいるのをきくたびに、わたくしは、果たしてこれが歌舞伎が栄えていることになるのかと疑わずにはいられません。あのような人気は、過去のそれとは違っています。(「第七話 その芸術性」P.166)

現代でこそちょっとした「歌舞伎ブーム」を呈していると時々言われますが、これとて戸板氏が見ていた50年前の歌舞伎とは全く異なったものであるのだろうと思うのです。その時々で変わっていく歌舞伎に対し歌舞伎の「美」を準拠とした演技術に反抗する俳優が、およそ三十年に一人位ずつ出ている(P.166)と書いています。歌舞伎俳優について不勉強ですが、例えば中村勘三郎なども、その一人に挙げられるのでしょうか。

戸板氏は歌舞伎の台本や演技を現代劇のリアリズムから批判することは意味がなく、つまりは歌舞伎の「台本」は文学ではなく、役者重視の発想の元に役者を際立たせるため、あるいはそこに現れる美を表出するためにあると説いています。私自身はまだ役者の好みにまで言及できる程に歌舞伎に接している訳ではないものの、舞台で俳優が「きまった」ときの快感は例えようもないもので、ツケが高らかに打ち鳴らされたときの、笑みさえこぼれてしまうような瞬間が見たくて歌舞伎座まで脚を運んでいるという気もしています。

予定調和的な陳腐な筋書きを愚であるとする人には、(戸板氏も書いているように)おそらく歌舞伎の面白さをいくら説明しても無駄なことなのかもしれません。逆に歌舞伎の持つ崩してはならない「美」というものを捨て去るならば、それはその時点で歌舞伎であることを放棄しているのかもしれません。

脚本がナンセンスであるのに、それを越えたところに歌舞伎の真価があるということで、ふと思い出したのはモーツアルトの「コジ・ファン・トゥッテ」です。あの莫迦げたダ・ポンテの戯曲にモーツアルトは信じられないほど美しい音楽を付与しました。今でこそダ・ポンテの戯曲の持つ現代性や深さが見直されていますが、当時は「戯曲」などどうでも良く、モーツアルトの妙なる音楽にこそ価値があったのかもしれません。ロマン派的な価値観の持ち主にとっては、ベートーベンのみならずワーグナーさえ「コジ」には否定的な批評を残してます。

歌舞伎の台本も、心理などを深読みすることができるものもありますが、そういうアプローチは本来的なものではないのでしょう。

六代目菊五郎などの持っていたリアルな演技は、実はそういう習練を隈なく経たのちに入っていた境地であることを知ってほしいと思います。

要するに、 伝統演劇の場合は、モーション(動作)を学んでいるだけで、エモーション(感動)が内奥から起こって来るのです。新劇の場合の、役への入り方と全く違うことを強調したいと思います。(「第四話 その演技」P.127)

この一文を読んでハッとしました。音楽の話題になってしまうのですが、これはバッハの音楽を演奏する時に似ているのではないかと思ったのです。バッハの時代は楽譜には強弱やアーティキュレーションなどの表示がありません。それをロマン的な演奏手法で演奏すると何だかバッハがバッハでなくなります。「楽譜に書かれたとおりに演奏すれば、おのずと音楽が立ち上がってくる、余計なことをするな」と何かの折に聞いたことを思い出しました。ちょっと脱線した余談ではありました。

2005年10月4日火曜日

戸板康ニ:「歌舞伎の話し」

戸板康ニの「歌舞伎の話し」(講談社学術文庫)を読み始めました。本書は1950年、戦後間もない頃に刊行された同名の書を文庫本化したものです。今から半世紀も前の本なのですが、戸板氏が歌舞伎に問いかけているものは、今でも充分に通用することに驚きを禁じえません。彼が問いかけているものとは即ち「現代文化における歌舞伎の位置」というものであり、では歌舞伎とは何なのかを「批評」「歴史」「役柄」「演技」「劇場」「脚本」「芸術性」「大衆性」から問い直しています。

日本の国の特有なものが次々と変貌してゆき、それに対する価値判断が刻々にかわってゆく現代において、歌舞伎についても何かしら定義をこの際下しておく必要があると思います。(「歌舞伎の話し」P.13)

戦後から5年を経た日本は、まさに激動のように変貌を遂げつつある時代であり、戸板氏が指摘するように、歌舞伎は古臭く敬遠されるものという印象が強かったのかもしれません。そして戸板氏は歌舞伎の「芸」について、当人の意識しないところに生れる不可測の何者かが生み出す成果に、すべてがかけられていると説明し

端的に歌舞伎の脚本を理会し、演出を研究し、演技を習練したというだけで、歌舞伎を(素人が)演じるなどということは、それがどのように努力が傾けられたものであっても、素人が演じたものは本ものの歌舞伎ではない(「同書」P.17)

とし、素人の演じる歌舞伎がどこまで行っても本ものにはなり得ないという宿命的な事実が歌舞伎にはあると断言しています。他の演劇や音楽などの芸術世界とは全く異なった要素があることを示唆してます。この感覚は非常に新鮮なものでありました。先に読んだ渡辺保氏の「歌舞伎」も、「芸」という題から本章を始めており、芸は単なる技術ではないと説明していたことを思い出します。

残念ながら歌舞伎を観ていて、私はまだ芸のもった奇跡であり、幻術である。幻術は底が知れずいかがわしい。(「歌舞伎」渡辺保 P.041)と渡辺氏が書くほどの芸には接したことがありません。それを「見る」までは、私の歌舞伎通いは続くのでしょうか。(それには、3階席以上の値段の席を入手しなくてはならないのでしょうが・・・)

2005年10月3日月曜日

立ち読み

本日は天気も良いので丸の内オアゾの丸善へ。丸山真男の「自己内対話」でも買おうと思っていたのだが生憎売り切れだった。こんなことならネット検索しておくべきだったと後悔。

仕方ないので丸山解説本をいくつか斜め読み。丸山は最後まで「思想史家」としての立場を貫き、「思想家」「哲学者」ではなかったらしい。自分の語れる範囲の事を徹底的に研究することで、ひいては「思想」や「哲学」を語っていたという態度は、彼の音楽への接し方とも通ずると感じた。「ササラ型」「タコツボ型」ということと「執拗低音」というキーワードは、彼の中で通底する意識なのだと思う。晩年の「他者感覚」についての言及も鋭い。

その後、話題?の「原寸美術館 画家の手もとに迫る」(結城 昌子)をパラパラとめくる。その迫力には驚くばかり。ボス、ブリューゲルの絵は高校時代から凄いと思っていたが、原寸で眺めた時の凄まじさ。あるいはマネの圧倒的な筆さばき、モネやゴッホの狂気を感じる色の混沌。フェルメールの異空間。ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠式」の壮麗さ・・・、本当にこの企画には脱帽、今まで見えていなかったものが浮かび上がってくる。

しっかり堪能した後は渡辺保氏の「歌舞伎劇評」(朝日新聞社)を一通り眺める、すぐに読めてしまうので買うほどではなさそう。最後は「歌舞伎の話」(戸板康ニ)、「アースダイバー」(中沢新一)を購入して帰る。丸善は窓際に椅子とテーブルがあり非常に快適。

2005年8月28日日曜日

歌舞伎座:伊勢音頭恋寝刃

八月納涼歌舞伎の第二部を観てきました。演目は「伊勢音頭恋寝刃」より油屋と奥庭、「蝶の道行」、「京人形」の三作です。中村勘三郎襲名披露以来の歌舞伎で久しぶりの観劇です。

今月の歌舞伎界の話題といえば、夜の部に演じられる串田和美演出の「法界坊」であることは間違いないでしょう。しかし勘三郎襲名の最後の演目は「野田版 研辰の討たれ」でしたから、いま一度しっかりとした古典歌舞伎を観たいという気持ちもありました。また渡辺保さんの歌舞伎評でも「伊勢音頭」をして今月一番の期待作と書かれていましたし、戸板康ニ氏に関するサイトでもある「日用帳」でもなんといっても三津五郎の『伊勢音頭』がたのしみでたのしみでしかたがない、三津五郎の『伊勢音頭』と聞くと当然たのしみにしてしかるべきの『法界坊』なぞすっかりかすんでしまったというエントリを読み、もう「伊勢音頭」しか眼中になくなりました。それで観終わった後の感想はといえば「歌舞伎ってやっぱり面白いなあ」という深い満足感でありました。

簡単に感想を書き留めますと、まず何と言っても渡辺さんも指摘されるように三津五郎の貢役がよかった。台詞の聞き取りやすさ、見栄の決まり方、イキの良さ、場の雰囲気の変え方、まさに歌 舞伎の型がそこにあり、そして歌舞伎を観る楽しみを充分に味わわせてくれる役周り。いったいいくつの見栄を切ったことでしょう、そのいちいちが小気味良く、胸の奥でストンと落ちるべきところに何かが落ちる感じ、これが歌舞伎の醍醐味か。

この貢にからむのが勘三郎の万野。勘三郎が舞台に出るだけで客席から笑いが漏れるのはいかがなものかと思うものの(万野が死ぬところまで笑いが漏れるんだからヤレヤレです)それが人気役者たる由縁か、それでも性根の悪い万野役をきっちり演じ切っていました。ここが生ぬるいと貢の中で鬱屈した感情が育たない、また陰湿に過ぎると舞台が暗く重くなる。勘三郎の笑いと真剣な部分のバランスは絶妙。

この「伊勢音頭」という物語、遊女お紺(福助)の愛想尽かし、妖刀「青江下坂」の魔力につられての郭での連続殺人と来れば思い出すのは4月の襲名披露の演目「籠釣瓶花街酔醒」です。あちらはどうしようもない悲劇性を帯びていたものの、こちらはラストのあり方を含めてもう少し軽い、というか、先にも触れた勘三郎の役柄が上手い具合に喜劇的性格を付与し、最後はムチャクチャな筋立てであるのに不思議とやりきれなさや救いのなさが少ない。

いや、軽いのはもしかすると三津五郎演ずる貢の性格にもあるのかもしれません。歌舞伎とは、また当時の感覚は「こんなもの」という肯定的な面が強く、逆にそれ故にといいましょうか、籠釣瓶に通じるような現代性は少ないように感じました。

舞台が廻って踊り子の華やかな音頭の後、血まみれの人物が現れての殺しの場面も残酷なシーンを楽しむというエンタテイメント性を演出に感じ(ちょっと長すぎるが)、18世紀末の江戸の文化的爛熟さを垣間見る思い。

醜女という設定のお鹿(弥十郎)がちょっとかわいそうな役回りですが、これというのも全ては万野の悪企みのせい。ではいったいに万野は何故にここまで貢を陥れようとしているのか、という謎が残ります。観ていると貢の怒りを買うような行動ばかりしている。徳島岩次とつるんで貢から銘刀を奪い取ろうと企んでいるだけにしては、ちょっとやりすぎな行動。「嫌い嫌いも好きのうち」なんて可愛い感情でもない。

こういった行動に対して一閑堂のpontaさんは玉三郎万野の平安というエントリで、

彼女の男への執着は闇のように深く、濃いのだ。あたかも煮詰まった毒酒のように…。 そんな彼女はようやく獲物をみつける。

(中略) 今日の破滅、貢に仕掛けた破滅だけは不可逆なものであって欲しいと万野は思っていたのではないか?

と1999年6月に歌舞伎座で演じられた仁左衛門の福岡貢、玉三郎の万野の「伊勢音頭」を引き合いにして書かれています。この捩れて深い業のような人間性。そのようなものまでは勘三郎の万野からは感じることはできませんでしたが、先の疑問に対する一つの回答であるのかも知れません。

愛想尽かしをするお紺についても最後にふれなくてはならないか。何故愛想尽かしをするのか、そのわけが観ていて分からなくてはならない、お紺は貢の方を見もせずに、寝入っている岩次(>たっだよな?)の懐近くに手をかざし、ひたすらに憎まれ口をきいている。ああそうか、そうかと分かる演技、女心は怖くていじらしくてフクザツだなあと。

お紺、万野、お鹿という三者三様の女模様の複雑さや深さ。これに比べたら男はなんと単純なことよのう。劇を支配する支離滅裂さと脳天気な結末は、勘三郎の「軽さ」ではなく、貢の持つ「男」というものの、どうしようもない単純さと軽さに起因しているのかもしれない。

ちなみに「伊勢音頭」は寛政8年(1796年)に近松徳三の書いた歌舞伎で、同時期に伊勢古市の油屋で起きた事件を題材にしています。一方の「籠釣瓶」は三世河竹新七により明治21年に初演、享保年間の百姓次郎左衛門の吉原百人斬が題材になっております。どちらも「妖刀」の魔力による殺人とされていますが・・・刃物は人を魅了する力を持っているのですなア、おそろしや、おそろしや・・・浴衣といい、ウチワといい、スプラッタといい、まさに納涼歌舞伎でございました。

2005年6月2日木曜日

歌舞伎役者が演じるから歌舞伎

「野田版研辰の討たれ」が賛否両論であり、私の中でも評価が分かれている事は以前書きました。戸板康二の「続歌舞伎への招待」も読了し、通勤電車の中とかトイレの中とかであれこれ考えているんですが、考えはまとまりません。




ひだまりのお話しというブログで、4回にわたり劇話「歌舞伎の今日性『研辰の討たれ』とするエントリが掲載されていました。歌舞伎とオペラのありようなど比較しながらの論は興味深く拝読しました。


タイムマシンでもなければ体験できない200年前の芝居小

屋の雑然として猥雑なアナーキーさこそがエネルギーの根源

だっただろうと想像されるかつての歌舞伎のような公演が、

今月の『研辰』であったことは疑いようがない。



これは第1回目のエントリです。歌舞伎のもつ猥雑なアナーキーさは歌舞伎成立史を考慮するとその通りなのですが、歌舞伎としてのエッセンスは一体どこにあるのか、どこまでが歌舞伎として許容されるのかということが、私の最大の関心事でありまして。なぜならば、この点をはずしてしまうと、歌舞伎を観る意味そのものが曖昧になってしまうからです。


オペラへの新演出は最近では意表をつくものが多いようですが、音楽はあくまでもワーグナーであり、ヴェルディのものです。「野田版」はバイロイト祝祭管弦楽団&合唱団を使って劇団四季のミュージカル演じても「クラシック」なのかと問い始めることに近いのですが、一方でこういう問いそのものが愚問のような気がしてもくるんですね。


何を表現していればギリギリに歌舞伎(あるいはクラシック)足りえるのかを問うているのですが、音楽と演劇と映画と読書の日々というブログでの


この作品は、野田舞台を歌舞伎役者が演じているから歌舞伎なのであって、もしそうでなければ普通に舞台作品として成り立つ作品だと思う。


という認識は、最初に提示していた回答の一つではあるものの、この言い切りは潔く、一刀両断にしてこれ以上詮索しても無意味であろうかと思わせる説得力を感じましたです。

歌舞伎役者が演じるから歌舞伎

「野田版研辰の討たれ」が賛否両論であり、私の中でも評価が分かれている事は以前書きました。戸板康二の「続歌舞伎への招待」も読了し、通勤電車の中とかトイレの中とかであれこれ考えているんですが、考えはまとまりません。




ひだまりのお話しというブログで、4回にわたり劇話「歌舞伎の今日性『研辰の討たれ』とするエントリが掲載されていました。歌舞伎とオペラのありようなど比較しながらの論は興味深く拝読しました。


タイムマシンでもなければ体験できない200年前の芝居小

屋の雑然として猥雑なアナーキーさこそがエネルギーの根源

だっただろうと想像されるかつての歌舞伎のような公演が、

今月の『研辰』であったことは疑いようがない。



これは第1回目のエントリです。歌舞伎のもつ猥雑なアナーキーさは歌舞伎成立史を考慮するとその通りなのですが、歌舞伎としてのエッセンスは一体どこにあるのか、どこまでが歌舞伎として許容されるのかということが、私の最大の関心事でありまして。なぜならば、この点をはずしてしまうと、歌舞伎を観る意味そのものが曖昧になってしまうからです。


オペラへの新演出は最近では意表をつくものが多いようですが、音楽はあくまでもワーグナーであり、ヴェルディのものです。「野田版」はバイロイト祝祭管弦楽団&合唱団を使って劇団四季のミュージカル演じても「クラシック」なのかと問い始めることに近いのですが、一方でこういう問いそのものが愚問のような気がしてもくるんですね。


何を表現していればギリギリに歌舞伎(あるいはクラシック)足りえるのかを問うているのですが、音楽と演劇と映画と読書の日々というブログでの


この作品は、野田舞台を歌舞伎役者が演じているから歌舞伎なのであって、もしそうでなければ普通に舞台作品として成り立つ作品だと思う。


という認識は、最初に提示していた回答の一つではあるものの、この言い切りは潔く、一刀両断にしてこれ以上詮索しても無意味であろうかと思わせる説得力を感じましたです。

2005年5月23日月曜日

戸板康二:歌舞伎への招待



先に触れた戸板康二の「歌舞伎への招待」「続 歌舞伎への招待」が岩波現代文庫で復刊されているのを知り、早速入手して読んでみました。

全くの私見ですが、戸板康二氏と吉田秀和にどことなく類似点を感じるのは私だけでしょうか。(>無理に音楽ネタに振らないと歌舞伎サイトになっちまう最近のエントリ・・・)

  • 戸板康二監「歌舞伎への招待」岩波現代文庫 ISBN:4006020805
  • 戸板康二監「続歌舞伎への招待」岩波現代文庫 ISBN:4006020813

「歌舞伎への招待」は昭和25年に暮らしの手帖社の前身である「衣裳研究所」から刊行され、歌舞伎入門の書としてばかりではなく、歌舞伎評論の先がけともなった本であると理解しています。内容は戸口氏が僕の立場はエトランゼの立場であると書くように、初めて歌舞伎を接する人にも分かりやすいように書かれています。(何で読んだか忘れましたが、戸板氏は、この本をそのまま英訳しても良いような文章と内容にしたのですとか)

例えば「花道」において

六法ほど、花道というものをうまく利用した演技はない。
僕はひそかに、これを、歌舞伎におけるカデンツァと呼んでいる。

という有名な文章から分かるように、歌舞伎を外から見る視点が新鮮です。

内容的にはこの本より以前に発刊された「わが歌舞伎」「続わが歌舞伎」と重複する内容も多いのですが、早稲田演劇博物館所蔵の写真などをふんだんに用いている本書は、昔の歌舞伎の雰囲気や歌舞伎役者の面立ちを伺い知る点でも、極めて貴重なものであると言えます。(写真がもう少し鮮明で大きければ良いのですが・・・文庫本ですから仕方なしか)

解説は山川静夫氏が書いていますが、歌舞伎は学問ではない。娯楽である。の言葉は的を得ています。しかし、たた漠然と観ているだけでは、平成の現代では娯楽足りえないのも歌舞伎。ここ数日、歌舞伎関連の本を読むにつけ、歌舞伎が江戸の庶民の嗜好を踏まえながら、いかに柔軟に発展してきたか、ということが何となく分かってきました。

また、歌舞伎の演目を読み解くことで、江戸時代から明治にかけての庶民の常識的な教養や生活振りも伺う事ができ、まあ、そういう点では、余りにも知らないことが多すぎる自らの無知を恥ずるとともに、興味も尽きず、娯楽をするのも骨が折れるなァと思うのではありました。(そもそも紹介されている演目の、ほとんどを、まだ観た事がないんですから)

2005年5月22日日曜日

歌舞伎とは何なのか


中村勘三郎による「野田版研辰の討たれ」を観てから、歌舞伎ってなんだろうと思い、今日は書店と豊島区中央図書館をハシゴして、つらつらと歌舞伎関連の本を斜め読みです。


  • 吉田弥生「江戸歌舞伎の残照」 ISBN:483557947X
  • 橋本治「大江戸歌舞伎はこんなもの」筑摩書房 ISBN:4480873295
  • 戸板康二監修「歌舞伎鑑賞入門」創元社 ISBN:4422700677
  • 岩波講座 歌舞伎・文楽 第4巻「歌舞伎文化の諸相」 ISBN:4000107844



橋本氏いわく


歌舞伎なんていうものは、そもそもが「ルールに取仕切られた混乱のページェント」だったりもする訳

戸板氏いわく


歌舞伎の第一義は戯曲になく、俳優の演技における美の追求にあったと見なければならない

分かったような分からないような気分ですが、学者ではありませんから、このくらいの認識でよしとしましょう。今日読んだ本の中では、橋本本が秀逸です。相変わらずの橋本節ですが、色々斜め読みした中では圧倒的な分かりやすさです。特に「時代物」「世話物」「時代世話物」の概念はまさに彼ならではのものです。


Flamandさんのコメントにあった特に歌舞伎の世界は先の戦争後に存続そのものの危機的状況を迎えたということも気になったので簡単に調べてみました。


昭和19年3月の戦時中「高級享楽停止」の名の下に全国19の劇場が閉鎖されます。翌20年には空襲で歌舞伎座が消失、そして十五世羽座衛門の死と続きます。戦後はGHQにより封建制度を賛美するような内容の歌舞伎の上演が禁止される憂き目に会いました。これを救ったのは他ならぬマッカーサーの副官として日本語通訳を務めたフォービアン・バワーズ(来日当時二十八歳)のアメリカ陸軍少佐であったというのですから、不思議なものです。


しかし戦後においても戸板氏が指摘するように歌舞伎は古くさい、愚劣だ、見るに耐えないといふやうな意見が多かったのだそうです。昭和24年は歌舞伎の名優を相次いで失っています。七代目幸四郎、七代目宗十郎、そして六代目尾上菊五郎です。戸板康二の「歌舞伎への招待」が発刊されたのは、そんな歌舞伎の衰退が懸念された昭和25年になるわけです。


なかなか勉強になりましたです、はい。難しいことなど考えなくても楽しめるのも歌舞伎ですが、深く知るともっと面白いのも歌舞伎でありますな。

2005年5月9日月曜日

カブキを見にゆく ということ

戸板康二の「続 わが歌舞伎」の まへがき の冒頭に以下のようにあります。


先日、ある先輩が、なにしろこの頃の人達は、かぶきを見にゆくといふんだからね、時代が変わったよ、と嘆息するやうにいはれたのをきいて、自分でも初めて気がついたことなのだが(以下略)


え?「歌舞伎を見に行く」のどこが変なんだ?と昭和24年の戸板に問いかける、その答えは最後の章『芸談とは』にありました。





若い世代の人々は「カブキを見にゆく」といふが、老人は「菊五郎を見にゆく」といふ。つまり、演劇でなく、それをしばやといふ古風な発音をする年齢の見物にとつては、依然、歌舞伎は俳優を中心としたものであることに間違ひはない。


成る程、そうでありましたか。考えてみれば、ディープなクラシックファンは「音楽会に行く」とか「コンサートを聴きに行く」とは言わない。「ラトルのマーラーに行く」とか「ハーンのショスタコを聴きに行く」と言うわけであり、その点、ディープなファンにとっては、依然、コンサートはパフォーマーを中心としたものであることに間違いはない、という当然のことに気付いた次第。


さて翻って歌舞伎。海老蔵や七之助の二枚目振りはテレビなどで「そういうものか」と分かったものの、顔だけでファンになるほどに女性的でもミーハーではないし、かといって役者の個性など分からない。
團十郎が云々だの、富十郎がどうの、と言ったところで、それはある芝居での一面的なものでしかないことは承知の上、駄文を積み重ねている。


それでは、いつまでたっても、オーケストラごとの音色の違いとか、オケのメンバーの名前さえ覚えることができない、ナサケないクラシックファン(>俺だよ)と同じであるよなあ、などと、海老蔵の写真集を横目に眺めながら思うGW最後の休日でありました。


2005年5月8日日曜日

NHK BS:醍醐寺薪歌舞伎 勧進帳

5月7日のNHK BSで、今年の4月27~29日に世界遺産に登録されている京都・醍醐寺の境内で行われた「醍醐寺薪歌舞伎」の上演が放映されました。途中から見ましたので新作舞踊「由縁の春醍醐桜」は見られませんでしたが、「にらみ」と「勧進帳」は非常に見ごたえがありましたので、簡単に感想などを記すこととします。

まず成田屋伝統の「にらみ」。團十郎の「にらみ」は襲名披露依頼20年ぶりとのことで、みなさんの邪気も、私の邪気も払いたいと言ってから、グっとにらみに入るところ、表情の変化などテレビ映像ならではの迫力でした。

さて「にらみ」といえば最近読んだ戸板康二の「続 わが歌舞伎」には以下のような記載があります。

��荒事の主人公が、思ふ存分を発揮する形を示すといふことには)、僕の考えでは、團十郎(と仮にしておく)が、観客を代表し、もしくは観客のために、春のはじめに、四方にむかつて、見得を切ることによつて、一種の厄払いをする心持があったのではあるまいかと思ふのである。

なるほど「にらみ」が邪気を払うということは、歌舞伎浸透の文化から考えても特別な意味を内包しているのかと得心。そういう深い意味も込めた團十郎の「にらみ」、更には大病を患った後の復帰という心持もあるのでしょうから、見ているだけで有難い気持ちになってきます。もっとも十二代目團十郎は、非常に上品な顔立ちをしておられますから、ギロリとしたより目の見得にしても、どことはなしにユーモラスな感じが漂うというのは、私の勝手な解釈でしょうか。

さて、続いては「歌舞伎十八番 勧進帳」、演ずるのは弁慶に團十郎、富樫に海老蔵、そして義経は時蔵です。親子で勧進帳を演ずるのは海老蔵の襲名披露以来のこと、しかし昨年は團十郎が大病のため途中降板という無念の涙を飲んだ舞台でした。ですから再びこうして勧進帳を演じられることの喜びは、ひとしおであるのだろうと思います。

ただ、この有名すぎる演目であっても歌舞伎初心者の私には、「勧進帳って義経と弁慶が出るんだよな~。富樫って誰だ?」くらいの予備知識しかなく全くの初見であり、それ故テレビへの集中だけでは台詞を聞き取りきれなかった部分も多く、まさに無念ともいえる鑑賞結果でありました(TV放映に予め気付いていたならば予習くらいしたものを)。しかし歌舞伎の持つ様式美やら團十郎や海老蔵の演技など、それなりに堪能することができましたし、さらに「薪歌舞伎」という引き幕のない特殊な舞台での演目という点でも興味深いものがありました。

実際の客席で観るのと映像を通して見るのでは、全く印象が異なるのだとは思いますが、4月の歌舞伎座での團十郎(毛抜)を思い出しながらテレビに接していますと、團十郎という役者は性格的な大らかさを感じる俳優であるのだなあと改めて思いました。團十郎が居ることによって独特の存在感と安定感が生じますし、声の調子に長調的な明るさと底力があり、それが張りとなって舞台の空気を引き締めます。(團十郎に否定的な意見も読んだことはありますが)私としては台詞回しを聴いていて非常に心地よい。

対する海老蔵は高調子な声音。歌舞伎座の幕見席では役者の顔など全く伺うことなどできないのですが、テレビでアップで見ますと、流石に人気の出るだけある美男子であることを再確認、身体から匂い立つような品格は彼独自のものなのでしょうか。「ご機嫌!歌舞伎ライフ」のyukikoさんは、勧進帳の前に行われた柴燈護摩での海老蔵を以下のような描写で的確に表現されています。

するとお堂の陰からふいに平安時代の公達が物思いに沈んだ様子で現れ、見ればそれは海老蔵。光源氏と見まごうばかりの美しいその姿はまるで王朝の世にタイムスリップしたかのようでした。

海老蔵演じる富樫は関所を守る役人ですから公達ではないのですが、勧進帳においても確かに高貴さが漂っていました。それが富樫役として適切なのかは私には判じかねますが、弁慶とは違った情と存在感を示していたとは思います。山伏問答では、弁慶の余裕の問答にあせりながら、だんだんと押され気味になってゆくところなど、なかなかに見せてくれましたし、富樫の一番の見せ所(以下)も立派ではありました。

弁慶 笈に目をかけ給うは、盗人ぞうな。
 ト 四天王立ちかかるを
   コレ。
 ト 金剛杖を突きこれを制し
 ♪方々は何ゆえに、かほど賤しき強力に、太刀かたなを抜き給うは、目垂れ顔の振舞、臆病の至りかと、皆山伏は打刀ぬきかけて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔鬼神も、恐れつびょうぞ見えにける。
 ト このうち弁慶は金剛杖、皆々刀に手をかけ、双方詰め寄りとなり、キッと見得。
弁慶 まだこの上にも御疑いの候えば、この強力め、荷物の布施物もろともにお預け申す、いかようとも糾明あれ。但しこれにて、打ち殺し見せ申さんや。
富樫 コハ先達のあらけなし。
弁慶 しからば只今疑いありしは如何に。
富樫 士卒の者がわれへの訴え。
弁慶 御疑念晴らし、打ち殺し見せ申さん。
富樫 イヤ早まり給うな、番卒どもがよしなき僻目より、判官殿にもなき人を、疑えばこそ斯く折檻もしたもうなれ。いざな今は疑い晴れ候。とくとく誘い通られよ。

それにしても、勧進帳は本当に見所の多い歌舞伎です。「天地(人)の見得」「元禄見得」「石投げの見得」など要所要所で決まる見得の見事さと美しさ。勧進帳を読み上げた後の♪ 天も響けと読みあげたりで決める、その名も「不動の見得」も立派。後追いで調べているので、テレビを見ながらいちいち、これが「元禄見得」だ、などと得心していたわけではありませんが。

ちなみに不動見得とは市川家が信仰してゐた(成田屋という屋号もそれから来てゐる)不動尊のすがたをそのまま写した見得のこと(文、絵とも「続 わが歌舞伎」P.119より)。

最後は有名な「飛び六方」で締めくくられますが、これはまさに「勧進帳」を勧進帳ならしめる六方です。映像では、カメラを花道の突き当たりの揚幕のあたりに据え、六方を踏みながら突進してくる團十郎をとらえているのですが、あまりの迫力にかカメラの焦点が合いきらずボケ気味の画像であったのは少々残念ではありました。

普通はこの飛び六方、幕引き後の花道で演ぜられるものですが、今回は醍醐寺を借りて演じていますから幕がありません。静々と富樫が奥に引き込むのを見送った後に、渾身の六法となりました。義経演ずる時蔵に一言も言及できませんでしたが、まあご勘弁を。勧進帳ではやっぱり義経は脇役ですから・・・

尚、本文中の勧進帳テキストは、ウェブ上の以下を参考にさせてもらいました。

2005年4月28日木曜日

戸板康二:わが歌舞伎

歌舞伎を見終わった後、天気もよかったのでポクポクと歩きながら奥村書店へ。ここは歌舞伎・文楽・能・狂言・日本舞踊をはじめとする演劇全般を扱っている専門店。



つらつらと棚を眺めていたら、戸板康二の「わが歌舞伎」「続わが歌舞伎」という歌舞伎の古典的な入門書が2冊で千円で売られていました。発行は昭和23年と24年、本の痛みもかなりで、しかも個人の蔵書印なども押されているのですが、歌舞伎の感想などを生意気にもブログに書いていておきながら、戸板康二の一冊も読んでいないなどは、とてもでないが大きな声では言えないなあと思い購入した次第。

戸板まへがきに曰く。

最近、歌舞伎は大入満員の盛況である。しかし、之を以て歌舞伎の復活をいふのはまだ早い。第一に不思議なのは、見物が静かな事だ。静かといふと聞こえがいいが、実は無表情、無感動なのである。(中略)

が、理由は一応簡単だ。歌舞伎を知らないのだ。

と書き始め、

事実歌舞伎は難しい。が、能のあの極度に圧縮された象徴的表現と比べれば、之はずっと現実的で、一見わかり易い。が、却ってそのわかり易い外見のために、人々は深く考へるといふことをせずに、何けなく歌舞伎を見過ごしてゐるのであるともいへる。くりかへしていへば、歌舞伎はそのなまじつかな大衆性のお蔭で、一番大切にしなければならぬ大衆の心を見うしなはうとしてゐるのである。

と書いています。昭和20年前半においてこの歌舞伎評ですか(だって戦後すぐだぞ)、これは面白いです。翻って中村勘三郎の襲名披露に賑わう21世紀の歌舞伎空間、幕見席であっても立見も満杯の満員御礼が続く状態、掛け声もひっきりなしにかかるところではありますが、いかがなものなのでしょう。

本の内容は歌舞伎の演技・演出に対する目の据ゑどころ、即ち鑑賞の重点を解説したものとあるように、「役柄の話」「演技の話」と章立てして細かに成り立ちを含めて解説してあります。読みながら、ほーほーと思うことしきり。副題に芝居図解とあるように鳥居清言氏の挿絵も味わいがあって、興味が尽きませぬ。ゴールデンウィークは時間が結構ありますから、ゆるりと読むことといたしましょうか。