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2008年6月13日金曜日

iPhone2.0の続き雑感

先に携帯のデザインについて書きましたが、Docomoの携帯にはデザイン的に物欲を誘う製品が少ない。PRADA Phone by LG などというものも発売されていましたが、お値段も結構なものだったと記憶しています。iPhoneを200ドル前後で発売するということは、デザイン製品に対する価格破壊のような感触を覚えます。

デザインは言うまでもなく、基本機能に対する付加価値です。付加価値はブランドイメージそのものでさえあります。そのデザインのために消費者は多少不便でも金を惜しまない。そしてそのデザイン(ブランド)を有している自分の立位置を内外ともに明示することで自分の中の何かを守っています。これはデザインに拘らないという逆の立場も含めて。

そういう顧客心理があるからこそ、付加価値は高く売れる、値引きしない。しかし、Appleのように「良いデザインを普及させたい」あるいは「デザインこそが全て」という意志または思想は、上記のようなコンセプトをある程度侵食します。

iPhoneの普及目標は、たかだか世界シェアの1%です。しかし、その1%の秘める大きさに、私は期待するんですけどね。iMac使って、本当に世界観が変りましたよ。(>というテクストを書いているマシンは相変わらずPCだけどね)

2008年6月11日水曜日

iPhone2.0発売

Appleが7月11日にiPhone2.0を発売するとのこと。日本の発売日が懸念されていたが、先日の報道では米国と同時発売とのこと。


米国では、1年前のiPhone発売のような衝撃はないようです。それでも、S.ジョブスがiPhoneが高すぎたことを反省し、値段を半分近くにまでしていることには、非常なる意欲と野心を感じます。


日本の場合、独自に進化した、そしてある意味において歪な「ケータイ市場」にあって、iPhoneがマニアやガジェット・ヲタクの購買以上に普及するかは、私には予測できません。ワンセグなど何時使うの?と思っていた機能も、広く普及してしまうと「ついていて当然」と感ずるようになります。

誰かも書いていたように、「使わなくても機能としてある」ということは意外と重要だと思うのです。電子マネーもそうですね。「やっぱ、日本のケータイの方が便利」という方は多かろうと、付爪をしている女性方を含めて・・・。


しかし、それではあっても、私はiPhoneの日本発売に期待しています。言葉は悪いのですが、女子供をマーケットにしているとしか思えないケータイ文化の中に、スマートフォン文化が進入するきっかけはなるのではないかと。そして、何よりもガジェットとして美しいし洗練されています。日本のケータイが、いやブラックベリーを始めとしたWindowsケータイが決して追いつくことのできない文化をそこから感じるからです。




2007年1月30日火曜日

咲いた、なくそす、なくそす、咲いた

イロイロと公私ともども忙しいんです。という、よくある言い訳でブログ更新の滞りを説明しておきましょう。で音楽といえば買ったCDは聴かずにNaxos MLばかり聴いています。

ロマンティク・エ・レヴォリュショネルのyusukeさんが、


基本的にNMLで聴いた曲の感想書くのはちょっと抵抗なくもないんですが(リッツェン「チャイニーズ・レクイエム」他 2007.1.24

とか、


これほんと、きりがありません(せっかちNMLライフ 2007.1.28

と書いているのを読んで、「そうだよな×2」と、フカク×2頷く毎日です。yusukeさんは続けます。

テンポのゆっくりな曲とか、ぱっと聴きガツンとやられない曲とか、一定時間あたりの情報量が少ないのでまどろっこしくなってきます。てことで緩叙楽章skip。ゆっくりした序奏とかついてたらskip。提示部の繰り返しなんか当然skip。「やっぱ遅い曲ってたるいよな」とか、お前本当にクラ好きなのかと問い詰めたくなるような調子

私が「本当にクラ好き」なのかは自分でも疑問なのですが、iPodを購入してからクラシック曲に対する「楽曲をシームレスに聴く意味」に対して寛容になってしまったことは認めざるを得ません。ある楽章、あるいは、あるフレーズが好きだから、そこだけ前後の脈絡も何も考えずに、作曲者の意図さえ無視して聴いたって、いいぢゃないかという感覚。すなわちクラシック曲を「神聖視」することから解放されたと言いましょうか・・・。音楽がアナログからデジタルに変わったことで、「聴く」という行為さえもが「デジタル」化するということ。これは幸福なことなのか、不幸なことなのか。

♯CredoのkimataさんもNaxos MLについて書いています。


究極の形はやっぱケータイの電波でNMLが聴けることでしょうかね。。。(ガジェット軟禁 2007.1.27

これは私も思いましたね。携帯音楽端末で、好き放題に音楽を聴けるようになったとしたら、これは、とんでもないことなのだろうと。(しかもAppleの携帯みたいなガジェットで!)

こんなに音楽情報が溢れてしまった世の中にあって、真面目に長時間、音楽を鑑賞するというスタイルは変質するのか・・・、いや既に変質してしまったのか・・・?などと思いながら、今はCLD4022-23 VIVALDI: Juditha Triumphansを軽く通して聴いた後、レチタティーヴォをはずしてアリアだけ流しながら聴いたりしています。

2006年6月26日月曜日

【本棚】パンドラの箱とフラット化


Syuzoさんのブログを読んでつらつら考えます。

私も仕事とは別に、この先どういう世の中になっていくのかの興味がつきません。「パンドラの箱」を考えるキーワードの一つは、私の場合は「フラット化」ということです。情報化やIT化が産業革命に次ぐ大きな変革であると説いたのはドラッカーだけではありません。

「フラット化」ということが気になっていたら、本屋でトーマス・フリードマンの「フラット化する世界~経済の大転換と人間の未来」という本がたまたま目に付き、読み始めています。フリードマン氏は自著の「レクサスとオリーブの木」を引き合いにしながら、グローバリゼーションが大きく三つの時代として存在していたと説明します。

ひとつは旧世界と新世界の間で貿易が始まった1492年から1800年頃まで(グローバリゼーション1.0)。次が多国籍企業による世界統一の時代で産業革命を含む1800年から2000年まで(グローバリゼーション2.0)。そして今はグローバリゼーション3.0に移行したのだと。個人や小集団が簡単にグローバル化することが可能になったということ。確かにこれは劇的な変化です。

私の常識は、私の子供にはもしかすると伝わらない。私たちの成功体験は、彼らの世代には無意味なものとなるかもしれない。私たちの時代の幸福感は彼らの不幸でしかないかもしれない。未来はどこに向かうのか。政治の力が復権することはありえるのか、経済や資本主義主導ではない社会は到来するのか。個人と組織の関係は変化するのか。哲学や文学は、あるいは音楽やアートは何を表現するのか。神は終に絶滅するのか、あるいは劇的復活を遂げるのか、Googleが神だなんて、あまりに莫迦げていませんか?

2006年6月11日日曜日

パンドラの箱


syuzoさんのコメントにレスしていたら長くなってしまったので、エントリとします。(>読み返したら、ちっとも「レス」になっていませんでしたが・・・)


梅田氏の本を読みながら、ふとe-mailを仕事で普通に使うようになったのはいつだったかと、振り返ってみた。今でこそ社内、社外を問わずe-mailの存在なしには業務は出来ないほどになったが、私にとってのe-mail使用歴は、たかだか10年も経っていない。


今から10年前といえば1996年。我が社は阪神大震災(1995年1月)を契機に、社内ネットワークの重要性にやっと気付いた時期である。そういう本社から支店に戻ったばかりの私は、部内や部外にネットワークのメリットを啓蒙者のように説き、実践し結果を示さなくては、その本質を誰も理解してくれなかった。NEC N5200シリーズのLAN-FILEで構築されたていたデータベースをWindows95で動くACCESSに変換し、当時流行しはじめたISOに対応した部内RDBシステムを独自で構築し、誰でもが自分のPCから使えるようにした。Niftyはまだ隆盛を誇っていた。FCLAやFCなどの存在は懐かしい。パソコン通信は日常生活の一部であった。


15年前といえば1991年頃。携帯電話はまだ一般的ではなく、肩から箱のようなものを提げなくては使えなかった。PCのOSはMS-DOS3.*で、私のパソコンに対する関心は、テキストファイルをいかに効率的に扱うかであった。sedやawkなどのunixから転用されたスクリプト言語を四苦八苦しながら使っていた。テキスト入力はお決まりのVZ Editor。C言語やC++を趣味と見栄で覚え、TurboC++を使って愚にもつかないプログラムをいくつか作った。パソコン通信にどっぷり浸かり、見ず知らずの人と繋がる快感を覚えていた。


20年前といえば1986年。パソコンは職場には存在しなかった。ワープロを使う人は先端的と思われた。今ではパソコンで動くような技術計算プログラムを、支店から本社にあるホストコンピュータをタイムシェアリングで夜中に動かしていた。新しもの好きな上司が使うワープロを見せてもらったら、ほとんどラインエディタであった。1988年頃から社内では電話回線を使ったワープロ通信が情報交換ツールとして実験的に使用されはじめた。東芝RUPOを自分で買い、社内ワープロ通信やチャットにのめりこんだことで、ブラインドタッチを覚えた。社内ネットワークを拡充したり、Niftyのフォーラムに入り浸ったりしていた。


それ以前、学生だった私は、卒業論文は手書きであり、梗概は事務の女性が活字を組んでガシャガシャやっていた(なんていうんだっけ、あれ?)


私の本来業務は情報システム関連であったことは一度もない。開いた「パンドラの箱」はITだけの世界ではない。従来「固定」「不動」と思われたものが「流動化」したことによって世界は激変した。


ではこれから、5年、あるいは10年先の「仕事の仕方」を想像できるだろうか?何は変わって、何は変わらないのだろうか。企業の本業とは何だろうか。日本の強みとは、そのとき、どこにあるのだろうか。


ちなみに、独学で苦労して覚えたAccessやらC言語は、自分で使わなくなったら綺麗さっぱりに忘れてしまった。あたかも一夜漬けの勉強のようなありようである。







2006年6月10日土曜日

ネットの「あちら側」と「こちら側」

梅田氏の本に触発されAmazonのアフィリエイトに関心を持ち、Amazonのサービス概要や、製品のカスタマーズ・レビュなどを読んでみた。

自分のレビュを自サイトの「こちら側」ではなくAmazonの「あちら側」に置いて、相互に関連付けを行うというAmazonのビジネスモデルは素晴らしい(Amazonのオリジナルかは知らぬが)。しかし、ネット販売会社はAmazonだけではない。CD販売の大手ではHMVやTowerも似たようなサービスを展開している。

このような類似サービスのひとつひとつにアクセスし関心のあるレビュを読むというのは、実はかったるい作業である。もっとユニークな製品に関するレビュは、まとまって読めないものかと考える。今の状況は、ユーザーから見れば「あちら側」の世界の「こちら側」争いとも言える。

アマゾンもHMVもブログによるトラックバックという機能を付与すれば、ネットの「あちら側」と「こちら側」は有機的に結びつくことになる。しかも、それが「人間の手を煩わさず」に自動的に行われるようになると、状況は一変するのではないだろうか。

以前「クラシック ポータルサイト」というエントリを書いた。あれからも、世界は進化している。ネットの世界という「あちら側」で知の再構築が成されたとき、そこからは何が生じるのだろうか・・・

ちなみに「あちら側」と「こちら側」という概念も梅田氏の本による。

2005年9月6日火曜日

iTunesとSony/本

「鎌倉・スイス日記」によるとソニーがiTuneに楽曲を提供!!するらしい。やっとというか、やっぱりというべきか。

ブログマスター殿も指摘されておられるが、SMEをはじめとして日本の音楽ダウンロードサイトはデザインもいただけなく、さらに使いにくい(好みもあろうが)。さらには独自のプロテクト機能だ。音楽著作権の保護というが、あれではわざわざネットで買う気が全く起こらない。

ソニーは圧縮技術+プロテクト機能で日本のスタンダードになろうと目論んでいたが、やはり音楽ダウンロードにおいてはApple陣営にも加わらなくてはシェア拡大ができないと判断したのか?

blog::TIAOで紹介されている「拒否できない日本~アメリカの日本改造が進んでいる」関岡 英之 (著)(文春新書)、面白そう、選挙前に読めるか?

丸善で在庫があるので注文。併せて「丸山真男音楽の対話」 (文春新書)も注文、はよ届け。

2004年10月21日木曜日

クラシック ポータルサイト

クラシック関連の参加型なポータルサイトができないか期待しています。

例えば世にCDレビュを書いている方はたくさんいるのですが、これだけ膨大なサイトの中から適切なレビュに巡り合うということは難しい。私の場合、時間もないし面倒なので、定期的に巡回している有名なサイトのレビュを参考にすることが多のが現実です。

amazonなどでは、カスタマーズ・レビュを書くことができるのですが、短評しか掲示されておらず、頻繁に訪れているのでなくては、どういう嗜好の方のレビュなのかがわかりにくい。そこで網羅的なポータルの登場です。

ポータルサイトは人為的なものでは主観が入ったり、手作業としての限界がありますから、目指すはGoogle Newsのような自動検索です。

CDレビュのポータル化に賛同するウェブマスターなり書き手は、XMLソースか何かにレビュをするCDに付与されたユニークなIDと、ポータルに参加することの意思表示であるタグを埋め込んでおく。ポータルサイトは、自動検索ロボットが定期的にネットの海を底引き網漁船のように探りまわり、タグの埋め込まれてあるレビュを所定のCDにリンクつけてリスト表示するという具合です。

相互に約束を設けることで、参加不参加の意思表示もできるようにしておくわけです。レビュには読み手の評価を反映できるようにしておき、参考になったレビュは上位に、複数のレビュで人気のある書き手も上位にランキングするようにプログラムしておきます。Google Newsと同様に、あくまでもポータルサイトはリスティングのみ、詳しくはそれぞれのウェブマスターのサイトを訪れるようにします。

amazonのカスタマーズ・レビュをトラックバック可とするだけでも随分と変わるような気もしますが、ゆくゆく読みたいのはCDレビュだけでなく包括的なクラシックの「話題」だったりしますので、やはりブログをジャンル別に自動検索するのが良いかなと。

こういうことを考えていたら「ネットは新聞を殺すのかblog」でも10月18日に「グーグルがブログ専用の検索サービス開発中」というエントリがあり、考えるヒトは考えているのだなと感心。

2004年9月15日水曜日

NOKIA 9300

 


NOKIA 9300が海の向こうでは発売になっているようです。重さ167g、携帯をパカっとあけるとフルキーボードに640×200ピクセルの液晶画面。なんとまあ、シグマリオンやCLIE PEG-UX50よりも軽く小さいではないですか!これは欲しいぃ・・っ!

日本はどうしてこうしたニーズに対応せずに、女子供のためのケータイを作りつづけるんだ?>小一時間ほど問いつめたい! >それは女子供たちが通信費を貢いでくれるからだよ