イロイロと公私ともども忙しいんです。という、よくある言い訳でブログ更新の滞りを説明しておきましょう。で音楽といえば買ったCDは聴かずにNaxos MLばかり聴いています。
ロマンティク・エ・レヴォリュショネルのyusukeさんが、
基本的にNMLで聴いた曲の感想書くのはちょっと抵抗なくもないんですが(リッツェン「チャイニーズ・レクイエム」他 2007.1.24)
とか、
これほんと、きりがありません(せっかちNMLライフ 2007.1.28)
と書いているのを読んで、「そうだよな×2」と、フカク×2頷く毎日です。yusukeさんは続けます。
テンポのゆっくりな曲とか、ぱっと聴きガツンとやられない曲とか、一定時間あたりの情報量が少ないのでまどろっこしくなってきます。てことで緩叙楽章skip。ゆっくりした序奏とかついてたらskip。提示部の繰り返しなんか当然skip。「やっぱ遅い曲ってたるいよな」とか、お前本当にクラ好きなのかと問い詰めたくなるような調子
私が「本当にクラ好き」なのかは自分でも疑問なのですが、iPodを購入してからクラシック曲に対する「楽曲をシームレスに聴く意味」に対して寛容になってしまったことは認めざるを得ません。ある楽章、あるいは、あるフレーズが好きだから、そこだけ前後の脈絡も何も考えずに、作曲者の意図さえ無視して聴いたって、いいぢゃないかという感覚。すなわちクラシック曲を「神聖視」することから解放されたと言いましょうか・・・。音楽がアナログからデジタルに変わったことで、「聴く」という行為さえもが「デジタル」化するということ。これは幸福なことなのか、不幸なことなのか。
♯CredoのkimataさんもNaxos MLについて書いています。
究極の形はやっぱケータイの電波でNMLが聴けることでしょうかね。。。(ガジェット軟禁 2007.1.27)
これは私も思いましたね。携帯音楽端末で、好き放題に音楽を聴けるようになったとしたら、これは、とんでもないことなのだろうと。(しかもAppleの携帯みたいなガジェットで!)
こんなに音楽情報が溢れてしまった世の中にあって、真面目に長時間、音楽を鑑賞するというスタイルは変質するのか・・・、いや既に変質してしまったのか・・・?などと思いながら、今はCLD4022-23 VIVALDI: Juditha Triumphansを軽く通して聴いた後、レチタティーヴォをはずしてアリアだけ流しながら聴いたりしています。
ああ、身につまされます(笑)。ヴィヴァルディのオペラ、iPodに大量に入れてあるんですが、私も好きなアリアだけつまみ食いするのが常態化してます。
返信削除はじめまして!トラバありがとうございました。
返信削除やはりこのシステム、みなさん行き着くところは似ていますね。作曲家や演奏家の意図を無視した細切れな聴き方に関しては、私はCDの時点で既にかなりやってました(「ラフマニノフの2番は3楽章終わったらブチッ」とか…。マーラー1番もエネルギーないときは4楽章始まったら急いで消すことあります)。
ただNMLは、聴ける曲の数がほとんど無限にまで増えるという点で、一層こういう聴き方を煽るところがありますよね。「コンサート」という形式がその対極にあるのでしょう。
携帯音楽端末の話、実は私も考えてました。CD屋でも、携帯片手にイヤホンして、気になったCDをいちいち試聴してから買うという日がそのうちやってきたりするんだろうか…という。
ともあれ、今後ともよろしくお願いします。