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2006年5月28日日曜日

マーラー:交響曲第2番「復活」/ブーレーズ&ウィーン・フィル

  1. マーラー:交響曲第2番「復活」
  • ブーレーズ(cond) ウィーン・フィル クリスティーネ・シェーファー(S) ミシェル・デ・ヤング(Ms) ウィーン楽友協会合唱団 合唱指揮:ヨハネス・プリンツ
  • DG/00289 477 6004(輸入盤)

ブーレーズのマーラーというと、知的抑制だとか緻密なスコア解釈、透明感などというキーワードで語られることが多いようです。何度か繰り返して聴いていますが、確かにこのマーラーは美しい。しかし感情移入の激しいマーラーを求めるリスナーには、ブーレーズのマーラーから何か決定的なものが失われていると感じるであろうことも認めざるを得ません。

であるからと言って、ブーレーズの演奏が分析的なだけで、感情表現を全く廃しているとすることも当たらないでしょう。作品解釈にを忠実であれば、過度な感情を込めなくても作品の持つ意味は自ずと立ち上がってくはずだろうと思います。ここに聴こえるマーラーは洗練され見通しが良く、ウィーン・フィルの演奏力と相まって曲のダイナミックさや美しさを損なっていない演奏だと思います。

例えば第一楽章などは、ブーレーズらしくないアゴーギグとでも言うのでしょうか、随所でしっかり「タメ」も聴かせてくれます。激しいところは激しく、優雅なところはひたすら華やかです。

中間の三つの楽章はくぐもったような暗い響きで、憂愁さえはらんでいるかのように聴こえます。ブーレーズの何とシンクロしているのでしょうか。曲の移ろいをたゆとう人生の流れにもなぞらえたかのように、ゆったりと、そして悠然と描いているようです。

第4楽章のミシェル・デ・ヤングの原光も、少し声質がナマっぽい感じがして、ブーレーズの演奏のバランスから考えると若干違和感を感じますが、演奏そのものは非常に良いと思います。

両端楽章の起伏とスケールの大きさは、おそらく演奏会場のナマで聴いていれば、結構驚きの演奏なのではないかと思えます。ティンパニやトロンボーン、チューバの音も劇烈です。オケ的音響としては、これに何のモンクを付けられましょうという程。ラストに向けての合唱の入る直前の美しさは言葉になりませんし、クライマックスも実に壮大、全く素晴らしい演奏といえます。

ただ、全編を聴き通した後に残るモノということに関して言うならば、壮大で立派な演奏であることに反して、冒頭に書いたように弱さを否定することができません。作品解釈としては忠実であっても、指揮者の作品に関への共感が聴こえてこないからでしょうか。

おやぢの部屋の感想の最後に、「熱狂」とか「迫力」といった言葉とはついぞ無縁のままエンディングを迎えても、青白い醒めた高揚感が心に残るとありました。この言葉の意味が何度か繰り返して聴いて、ようやく納得できるようになりました。終楽章などは、ブーレーズはもしかすると、全く別な意味での狂気に取り付かれて、この演奏をカタチ作ったのかもしれないなと。

2001年4月17日火曜日

【音盤】ブーレーズ指揮 クリーブランド管弦楽団による「春の祭典」

ストラヴィンスキー:「春の祭典」(1913年版)
ピエール・ブーレーズ(cond) クリーブランドpo.
録音:1969 SONY SRCR(国内版)

ブーレーズもこの曲を四度ほど録音している。この盤69年版は、ブーレーズがクリーブランドと組んで録音したもので、「春の祭典」の歴史的名盤とさえ言われている演奏だ。現代においても、これ以上の演奏は91年、やはりブーレーズとクリーブランドの二度目の演奏しかないという者もいるらしい。それほどの演奏なのである。

演奏の感想というものは、比較する盤や始めて聴いた盤での刷込みや、他者の批評や感想から完全に自由な状態で書くことはほとんど不可能と言ってよい。特に、ある演奏での刷込みがある場合、それが先入観となってしまい、その盤の印象をぬぐい去るためには、現在聴こうとしている盤を、新たな刷込みとするほどに聴き込まなくては感想を書くことなど望めないのではないかと暗澹たる気分に襲われる瞬間さえある。これから書こうとする「歴史的名盤」に対して、どれほど「束縛」から開放されているのかは、自分自身知る由もないのだ。

さて、言い訳が長くなった。ご多分に漏れず敢えて書かせてもらうなら、この盤から聴き取ることが出来るのは、豊饒なる色彩の乱舞と作品の持つ複雑さと美しさ、そして強靭さである。

バーンスタイン盤(58年)で感じるような、感情が高ぶり畏怖さえ感じるような部分や、ほとんどデモーニッシュな雰囲気は少ないと言えようか。しかし、それだからと言って、作品の輪郭がぼやけたり曖昧であるということは微塵もないのだ。むしろ、この盤との比較で考えるならば、バーンスタインの演奏は、若さ故の突っ走りと情動の部分に偏り過ぎているようにさえ思える。

例えば、第一部の「春のきざしと若い娘達の踊り」の部分など、単純なリズムの連続の中においても単調さはかけらもなく、常に変化し続ける動きが見えるし、曲が進むに連れて次第に色彩豊になってゆく様は見事な描出力を感じる。「誘拐の遊戯」にしても抑制を効かせた表現が、いたずらにして無意味とさえ思えるカタストロフを演じることを避けているようにさえ思えてくる。そして、これは録音のせいなのか、オケの特徴なのか、指揮者の力量なのか、実に色々な音が見えかくれし、どの瞬間を切っても新たな驚きと、新鮮さに満ちているのだ。

バーンスタインの演奏が、切ると血が出るような生々しさと凶暴さに満ちているとするならば、ブーレーズの演奏は、切口が鋭利で鋭く、歯切れよく、瑞々しい植物の細胞の一つ一つが潰れることなく、試験薬に染まりその姿をあらわにしているかのような感触さえ覚える。

また不調和の調和の美というものが、たぐいまれな精緻さの中でこれでもかとばかりに描出されている。ここらあたりも、バーンスタインが一気に押しまくっているのに対し、実に丁寧に色々な色彩のパレットを使い分け、互いの色が混ざらぬようにに描き分けていると感じるのである。第二部にしても暗黒的なミステリアスさの表現は、息を飲むほどの美しさであり、イメージ豊であるがために情景描写的であるとさえ思える。

このように、精緻かつ鋭利にこの曲にアプローチすることで、「分析的」とか「明晰な」いう表現を与えられるのかも知れないが、それでいてこの作品の持つ強靭さやエネルギーが失われていないことが名盤たる所以なのであろうか。(それにしても、音楽音痴な私には、どこが「分析的」でどごか「明晰」なのかは判然としないのだけどね・・・・)

ただひとつだけ、バーンスタイン盤と比べて欠けているのは、この曲を聴いて感じる圧倒的な内からこみ上げる肉体的とも言える情動感であろうか。根源的な、あるいは本能的な有無を言わさぬパッションと言ってもよいかもしれない。そういうものをこの演奏から感じることは、ない。もっとも、それがこの曲に「不可欠」なものであるのかは、私には分らないのだが。

2001年4月16日月曜日

【音盤】「春の祭典」聴き比べ

行きがかりで「春の祭典」を聴き始めてしまった。バーンスタイン・NYP(58)、ブーレーズ・クリーブランド(69)、 カラヤン・ベルリン(63)の三種類の盤を聴きくらべてみようと思う。私のルーツ版のLPを聴くために、ぶっ壊れかけたプレーヤーも 復活させた。
ハルサイといえばブーレーズが定番だったので、 91年盤にしようかと思ったが、69年盤を入手してしまった(^^;;
まずはバーンスタイン盤から始めよう…、この盤が数ある「春の祭典」の中でどういう評価を受けているのかは知らないが 衝撃度はピカ一なのではと思う。それは単に私が、バーンスタインの音楽を受け入れやすい性格だからなのかも知れないが。

ファジル・サイ
2000年夏に発売され、方々で話題になったファジル・サイ。かのClassicaJapanでも絶賛されていた(当該HPのDISK WOW!参照)。キワモノ的なイメージが付きまとい、気にはなっていたのだが購入意欲までは湧かずにいた。春になったし、やっぱりここはディーリアスかハルサイかななんて思って購入(1000円ちょっとだし)。続きはCD試聴記で!


カラヤン ベルリン・フィル
春の祭典を初めて聴いたのは、たぶん高校1年のときだったと思う。友人「凄い音楽がある」と教えてくれた。その時に買ったのが、カラヤン・ベルリン(63-64年)の演奏であった。「春の祭典」は紛れもない前衛的な音楽で、不協和音のカタマリであったのに、それは衝撃的な音楽として深く心に刻み込まれた。LPのノーツによると年をまたいで録音した演奏のツギハギということなのだろうか?非常なる名演ではあると思うが、何かが足りないと思うことも事実なのであった・・・

 


バーンスタイン ニューヨーク・フィル
バーンスタイン・NYPの58年の演奏。ハルサイといえば、ブーレーズが有名らしいが、クラシック初級者の私は聴いたことがない。それを前提として書くと、改めてこの演奏を聴いてみると、体の底を貫くような衝撃を覚えてしまった・・・・。残念ながらCD試聴記はまだ書けない。ここ数日、ハルサイ漬けである。
 

ブーレーズ クリーブランド管
バーンスタイン版(58)の後に聴くのは、「春の祭典」の歴史的名盤とまで言われる、ブーレーズ・クリーブランドの69年の演奏である。ブーレーズは91年にも同オケと再録している。「歴史的名盤」といわれるものであるため、嫌でも色いろな批評が目に入ってしまう。それらから全く先入観なしに曲を述べることは、難しいと感じざるを得ない