歌舞伎を見終わった後、天気もよかったのでポクポクと歩きながら奥村書店へ。ここは歌舞伎・文楽・能・狂言・日本舞踊をはじめとする演劇全般を扱っている専門店。
つらつらと棚を眺めていたら、戸板康二の「わが歌舞伎」「続わが歌舞伎」という歌舞伎の古典的な入門書が2冊で千円で売られていました。発行は昭和23年と24年、本の痛みもかなりで、しかも個人の蔵書印なども押されているのですが、歌舞伎の感想などを生意気にもブログに書いていておきながら、戸板康二の一冊も読んでいないなどは、とてもでないが大きな声では言えないなあと思い購入した次第。
戸板まへがきに曰く。
最近、歌舞伎は大入満員の盛況である。しかし、之を以て歌舞伎の復活をいふのはまだ早い。第一に不思議なのは、見物が静かな事だ。静かといふと聞こえがいいが、実は無表情、無感動なのである。(中略)が、理由は一応簡単だ。歌舞伎を知らないのだ。
と書き始め、
事実歌舞伎は難しい。が、能のあの極度に圧縮された象徴的表現と比べれば、之はずっと現実的で、一見わかり易い。が、却ってそのわかり易い外見のために、人々は深く考へるといふことをせずに、何けなく歌舞伎を見過ごしてゐるのであるともいへる。くりかへしていへば、歌舞伎はそのなまじつかな大衆性のお蔭で、一番大切にしなければならぬ大衆の心を見うしなはうとしてゐるのである。
と書いています。昭和20年前半においてこの歌舞伎評ですか(だって戦後すぐだぞ)、これは面白いです。翻って中村勘三郎の襲名披露に賑わう21世紀の歌舞伎空間、幕見席であっても立見も満杯の満員御礼が続く状態、掛け声もひっきりなしにかかるところではありますが、いかがなものなのでしょう。
本の内容は歌舞伎の演技・演出に対する目の据ゑどころ、即ち鑑賞の重点
を解説したものとあるように、「役柄の話」「演技の話」と章立てして細かに成り立ちを含めて解説してあります。読みながら、ほーほーと思うことしきり。副題に芝居図解とあるように鳥居清言氏の挿絵も味わいがあって、興味が尽きませぬ。ゴールデンウィークは時間が結構ありますから、ゆるりと読むことといたしましょうか。
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